選択肢の中で惑う





 少年騎士から正騎士に繰り上げられ、ミアの我儘で取り巻き騎士となった。相変わらず嫌がらせは受けるが雑用業務を仰せつかる事は無くなった。そもそも雑用は少年騎士の範疇であり、俺の直接の上司がミアとなっている以上は命令をはねつける権利がある。


 表にミア姫の庇護下を、裏に反撃を。


「女性に守られ平然としているなど、男の風上にもおけん」


 俺の価値などどうでも良い。しょせん騎士という名目を持っただけの奴隷に過ぎない。遠くにやるためだけに異例の早さで正騎士となった俺は年齢的にも、知識上にも仕事をまっとうするには足りない。


 雑用も、正当な役も無い俺の使い道ははっきり言って無い。


 手持ちぶさただ。


 ミアの元に控える俺を更に見張る騎士が入口に2人。窓際に1人。メイドが2人に馬鹿ほど並んだヌイグルミ。後はナントカ学の家庭教師か。ミアは退屈そうに出された問題を解いていく。隣で聞いている俺にはなんのことだか分からないが、ミアに言わせれば一度聞けばおおよそ頭に入るだそうだ。


 窓際の外に視線を流す。あからさまにキョロキョロと余所を見て叱責されるのもウザい。何より勉強中に1人だけ寛いでいるとミアが後でぶーたれる。ただ真剣に聞いていると眠気が襲う。何かの呪術か。


 視線を地に落して、ある一点で目が固定される。










 ミアが立ち上がって肩を伸ばして立ち上がり窓際に走り寄る。


「あー!やっと終わった。どうせ帝王学なんて学んだところで、あのお兄様が誰に抹殺されるわけでもなし、私に必要ないのに熱心過ぎるんだ。なあ・・・?」


 窓の外のすんだ空気を吸い込む隣のミアを認識しつつ、視線はずっと花園でさまよわせていた。しばらくしてミアが窓から身を乗り出した。


「カクウー!」


 俺は窓から身をすぐに引いた。


 笑顔で手を振って、ミアは身を乗り出したままチラリと俺を振り返り睨んでから再び花園に目を向けた。


 こいつ。


「あ、姫様」


 聞こえてくる声に胸が早くなる。最近になってやっと耳にするようになった記憶には無かった女神の声は微かな音量だとういのに浅ましく拾う耳は良い仕事をしている。


「訓練所にでも下がっています」


 頭を下げて更に扉の方に逃げるが、女神を見下ろしたまま俺の方に口を寄越す。


「いればいい。なんだったらカクウを私の部屋まで案内をしてこい」


「ミア姫様、それは私が参りましょう」


 すぐに部屋の側控えであるメイドが頭をサッと下げて颯爽と出て行く。普通なら王族の許可も得ずに許されない行動だろうが女神に関しては、国王から特別な指示でもとんでるらしい。奴隷の俺が知るような事でもないがミアは口を尖らせて反論せずに大人しくしているんだからな。


 どういうわけか、城に来た当事から女神を俺は見かけた事が無かった。悪影響を及ぼすとかなんとかで城の出入りを禁じられていたが、ミア姫のお気に入りの娘という一番の悪影響である俺から引き離す最後の手段として呼び戻された。そういう他人から聞いた情報だけが俺にはある。ミアの興味を俺から貴族の娘に戻すための策なのだから、国王とやらは俺と女神の接触を避けている。それくらいは俺にも分かる。


 俺が無理に近づけば、排除される。


 ミアと離れる事になるし、こうやって女神を遠めに見る事もなくなるだろう。この場所で良い。とりあえず、奴隷の居場所としては上等だろう。


「では失礼致しています。ご用向きの際にはお呼びつけください」


 顔の無い女神をはっきりと今は思い出せる、それだけで悪魔に感謝している。












 テラスでミアと女神が茶を飲みながら向かい合って何か話しては笑い合う。女神の話には目を輝かせて横槍らしきものも入れずミアは素直に頷く。どことなく俺と話すよりも懸命さが見えなくも無い。緊張させる威圧感などありもしないが、考えてみればあいつに友達らしきものを見たのはタイセくらいだ。後は一線引いた距離を保っている。熱心にミアにアプローチしている少年騎士共は別として。


「ナール君」


 不意を突かれて振り返る。覆いかぶさるように飛びつかれて肘を手すりにぶつけるが、完全にぶら下がるつもりで飛びついた者を落さないように痛がることも出来ずに腕を伸ばして支える。ほぼ人気の無い死空間テラスだというのに俺を見つけたタイセはツンと済まして遠くに目を凝らす。


「また遠くから見てたあ。眺めるくらいなら参加してくれば?奥手ぶっちゃって前も後ろも純潔君でもあるまいしさ」


 頬引きつる。


「出来ないっていうなら、正直ホクオウ家の娘なんてそんなに美人ってわけでもないんだし、諦めて別の似た子探すとかすればいいのに。もちろん知っているだろうけど女の子なんてたくさんいるんだからね」


「遊郭には最近行ってません」


「良かった!いや、良くないのか」


 最近ショックな事が1つあった。


 この後ろにぶら下がる少年。よく見ればすぐに分かるが足を曲げて体を浮かせている。身長を抜かされたのだ。以前は簡単に担ぎ上げられたというのに普通に背負う程度では足が余る。


「この際はっきりさせたいんだけど、ナルナはカクウ・ホクオウ嬢の事が好きなの?ラブなの?」


「なん・・・」


 何の話か?と誤魔化すには、しょっちゅうタイセにこの場面を押さえられ過ぎている。いつも人が通らない遠くからこっそり眺めているだけだ。にも関わらずこの少年は俺を見つけてくる。そして俺が何を見ているのか気づく。


「見てるだけです」


「答えになっ・て・な・い」


 喉を詰まらせても、手加減などされない。


「じゃあ見てるだけっていう意見を採用したとして話すけど、僕ね、この国はナル君に合ってないと思うんだ。でもミア姫様と会えなくなるのが辛いって気持ちはよく分かるよ。だけど何も始終一緒にいなくてもいいじゃない?このまま駆け落ちでもするんじゃなければだけどさ。君は外に出るべきだと思うんだ、そう、僕とね」


「外出はしていますが」


「うん、そういう意味じゃないし」


 背から離れて片腕をしっかりと両手で握り絞られる。しばらく迷った様に地面に目を泳がせてタイセは定める点を見つけられずに俺の目に視点を移した。真剣な目で。


「僕、外交官としての下地のためにパパと近く外遊に連れられるんだ。しばらくこの国には帰ってこれない。徐々に外交の手管を学ばせるつもりだから、これからはずっとそういう繰り返しが始まるんだ」


「がいゆう」


 意味が見つけられないが国に帰ってこないという結果は分かる。タイセが外交官という仕事を疎んでいる理由だ。


「ミア姫にはホクオウ嬢がいる。でも僕には誰もいなくなる。パパはみんな諦めろって言う。誰もいないの可哀想でしょ?ねえ君だって、ここにいても将来なんて無いよ?ミア姫はいつか嫁がれる。嫁いだ後にはミア姫には夫がいるから強く出れなくて今まで通りミア姫の言う事が通らなくなるかもね。ナルナは重用されずに酷い扱いをされるかもしれない」


「ミア姫様の奴隷を辞め、タイセ様の奴隷になれということですか」


 息を呑んで、上目遣いにタイセが俺を見る。


「あのね、ミア姫のところにさえいなければナル君に注目するような貴族いないよ。僕が奴隷扱いなんてしなければ、何処でだって従者として対応してくれる。他国では蔑まれたりせずに慎重に扱ってくれるよ。今よりずっと良い環境になるし、生活だってよくなるって断言する。僕、ナル君の事、大事にするし!」


「それは、お得な話ですね」


「そうなんだよ!?」


 見上げなければならないのに、上目遣いをされるとはどういう事なのか。良い返事を待つタイセに、ああ、そのまま安心させてやりたいところだが、ミアと女神の顔が視界の端にぼやけて入る。どれかは捨てなければならない、そういうルールだ。


 タイセは顔を近づけてきた。こんな場所で誰が聞くわけでもない内緒話をするように囁きを。


「姫様には相談せずに覚悟を決めて」


 いや。


 俺と引き離せると踏んで呼び戻された変わり者の令嬢と楽しそうに話すミアは、今なら案外、折れるんじゃないだろうか。仕方ないと。どうせ遠くから眺める以上の事をしない女神の側にい続ける意味は、タイセの顔を曇らせる以上に大事だろうか。こんな迷走ばかりを繰り返して。










 上着を脱いで、それを受け取るために手を出すメイドに手渡す。


「ナルナ様、お食事までどちらでお過ごしになられますか」


「庭で・・・」


「時間になりましたら人を呼びに行かせますので、もし別の場所に移動されていらっしゃる場合には誰かに言付けをお願いいたします」


 頷いて、俺の上着を持って去っていくメイドの後姿を見る。その後ろから人の気配が近寄り後頭部を拳でこずかれる。


「食事前に汚れたおす気か。不潔だぞ」


 ゴセルバ、ではなくダンドロだ。現在の家主、の息子である。


「父に聞かれれば再教育されるぞ、手ずからと言いかねん。風呂を先にしろ」


「部屋で食う。その後にも汗をかくんだ、最後に風呂に入る」


 寝床が汚れても後で文句を言われる。ディズの屋敷ではシーツなんぞ変えられた事も無かったが、ここではしょっちゅう取り替えられている。その時に汚れようが酷いとメイドに繰り返し就寝前に風呂へ入れと淡々と命じられるのだ。取り替えなくていいと言い返したら眉をしかめて仲間を呼んできて、これまたコンコンと汚いと言い募る。部屋の隅々まで掃除をして食い置きは絶対に許さない。


 何もかもがディズの時と違う。


「ふー、お前には城の鍛錬では物足りないのか」


 以前とそう変わらず殴り倒されている。服の下に隠れるような場所は青く変色している。風呂になんぞ入れば毎回誰かどつき倒したくなる痛みが体中を襲う。正騎士になったとはいっても、体格も経験も能力も段違いでまだ手が届かない。連中から抜きん出る必要がある。俺と俺がミアを守るため・・・・・・。


 手の平を見下ろす。


 その存在意義を今更問うか?


「タイセ様に、従者にと乞われた」


 ダンドロが目を軽く見開き、苦笑する。


「それはまた詮無きことを」


 顔を見上げる。


「都合の悪いことか?」


「俺は良いと思う。騎士として生きるのはあまりに辛い道だろう。そこまで懸命に伸ばした芽を摘まれようとするような環境は忍びない。兵としてこの屋敷でいるのも悪くないと思えるようになるのが一番だと思っていたがな。ここの使用人は皆真面目で面倒見も良くお前を正しく理解している。だがピューツ閣下のご子息とは接点がない。噂では気まぐれとも聞く。ディズの時のような事にはしたくない」


「ありえない。血を恐れていた」


「拷問の話だけではない。いや、難しい話では聞き流すか」


 近づいてきてダンドロに髪をかきまぜられ、手をはねつける。


「ナルナが俺に相談するくらいだ、相当迷っているのだろう。複雑な事情など今は理解できないだろうから簡単な話にしよう。お前、ミア姫に側にいるよう乞われているはずだろう。約束を反故にして逃げるのか?あの方は相当悲しむだろうな。勿体無い話だが姫はお前を友人だと思っているだろう。先の約束を反故にするのも、複雑なお前の身の振り方を考慮すればいたしかたあるまい。だが、今すぐに決めねばならぬ程に急がねばならないか?主となる者や、落ち着きの無い環境が落ち着いた状態を見定めてからでも良いのではないか。少なくとも人間としてあまりに未熟なお前を外に出すのだというのならばもう少し時間が欲しいところだと屋敷の者達は思うところだろうな」


 通りかかった召使いが立ち止まり、身をかがませる。


「坊ちゃまいかが致しましたか。食事の時間が近くございますがナルナ様は入浴をすまされていないご様子では?説教もよろしいですが先に入浴を」


「ほらみろ。鍛錬もいいが人間としての共同生活の方に慣れるんだな。ローレンス、ナルナを風呂に連れて行ってくれ。俺よりもお前達の方が手際よく言い聞かせるしな」


「ナルナ様、風呂は必要ですよ」


 手際よくじゃない。一切の反論を聞き流して了解するまで逃がさないだけだ。このダンドロにして使用人達ありというラキタスの呟きが脳裏に過ぎった。










 約束を反故にする。


 怒るだろうな、ミアは。


 女神に接触するしないはともかく、気持ちの行き先が定めるにはまだ短い時しか流れていない。


「もう少し時間を」


 口を尖らせタイセは地面を蹴る。


「いいよ。今回は僕の負けだけど諦めないんだから」


 タイセと行く、そんな未来ももしかしたらあるかもしれない。だけど今はもう少しだけこのカオスの中で苛立ちながらでも、留まりたいと思ってしまった。未来を決定するのは先送りにして。



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