クシャトリヤ 3





 心の底で2度と笑って話せる日は来ないと思っていたのに、リキはずっと陰であたしを守ってくれていた。そのやり方自体はあたしを酷く追い詰めてくれて、目的を達する上では邪魔な伏兵もいいところだったわ。側にいてくれた方があたしには何倍も・・・なんて言うのは女の我が儘だって言うんでしょうね。


 分かってる、なんだかんだいってあたしはまだ守られてるだけだわ。リキのシェルターにいたから今まで無事でいられたね。それも効果は切れた。あの気の短い大臣閣下にしてはもった方よ。


 完全に親子の縁を切ったような事を言っておいて、あの腐れ豚親父ぃ!


「意地張ってる時期やないで。プライド捨てて貴族に戻ればカクウだけでも安全やったのに阿呆やなぁ。こうなったら僕も腹くくるけど、これからは単独行動しようとすんなよ」


 実質、あたしの単独行動は成功したことがなかったみたいだけどね。出掛けには決まってコルコット准尉がぴったりはりついていたし、出し抜いた時ですらリキが収入源を絶ってまで常に尾行していたというのだから2人にはストーカーの名を贈りたい。


 なんて冗談。


「トキヤ諫めとったカクウの方にこんなセリフ言う時がくるとはなぁ」


 あたしは止まらない。


「貴族に戻っても監禁されるか大臣閣下の息がかかった貴族の側室にやられるのがオチなら、止まれば殺されるだけ。それなら、こうやってみっともないぐらいにあがいていた方が断然マシ」


 リキがあたしの鼻をつまむ。


「約束せえよ、ホンマ・・・死なんって」


 その約束にあいまいな笑顔でしか返せないあたしに、勘の良いリキは舌打ちして苦労しそうだとぼやく。でもね、もう、猶予が無いの。


 情報が入らない。


 捜索が打ち切られていないんだから捕まっていないのは確か。うまく逃げているのならいいけど、あの2人に隠密行動なんて出来るもんですか。


 かたや派手な立ち振る舞いに目立つ容姿、思うところは黙っていられない直情的な元お姫様。かたや野次馬根性旺盛で、無謀な直感行動と能天気さが治らない裏町のトラブルリーダー。


 早くどうにかしないと、早く、少しでもどうにかしないと。何かあってからじゃ遅いのに、もう手遅れかもしれないのに。










 病弱で外を歩けば血を吐くおば様が買い物を行くと言って泣いて聞かない。前回心配を多大にかけたあたしだけど、今の病状でおば様が買い物へ行くのは無茶。あまり興奮させるのも不味いから慎重に説得すること3日ぐらいこのやりとりを繰り返してる。


 結局は昼ごろには逃げるように出かけてしまうあたしだけど、下手をすれば朝からこっそり出かけようとするおば様とは朝からがちんこすることに。それも今日は別の参戦者つきとくる。


「大怪我して、本当はまだ布団にくくりつけてやりたいぐらいなんやぞ。なんで家で大人しくしてられへんねん」


「だってシンヤさん食料はいつだって必要だし、病気のおば様に行かせるわけにはいかないわ。あたしなら誰かについてきてもらうから大丈夫よ」


 外で金属と何かの衝突音が連続する。既にお迎えは控えてるみたいだわ。


「俺が休みの日にまで、その言い訳が通用するか!だいたい買い込んでおけば毎日出かけるような事にはならんだろうが。それも毎日夕方までかかって何が買い物か」


 大きな風切り音と地面を揺るがす音、ときたま聞こえる怒鳴り声にウルサイという近所の奥様の怒鳴り声。


「別に危ない事をしてるんじゃないの!ただリキ達とね、井戸端会議してるだけで」


「仮に話をしてるだけだとしても」


 金属と金属がぶつかる不快音と擦れる音に、軽い悲鳴。


 動悸が激しく胸を打つ。あたしはシンヤさんの目を見れずに顔を伏せた。


「賭けても良い、危ない事に手を出す算段だ」


 元から隠せるだなんて思ってない。裏町でさんざん自分で喚いて協力を求めたのは記憶に新しい。分かってるんならそれこそ知らないふりして。弟が心配だったら見逃してよ。だってあんなに仲良かったじゃない。


 トキヤが行方不明になって、捕まって、処分されそうになったあの時だって、必死になって。


「お前が危ない事に手を出すならトキヤなんか死んじまってかまやしねえよ!!」


 息を飲んで後退るあたしの腕をつかだシンヤさんを振りほどき扉を開けてあたしは逃げた。


 そんな言葉、聞きたくなかった。


 長屋を駆けて戸を引き道の往来へ飛び出す。この温かい場所が崩れてしまう、あたしのせい。トキヤは死んで良いなんて言われる奴なんかじゃない。あたしがいなければずっとここでみんなと笑ってられて、あたしがいたからあいつは。


「おはようございます、カクウ様。おいナルナいつまで膝をついている」


 長屋の外、往来のそこにはボロボロの不良騎士1人と息を切らしたお久しぶりの騎士1人。


 黙って立ちあがるコルコット准尉を傍目に、ディズ少佐は後を追ってきたシンヤさんが長屋の扉を開けようとするのを片手で制止する。立てつけの悪い扉が割れる勢いで揺れて、あたしは扉を背にしたまま傍目にわかるぐらい体を跳ねて心臓を停止しかけた。


「開けろ!カクウ、戻ってこい!!」


「想像していたよりお元気そうで安心致しました。カクウ様の大変な時期に身を置けない私に顔を合わせる資格はありませんが・・・あいにく仕事が忙しく、先だってのミア様の件への関わりもあって抜けられない立場でして」


「だったら毎朝来てんじゃねえよ」


 あたしに申し訳なさそうに頭を下げながら、コルコット准尉の言葉に黙って青筋をたてるディズ少佐。


「未熟者の護衛で心苦しい限りです。以前からご相談したかったのですが、せめて精鋭の私兵を3・4人派遣させていただければと」


「いえ、それはちょっと」


 前々から気になってたんだけど、ディズ少佐・・・とっくに仕事復帰してるのよね。


 横を見れば関係なさそうに立ってるコルコット准尉。この人、一体いつ仕事に戻るの?謹慎なのよね?まさかと思ってたけど本当は解雇されたんじゃないよね。


「貴族方を刺激したくないのは分かりますが、身の安全のため少しばかりの護衛程度は考えておいていただきたい。時間が無いため慌ただしく申し訳ございません、私はこれにて失礼します。戸の手を離しますよ?」


 言うが早いか、全力疾走でディズ少佐は走り出した。裏街は道が細くて馬車は通れないし、馬なんか乗ってきたら人を轢くものね。毎朝来てたっていうけど、もしかしていつも出勤ギリギリまでここにいてたのかな。


 いや、それより戸の手を離す?


「この糞貴族!!」


 勢いよく開いた戸の音と、鬼の形相のシンヤさんにあたしも全力疾走したのは言うまでもないって感じ?


 あ、コルコット准尉置いて来ちゃった。










 傷が開いて頭がクラクラと。不味いわ、とっさに防衛本能が働いたとはいえ自分大怪我してるの忘れてたなんて。シンヤさん達にばれる前にどこかで血を落とさないと。じゃなくて冗談抜きで痛いってば。


 性格はそうそう簡単に治らないっていうか、むやみに単独行動しちゃダメだって教訓活かされてないじゃないの、あたしの馬鹿、馬鹿、馬鹿、トキヤのウルトラ面食い男。


 シンヤさんならともかく、凄腕の准尉を撒けるならあたしの健脚も大したもんね。ミア様みたいに腕は鍛えなかったものの、逃げ足はトキヤのせいでよく鍛えられたもの。屋根も洗濯縄の上も川の中までドンとこいよ。


 キョロキョロと准尉の姿を探して辺りを見回せば、周りにいた人達と目が合ってそらされる。


 溜息は1つ。


 結構経つんだもの。そろそろ慣れなきゃ、あたし。


 実際問題前の一件、あたしを狙った大臣の刺客襲撃で被害を被ったんだからデカイ顔で傷つける立場じゃない。ここを戦場にしたのは間違いなくあたしなんだから。あたしがホクオウ家の消したい汚点である限り、あたしの居場所であたしが常に厄を振り撒くんだわ。


「これやから僕、仕事に行かれへんねん。なん護衛振り切ってんの?」


 リキが呆れ顔で目を覆い空を振り仰ぐ。


 いつの間に・・・というか、ここまで気づかれずに尾行出来るんだったらそういう仕事も一流でやっていけるんじゃないかしら、リキ。


「その怪我で仕事に行く気だったの?自分だってまだ包帯男のくせに」


「仕方ないやん?そうせんと飯食いっぱぐれるねん」


 なのに、あたしのせいで仕事に復帰できないんだ。


 こんなに迷惑かけてるのに、あたしは少しも成果をあげれない。トキヤ達が無事か、何をしてるのか情報も手に入れられない。


「暗い顔せんといてくれん?朝一番ぐらいカクウの笑顔を焼き付けたいもんやわ。ただでさえ裏町の空気が濁ってて胸糞悪いんやから。僕の太陽が影っとったら困るわけよ。ほら、笑え笑え」


「はにふ!ふふうひふんへほほひろひはおしてふれひゅもんへひょ」


「うひゃひゃひゃひゃ!?」


 酷い!勝手に顔を引き伸ばして変な顔にしたくせに!もう、いつまでたっても子供くさいんだから、男っていうのは。


「僕の胸じゃ泣けないんやから、せめて笑ったってや。それともカクウのお気に召すには月を城に落とさなアカンかな。それとも天上みたいに花びらの雨を降らせば喜んでくれるかな」


 木箱に上って、上って、壁に手をついて背負っていた袋を空に向かって振り上げる。風に乗って花びらが舞った。ヒラヒラと舞い落ちてくる花びらは掌に何枚も捕まえられて、見上げたリキは壁に身を預けて大きな声で空に向かって口を開いて。


「どんなに見張ってても死に急ぐカクウを僕は止めることがでけんっ。それでもこの世に未練を持ってもらうにはどうしたらええ?がむしゃらに頑張るカクウは死相が出とる。明日には僕の知らないところで無茶うっておだぶつしててもおかしない」


 辺りを見回してから木箱から飛び降りるリキにあたしは訳もわからず困って首を傾げる。


「急に・・・どうしたの?」


 尋ねればリキは小さな声でウインクして舌を出す。


「口説いてんねんけど、わかりにくかった?」


 本気なのか冗談なのか分からず戸惑うあたしを見て、リキが今度は声を殺して笑いだす。


 冗談なのねっ。










 2人が指名手配され、あたしには日課が出来た。罪人の取り締まり役に当たる保安監察所で今もトキヤ達は無事なのか確かめる悲しい作業。普通なら今どの辺りで目撃されて様子はこうでなんて内情も聞けたりするんだけど、こと2人に関しては生存確認しか認められない。


「指名手配は解かれていない。それしか言えない」


「だったら今は元気そうなのかだけでも」


「しつこい。毎日同じ会話をさせるんじゃない!これに関しては漏洩禁止である!」


 さすが保安監察というか、誰か1人ぐらいうっかり口を滑らさないもんかなって期待するもののバッサリ。王族のミア様が関わってるから他国に情報は出来る限り漏らさず捕まえたいってところかしら。外からの攻撃を警戒して、ってのもあるだろうけど、内戦だって考えられる。


 ミア様を担ぎあげて、本人が気乗りじゃなくても先に乱暴なテロリストに捕まってミア様の名前を使って旗揚げ、城に戦争を仕掛けるなんてきっとありえちゃうんだ。


 その最たるテロリスト候補があたしになってるんだろうけどね、貴族からすれば。


 保安監察御史は町の平和を守るためにいるわけだけど、結局のところ上の人間は内務省で、各省長を統括するのは大臣閣下。あたしが必死に動いてるのだってお見通しだろうし、出来るだけ手札は与えないって事でなんでしょ。


 正規ルートで情報が入らないなら裏ルートっていきたいところだけど、手にいれ方を知っていてもお金がないんじゃどうしようもない。


 ついてきてくれたリキが賞金稼ぎみたいな強面さん達にパラパラ声をかけているのを横目に、閲覧自由な情報用紙の束に目を通す。情報が追加されてるのは他人ばかり。トキヤはただ極悪人とだけ、ミア様に関しては昔の肖像の横に顔が焼け爛れてる。情報求む、と。


 城の関係者だけで捕まえる気なんだ。こうなれば危険度は他よりも下がって見えるけど、城の方で兵士を大量に雇ったり、各地の検問を厚くしてるって噂がある。理由は時期的に見てミア様を連れ戻してトキヤを・・・。


 ジワリと涙が浮かんでくる。


 その背後から突然肩を叩かれて驚いて振り返ろうとしたけど、あたしの耳元にピッタリ口元を近づけて脇の下から1通の封筒を差し込んで胸を叩く。


「よく泣かぁが歩みは止めんか。悪い狼ば付け入られて食べられんぜ?」


 耳をカサカサした唇に甘噛みされて悲鳴を上げる。


 耳を押えてテーブルにぶつかりながら片手で後ろの男を突き飛ばす。脇の間には封筒が挟まったままで、床に落ちた。耳からゾクゾクとしたおかしな震えが全身に走って腰が抜けた。


「おっと、感度ええなぁ」


 背後にいた男の人は肌が黒くてオレンジ頭の、どこかで見たことのあるニヤニヤ顔。ボロボロの服で、あたしの叫び声に気付いた保安監察が彼に駆け寄ってくる。


「そこの奴隷、ここは貴様が入ってくるような場所じゃない。何をしている!」


「トロリと会話しゃーせんな、カクウとは。せがば用済みじゃ。招待状は渡したけぇな」


 保安監察の手をすり抜けて彼は外に窓から飛び出した。ガラスの割れる音とともにリキがあたしの腕を引く。あたしは慌てて封筒を拾って導かれるままにその場から姿をくらました。


 リキに知り合いか尋ねられた。とっさに、あたしは頷いた。どこかで会ったことがある気がするから嘘じゃないわ。うん、嘘じゃない。あんな事される仲じゃないのは確かだけど!!


 手渡された封筒を裏街まで走りながらリキに先んじて内容を確認する。それはとんでもないものだった。城で開催される仮面ダンスパーティの招待状、それもあたしを指名した封筒。


 罠だ、と、いつものあたしなら切り捨てる。配達人の男の正体がわからない上に、今やあたしにとって敵地と呼べるあの城のまっただなかに飛び込む地獄の片道切符なんだもの。それでもトキヤなら、ミア様なら、これを罠とは呼ばずにチャンスと言ってしまうだろう。


 チャンスへと・・・変えてしまえるズルイ人達だから。


 ずっと燻ぶっているあたしに、この招待を蹴って他の方法を見つける猶予は無い。仲間も道具も揃った上げ膳据え膳の状態で、たくさんの手段の中から1番安全な道を選ぶだけが得意な策士が、行き当たりばったり策でうまくいくとはきっと思ってもらえない。


 だからあたしはリキに嘘をつく。


「頼んでいたものが届いたの」


 綿密に計画した時のあたしの力を知る仲間の信頼を裏切る。


「反撃の一手」


 失敗はしないわ。ねえ、ミア様。今だけ貴方の度胸を貸してください。










 コルコット准尉は保安監察所の前で待っていたらしい。


 あたしが毎日歩きまわってる場所を一番把握してるのは多分リキとこの人なんだから当たり前と言えば当たり前。裏町への道すがら誰かにつけられてると思ったら、この人背後にいたの。


 声をかけて、怖いから。


 でもちょうど良かったわ。


「コルコット准尉、お願いがあるのですが聞いていただけますか?」


 彼は膝をついて胸に手を当てて頭を下げる。


「俺に出来ることであれば仰せられるままに」


 うはあ!あたしはもう貴族じゃないんだって、何回言わすのこの人は。


 道行く人の目を強烈に意識しながら、あたしは低い位置におりている彼の肩に手を置いて耳打ちして招待状の封筒の切れ端に文字を書き込んで握らせる。


「最低限のものでかまいません。借りは必ずあたしの出来る事ならなんでもします。だから」


 ここで断られたらせっかく開けた道が閉ざされてしまう。ディズ少佐には出来れば知られたくない。あの人はまだ貴族方じゃないと言い切れない。


 祈る気持ちで頼む口を一本の指に抑えられる。その指に目をやれば、静かにその指が上にあがり准尉の口元に添えられ、再び礼を向ける。


 静かに、言わずともと。


「拝命承ります」


 いつもの無表情な闇色の瞳が、あたしを映す。













 舞踏会の招待状。それは普通のものではない。まるであたしを呼び出すためだけに用意されたような舞台。仮面舞踏会だった。


 事実、この招待状はこれなら来ることが出来るだろうという挑発の医師も感じる。


 貴族が集まる場に堂々と乗り込める。そこでうまく話を誘導して、きっと今一番話題のミア様の話を聞き出す。酒も入る場だわ。なにより口に戸が立てられないご婦人方も多く来てるはず。


 仮面舞踏会はお互いが正体を隠し開放的に社交場で交流するためのもの。正体を隠せ危険はほとんどない。


 そう・・・これが本当にあたしの仕組んだ末に手に入れたチケットだとしたら。危険がないどころじゃない。本当に舞踏会をやるのかも怪しい。出席者全てが敵だって事もありえる。


 あの人は誰?


 会ったことがある気がする。どこかで、きっとそう何回も会ったわけじゃない。記憶に微かに引っかかるだけの人だった。城で働く者の1人?身なりはとてもそうは思えない。あの滅茶苦茶な訛りはスラムで育った証拠、隷属のいでたち。分からないのよ。


 行けばはっきりする。罠でも、喧嘩を売られているのだとしても構わない。選り好みしてられる程の余裕なんか根こそぎ失くしてしまった。


 あたしは、それを、買うだけよ。










 コソコソと長屋の戸外で中の様子を覗う。


 もうだいぶ暗くなっていて、そこら中から晩御飯の食欲をそそる匂いがする。ただし、出かけにおば様やシンヤさんの言いつけを聞かなかった挙句に暴言を吐いて脱走、まいてきてしまったんだもの。


 ふ、普通に「ただいまー」なんて。


 やっぱり「ごめんなさい」とか?


 でもでも明日も出かけるのは譲れないところだもの。ここは「おやすみなさい」と同時に布団に逃げ込んで聞かないふりを。


「いっそタツノん家泊まりに行く?最近、僕も泊めてもらっててかなり狭いんやけど」


「うう、逃げたい気持ちはいっぱいだけど、あぁ・・・でも逃げたい、逃げちゃおうかな、逃げたいかなぁ、っていうか逃げた方がいいかなぁ」


 准尉は壁に背を預けて他人事とばかりに余所へ視線を走らせていたんだけど、ふと、あたしの肩を叩く。


 何かと振り返ればおじ様が呆れた様子であたし達を見ていた。


「おぉ・・・おかえりなさーい」


 静かにあたしの頭をクシャクシャ撫でて戸をくぐるおじ様。目を泳がせて指を絡ませて迷っていると、おじ様は大きくて堅い手をこちらに差し出した。


「おいで」


 おじ様に両手ですがりついてあたしは2人に別れを告げた。頭を撫でられてあたしはつい顔を緩めた。後ろの男2人は顔を見合わせると散っていく。


 家についた途端に始まったおば様による血を吐きながらの説教はおじ様がそれとなくフォローしてくれて、納得はしてくれないものの無茶をしないようにと冷静になってあたしの身を案じてくれた。


 重苦しい空気はそこにはなかった。だけど、あたしは早めに床に就いた。シンヤさんが見当たらないことには触れず、顔を合わせないように急いでいた。シンヤさんはおじ様がフォローしても、なんとなく譲歩してくれない気がする。


 家にいないのは、もしかしてあたしをまだ探しているの、かな。


『お前が危ない事に手を出すならトキヤなんか死んじまってかまやしねえよ!!』


 涙が布団に染み込む。










 まだ夜明け前の頃、あたしは疲れているおじ様を起こして彼にだけ出かけることを告げる。最近じゃいつもシンヤさんが帰ってくる前に眠り、起きだす前に外に逃げて顔を合わせないようにしていた。疲れてドロドロに眠り込んでいるのを見計らってね。


「怪我はしないよう気をつけさない」


 いつも何も尋ねずにいてくれるこの人に、今日はそんな約束もできないのね。


「今日は遅くなります」


 ポケットの中の舞踏会の招待状を上から押えて自嘲をもらす。自分が今からしようとしている愚かで浅はかな作戦に。


 あたしは結局どこにいても誰かに迷惑ばかりかけて騒ぎを起こしてる。トキヤをトラブルメーカーだなんて言えた口じゃない。


「親に反発して、今はよくしてもらってるのにおじ様達にまで反発して困らせてる。酷く出来の悪い自分にうんざりする」


 戸を開けながらポツリと零す言葉に、おじ様のため息がもれる。


 それでも、世界中を敵に回しても譲れない。


「ごめんなさい、本当に」


 出ていこうと歩き出したあたしにおじ様は呼びかけ、パンを投げよこした。慌ててキャッチする。


「カクウが出来が悪い子だとは言わんよ。良い子でいようと頑張らなくともいい。お前が幸せであれる道へ進めば良い。それを助けてやるのが親の務めだ」


 腕を組んで壁に背を預け、おじ様はあたしを見つめた。


「お前はうちの子にしては我が儘を言わんからな。少しぐらい反発して心配かけてるぐらいが丁度いい」


 長屋の入口にコルコット准尉が立っているのを見て、明るくなってきた空を見上げおじ様は家に戻る。仕事までにまだ時間があるから。


 あたしは長屋から出た。










 久しぶりに貴族御用達の大店の前に立つ。戸惑いの目を准尉に向けるが、構わず彼は中に入っていく。あたしをエスコートして。


 当て布で継ぎ接ぎだらけの服で浮いているあたしを胡散臭そうに店の人が見ているのに恥ずかしくって顔を伏せる。


 何さ、この服はおば様が縫ってくれたんだもん。恥ずかしがる事ない。


 強がれるのは心の内だけ。トキヤが傍で問題を起こしていれば対応に追われてこんな気持ちになることもないのに。吉か凶か隣にいる准尉は特別に問題行動をするような感じではない。あっても困るんだけど、ね。


「コルコット様、ご注文の品でございます」


 あたしはドレスを受け取り准尉に深く感謝を込めて頭を下げる。半端な金額じゃないもの。貴族でなくて、降格、謹慎処分中の彼にはけして軽くない頼みだったのに。


 准尉はなんでもないという調子でお礼の言葉を軽くかわして、更衣室にまでエスコートしてくれる。更衣室へは店員達が数人一緒に入って着替えを手伝い整えていく。重いドレスは1人で着替えられないからね。


 鏡に映るあたしは時を巻き戻されている気分だった。城下から戻って城へ行くときに変じるクシャトリヤとしての自分に。


 目を閉じて開けば、そこには冷静な自分がいた。


 まだあの時を過去になんてさせない。あたしが諦めずに戦い続ける限り区切りでしかないわ。


 仮面をつけて更衣室を出れば付き人の盛装と仮面をつけたリキとタツノが両脇にいて、あたしに手を伸ばす。


 あたしは驚いて後ずさる。


「危険やないなら問題ないやろ。ほな行こか、お嬢様」


「付き人だったら招待状は1枚でええらしいで」


 外に出ると一台の馬車がいた。その前には普段の黒づくめの私服を着た准尉。


「どうぞ」


 城を見上げれば夕日が傾く逢う魔が時。


 目指すは城内、狙うは機密。



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