クシャトリヤ 1





 身分階級最下層の隷属は、およそ人権の認められていない『物』に属する命。誰かの所有物で、第三者から殺されたとしても器物破損として処理される人達だ。所有物とされなくても貧しい彼らはスラムに追いやられ、当たり前のように暴力を振るわれ、物を奪われる。山に逃げ盗賊になる奴隷達は必死に生きている悲しい存在なのに、討伐の手が伸びる。


 平民の中でも比較的貧しい色町には奴隷も住んでいる。遊女と呼ばれる売られてきた女達は税を払えず給料も貰えない。日々、生きるための食事を与えられるだけだ。彼女達じゃなくても貧し過ぎて売られてしまう子供達、一家揃って、色々なパターンがあるけれどスラムと一番身近な区画よね。


 カクウ・ホクオウは家族から縁を切られ公爵家の令嬢から奴隷にまで地位の転落を果たした。貴族から隷属とされる罰を受けるのは現国王の時代では姫様に不埒を働こうとして国外追放になり、最近ではテロリストとしてお縄についたリリス・ディズ以来のはずだわ。


 姫様の遊び子として連れられた昔、あたしが緊張して失礼かましたせいで姫様を怒らせた時に難題をかせられた。城の外へ行けない彼女の代わりに城下を見聞し、それを伝えるという当時幼かった深窓お嬢のあたしには無理そうなものよ。


 でも行っちゃった。


 王族に仕えるという義務を徹底的に教育されたゆえの使命感がなせる技だったんだろうけど、何よりあたしも友達がほしかった。共も護衛も無しに家を抜け出したあたしはフラフラ出歩いた結果、危険人物と遭遇しかけて色町に住む通りすがりの少年に助けられた。トキヤ・シッポウ、あたしの親友のトラブルメーカー。平民でありながらあたしが推薦して騎士となり、姫と恋に落ちて先日駆け落ちしている話題沸騰の指名手配犯だわ。
 

 生来逞しいトキヤと姫様なら何処でも生きていけるとは思うけれど、最悪の事態も夢に見るの。捕まって処刑される、亡命先で病気になる、大変な時期にいつも通りトラブルを起こす。


 ヤだわ、一番最後は確実にやってる。


 逃亡劇に手を貸した首謀者として処理されたあたしはあたしで悠々出来る身分じゃないけど、逃亡を成功させてあたしの仕事は終わりじゃない。後始末の出来ない友人達を持ったあたしの仕事は、いつもここからが本番と決まっている。


 ただいつもと違うのは、あたしの味方は現在・・・・・あたしだけって事・・・・・。


「よしい、ただでさえ前の騒ぎに気ぃ立てとる貴族連中挑発するだけやで。トキヤのおらん僕らなんか・・・なんもできんし」


 30pぐらいの歪なラッパを服で磨きながら余所見て惚けるリキに、あたしは拳を握って顔の下から覗き込んで目を合わせる。


「そんなことないわ!トキヤとリキ、タツノって言えば裏町一番の」


「悪戯最強トリオ?そんなんトキがおって始めて成り立っとったもんやん。大体、革命みたいな夢物語実行する程の英雄ちゃうし」


 ラッパーを吹くと正しい音階は当然出ないが、リキは気にせず吹き続ける。タツノがリキを横目で見ながら溜息をつく。


「トキヤとお姫様は手に手を取って一緒になり幸せになりました。ええやん、もうこれでハッピーエンドやろ?王様が気にくわんのはトキヤが庶民やからやろ?無実を証明するもんもないのに、どうやって指名手配を解かせようってんだよ。その辺で騒ぎ起こしてる切り裂き魔ぁボコにすんのとはわけが違うし・・・他の連中に誘いかけても絶対無駄」


「こんなことしてる暇あったら土下座して家にいれてもらえば?もう平民と縁切りますっていえば復縁してくれるんちゃう」


 ドン!なんて、あたしの背後で破壊音がする。ビックリして振り返れば、いつもの騎士服よりラフ・・・と言っても高価でセンスの良い貴族らしき姿をした二枚目が凄味のある顔で2人を睨んでいた。


「貴様等、黙って聞いていればホクオウ様へのその失礼な態度はなんだ!!」


「なんだ貴族、やるってのか!!」


 タツノが受けて立とうとする。


「ちょっ、2人共やめて!!」


 あたしがなんとかするより早くリキが立ち上がったタツノの横顔を押し飛ばして自分も立ち上がる。


「商売にならんわ」


 リキがラッパを撫でてタツノを伴い立ち去ろうとする。必死に引き留めるあたしの言葉は流される。それに対して後ろの騎士様は再度いらない言葉を吐き捨てた。


「あのようなオモチャのラッパで演奏し回る輩と理知的な会話は望めません。引きましょう、ホクオウ様」


 立ち去りかけたリキが足を止めて振り返る。悪戯するときもピンチのときも飄々と笑っている人が、とても冷めた目をしていた。


「もう一度言ってみ。僕の宝物にケチつけるんやったら温厚な僕でも裏町のチンピラやて証明したんで」


 最悪。










 あたしは頭を抱えて木箱に座っていた。側に控えている裏町に場違いな騎士2人のせいでよ!


「ディズ少佐、コルコット准尉、出過ぎた発言には昔の馴染み者としてお目つむり頂きたいと先んじて申し上げます。お二方は先日に爵位降格を言い渡され、謹慎中なのですから家に籠もりお勤めされてはいかがかと存じ上げます。このような場所への堂々とした出入り、よもや連日となれば太陽の目に止まる大胆な所行」


 トキヤを追いたてた城の人間である現役騎士が側にいたんじゃ色町のみんなが反感持つのは当たり前なのよ。それも高圧的に接したんじゃ挑発してるも同じだわ。超絶メッチャ激バリ邪魔です。


「逃亡に手を貸した同罪の我々が、たかが降格と謹慎如きで身を救われているのですからホクオウ様の過酷な状況には及びません。増罰されようとも、このような治安の悪い場に貴方を置き去りにして帰らなければならないことを思えば塵ほどにもかまいません」


「かまってください。そもそも隷属のあたしが平民区にいられるのは世話になっている家の温情ゆえ。敬語も敬称も、まして護衛のような真似事もおやめいただきたいのです。・・・貴方にも言ってるのですがコルコット准尉、聞き流してますね?」


「いえ、一文字も逃さず。俺の事はどうぞ空気とでも」


 思えんから。


 栗色の髪に綺麗な面立ち、あたしの腕2本分はある逞しい腕と長い指をしたゴセルバ・ディズ少佐。以前は若くして大佐という出世頭の実力派騎士だった人。そして冷たく切れ長の吊り目に真っ青な肌、闇色の髪と服装は貴族という華やかさより殺し屋でもしてそうな怪しさが漂ってるナルナ・コルコット准尉。リーゼントを止めて髪を下ろしてるせいか若返って見えるわ。


 2人はあたしと同じく姫様の逃亡に手を貸した、いわば姫様第一主義の共犯者。ただそれ以外は元来姫様を挟んでしか付き合いの無い人達のはずなんだけど、姫様への義理立てらしく外に出れば必ずついてくる。とはいえ、まさか彼らに協力を要請するわけにはいかない。ただでさえ前回の逃亡の話を持ちかけて罰を受けさせてしまったし、彼らは貴族なんだもん。やるとなったら敵に回る側の人間だし、さすがに信用出来る立場じゃない。


 トキヤ達が駆け落ちして音沙汰はいっこうにないから今はうまく逃げ回っているんだろうけど、そうそう楽観できる状態じゃない。説得するなり暴動を起こすなり誰かが行動しなきゃ、いつまでも無事でいられる保証はない。1度捕まって処分されかけたんだもの。足だって引きずったままだった。


 事が事なだけに慎重で確実な手を打ちたい。それも1人じゃ無理。なのに一番頼りになるリキとタツノがあれじゃ知恵と力を借りる相手もない。時間が無いのに策すら決まらないんじゃ、頭ぐらい抱えたくもなるわよ。よしんば仲間ができて策が決まっても、専属の見張りがついてるようなもんだもん。


 うぅ・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・・・。










 血の繋がった家族が縁を切り弁護する人がいないため、あたしだけ罪状が軽くなることなく隷属へ落とされた。代わりに受け入れてくれたのは・・・いつだって包み込んでくれるトキヤの家族。


 あたしは隷属だから本来ならスラムや奴隷としてスラムで野垂れ死ぬ立場なんだけど、おじ様が当たり前のように平民区の色町長屋に招いてくれた。おば様は狭い部屋の中に布で仕切りを作って休む場所をくれた。トキヤの兄シンヤさんは居辛くならないよう内職の仕事をこっそり見つけてきてくれた。この色町で色事に関わりない仕事を探すのはとても難しかったでしょうに。本当にどっちが血の繋がった家族かわかりゃしない。


 いっそシンヤさんに嫁げないもんかしら。あたしの毎日はまるっきり変わったけど、この家だけは変わりなく休息と安らぎを与えてくれる。騎士の2人もさすがに長屋には入ってこないし、夜にはさすがに外で待機せず帰っているだろう。


 そこを狙うしかないわ。


 こっそり家を抜け出したあたしは、トキヤ達が溜まり場にしていた遊廓の1階へ向かった。夜だけ開店する酒場で給仕は遊女、客はあたし以外はみんな男。怪しく甘い匂いが支配する色町本来の姿を見せるいかがわしい酒場。もっとも、トキヤがいれば普通の酒場みたいに雰囲気をぶち壊していたっけ。


 店に入るとざわめきが消える。居心地の悪さに逃げたくなったけど、女友達のシノ達を見つけてひとまずホッとする。いて当たり前ね、ここはシノ達のいる遊廓だもんね。それに周辺にいるのは気さくな顔見知りばかり。あたしは近くにいた久しぶりに会うアグリに笑顔を向けて声をかけた。


 軽い挨拶は返されることなく、余所へ背けられた。


「どう、したの?」


 他へ目を向けても、誰の目とも出会わなかった。給仕をしているアチちゃんと眼が合うけど、すぐに身を翻して距離をとられた。


「女の、しかも金持ってない奴の来る所やないよ。消えて」


 底冷えする声の先にはシノがいた。


「それとも居候生活辛くて身売りにきたのか?わいが買ぉてやろーか」


 腕をつかまれて思わず逃げようと身を引いたけど、力加減無しに捕まえられた腕は痛いほど外れない!


「ジダ・・・何を」


 パーンと物を打ち付けた音に注目すれば、カウンターテーブルにお盆を打ち付けて腰に手を当て睨むシノが立っていた。


「何を?頭の良いあんたが分からないはずないでしょ。あんたは悪くない。でもそれがどうしたの?トキヤ君っていう特殊なフィルターで見てた世界はさぞアットホームだったんでしょうね。あの人がいればみんな輝かされたもの。でもあんたは奪っちゃった。こんなことなら騎士になる言うた時にもっと止めれば良かった!!」


「暗い絶望の溜まり場を無茶苦茶にするのが得意やった。あのトラブルメーカーを俺達は慕ってた。そこで問題が生じるな。こういう事件が起きたらかき混ぜて割ってはいる男がこの町にもういないって事だ。ここにはもうああいう馬鹿はいねえ」


「ここは、そんなに優しい世界じゃないっす」


 金槌で殴られたように頭の芯から意識が揺らぐ。ふらついた瞬間、背中に誰かの胸が当たってジダの手が弾かれた。


「遅くなりました」


「コル、コット・・・准尉?」


 周りが一気に殺気立って立ち上がった。


「カクウ!」


 店の扉が勢いよく開かれる。


 薄汚れた髪の毛を掻き上げて仕事から帰ってすぐだと思う、呆れ顔の。


「シンヤさん・・・」


「遊廓に遊女以外の女が出入りするんじゃない、しかもこんな時間に何考えてる。ここに連れ込んでた愚弟も馬鹿だが、愚弟がいなけりゃここはカクウには毒にしかならん。ここには人売りだって出入りしてるんだぞ!」


 周りからぽつぽつと悪意が漏れる。シンヤさんはそれを無視してあたしの腕を掴んで引き寄せる。足下の感覚が分からない。ふらついて半分引きずられるように出口へ連れられる。


「あ、シンヤ・・さ・・・」


 目が、みんなから離せない。


 外に引っ張り出されるとすぐにコルコット准尉が後ろからついて出た。


 城にいても友達って呼べるのはミア姫だけだった。親しいって呼べるものに家族すら入らなくて城下の空気を吸うと、今まで水の中にいたのかなんて、思うほどに、心地よくてたまらなくなった。少しでもここが良くなるようにミア様に協力してもらおうと城下の事を伝えてきた。孤独な城での生活を和らげたくて、同じ野望を持つトキヤなら疑いもなく協力してくれると考えて騎士に勧めた。どんなに家族から冷たい罵声を浴びせられても、大切なこの場所を守りたいから。


 ここにあたしの居場所があると。


 なのに今振り返った町にあたしはただ、1人。まるで城のホールに投げ出された時みたいに。


 怖くて見上げられないシンヤさんの顔。だけど彼はあたしの頭を仕事で汚れて傷ついた手で撫でつけた。息を切らせて駆けつけ、きっと知ってたのね。喧嘩はしても、殴り合っても、仲間だと思ってた。いや、きっとあちらから見れば、裏切ったのはあたしなのね。馬鹿なあたし、哀れな女だわ。仲間を集めるどころか友達を全て無くしていた事に気付けもしなかった。


 ううん、本当は知ってた。そうよシノ、あたしの取り柄は頭が良い事だけだもん。それでも馬鹿のフリをして気付かないようにしていないと立っていられなかった。誰よりも臆病で弱虫で、強がってないと生きていけないから。


「何を求めてここに来たかは聞かない。だが、もう二度と来るな。・・・ここはそのうちもっと酷くなる」


 ズシリと胸の中で何か重い物が詰まった。


「それと、あんた・・・知らせてくれたのには礼を言う。だけどもうこの子に近づかんでもらおうか」


 コルコット准尉に助けて貰った事を痺れた頭で思い出し、顔を上げる。無表情で何を考えているのか読み取れもしない。シンヤさんがあたしを包み込む腕が籠のように准尉や外の世界と隔絶した錯覚を覚えてくる。


「ずっとつきまとってるらしいな。何をとちくるってんのか知らんが、この子はもうあんな所には戻さないし側女にもさせない。俺の妹に2度と近づくな。手ぇ出してみろ、貴族だろうと、殺す」


 物騒な言葉に驚いてシンヤさんを見上げる。トキヤに似ているようで全然違う、甘さの無い・・・・知らない・・・・この人は誰?










 どうやって帰ったとか、あの後コルコット准尉が素直に帰ったのかとか、何も思い出せなかった。歩いて帰ってきたはずなのになぁ。


 買い物篭を持ってトボトボと歩きながら町を見上げる。ここを走り回った、東区の不良達と喧嘩した、屋根づたいにごろつきと命がけの追いかけっこしたこともあった。小さいあたし達が今のあたしを置いて駆け抜ける。


 あぁ、少し手を伸ばせばいたはずのトキヤは連れて行ってしまった。あたしの愛した妖精が。


「っ・・・・!」


 頭が真っ白で吐きそうになって口を押さえる。何か落とした、それでもお腹の中から何かが疼きだして走り出した。何処に行くの?あたしなんで出かけてきたんだった?戻らなきゃ、あたし、こんなの。


 強い衝撃で身体が跳ねる。無茶苦茶に走ってぶつかった何かを見上げれば、それは。


「なんのつもりだ」


 酷い、偶然を用意する。喉が焼け付く。


「よくも私の前に顔を出せたものだな。神経の太さは変わらないというわけか。それとも奴隷の身でここに現れ哀れみを乞うつもりだったか?この面汚しめが。どんな謝罪を考えてきた」


 あたしの元、父親の姿に。


 大通りに駆け出してしまっていたらしい。日頃なら元父親じゃなくて馬車に轢かれていてもおかしくなかったかもね。ううん、馬車もいたし異国の動物も歩いていた。派手な演奏と行進と護衛の煌びやかな騎士達。パレードに乱入しちゃったらしい。なによ・・・姫様がいなくなって久しいってのに祭りでもない日にパレードですって?どうかしてる。こんな大騒ぎに気づかずに横っ面に突入したあたしも、どうかしてるよ。


 転けたあたしに見たことある騎士が駆け寄ってきて手を伸ばし助けようとしたけど、元父親がその手を強く払った。演奏者達が控えめな音で演奏したけど周囲はシンと静まりかえっていた。滑稽で不思議な絵図らね。よく磨かれたトランペットに映ったあたしは顔に泥をつけてドレスとは程遠い継ぎ接ぎのワンピースに乱れた髪で地面に手をついている哀れそのものな姿だった。


 これはあたしが望んだ姿。


「だんまりか。言葉を失った幼子のようだな。それとも馬鹿共の中にいれば会話の仕方も思い出せなくなるか」


「閣下」


 ようやく口を開いたあたしに元父親は目を厳しくしかめる。あたしはここで一手を投げかけなきゃいけないわ。大事な初手、うまく姫様達の指名手配を解く・・・うまくいく、ように。目が濁ったまま頭は真っ白なまま、自分の事もうまく立ち回れていないままに。それがあたしの一番の望みなんだから。こんな気持ちに揺れてる場合じゃない。


「不快な気持ちとなるのであれば目にしなければよろしいかと助言させていただきます。そう、たかだが貴族の中から抜け出した姫やきっかけとなっただけの平民の事など固執していかがされるつもりか。もっと華やかで楽しい事ばかり考えておられたらいいでしょう。虫の居所が悪ければ目前の奴隷でも踏みつけてはいかが?遠くの誰かを引きずり出して手を噛まれるより余程安全で手っ取り早い」


「准将!この娘を即刻」


 元父親の声を掻き消すようにファンファーレが鳴って、演奏が突如再開された。行進が波打つように始まりそれにつられてパレードが続行された。口伝えに何かが准将に伝えられ、元父親は厳しい顔のまま城へ足を向けた。一段と華やかな深紅の馬車が駆けていく。まるで姫様が外へ行く時に使われていたような王族仕様。


 パレードからすり抜けて異国の服を着た青年があたしの前に立ち止まって手を伸ばす。深い砂色の髪がフードから垣間見える。とても綺麗な男の人だった。長年無駄に顔だけは良い騎士に囲まれて育ってきたあたしでさえ溜息をつきたくなる象牙の指に戸惑う。


「勇猛だったと褒めるべきかな。それとも口が悪いと責めるべきか。なにはともあれ君が酷くされる前でよかった。神経を逆なでただけだったと思うがね」


「貴方が・・・このパレードを再開させたの?」


「さて、な。俺は早く帰りたいと言っただけだが周りは歩き出した様子だったが。まずは立たないか?それとも立てないのかな」


 言うが早いか、あたしの身体をこの人は抱き上げてしまった。短く悲鳴を上げて不安定な場所に思わず首元に抱きつけば身体をフワリと抱きしめられる。そしてパレードの列に沿って歩きかける。


「ちょ、ちょっと待って」


「どうした、ホクオウ」


 この人あたしの名前知ってる。それも敬称をつけず名字で呼ぶなんて、誰なの?覚えがない。


「あた、あたしは城から追放された身。行けば貴方も大臣から咎められるわ」


「ありえないな。この国で俺を咎める者はもう誰もいない。国王ですら俺がいなくなれば困るらしいからな。いい気味だ。つまらんがな」


 呆気にとられて彼の顔を見上げれば、うっすら笑いかけられた。


「窮屈な馬車を抜け出して正解だったな。こんな退屈な国に帰ってきたのはひとえにお前に会いたかったからだ。突然留学を中断させられたのにはまいったが、ホクオウに存在を忘れられている事を考えれば遅すぎたぐらいか。千の夜にお前を想い、万の花にお前を重ねた俺の思念は通ずるはずもないが、今この時でいいから名ぐらい呼んで欲しいものだ」


 そんな事言われても、いたたまれなくなって顔に熱が集まる。気持ちが弱ってる時にこんなからかい質が悪いよ。そこであたしはパレードの野次馬の少ないパレードの外側にいるタツノとリキと目が・・・・・合った。


 リキは道を引き返してすぐさま立ち去る。


 身を乗り出したのによろけもしない異国の服の誰かは抱き上げたまま下ろしてくれない。行っちゃう、離れて行く。


 タツノは手元に持った何かを見下ろして握り締めた。あれは、あたしが落とした買い物籠。


「良かったじゃん、帰る取っ掛かりできて」


 籠を持ったまま行ってしまう。


「待ってぇ!!」


 叫んでも誰も、もう誰も振り返ってくれない。


 サラリと髪の毛を一房つかんで男の人が口づける。


「口説くには時期が悪いか」


 涙がボロボロと流れ落ちる。もう手遅れなのかな。帰って、それこそ父上に土下座する?拒否し続けた見合いを受けて命じられた通りに大人しく深窓で従順に過ごすの。2度と外の世界に触れず籠の中に自ら戻れば許される?罪を認めれば、トキヤ達の分まで罰を受けるから許してくれる?










 任せてなんてどの口が言えたの?


 置いていかないでって、どうして素直に言えなかったの?


 トキヤがいないと、あたしは誰に『助けて』って言えばいいのか分からないよ。










 城門前に来ると、大臣が立っていた。慌ててあたしを抱いたまま歩く彼の側に歩み寄りかけて、あたしを見つけて、唖然とする。悲しくて涙が止まらないあたしには、もう人目なんて関係なくて素直に彼の胸に頭を預けて指一本動かしたくなかった。騎士が立ち並んでいる城の中と門を境に立つ彼が構いもせずに堂々と城内へ向かおうとした。


「ラット様!いなくなられたと思えば、そのような戯れを」


「説明するのは面倒だな。どういうつもりか一目で理解させてやろうか」


 『ラット様』はあたしの顎をつかんで身体を持ち上げ、後少しで鼻がつきそうな距離まで近づいた。そこで地面を割るような音が城と反対、城の外で鳴った。


「僭越ながらカクウ様、助けが必要かと思い馳せ参じさせていただきました」


 砂煙が上がり、黒い服を靡かせ剣を引き抜いている黒髪のコルコット准尉がそこにいた。


「ミア様とトキヤの無罪を訴えるにも今城へ戻るは下策、かと・・・」


 低いコルコット准尉の声に組んだ両手が強ばる。


「あいつは確か」


 『ラット様』の呟きが耳に聞こえる。いけない、彼はトキヤと同じ後ろ盾を持たないただ1人の隷属出身騎士だ。それも最下級にまで降格させられたばかりの人なのに何を考えてるの。


「あたしが何を考えて何処にいようと貴方なんかに関係ないでしょ!こんな所で剣なんか抜いてどうするつもり?早く」


 面倒な事に巻き込まれないために。


「帰って!!」


「城下の連中がトキヤを信じるように、あんたを信じる人間はあんたが思うよりは案外多いもんだ。ただ、連中が今は身分も外聞も人生も捨てられないだけ」


 コルコット准尉は颯爽とあたしに向かって来た。周りの騎士が前に出て身構えたのにも気をかけず、あたしに手を差しのばした。『ラット様』が剣を抜いてあたしを横に立たせる。


「俺の花を摘む気か、ナルナ・コルコット」


「頑なになってる連中を取り崩すためにカクウ・ホクオウはシュードラの道を行った。1人では道を違うというなら俺はあんたを鳥籠へ閉じ込める輩をねじ伏せるための刃となるのみ。前にも言った、あんたに手出しするのが騎士であるなら未練は無い。人に影響を与える事を恐れ、大事を避けるのは思いやりでも優しさでもなく弱さ」


 コルコット准尉の闇色の瞳に・・・捕らわれた。


「逃げずに進め」


 あの、人生の逃亡劇の日にフラッシュバックする。


 トキヤとミア様との別れ際に。


『トラブルを丸め込むのはあたしの役目なんだから今回だってちゃんと信じて任して、トキヤは自分にしか出来ないことやってよね』


 つかむ手を間違える所だった。


 剣と人をすり抜けて、硬いその手に触れればスルリとすり抜けて彼の手はあたしの腰を抱え身軽に退いた。


 振り返った城門には顔を憤怒に染めた大臣閣下と、行動を迷い『ラット様』を伺う騎士達、異国の服をまとった砂色の髪の『ラット様』が片眉を上げて笑みを浮かべていた。


『喧嘩はハッタリと最初の一撃が物言うんだよ』


「身分が違うから、身分が低いから、そんな理由で人を選別する傲慢がミア様をこの城から消しました。いつも疑問でした。家の身分で能力の無い物でも昇級し贅をつくし優雅に生きている。懸命に働く裏町の者達は憔悴しながら日々の食事にも困っている。この城で払われる給金がどこから生まれる税金であるかご存じですか?貴方達がみんなに何を返しているか、トキヤの言った言葉を少しでも考えてくれましたか?」


 トキヤの声はいなくてもハッキリ思い出せる。あたしは城門にいる全ての貴族に指を差しむけ宣誓した。


「どれだけ言葉を重ねても民を家畜と見るのなら、あたしは土下座されても貴族になんて戻らない。身分によってトキヤを罰しミア様を糾弾するというのなら、貴方達を正義だなんて呼ばせない」


 そう、たった1人だとしても関係なかった。


「身分が人を不自由にするというのなら、そんなもの潰して見せます!」


 憲兵が集まり、大臣閣下の怒声が聞こえ、場違いな『ラット様』の口笛が聞こえた。あたしを抱えたままコルコット准尉は城下へとって返し逃走した。


「あぁ、やっちゃったぁ。これであたしもテロリストの仲間入りぃ」


 こういう先走ったやり口はトキヤとミア様の専売特許で、あたしは後方支援だってのに。


「時代を舞台にする英雄はなろうとしてなるものではなく、婉曲な運命を辿るパズルのように流れ着いた先の者に与えられた役柄」


 今日はやけに饒舌なコルコット准尉があたしを抱えたまま城を前にした大通りで急に留まる。憲兵が何人も駆けてくる。


「負ければ罪人だろうが勝てば革命者、身分という概念を覆すことが出来ればあんたは歴史の分岐点に立ちし人と呼ばれるだろう。俺は例え罪人と呼ばれてもあんたの隣で剣を振るえるのなら誇りだがな」


 それどころじゃないけど、なんだか凄いことを言われた気がして顔が熱くなる。いや、なんていうかそろそろ手放して欲しいというか。


「あいつもそうだと思いますがね」


 あたしは後頭部をこずかれてビックリして振り返る。そこには気まずそうにしたタツノがいた。


「してる場合とちゃうやろ。こっちの抜け道で撒くで、アホ」


 鎧を着ている憲兵なんて目じゃなかった。チラッとディズ少佐の姿が見えた気がしたと思ったら、しばらくして別の方角へ憲兵達を誘導する声を聞いた。騒がしい気配が離れていく。


 裏町まで連れてこられたあたしは、ようやく道端に下ろされた。途端に腰が抜けているのに気づくが、ペタリと地面に座り込んでしまった。


 息を切らせながら、ゆっくりタツノも地面に膝をついて、勢いよく地面に頭突きをかました!!


「すまんかった!」


 驚くより先に大声で何度もタツノは謝罪と土下座で地面に頭を打ち付ける。何、これ、新手の嫌がらせなの!?


「何、ど、血が出てるよ!やめ、ちょ」


 ゴツィーンと音が鳴って、ようやく止まったと思ったら次は頭を上げないまま嗚咽が聞こえた。周囲の人間は知り合いを含めて遠巻きに静まりかえっていた。


 そもそも反対方向に帰ったはずのタツノがどうして城の近くなんかで待ち伏せするような事態が出来たの?


 困惑しまくるあたしに、頭の上からコルコット准尉が肩をあげる。


「カクウ様が待てと言うのに去っていくようなので、引きずってきましたが、何か?」


「トラウマになるよ!!え、泣くほど怖かったの!?」


「真面目に違うわーーー!!」


 男泣きしながらタツノがようやく顔をあげる。それよかコルコット准尉、いつの間にか敬語に戻ってるわ。


 タツノは腕で涙を拭ったけど、それでも涙は止まらず鼻をすする。鼻の頭が真っ赤になってる。


「拗ねて、八つ当たりして、卑屈になってたんや。格好悪いけど、いつも強がってるだけで全然俺って弱いやんけって、よう分かったわ。カクウちゃんは俺ら裏町の事とかでかい事考えて戦おうとしとんのに、つまらん事グチグチ言うて、大事な友達、なくすとこやった」


 炭坑で働くタツノは、根性があって、考え無しで、直情的で・・・とても素直な男の人だ。


「トキヤ取り上げられたら俺ら馬鹿やから何してええんかわからんねん!でもほんまはトキヤも馬鹿やから、いっつもどうするか教えてくれてたんはカクウちゃんやったってわかとった。支えてくれるエエ女やけど、ほんまは泣き虫でか弱くて俺らみんなが乗っかっても我慢してるだけやて。トキヤがおらんかったら、こんなに加減でけんで潰しかけたなんて情けないわ。カクウちゃんと付き合う男に自分以上の馬鹿は認めんゆうて邪魔するトキヤの意図がようやっと分かった気分やあああ!!」


「ねえ、最後のそこんとこちょっと詳しく教えて欲しいんだけど」


 聞き捨てならない部分は、今それどころじゃないから本当はどうでもいい。


 タツノの頬を両手で包んで額を合わせる。自分を罰したつもりなの?こんなに傷だらけにして馬鹿ね、痛いでしょ。ねえ、大事な友達だって思ってくれるの?あたしは元貴族で、今は奴隷だけど、トキヤを失うきっかけを作った人間だけど許してくれるのね?


 頬を伝って涙がボロボロ落ちてくる。今日は泣いてばかりで、明日はきっと目が腫れちゃうね。


「あたしは、まだここにいても許されると思って良い?」


 タツノが泣きながらとびきり良い笑顔をくれた。


「ここがカクウの居場所だろ!ずっといてや!!」


 ひとまず手当をしよう。


 もしかしたら、あたしは早まった宣誓布告をしたかもしれない。明日には指名手配され国王の前で罰せられるのかもしれない。怒りに任せて大臣閣下が首を落としに来るかもしれない。それでもあたしは後悔しない。


 あたしの味方は現在・・・・・2人います・・・・・。



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