クシャトリヤ 2





 裏町でも城でも策士、口達者の頭脳労働担当だったあたしは、作戦に多少穴があっても力業で押し切ってくれる強引なトキヤやミア様タイプがいないと保守的に偏って物事を進められずに時期を逃してしまいがち。慎重でリスクが無い忍んだ作戦は安全な反面、企画倒れしやすいのは理屈として分かる。だからといって、行き詰まった時の底力のみに賭けた勢いだけじゃ暴走の末に自爆するよね。


 分かってたのにやってしまったよ。それも最初から行き詰まってスキップして、お父・・・もとい大臣閣下と多くの貴族達を前に大見得切って宣戦布告なんてね。不敬罪、謀反人として処分するきっかけを与える愚行だったわけだけど、何日経っても音沙汰は無い。表だって行動出来ない何かがあったんだわ。そうじゃなきゃ一族の汚点を滅却する好機をメンツ一番の大臣閣下が逃すわけないもの。


 何故か、正体不明のまま別れた『ラット様』のお陰なのかなと漠然と思う。あたしを知っていて城で権力を持つ青年。冗談か、本気か、国王ですら彼を咎められないなんて言っていた・・・この戦いの何処に位置するか分からない要警戒人。


 それでもいつかは報復がくる。


 あの男の憎しみを込めてあたしを見る目を、忘れることはない。


 そもそも喧嘩を売るには大きすぎるのよね、漠然と国家権力者を標的に見ているわけだけど、もう少しなんとかならないのかしら。あたしが裏町に行くために障害になったのは邪魔するお父様やお母様だった。でも、姫様とトキヤの仲を認めて貰うのに邪魔になるのは慣習の差別。成功しようものなら歴史に載っちゃうような事をしようって周りに触れ回ってるのよね、実行する指針も立ってないのに。


 こんなんじゃ、トキヤを奪った極悪人でなくても血迷ったって敬遠されるよね。あたしだってミア様やトキヤのためじゃなきゃ言い出さない。頑張ってなんとかなる範囲じゃないのに、子供みたいにすぐになんとかしようだなんて。


 だけど、あたしは逃げ道を断った。


 もう2度と揺るがない。後ろ盾の姫様が城から追われているんだもの。例え貴族に戻ったとしてもあたしにきっと権限は一切無い。それより自由な身でいる方がミア姫様を守れる。亡命するまで油断は出来ない。楽観的に考えても2人だけで無事にすむはずない。


 タツノとコルコット准尉が協力してくれるっていっても厳しすぎる。


 だいたいあの2人は「作戦が決まったら何でもする」っていう筋肉労働専門タイプ。タツノに関しちゃ元からそこらは期待してなかったけど、そこまで知恵に自身があるわけじゃないあたしのワンマン勝負じゃ即限界にぶち当たっちゃう。


 焦る気持ちはやっぱり変わらなくて、こんな時こそ冷静にならなきゃいけないのに。


「だったらいるじゃん。トキヤ以外にもこういう痒い所に手が届く、我が裏町の誇る悪事専門の策士家」


 トキヤがいた時には飄々といつも笑っていたはずの彼の瞳も言葉も冷めて拒絶を含んでいた。タツノの言葉はあたしの行動に対する批判だったのに対して、あたし自身の存在を批判した遊廓のみんなとも違って、あたしがここにいる事への否定だった。










 木箱の上に横たわって空を見上げながらラッパを吹き鳴らすリキに、タツノは木箱を蹴って声をかける。


「カモ見つけに行かんと遊んでてええんか、キリギリス」


 演奏を止めてすぐさま起きあがったリキはあたしを見つけて溜息をつき頭をガシガシしごいて半眼横目でタツノを睨む。


「単細胞め、丸め込まれたからって巻き込みにくるんじゃねえよ」


 ラッパで肩を叩いて、リキは立ち上がる。


「前と意見は変わらんで、国相手とかありえへんわ。心配せんでもトキヤは要領ええ奴や、案外こんな日陰の町よりええとこで姫さんとよろしくやっとる。カクウもいい加減にトキヤ忘れて家に帰りや?ほなな」


「ま、待って!待ってリキ、話を聞いて!?」


 事も無げに去り行こうとするリキに焦るあたしとタツノ。


 そのリキに目だけが追いつくと彼とすれ違う人影、ああ、コルコット准尉・・・。と思ったらリキの顔面を鷲掴みにしてそのままズルルとリキを引きずってあたしの目前に放り捨てた。悲鳴をあげるリキにもなにくわぬいつもの顔で彼は礼をする。


「おはようございます」


 自分を抱きしめて准尉に怯えるリキの姿はありし日のトキヤを思い出させる。いつの間にかあたしの背後に縮こまって准尉の様子を伺ってるタツノも、多分ああやって城の前まで引きずってこられたのね。


 それからえっと、准尉・・・そんなどうぞって顔されても。


「何さらしよんねん、この病弱系騎士!そばかす顔でも商売道具やねんど、割れたらどないすんねん!ヒモは顔とリップサービスが売り物じゃ、弁償さすど!?」


 ツーンとそっぽ向く准尉と突っかかるリキの間に割って入り、あたしはリキの腕を捕まえる。すると急に冷めた顔に戻って顔をそむけるリキ。挫けそうな自分を叱咤する。


「あたしがいくら言葉を重ねても意味が無いのは分かってる。だから考えてよ、本気でトキヤなら亡命できると思う?このまま行く末を放置してハッピーエンドになるなんてありえるの?追撃してるのは、この『国』なんだよ?」


「もう既に姫さんと結ばれて1つの物語はハッピーエンドでしまい。その後の話なんかすんのはヒーロイックサーガのタブーってもんや」


 腕を捕まえた手は振りほどかれた。それでもあたしは食いついて去っていこうとするリキの前に回る。


「裏町の人間の半分は隷属よね。そのせいで暴力に遭っても理不尽に切り捨てられてる。平民だから理にかなわなくても死刑にされる。この絶望的な状況の流れを変えたいの。別に完璧じゃなくて良い。トキヤ達を追う足取りを乱したり、注意をそらせれば助かる確率は上がるわ」


「リキ、ちょこっと頭貸すだけや。特攻はいつも通り俺がする。途中でお前も殴り込み参加せえとか言わんって。それにあいつらに地位差別認めさせられたらお前にとっても良い話やろ」


「そら損の割合がでかい時点で悪い話じゃ。相変わらず頭悪い交渉しよんなぁ」


 タツノが後押ししてくれるけどリキは溜息をついて、口角を上げた。


「カクウはまあ、情に訴えてるつもりなんやろうけど、こう言わな分からん?僕ホンマはトキヤがどうなろうと知ったこっちゃあらへんねん。逃げられる算段が確実に計算できる時には面白いから参加しとったけど」


 リキの人差し指があたしの下がりかけた顎を上に上げる。そこには意地の悪い顔が笑って見下していた。


「あんたのやる事には花が無い。みんなに村八分にされとるカクウに協力なんかしたら僕の生活に弊害が出るしなぁ。いい加減諦めてさっさと親にわび入れて貴族に戻りや、カクウ様。あんたの都合で巻き込むの止めて?」


「リキ、てめえ!!」


 拳を固めてリキに殴りかかるタツノ。止めようと伸ばしたあたしの腕は届く前にコルコット准尉に突き飛ばされた。壁にぶつかって視界が激しくぶれる。痛いと思う間もなく意識は暗闇に落ちていく。 










 遊廓を見上げる。


 スラム街の隷属、売られてきた奴隷を助けるには物と同じように彼らを買い取らなくてはならない。まともな仕事なんてそうそう無いから養うか仕事を紹介するのだって必要。並大抵の金額じゃこの遊廓1つ分だって買い取れやしないわ。子供の頃に大貴族のあたしにならこの遊廓街を買い取る事が出来るんじゃないのかと責めた子がいた。


 でも、大臣閣下が全ての財を投げ打って奴隷を助けるとは子供心にも思わなかったわ。ましてやその財が足りるともね。貴族の社交関係は何かと金が動く。個人で雇っている者達の人数だって半端な物じゃない。贅沢な生活基準を下げられる家族だとも思わない。第一にあたしの言葉が親に聞き入れられるはずがないと。


 目の前にミア様が立って、あたしと同じように遊郭を見上げた。


『カクウは奇跡を信じるか?努力も無しにもたらされる偶然、他人の努力によってもたらされる何か』


 いいえ、世の中にあるのは全て必然。偶然と感じるのはあたしが読み間違えをしたから起こる事実だけ。










 ジンジン痛む頭にうっすら目を開けると地面のいたる所に矢が刺さっていた。昼間の少ない人通りでたまたまいた人達は腕を押えたり壁を背に座り込んだりしていた。道の真ん中にコルコット准尉だけが立っていた。


 屋根や地面に顔を隠した怪しい隠密戦士達が倒れていた。


 肩に矢が突き立つタツノと、リキが地面に座り込んでいた。ここからでは正確な傷の状態は分らない。


 コルコット准尉はあたしの方へ歩いてくると手を差し出した。


「すみません。守る戦いは不慣れで、怪我に大事はありませんか」


 周りの様子に声が出なくて、頷く事しか出来ないあたしの眼に、凶刃のきらめきが見えた。准尉の背後で鼻から下の顔半分を隠した鋭い目の男が小剣を准尉に振り上げていた。


 あたしが声をかける前にコルコット准尉の腕が跳ね、その男は素手で何十mも吹っ飛ばされていった。その准尉の後頭部に弓矢が突き付けられていた。1階の窓から上半身を乗り出した女があたしの真上にいた。下から見えたフードの中の顔にあたしは覚えがある。


 准尉の血が彼の顔を汚したのに対して拳が私兵の顔面を打つ。


 歯で捕らえた矢を准尉は吐き捨てると、盛大に切れた口の端を舐める。少し舐めたところで止まる程のものではなく顎から血が滴り落ちてあたしの膝に流れ落ちた。


 辺りがうめき声のみとなり、あたしはようやく立ち上がれた。膝を震わせながら准尉の横を抜けて矢の刺さったタツノの元に急ぐ。それを見てリキは顔を真っ青にして叫ぶ。


「馬鹿!来るんじゃない!!」  


 背中から重い衝撃があたしの脇腹を貫いた。お腹から出ている三角の刃が痛い熱を生む。珍しくあわてたコルコット准尉のあたしの名を呼ぶ声。


 2階の窓に弓兵がいた。准尉が殴り飛ばしていたホクオウ家の忠実な私兵クリアメール・ブラック。次の矢が弓に構えられた時、あたしは背に誰が座り込んでいるのかを思い出した。この襲撃者達の弓矢の先にはいずれもあたしがいた。


 染みてくる血と激痛を無視して、右足がもげそうな熱も心臓が張り裂けそうな息苦しさも目をつむる。貫通しているもの、失血しない。


 あたしは走り出した。


 ここでこれ以上暴れさせてはいけない。








 

 トキヤとの付き合いで得たのは地元人より熟知した裏街事情。地の利はここらを駆け回り悪戯を尽した子供だからこそのもの。強盗、人売り、チンピラ相手に無茶売ってた子供だったんだから。


 息切れに喘ぎながら壁を背にあたしは地面に座り込んだ。異臭のする殺伐とした場所を横目に見回すと、死体のようなボロボロの人間が地面や壁に転がっている。たまにモゾモゾと動くから生きているんだと思う。


 ここはスラム、隷属の追いやられる場所。


 元は建物だったのだろう瓦礫や、今にも崩れそうな石造りの並び。地下が崩れて陥没したんだろう場所は細かく深く裂け目が出来ている。


 意識が白濁していく。熱かった傷が逆に冷たく冷えて指先が痺れて来る。壁にもたれたせいで矢がズブリと動いて吐き気と呻きと血がもれた。力の入らない足を突っ張って壁に体を預けてなんとか立つ。


 真っ青なリキの顔。


「ごめんね。そりゃ、怖いよね」


 振り返れば凶悪な獣の顔をした男が荒い息で立っていた。


 ここは無法地帯。


「あたしも怖かったの。1人で戦った事がなかったから」


 背中から突き出た矢をへし折って男の目元を引?く。白い矢先は赤に染まって男が目を押えて雄たけびを上げる。


 走る気力は湧かなかったけど、まるで歩き方を忘れたような動きで。

 
「このアマああああ!!」


 殴り飛ばされて壁にぶち当たるけど、肩で頭を庇う。肺の中の空気を一気に押し出される。


 突き出た何かにつかまりながら、崩れきった建物を見回して倒れこむ。転がり落ちた場所は瓦礫の裂け目。ぶつかり落ちながら最奥へ。遠い空の見える穴から男が腕を伸ばすが、少しも手は届かない。


 瓦礫をのけようとするが、何重にも支えあい埋まる岩に気力を失った虚ろな目が小さな視界から消える。


 あたしの意識も・・・命も・・・。










 ぼんやりとした視界で砂色髪の浅黒い男が胸と太股に手を置いて脇腹に顔を埋めていた。体を捻って頭を両手で離そうとしてもうまくいかない。あまりの痛さに目の前が弾け、息が出来なくて涙がドッと溢れて唇を噛むけどどうにもならなくて自然とトキヤを呼んでしまう。


 電気が走る脇腹を強い力で押さえつける誰かに、冷や汗でへばりついた前髪を全開にされる。口元を血で汚した男が笑みを浮かべて、明後日の方角に血を吐き捨てる。


「トキヤんも何かっちゃカクウ、カクウ言うちょったけど・・・」


 皮肉気に笑う人・・・。


「毒ばどの傷にもなかが血が出過ぎちょん、せやが生きとうと、しぶとかとこはトキヤんに負けずと劣らんなあ。したが止血ば薬草と布で縛るぐれぇしか知らんば、どないすっかねぇ」


 トキヤの知り合い?


 染みる痛みと傷口を縛る布が不器用な手つきで施される。お礼を言おう口を動かすけど、かすれて音も出ない。熱い吐息が漏れて体から力が抜ける。


 冷たい水が唇を濡らす。砂の味が混じる泥の味が舌を潤した。


「なあ、あんた今まで見る限りぁやり口がメチャメチャゆう感じゃけど、何がしたかよ?まあ複雑ば乙女心とかよう理解せんが。面倒なってきよんし、こんトラブルば解決する簡単な方法ばテンパっとるカクウのために教えちゅう」


 返答もしないあたしに構わず1人喋り続ける誰かは、見覚えのある血で汚れた服を手に持って引き千切る。


「あんたは馬鹿を引きずり出し切るために、可愛こぶっとったらよか」










 目覚めればザラリ、砂の感触が背中の素肌を撫でる。身をよじれば布の切れ端なんかがバラバラと落ちていく。間から出てきた体は一糸まとわぬ・・・いや、ベタベタに血で汚れた包帯変わりの布がお腹から肩に巻きつけられているだけの姿だった。


 草の匂い、水の匂い、血の匂い、死の匂い。


 地面に落ちてる手が見える。土気色した細い指・・・ああ、あたしの指だ。


 動かそうとしても動かない。


 だいそれた事をしようと思ったもんだわ。王族に、貴族全部に、国に逆らって革命しようだなんて。それも少人数で、一人であたふたして。凡人のくせにさ。


 なんでこんな所にいるんだろう。瓦礫の隙間に逃げたはずなのに、結局捕まって体好き勝手にされたってことなのかなぁ。


 コルコット准尉、大丈夫かなぁ。唇、痛そうだったわ。


 ミア様、今何してるんだろう。庶民の暮らしの知識は聞きかじってるものの実際問題しんどいだろうなぁ。逃亡しながらだしね。トキヤと喧嘩なんかしてなきゃいいけど。2人共頑固だから変にこじれたら収拾つかない。そんな場合じゃないのに。


 笑いは声にならず、口も笑ってるのかもわからない。


 おじ様達、きっと心配してるよね。


 やっぱり戦力が整わない内に宣戦布告は不味かったなぁ。結構時間はくれたけどお父様が顔に泥を塗られて報復しないはずがないもの。でもあれは、挫けそうなあたしに必要な儀式だった。うまくいかなかったのはやっぱり、あたしの力量不足。人望不足。


 結局、最後はトキヤとミア様の努力を草葉の陰から祈るしか出来ないのか、あたしは。役立たずだなぁ、あたしってどうしようもなく。


 どんどん世界の音が聞こえなくなっていく。


 消えていく意識に恐れよりも恨めしさが、悲しみが浮かぶ。


 風の音が止んだ。


 なのに。


「カクウっ・・・!?」


 男の人の声が鮮明に耳についた。


 閉じかけた目を開く。


「と・・き・・・や?」


 ぼやけた先に、うつぶせのあたしの前に誰かいる。


 泣いてるの?聞こえないけど、何か言ってるわ。悲しんでるのね?酷い姿見せてごめんね。でも仕方ないんだ、あたしがとった行動の因果だから。何か言ってあげたいのに、眠くて、抗えないの。


「お・・や・・・す・・・・み・・・・・な・・・・・・・」


 言った直後に温かさに包まれた。体がフワリと持ち上がって口の中にピリピリとする何かが流れ込んでくる。一度寝かされて何か探られた後、誰かが抱き上げて体が揺れる。


 抱き上げられて押しつけられた胸から心臓の音が聞こえる。力強い命の音色。










 何度めかの口を刺激する液体に苦みを感じだし、痛みが戻ってくる。あたしを抱えた誰かは走っていて、突然止まる。目的の場所についたのかはわからない。だけど、うっすら目を開けると前方に人影があった。


「よく生きていたもんだ。じゃじゃ馬もここまで行くと驚異だな。引き渡してもらおうか」


「もう少し待ってくれてもよかったんちゃう?後もうちょっといびったったら泣いて帰るとこやってんて。策はもうちょいジックリ追い詰めるもんで、すぐに実績求めんといてや」


「裏町の下民には十分過ぎる時間だった。生きていようが、戻ってこようが、その女は大臣家に邪魔な恥さらしと閣下はお考えだ。態度が改まるはずは無いとな。僭越ながら、私も同じ考えだね」


 詰め寄る、剣が月の光を照らし返す。


 あたしを抱く腕が強くなり後退る。息が切れている。今まであたしを抱えて走っていたんだもん、当然よね。心臓ははち切れそうなぐらい早い。


「拒絶してどうする?どうせ死ぬぞ、その奴隷はな。このまま置いて逃げるなら不問、勇敢にも戦うつもりなら見せしめにするだけだ」


 焼けつく喉から声を絞り出す。


「置いて、って」


 咳き込む。


 このままだと、無意味に、あたしのために走ったこの人は殺される。


 もっとしっかり言わなきゃって、口を動かすけど、かすれた声にかぶせて彼は言った。


「あんたらはいつだって自分が追い詰めてる側やと思い込む。その実、自分が罠にはめられたとは思わんから足元すくわれるねん」


 彼は、嬉々として叫んだ。


「今や、トキヤ!ぶちのめしたれ!!」


「何!?」


 背後を振り返った襲撃者に、彼は。


「馬鹿は見るぅ」


 家と家の細い隙間に飛び込み、再び駆け出した。   










 全身の感覚が、まるで他人事のようになってくる。


「待ってや。そんなアホなことあったらアカンやろ?目ぇ開けてや。意地悪言うたん、死ぬほど謝るから、なあ?」


 どこかに寝かされて、頬を撫でられる。


「逃げるのは止めか。ふざけた下民が。ぶっ殺してやる」


 名残惜しそうに額に柔らかなキスが落ちる。


「下民だ、奴隷だ、恥さらしだ、好き勝手言いやがって。貴族がそんなに偉いかよ」


 石がぶつかり、小さく何かが弾ける音がした。


 瞼の裏に赤い光が映った。


 子供の頃、何かあった時の、あたし達の合図。


「どうでもええけど、カクウに手出す気やったら容赦はせえへん。裏町のチンピラで一番怒らせたらアカンのは誰か教えたるわ」


 重い瞼を開けたそこに立っていたのは、赤い光に照らされたそばかす顔の、リキだった。


 爆発音と、砂埃を最後に完全にあたしは意識を暗闇に任せた。










 花畑に立っていた。


 周りは靄がかかって何も見えない。


「おい、馬鹿」


 不愉快な呼びかけに憮然として振り返ると予想通りトキヤがいた。


 何か言い返そうとすると、それは声にならなかった。


「無茶な手打ちやがって。だからお前は爪が甘いっつうんだよ。この国を変えるのは2人でやる約束だったろ。俺がいないのに危ないもんに手ぇ出したら助けにいけねえだろうが」


 だって、あんたは別の目的を見つけたでしょ。国のためよりもミア様のために生きてよ。あたしも世のため人のためより、あんたが無事でいるために焦ってこんなことやってるんだしさ。


「ま・・まぁ、ミアのことはそれはあれとして。もうちょっと俺のこと信用しろよ。なんたって最強の戦女神がついてることだしな」


 1度捕まって、足だって酷い怪我で引きずったままで、信用出来るわけないじゃない。次に捕まったら、トキヤ死刑だよ?次はきっと逃げれないんだから。ミア様はきっと一生牢の中で過ごすはめになる。あんたの死を嘆きながら。


 助けることが出来なかったあたしは、きっと生きていけない。


「おい、超絶馬鹿」


 トキヤの手が突き出される。


「んな可能性に悲観してんじゃねえよ。帰るぞ」


 手をつかみとると、景色は白ずんで消えた。










 涙が手を伝う。


 目を開けると手を包み込んで泣いている人がいた。トキヤと同じ目をした顔色の悪いおば様。目が合うと涙が更に溢れてきて、声を出さずにあたしの頭を抱いた。


 おじ様がおば様に休むよう声をかける。きっと寝ずに側にいてくれたんだと分かる。


 おじ様は何も言わずおば様の代わりに側へ腰かけた。


「うちの子は無茶ばかりする」


 あたしの手を額に押し当てて、他の言葉をおじ様は呑み込んだ。診療所の天井、特有の消毒薬の臭いが鼻をつく。


 生きてる。


 あたしは急激に気を失う前の光景を思い出した。


「おじ様、リキは!?」


 起き上がろうとして激痛に白目をむく。


「貴方以上の重症者はいませんよ」


 壁にもたれた黒い影に驚いて目をやればコルコット准尉が立っていた。口の端に軽く縫い目がある。


「謎のオレンジ頭が謎の赤髪の医者を連れてこなけりゃ確実に死んでいたでしょうね。せめて乱闘時に俺を信じてあの場にいていただければ、もっと安全にことは運べたのですがね」


 声にわずかに怒気が含まれている。珍しいと思うより怖くておじ様の方へにじり逃げる。


「何を考えたのかは想像にかたくありませんが」


 おじ様がため息をついて、あたしの頬をつねりあげる。


「ふひょ、ひょじひゃみゃ!??」


「まったくもって、う・ち・の・子・は」


「ふひゃい、ひひゃひでひゅほじひゃま!?」


 おじ様も怖い!?


 ゴムが戻るみたいにバチンと手を離すと、おじ様はあたしの顔を両手で包み潰す。

 
「あまり心配かけるようなら次は謹慎にするからな。あまり親を泣かすな」


 おじ様・・・。


「あー、ごほん」


 おじ様の両手を握りしめて泣きそうになっていたら、扉が開いてタツノがこれ以上ないぐらいわざとらしい咳をして割り込んだ。


「ちょっとええ?おっちゃん、リキここに来てへん?どうにも見つけられへんねんけど」


「タツノ、肩大丈夫なの?」


 拳を固めて振り上げて笑う。


「リキならさっきまで来ていた。薬草を山に狩りに行ってたんだろう。いくらか置いていってくれた」


 あたしは痛い体を無理くり起こす。慌てて支えたおじ様に倒れこみながらも、きっと断られると思いながらもお願いする。


「あたし、どうしてもリキと話したい。ちょっと、外に出てきます」


「途中で倒れるのは目に見えてる。また襲われたらどうする気だ。寝ていなさい、リキならタツノに頼んで連れてきてもらえばいいだろう」


「あいつは顔合わせ辛いと思うけどなぁ。多分逃げるでえ?現に俺見つけらんねえし」


 タツノが困った顔をする。


「だから捕まえて、会うのよ」


「絶対安静だと医者が言っていたんだ。聞き分けのないことを言うんじゃない」


 さすがに放任主義のおじ様も説教する姿勢だったけど、准尉が壁からようやく動いてあたしを抱き上げる。


「ミアより我が儘なお嬢様だな」


 重さも感じさせず颯爽と部屋から連れ出される。










 包帯だらけだからか、あたしがいるからか、外でこんな抱きあげられた状態でいるせいか、注目度は半端じゃなく高い。


 目前のリキも口を開けて呆けていた。


 包帯だらけはリキも負けていなくて、頭も腕も足もボロボロだった。それでも足取りはしっかりしていて、ホッとして目が潤む。


 体を旋回させて逃げの体勢をとったリキの目の前を鈍い音をたてて准尉の足が壁にめり込んで止める。その凶悪な顔は、スラムで襲ってきた男に負けず劣らず恐ろしい。


「カクウ様が命削ってでも話したいことがあるそうだ。逃げたら潰す」


「コルコット准尉・・・」


 血の気を引かせてリキは明後日を向くものの、減らず口が止まらないのがこの人。


「ちょっと活躍遅れたからって当たらんといてや。最後はちゃんと見せ場作ったったやん。っちゅうか、カクウのこと裸にひん剥いたん僕ちゃうゆうたやん!大事なとこは隠れてたし、犯しとったら処女やから下半身血まみれ」


 壁から引き抜かれた准尉の足がリキの顎を蹴り上げる。


「ねえ、最後のそこんとこちょっと詳しく教えて欲しいんだけど」

 
 あたしはリキと向き合おうと降ろしてもらうべく動くが、努力空しく准尉が抱きなおす。


「あの、ありがとうございました。降ろしてください」


「絶対安静ですので、ここが限界です」


 これじゃあ、真面目に話し合えない。お願いを繰り返すけど、もう単語で駄目、無理的なことを繰り返すので思わず彼の鼻をつまんでお願いする。


「降ろして」


「強制帰還させますよ」


「泣いちゃいますよ」


 鼻声で無表情に言い切られる。致し方ないから、上目づかいで泣き落しにかかる。無言になったのは落ちたとみていいとミア様は言っていた。トキヤは絶対やるな、後で困るのはお前だからと言った。


 ひとまず切り札は効いたので、ゆっくりと地面に降りる。裸足だったのに気づくけど構やしないわ。


 リキの両腕に触れる。


「巻き込まれたく無いはずの人がどうしてスラムであたしを見つけられるの?」


「なんのこと?」


 舌を出して空を見上げる。ふざけた調子で誤魔化すつもりね。


「あたしに手を出したら容赦しないだなんて格好つけてさ、死ぬかもしれなかったよ?」


「はて?なんのことやか・・・・・・」


 重い体をリキに全て預けて、我慢しきれなくて涙が溢れる。


 タツノの時も思い知らされた。あたしは自分のことで、1つのことでいっぱいになり過ぎて何も見えてないよ。誰も信じられてない、なんて友達がいの無い奴。


「もう少し待つって何?策で、いびるって?泣いて帰る?貴族に戻ればあたしが安全だと思ったから?」


 服を濡らす、そんなの気にしてられない。


「嬉しくないよ。リキに会えなくなる貴族に戻るなんて。死んだのと変わらないよ」


「そんなことあらへんやろ。生きてさえおったら、いつか僕らのことだって良い思い出で片づけられる日がくる」


「だったらリキがそうすればいいじゃない。死にかけた人間1人見捨てて逃げて、忘れればよかった」


「そんなん・・・できるわけないやん」


 かすれた声がして、やんわりと背中に手が回る。


「生きとってくれて、ありがとう・・・」


 リキは捻くれていて強がりだけど、誰よりも友達想いな純粋な人。時に気持ちを押し殺すから惑わされる。


 後から来たタツノが溜息をついて笑う。


「これでトキヤも安心して成仏出来るってもんやろ!!」


「「「縁起でも無いこと言うな!!!」」」


 あたしと、リキと、通りすがりの人達の声まで重なった。周り中と目が合って、気まずそうにそらされる。










 それから少しして、診療所に戻されて絶対安静のあたしを見舞いに来るリキは誰の耳も無いのを確認して爆弾を落としていった。


「怒らんといてやー。ホンマに犯したりはしてへんけど、気つけ薬を薬草噛み潰して飲ますのに何回かチューはしたからなあ。ごっそさん」


 はい、理不尽だとしても怒ります。


 黙っててくれたらいいじゃないの、馬鹿!!



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