クシャトリヤ〜蛇足〜
あたしが色街を訪ねると、まだ前に騒いだのでは足りないのか、酒やら食べ物やら捧げ物を持ってくるようにテーブルに山積みされながら、腫れものに触るように謝罪と労いの言葉を浴びせられる。もういいって言ってるのに泣きだしてすがりついてくる人までいる次第で、困って周りを見回しても誰も助けてくれそうにもない。
前にはいなかった人も、喋れなかった人もいたしね。今回は闇街やスラムの人達まで交じった異様な密度だし。
こんな時にトキヤは離れた場所で男同士で飲んで騒いで、こっちに来る様子もない。喧嘩は起きるし仲裁に入るあたしをよそに後から後から引っ張り回されて喧嘩を横に別の場所でまた騒ぎ。
「もみくちゃね。大人気やないの」
「シノちゃん」
目線を合わさずに引き寄せられて耳元で話しかけられる。こうでもしないと喧噪で喋れもしない。
「あたいにも耳貸してくれる?」
人をかわしながら壁に寄って階段に座れば少しは落ち着いて話せそうな感じになった。
「もう聞き飽きたやろうけど、村八分にしたんは謝るわ。仲間やゆうて、どっか差別する気持ちがあったんも否定せえへん。汚い部分が丸出しで情けないわ。あんな状況でもまだあたいらを見捨てんと戦ってたカクウちゃん見とったら余計に」
「あたし、自分のために戦ってただけよ。それに最後は一緒に戦ったんじゃない。良いところは誰かさんにかすめとられちゃったけど」
「相変わらず良い子ぶりっこやね。男相手でもないのに媚びててさ、偽善者ぶって見下されてるみたいやわ」
「シノ、ちゃん?」
「あんたの性格って男には好かれても女には好かれんよ。あたいだって好きやない。正直ゆうて自分でも溝はあるなって分かってたやろ。守ってあげたくなる女なんて、自立しようとか幸せつかもうとしてる女には嫌悪感が強い」
酒場の騒ぎを見ながら、厳しい目で伝えるシノの目は真剣で冗談や軽口ではないのが分かる。分かってたかって?分かってなかったよ。分かりあえてると思い込んでた。心の底で気づいていたことといえば、女友達の中では恐らくミア様が一番気持ちを寄せてくれているということだけだった。
「あたしが守ってもらおうとしてるように見えたのなら、シノちゃんの目は腐ってるよ」
気持ちは、かわすのでは駄目。ぶつかって交わらなければいつまで経っても触れやしない。
「弱っちいだけで、いつだってあたしは皆を守りたくて戦ってたよ。これが偽善だったとしてそれが何?これが悪徳だったとしても、結果的に皆が生きて笑える未来が守れるなら綺麗な自分でなくたって良いわ」
静かにシノはあたしを見た。ようやくこちらに顔を向けた。
「分かってる。本当は、カクウちゃんは女にしとくの勿体無いぐらい男前な性質なんだって。人のためだなんて天然で言えちゃうんだ。すれたあたい達とは違うって」
「同じだよ」
あたしだって苦しんだ。
汚い気持ちにだって気づいたし、最初から綺麗な感情だけで出来た人間じゃないのは分かってた。良い子ぶりっこって言うけど、あたしの何所が良い子?よく現実を見て欲しい。本当ならテロリストとして糾弾されてる身分だ。
「でも汚いばかりじゃないでしょ。だって、助けにきてくれた。自分達のためだけじゃなかったでしょ?自惚れてもいいよね?一部はあたしのために来てくれたんだって。シノちゃんはあたしのために泣いてくれたんだって」
ポロリとシノちゃんの目から涙が零れる。目の縁の化粧が滲む。
「怒ればいいのよ。友達を奪われて、奪う原因を作ったあたしを責めればいいのよ。そうしなきゃ、それこそ嘘だ。喧嘩しようよ。言っても無駄だとか別の世界の人間だなんて切り捨てないで。言い訳も聞いて。最後はまた手を取れるように」
「ホント・・・男前なんだから。好きじゃないわ」
「嫌いじゃなきゃ嬉しい」
減らず口を返して、シノちゃんを抱きよせた。シノちゃんもあたしの背に手を回して肩を濡らす。
「死ぬかと思ったやないの。なんであんな無茶すんの。ああいうことはトキヤ君とかに任しとけばええやないの。心臓潰れるとこやったわ」
「うん、ごめん」
「顔に傷なんか作って!お腹に矢が刺さって死にかけたりするし!王子様に嫁にもろてもらわれへんようなるよ!」
「ラット様に嫁入りするつもりは無いよ。これぐらいの傷なんてことないわ。生きてるもの」
「トキヤ君、あんな女に盗られて。押しが弱いのよ、カクウちゃんは」
「押すつもりないってば」
しばらく鼻をすする音が聞こえる。喧噪の中、何人かと目が合うとバツの悪そうな顔をするので苦笑を返す。その内、近寄り難そうにしてた女の子達が寄ってくる。
「そろそろ代わってえや、シノ」
「そろそろ謝られるのも疲れてきたやろ、カクウちゃん。楽しい話題に切り替える頃合いやろ?」
「それもそうやな」
シノちゃんは肩から顔を離して顔を拭う。酷い顔だ。化粧を軽く拭ってしまえば、剥げてしまうが素のままの顔になる。
お酒を運んできた女同士で再び乾杯をして飲みながら会話を盛り上げ出す。切り替えの鋭い彼女達はさすが花街のプロだ。女は気持ちが逞しい。
杯を一気のみして元気よくサラちゃんが身を乗り出してくる。
「まあ、今回の波瀾万丈はお疲れ様としてさあ、王子様もトキヤ君も振るわけだしぃ、カクウちゃんには本命がいるわけですねえ?リキ君かなあ。でもあれはあんまり経済的によろしくないから苦労するよぉ?」
「えぇ、タツノじゃないの?一番に和解してたじゃん」
「馬鹿ねえ。もっと最初からずっと一緒にいた男いたじゃん。あの黒くて肌が真っ青で鬼強い人」
一斉に彼女達の視線があたしに向く。顔が真っ赤になる。何の話をし始めるんだ、一体!?
「ふ、振るも何も。ラット様はその、あれはよく知らないのもあったから。っていうか、リキもタツノもそんなんじゃないよ!第一相手にも選ぶ権利てものが」
「じゃ、やっぱりあの目付きの悪い黒い護衛の人なのね」
「ナルナはミア様のために戦っていたいわば仲間!そう、信頼おける同志だったわけで」
「いやいや、それこそ止めた方が良いってカクウちゃん。あの人は止めた方が良い。壊される。滅茶苦茶にされる。よく見なさい、あれはサディストです」
「鬼畜だよ。純情なカクウが耐えられる相手じゃないよね」
「絶倫だし」
勝手にヒートアップする彼女らが止まらない。た、確かに最近は少しその、ごにょごにょ・・・・な事はされたりするけど、たまにそうかなって感じる事はあるけど、どうしてみんながそんな事を言うんだろう。そりゃ見た目は怖いけど、あたしを助けてくれた良い人なのに。
「好きなとかそういうんじゃないけど、なんで?ナルナは見た目はそりゃ強面だけど良い人よ?見た目で判断しないで付き合ってみたら意外に優しいと思うし」
止めた方が良いという声に頷き合う数人に、知り合いを否定されて良い気はしないのでフォローを試みてみると肩を掴まれる。
冷静に聞けという感じで諭されながら。
「騙されてんのよ。あの人を選ぶぐらいならタツノ勧めるよ」
「なんでそこまで否定的。具体的な悪口っていうか」
「そりゃ、テクニックや逸物の大物加減は体験したあたしらも認め・・・・・」
派手な爆裂音が壁に響いて穴があいた。
一瞬で静まりかえった飲み会の視線は、あたし達とそう離れていない壁に立つナルナに向いた。いつも真っ青で病的な顔色だけど、今は死人のように土色をして脂汗を浮かべている。
尋常じゃない様子だけど、その彼の拳が壁の穴の辺りにあるのが恐ろしい。体調が悪いから力加減を間違ったとかだろうか。どんな状態なの、それは。
あたしも少々血の気を引かせながら、立ち上がって彼に手を恐る恐る伸ばす。
「ど、ど、どうかした?顔色が凄く悪いけど」
「顔色は元から悪い」
「そうなんだけど、なんていうかもう死にそうっていうか」
「用事が出来た」
そう言って手をつかまれアッと言う間に出来た穴から外に連れ出される。後ろから追ってきた声も軽くかわして、最後には駆け足で。
いつもいつも反論させずに彼は何処かへあたしを連れて行く。
「何?どうしたの?用事って、あたしも?みんなに声かけてかなくちゃ」
「冗談じゃない」
早口に呟いて、人気の無い路地まで来るとようやく彼は立ち止まる。
今なら泥棒が入っても周りは駆けつけないんじゃなかろうかと心配になる。ほとんどが溢れんばありにあの周辺の酒場に集まって道にはみ出しながら宴会をしている。ここらはもはや家の中も含めて無人なのよ。いつもなら色とりどりに輝く灯りも無くて本当に月や星の自然の光だけが差している。
暗くて狭い路地で立ち止まったナルナが振り返る。
「遊女にいらないことを吹き込まれて、あんたに逃げられると困るからだ」
サラリと喉を撫でられて後を持ち上げられる。ナルナの表情は暗くても何故かはっきり見えた。熱を持った黒い炎が瞳で揺れる。その目に完全に呑まれた。
背がゾクリと電気を走らせると腰が突然引き寄せられて堅くて広い体に覆われる。
体は身じろぎしても動けない。なんだか感触がその、あの、えう。
顔が近寄ってきて、息が口元に当たる。動揺する目を覗き込まれても顔を背けられないから目を堅く閉じる。
湿っぽい低い声が耳を刺激する。
「夜は長い」
「ま、待っ」
悲鳴が飲み込まれた。
その後、しばらくあたし達の姿を見た者は互いしかいない。
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