我が儘煽らせし





 笑顔のない真顔は悪人にしか見えないという顔。ただ、笑った所であまりその印象を変える事が出来ているとは思えない。何を企んでいるか尋ねられるか、厭世的な考えにふけっていただろうと言われるのが関の山だ。そもそも気合いを入れても大きく表情を変えられていないらしいから、ラキタスいわく表情の筋肉が死んでいるのかもしれない。


 微かに表情は変わっていると言うのがミアやタイセで、無表情か怒っているかにやけているかの見分けしかつかないと言うのがラキタスだ。他の連中は無表情か怒っているかの判断らしい。ゴセルバはなんとなく行動で読んでいるとかなんとか言っていた。尻尾がついていない分、動物よりも難解だとかも。


 あいつは自分がリリスとは微かも似ていないと言っていやがるが、俺からすれば自己暗示や意識して違うよう振る舞っているだけで、端々の発言が確実にかすっている。一緒にいれば嫌でも考え方が浸食されていたりもするものだ。


 俺が奴隷という概念を植え付けられたように。


 その悪人面で、しかも仁王立ちでもって優美にティータイムを過ごしている姫君の前に立っている。人目のある場所で同じ席につくと、どこのお偉い重臣や糞ウザイ連中に叩かれるともしれない。姫君の側に命じられて控えているとでも名目さえつけておけば以前のように引きずり回され罰されたりはしない。ただし控えるにしては不自然なまでに姫君の真正面にいるので不自然極まり無いわけではあるが、周りから歯ぎしりは聞こえても怒鳴り込んでくる奴はいない。


 本来なら俺の身分は王族とはほど遠い奴隷、ではあるが騎士という複雑な役職だ。俺だって騎士らしく演じてみせるくらいは出来るようになったが、今は休憩中。つまり給料が発生しないプライベートだ。つまり仕事をやる義理は無い。なので姫君が喋りたいと望むのであれば立つ位置は姫君の自由というのがルールになってきている。


 そんなもんが通用するわけがないのだが、ミアは周囲の人間を叩き伏せる術を着々と身につけている。子供が権力を持って我が儘をがなりちらしているという状態から、人を圧倒して従わせるだけの魅力での支配に。


 ただ、変な所で不器用なこの姫君は自分の望みを言葉に出来ないらしい。


 それに俺とは違い豊かな表情でも語っているのに、周りもその望みには応えない。それとも他の連中が俺の表情が変化するのに気づけないように、俺にしかミアの微かなサインが見えていないのだろうか。それならば、やはり口に出すべきなのだ。


「だって、我が儘言ったら嫌いになるだろう。それに、やっぱり無理に決まってる」


「言ってみればいいじゃないですか」


 ジリジリとなんと怒鳴ってやろうかと後ろで言葉を練っている騎士共を感じながら、まあ怒鳴ってもシカトだ、ミアがなんとかするだろう。とにかくミアの尖らせた唇の上の更に上の額を指で弾いてやる。複数の騎士と文官の驚愕の声が重なる。


 分かってない。


 この姫ときたら普段は妙な我が儘を言うくせに、こんな簡単な我が儘をためらう。いや、いくつも言葉を飲み込んでいるのも知っているし、妙な我が儘の方だって大したことなんて言っていない。寂しがりのミアに近づけずに怖じ気づいている連中が悪い。近寄りたいくせに遠目で高値の花扱い。こいつは花ではなく人間で甘ったれたお姫様なのに。だからミアから動くしかない。


 だからよく聞け。


「私にチヤホヤして話しかけて、もっと褒め称えて、たくさん甘やかして、髪を撫でて、抱きしめて、笑いかけて、楽しい話で笑わせて」


「ナルナだって楽しい話なんてしないくせして」


「苦手分野を求めるミア姫が悪いんでしょ」


「敬語止めてくれないし」


「人目がある時にやったら処刑ものですので」


 庭にある花に囲まれたテーブルでお茶をすすりながら、傍らに立つ俺を恨めしげに見る。


「だいたい、褒め称えるってなんだ。お世辞なんて言われても嬉しくないし求めてない」


「お世辞でなく」


「悪いところばっかりの癇癪姫なのに?おしとやかにしなさいとか、女性らしく振る舞いなさいって言われてばかりだ。疎ましく思われているようで気が引ける」


「それ以上に可愛いから問題無い」


 髪を撫でてやる。だから、そうやって自由を奪おうとする奴に意識を向けなければいいのに。


 ミアにはそれが許される。


 ぶしつけに髪を触ったのを見て今度こそ俺を止める怒声が聞こえた。ティータイムも見学されながらじゃ落ち着けないだろうに、慣れたものでミアは紅茶をすする。


「問題あると思うが。それに可愛いって、そもそも我が儘が許される条件にはならないんじゃないだろうか、と思う」


 何故。


 実際に可愛いんだから許されるだろう。


 俺なら許す。


「規則に縛られミア姫をないがしろにする奴が魅力的ですか?むしろ興ざめでしょう。距離をあけて言葉を飲み込んで寂しい想いをさせられるのが一番お嫌いなのだから。見とれるのは結構だがちゃんと話を聞けと命じてみればいい。心のままに何万回でも賛美させればいい。そうするのが当たり前だし、誰もが願う温もりを乞う。ささやかなものです」


 命も賭けていいぐらいだが、この程度なら安上がりなものだ。


 後ろで無礼だ、無礼千万だと合唱している。


 ウザイ、騒がしい。


 周りにもしらしめればいい。


 手を差し出してミアの手を取る。


「庭の花でも愛でにまいりましょうか。どうにもここには姫様の可愛らしいお願いを理解しない無粋者しかいないようですので」


 乾いた笑いでミアは立ち上がり小声で囁く。


「お前は一体、誰だ」


 決まっている。


 お前に結局は全面降伏した、しがない奴隷だ。道化歴は短く無い。ミアのためなら周りの困惑だって招いてやる。さあ、後は我が儘を言って困らせてやるといい。世界で一番可愛いミアの世界で一番可愛い我が儘で譲歩しない方がおかしい。


 楽しそうに笑うミアを見下ろして手を引いてやる。


「ナルナは一番私を甘やかすね」


 全面降伏。


 この光が俺に枷をつける。けして不愉快などではない。自ら望んだことだ。この光の影でいることを全てと引き換えにしてもいいくらいに強く。










 治療のためにラキタスの屋敷の裏門から離れの建物に顔パスであがる。以前なら正門前で待たされ、ラキタスに連絡がいき、兵士が連行して私室に向かうという形をとっていたが、あの性格だ。面倒な手順を踏む仕組みに自分が関わりたくないばかりに医務室を離れに建てさせて俺が自由に出入りできるようにしてしまった。


 どちらにせよ、あの女は人を待たせることにかけては遠慮が無いから俺は待つことになるのだが、寒空の下で立たされているよりはマシだ。シンと冷え切った部屋の暖炉に勝手に火を入れ空気を温めておく。寒いとラキタスが文句を言う上に、手がかじかんで動かしにくいと言って物を取り落とし、力加減を間違える。それならば屋敷にいる使用人に火入れをさせればいいものを、ここに立ち入らないよう自分で管理するとかなんとかいう理由で出入りを制限している。部屋の掃除や後始末まで自分でしている。俺には手伝わせるがメイドはいれていないようだ。


 暖炉の前でソファに身を沈めてボンヤリと部屋を観察する。


 棚には難しそうな本と何かの道具が並んでいる。医者になるという変わり者の貴族で、しかも女。親には反対されて独学で変則的な人生を突き進んでいる。ズタボロの奴隷である俺はかっこうの実験体だろう。治療が受けられるだけ良いのだろうが拷問と同じだけ痛い。


 折れた骨はまだひっつかない。


 血はまだ止まらない。


 こんな体をミアには見せられない。とっとと外見上だけでも繕ってもらいたいものだ。


 ウトウトしていると、誰かが部屋に入ってきた。夕日も落ち、薄暗がりだがガサツに足を鳴らすラキタスではない。上品に静かに近づいて俺を覗き込んだのはタイセだった。


「寝てるの?」


「いいえ」


 身を起こしてひざまづこうとすれば、俺の前の絨毯にタイセが膝をついて座りこんで動けなくなる。治療をするために脱いだ服のせいで露わになっている包帯や傷に小さな手でタイセが触れる。


「酷いね。これ、半分は自分でやったんでしょ。よくやるよね」


 城に連行されて、牢屋にぶち込まれ、一番最初に鉄格子の前に現れたのはタイセと、タイセに手を引かれたラキタスだった。俺の前から姿を消して走り去り、何をしていたかと思えば俺を助けようとしたのだと。奴隷であっても気にかけず、外聞も意識しない、人選は適格と言える。その上で強引に牢屋まで侵入するだけのタイセの手腕は、なるほど、外交官とかいう口回りが物を言う仕事の才能を感じる。


「あーあ、負けちゃったなぁ。面白い玩具をあげるつもりでナルナの推薦に口を出したのに、姫様の一番になっちゃうなんてね」


「一番・・・?」


 いつもは無邪気でなんの含みも感じないタイセが、困ったようでいて笑いを含んだ顔を見せる。


「僕ってね、ゆくゆくは外交長になるんだ。分かる?外交官の中での頂点。王族を除けば大臣閣下の次に偉いんだよ」


 膝に腕を置いて、顔を乗せて目をつぶっている。火の赤みが揺らいで不思議な色で世界を象っている。時間が切り取られたように。


「なりたくないなって。でも、パパはそれだけはお願いを聞いてくれないんだ。他の我が儘を聞いてやる代わりに僕の将来だけはけして自由にさせてくれないんだって。どうせなら逆が良いのに。他の我が儘なんて全部聞き流して、そのお願いを聞いてくれればいいのに。外交官ってね、この国にほとんど帰ってこられないんだ」


 外交官というのがどういうものなのか知らない。ただ、タイセは俺と同じで、願いのために自分を売れと言われた。


「姫様が、もし僕を選んでくれたら国を出て行かなくてもよくなるんだ。釣り合うだけの身分は持ってる。大好きな姫様に、ここにいることを許される当然がくっついてる。ずるっこいでしょ。あの事件のせいであやふやになってたけど、怒って欲しいんだ。僕にあんなことを言われるいわれは無いって」


 首を振る。


 タイセは自分のことをどうしてそうまで悪いと思うのだろうか。リリスに比べ残虐か?ゴセルバに比べ強引か?ミアに比べ頑固か?俺に比べ自分本位か?求めようと動くことが罪ならば、全ての者が悪と呼ばれるべきだ。


 その中でも、もしもそれだけタイセの罪が重かったとしても、それは俺にとって問題とはならない。


「必要ありません」


 唇が固く引き結び、タイセは暗闇の中でうずくまる。俺のせいで闇に染まるか。俺は、それこそを厭う。


「貴方は裏町の危険な北門まで俺を守るために走り、俺のために策を生み出し、また傷を癒すための場まで設けた。そこまでする程の何を俺が与えられたでしょうか。それに俺のために、あの時の言葉を責めて泣いて怒ってくれた人間ならちゃんといました。俺にはそれだけ十分だった」


「そっか・・・姫様がいるから、もう元気なんだね。僕、雰囲気暗くさせるだけだね。もうこの話は止めるよ」


「いいえ」


 何も分かっていない。


「俺のために責め続けることを止めてください。もう、本当に十分だ。タイセ様が笑っている方が俺には安らぎとなる」


 顔をあげて、ボンヤリト俺を見上げたままさっきよりももっと困ったように、それでも明るさを灯して笑った。


「僕ね、もう1つ思いついたことがあるんだ。姫様に選んでもらえる可能性ってさ、やっぱり低いんだ。だって姫様のことをみんなが大好きだって言ってるんだもん。だからね、外交官になってもずっと一緒にいれくれる人がいれば寂しくないんじゃないかって。国も何もかも全て捨てて僕と来てくれるんだ。奴隷を探そうかな。今度は姫様のためじゃなくて、僕のための」


 泣いてはいないが、なんとなくタイセの目の下に指を伸ばして強く拭ってやる。優しくするというのは難しい。甘やかすというのは手本が無い。ただ、お前達にはそれをしたいと思っていることが伝わればいい。察しが悪い分だけ我が儘を口にしたらできうる限りを叶えてやろう。


「奴隷はうまくしつけられなければ噛みますよ」


 タイセの我が儘は許されるべきだ。


「・・・噛むの?」


「噛みました」


 俺なら許す。


「・・・・・・」


「だから」


 笑え。


「俺で我慢しておいてください」


 幸せそうに。


 それが俺にとっての穏やかな時間となる。


 俺から恐怖を見失わせたのは、甘美な温もりだ。



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