クシャトリヤ 4





 陽は落ち夕闇のとばりが空を覆う。


 そして馬車の中であたしは偽りの仮面をつけ顔半分を覆った。城門を超えて馬車が止まると仮面をつけた従者が戸を開け、別の従者があたしの手を取り外に導く。


 注視していれば素人のとってつけた演技だと気づかれるだろうけど、彼らは裏町きっての詐欺のプロ。堂々とした態度は誰に違和感を抱かせもせず、よって誰も特別目を向けないのだから多くの馬車と貴族に紛れて隠れ遂せる。


 御者役のコルコット准尉は馬車を置いてくるため入り口で別れた。


「ではお嬢様、私は手はず通り控えにてお待ちしていますので」


 柔らかな声音で金髪が揺れる。リキともここで別れ、最後に残ったタツノは馬車で教えた通りあたしをエスコートして階段を上っていく。


 危険だからついて来ちゃ駄目だって馬車の中で散々言い争っても最終的には負けちゃう押しの弱いあたし。こういう時の男って理屈も筋もあったもんじゃない。人の話を聞かない人間に正論程虚しいものはないわ。勝手に動かれるより役目が合った方が把握出来て安心だろ、だなんて脅し文句は久しぶりに聞いたわよ。










 本当は額を押さえて仰け反りたい気分だけど、結い上げてる髪を気遣ってうつむいた。


「あの黒白騎士には脱出ルートを押さえるのに城から馬調達させる。僕は貴族の使用人らの世間話誘導して噂を聞き出す」


「俺はカクウのパートナーのフリで護衛して、トキヤは草葉の陰から俺ら見守るって事で」


「まあ、役割分担的には完璧なんちゃう」


 死んでない、トキヤ死んでない。


 トキヤの役割はともかく、仮面舞踏会なら素性は不問だから招待状さえあれば実質素通り同然だし、正直パーティに潜り込む手段としては悪くない。こういう守備体制は他国よりも注意力がないというか、騎士の武力に頼りすぎてるのよね。


 弱い者をねじ伏せる手段が武力一辺倒。


 偏った危なっかしい部分に、そう、ここに国崩しのほころびが見つかる気がする。


 馬車がゆっくり止まり、馬車の外にそびえるのはもう城内。仮面をかぶったコルコット准尉が扉を開いて頭を下げる。


「到着致しました、お嬢様」


 町とは一変したドレスとタキシードが華美な腹の探り合いの場へ。










 シャンデリアが天井のホール中心部まで渦巻き、壁とテーブルのランプに彩られたロウソクの光は宝石や花で縁取られた貴族が床に散りばめられている。豪勢な軽食とワインの中には宝石。窓はステンドガラスで、正装した騎士達が内外に剣を地面に突き立てて飾られている。


 楽団が緩やかにダンス曲を奏でながら客人達を迎えている。城下ではお目にかかれない高価な楽器に溜息が出る。こんな時でなければリキをこの場に連れてきてあげたかった。本当ならホストなんかじゃなくて音楽で生きたいと思ってるのをあたしは知ってる。その辺りの物を叩いて弾いて鳴らしても素敵な音楽を作れるリキだ。楽器を学べばどんな曲を作るだろう。


「リキには俺達が作ってやったラッパがあるやん。ガキの頃のんやし随分ボロっちいけど。なんならまた新しいの作ってやっか」


 そうね。


「そのためにも早くこんな事は終わらせよう」


 任せとけというタツノに笑顔を返しながら、罠を安全に回避する策に頭を巡らせて。仮面をつけた給仕が来れば作法で戸惑わせないようにタツノの分まで頼んで辛口ワインをタツノの手に持たせておく。舌なめずりしてさっそく飲もうするタツノの手首をつかんで乾杯前に一気のみしようとするのを阻止。テーブルに置かれた豪華なディナーに目をやるのでつまみ食いしないよう釘を刺しておく。


 早く始めてもらわないとタツノが心配で動けないわ。


 一段、高くなっている舞台に、主催者かな、男が辺りを見回して杯が行き渡ったことを確かめて給仕に指示をおくっているのが見える。仮面舞踏会では主催者の正体も漏らされることはない。城を会場に選べるくらいだからそう低い身分じゃないだろうけど。


 見回す仮面が一度、あたしの方で留まった。


 あんな遠くから顔半分が隠れてるのに分かるはずなんかない。すぐに男は別の方角を確認している。分かるはずなんかないわ。


 あまり神経質になってると何も聞き出せない。


 慎重になりすぎて何も得られないじゃ、今回はすまない。










 世間話を振れば乗ってくる。ここは社交場だから当然ではあるけど、まずは引っかけて誘導。これは想像より簡単に男も女も喋ってくれた。それは勝手にと言って良い程に。


 今が旬の話題らしく、世間話は噂で持ちきりだった。


 そりゃそうよね。貴族の大好きなゴシップ女王ミア様の最後かもしれない特ダネだもの。平民に情報はいかなくても貴族の中では垂れ流しよね。機密もなにもあったもんじゃないわ。


 城下での噂通り城ではここ何年無いくらい兵を募っているらしい。その兵も国軍が全部じゃなくて貴族が私的に雇う者も膨れ上がってると。2人の居場所もだいたい知れた。ここからはだいぶ離れた東の町で最後に目撃されていて、まだちゃんと生きてる。


「厳戒態勢を取っている関所も襲って破壊したそうですわ。此度は正面から乗り込み通路で暴力の限りを尽くし火をつけて逃亡したとか。早くあの下賎な害虫を駆除してくれないと平穏な我が国の気品と威厳に関わりますわよねえ。そもそも猛獣娘をもっと早くに檻へ入れて隠しておくべきだと思ってましたのよ」


 この厚化粧ババア・・・。


 言い返してやりたい気持ちを深呼吸と嘘バリバリの笑顔で押し隠しの相づちで受け流す。それよりも事実3割で考えても行動が派手過ぎるわ、ミア様。見つからないように行動がどうしても出来ないのね、あの2人は。何度と無く悪行の限りを尽くす破壊魔の話を耳にしながら安心するというか、頭が痛いというか。


 でも、もう十分情報は得られたわ。


 目的の情報があっさりと手に入り過ぎて胸がむず痒い。こっちに接触を図ってきた招待主の正体も分かっていない。このパーティ事態が罠じゃないとは思う。でも、それだと陰すらちらつかない敵を相手に不安ばかりが膨らんでいく。


 何を狙ってる?あたしなら何を狙う?


 手の込んだ事をする利点は?何をあたしから得ようと思う?


 欲張って他の情報も探ってみた方が将来的には良いかもしれない。城に忍び込むなんて何度も出来ることじゃない。ミア様の信者はいくらでもいるもの。これを利用して不穏の種を蒔くのは十分効果的だわ。


 でも。


 予定外の事をすれば危険は増える。今でさえ聞き回っている内容だけに、既に目をつけられている可能性だってある。肝心な所であたしは昔のまま。それでいい、この慎重さを捨てるのは最後のいざという時だけでいい。そろそろパーティも盛り上がり時。退散する頃合いには丁度良いのよ。


 出口へ、そう急ぐのを皮肉るように話しかけてもいないのに次々と声をかけてくる男達にうんざりする。タツノが隣にいるのにも気にせずダンスにまで誘ってくるんだもの。


 仮面舞踏会は初めてだけど、通常のパーティなら何度か来たことがある。一時期はミア様に悪影響を及ぼすといって社交界から締め出しを食らって長い間出席していなかったけど、ミア様との仲が認められてからは、それこそミア様のいるパーティには出来る限り出た。


 ただし、いつもミア様がいたせいで地味なあたしはいつも背景。男性に声をかけられるのだって給仕とかミア様のついでっていうか、当たり障り無い社交辞令っていうか。


 人生一度きりのモテ期だなんて馬鹿な冗談言わないわ。これは正体がばれてて探りを入れられてるんじゃないかと話を強引に打ち切っても食い下がって来てなかなか進めやしない!タツノが追い払ってはくれるけど、逆に相手が変に絡んでくることもあって本格的に嫌な汗が出てくる。


「あのさあ、ずっと思っててんけど・・・なんでそんなドレスなん」


「デザインは准尉に任せたの。お金を出してもらうのに注文なんかつけないわよ。なんでそんなこと聞くの?」


「あのエロ騎士め余計な素敵チョイスしやがって」


 モゴモゴとあたしを見下ろしながらタツノが何か文句を言っているけど、新たな男が立ちはだかってきて、いっそダイレクトに避けてやろうかと思ったけど男の手の方が早かった。っていうか、いきなり捕まえられてギョッとした。


「レディ、ダンスを1曲お願いできますか?」


 甘く低い声が楽しそうに。


「申し訳ありませんが体調が優れず屋敷へ戻ろうとしているところですわ。先程から道を遮られなかなか帰れず困っております。胸が悪く喋る事も苦痛なのですが」


 イライラして思わず皮肉で突っぱねようとすれば、腰に手を当てられて抱え込むように長身が耳元に頭を下げる。


「そう急くな。せっかく招待してやったんだ、1曲ぐらい踊ってやってもいいじゃないか。褒美には興味のある話も聞かせてやるぞ」


 ゾクリと背中に冷たいものが走って、目の前に仮面をかぶった男の顔が移動する。


「本当に気分が悪いのなら俺のベットに運んでやってもいいがな」


 ばれた、顔を隠しているのにこうもあっさりと。いや、動向を注意して見ている者がいたならそれは当然の流れだわ。大丈夫、イメージしていた範疇じゃないの。何よりこの人、招待してやったと・・・あたしに仕掛けてきた人間だと言った。


 仮面から覗く目から意図を読もうと睨み付けていると、すぐさま後ろから逞しい腕がお腹に回って目の前の男から引き離される。って言っても、この人も手を離さないからお腹も腰もって、妙な事に。


「すまないが気分が悪いと言っているだろう。そもそも彼女に触れないでくれないか。私の恋人なのだがね」


 背後から声を低くしてくるのは当然タツノで、彼流に言えば偉そうな貴族っぽい喋りで守ろうとしてくれた。話を聞くしか選択肢は無いと彼に伝えようと振り返ろうとした途端、目の前の男に捕まれていた腕が解放され、その指が代わりにするりと喉を撫でて顎を捕まえて上を向かされギクリと体が固まる。


 目の前に視線を戻せば彼は自分の唇をゆっくりと舐めた。


 舐めた?


 ゾクゾクゾクと鳥肌がたって、いてもたってもいられなくなったけどなんとか悲鳴を飲み込む。


「恋人、ね。それが演技でないというなら覚悟をしておけ」


 クツクツと笑う男はあたしの顎から首の横を通って、向かってきたタツノの胸に指を突きつけた。


「嫉妬の炎の温度とはいかほどか、身を持って体験させてやろう」


 ジワリと沸いた敵意に焦って男の腕をつかむ。


 とにかく意識をタツノからそらせるのはそれだけで十分だった。


 ダンス1つぐらい受けて立ってやろうじゃない。










 腰を抱き寄せられて逃げ場も無いぐらい密着する。騎士程は体ががっちりしてないけど、基本的にトキヤより大きい人に近づかれると威圧感を感じる体質のあたしは思わず心で身を引いた。


 駄目よ、この喧嘩買わずに帰れないんだから。


 久しぶりのダンスは、叩き込まれた体が勝手に動かしてくれた。前に踊ったのはいつだったろう。ああ、そうだわ、地位の確立を目指すなら顔を広げるために社交界は必須だからってトキヤにダンスを教えていた。最後のレッスンであいつと踊ったのが前回だ。


 器用な奴だから足を踏んだりはしなかったけど、いつも最後は地元の踊りになって。あっちも好きだけど、もう真面目にやってよなんて言いながら笑ってた記憶。


 あたしがリードしていたトキヤとは当たり前だけど違って、目の前の彼は全ての主導権を持っていくように優雅に水が渦巻くように体を連れて行く。ターンの遠心力で少し体が離れると何度も腕に力がこもって密着しなおされる。少し強引でなんだか落ち着かない。


「貴方は誰。招待状、あれを出したのが貴方というのなら、何が目的なの」


 このパーティは本物だった。


 今までの情報がわざわざ用意された偽物とも思えない。あたし相手の情報操作にこんな回りくどい大々的な方法は大袈裟。ならはられた罠はこのパーティの陰で動いているはず。気のせいなんかじゃなかったんだ。


 この人は、舞台の上で辺りを見回して、あたしと目が合ったあの男だ。


「つれないな。俺は目元が見えなかろうが後ろ姿や声でお前を見分けられるのに。記憶におく価値のない男では仕方がないというところか」


 仮面からのぞく髪は砂色。以前に同じように、あたしが忘れていると嘆いた男が確かにいた。


 パレードに突っ込だあたしを抱きかかえて城に連れて行こうとした、甘いハンサムフェイスを思い出す。だけど彼が言いたい記憶はきっとそれじゃない。


 口元が笑って腰がスルリと掴み直される。変にお尻に触れていて気になったけど、目をそらせると負ける気がして意識から一生懸命追い出す。


「目的はお前に会いたかったからだ。健気な男だろうが。ついでに片手ぐらいは貸してやろうかと思ってな」


 会いたかったって、だからなんの目的でって聞いてんのにっ。手を貸すなんてそれこそなんのつもりで、よ。貴族の面白半分、デキレース気分っていう可能性は確かにあるかもしれない。あたしがしでかそうとしてる内容はあまりにも現実的じゃないし、単品で力を持っているようにも見えないだろうから。


 ミア様がいなければ、後ろ盾のいない狐なんでようね。


 それならこっちは使わせてもらうだけよ。罠の可能性も含めてでもね。


「隷属の暮らしはどうだ。服はあれよりマシな物は手に入ったか?」


「隷属は通常なら体を売るなりしないと食事も取れないものです。服などまとっていられるだけ有り難い物。新しい服など不要です。このようなおりに忍び込めるだけのドレスを手に出来た事も過ぎた幸運のようなもの」


 男の動きがヒタリと止まって凝視される。


「体を売っているのか」


「貴族と違って黙っていては食事が出来ないんです。国民というのは勤勉で仕事熱心で、時に身も心も傷つかずには生きてもいけない。不公平だとは思われないんでしょうね。しょせん家畜の暮らし、なのでしょう?同情は不要です、あたしはなんと好意で貧民にほぼ養われている状態です。本来ならあり得ない待遇ですわ」


 緩やかにダンスが再会される。


「彼らは家畜ゆえに税を払いますが、貴族は餌も与えはしません。あら、これじゃあ家畜とも呼べませんわね」


「国を統治しているだけじゃ不満か。それ程に税は重くなかったと思うがな」


「定められた税以外にも払わなければ生きていけない裏金があるのですわ。それが払えない真正直者や貧民が、一部の人間のいう自堕落者です。全てでなくても無視してはいけない割合でいましてよ?」


 ラットは笑う。


「噂通りの強烈毒舌トークだな。ミアの意に沿わぬ婚約者候補を跳ね返すガーディアンか。連中が泣く泣く尻尾を巻いて逃げるはずだ。一方向からの話では他が納得しなかろうが、考慮してやってもいいんだがな。きちんと帰ってきて俺に順序立てて説明出来れば」


「お礼はこなせてからにしますわ。貴族の首輪をしてまでの価値があるか先見の力がございませんので」


「憎たらしい口をきく。力を貸してやろうというのに俺は敵なのか?」


 苦笑するラットの真意を伺いながらも少し心がチクリと痛む。言い過ぎたかしら。確かにこの人が何かしたわけでもない。逆に何もせずに利益にあやかっている貴族とうマイナス面もあるけれど。国民のために代弁しているようでいて、あたしの第一目的になっているのは私怨に近いものがある。やっている行動は正しいとも信じられないまま。


 ダンスの曲は終わりを告げる。喋りながらでもそつなく華麗に踊り終えたラットはまた耳に口を寄せてくるので、頭を引く。


「み、耳はやめてくださらないかしら」


 どうも鳥肌が立って仕方ない。


「他人の耳に掠められては困るのはお前だと思うが?」


 含み笑いして、今度は避ける間も置かずに耳元で事を告げた。


「お前の住む貧民街、大老共は駆逐する気だぞ」


 ・・・どういう事?


「中央棟から西棟の軍部へ資料が回った。北西だけではなく北東の方の貧民街も平地に戻すつもりらしいな。この機密は俺には内緒らしいが優秀な盗賊が見つけてきてくれてね。面白い奴を残してくれたもんだ、ミアも」


「どういう事・・・、もっと、もっと詳しく」


 耳に水音と粘着質な感触がして電気が頭を走る。チュッなんて可愛い音が鳴って、あたしは今度こそ小さい悲鳴を上げた。周りに視線を投げられたのも気にせず、ラットはニヤリと笑ってあたしを手放した。


「優秀だが生意気な盗賊だもんでね、交換条件に見合うだけしか情報を寄越さないときた。悪いが知っているのはここまでだ。たいした物でもなかったが、ダンス1つなら見合った情報だったろ」


 そんな!!


「チェストーー!!」


 腕があたしとラットの間を斬って入る。うっとうしそうにラットはタツノを見下ろす。


「何しとん、こんボケ!人が黙って見とったら抱き寄せて胸の感触楽しむやら腰元や肩やら触りまくりやら、ええ加減羨ましい限りの悪行こなしやが」


 貧民街訛り丸出しだああああ!!


 心臓が凍り付く思いでタツノの口元を後ろから押さえて黙らせる。ラットは指の背を口元に当てて投げキスを贈って去っていく。


「逃げてくるならいつでも待っているぞ。どちらにせよ、最後には俺の元に来させてみせるがな」


「ほふは、ほのふえほまひひゃほおお!!」


「止めて!目立ってる、何を興奮してるの、ちょっと」


 小声でタツノを押しとどめてその場を逃げる。洒落にならないぐらい注目を浴びた。帰るつもりだったんだから、城から今度こそ急いで出ればいいんだけど。


 ラットはダンスをしながら、さも自然にダンスホールの出口近くまで連れてきてくれた。忍び込むにしてもリキが外で待ってるのに黙って行けば、ここに乗り込んできかねない。リキならうまく逃げるまで責任持ってやるだろうけど、捕まったりしたら。


 だけど、ここで帰って本当に良いの?


 タツノはあたしの腕をとってホールを出て階段を下りながらプリプリ怒っていて・・・。このチャンスを逃したら後悔するかもしれない。不確かな情報かもしれない、これこそ言い逃れ出来ない罠に導かれたのかもしれない。それでも、聞き逃してしまえる内容じゃなかった。


 ホールを見上げれば、衛兵以外に人気の無い暗い出入り口で仮面を外したラットが腕を組んであたしを見下ろしていた。口元を笑わせる様は全て自分の手の内だとでも言いたげで胸が重い。


 月明かりの下、演奏が華やかに鳴り響く丸い舞台。あたしは喜劇の主人公として滑稽なダンスを茨のダンスホールで踊る事を期待されている。


 馬鹿な女よ。


 ええ、しょせんあたしも馬鹿女よ。










 西棟は一階の食料庫に続きでキッチンがある。王族用の食事はまた専用のキッチンがあるけど、他はここで作られててミア様やトキヤへの差し入れはここで作ってた。料理人達は物凄く嫌な顔をしていたけど、端っこで作業する分には追い出されなかったし、ミア様に贔屓されているあたしに文句を言う人間はそうそういなかったからね。かなり嫌われてたと思う。


 ダンスパーティ中だからキッチンはフル回転ってわけでもなくて、食事は全部作り置きで三階のキッチンに並べられている。一階はがらんとしたものだわ。出入りが完全に無いわけじゃないけど、こうやって物陰で身を隠せば城内に侵入するのは容易いもんでしょ。


 食堂から素直に出ると、お零れに預かる使用人達が雑然といるからこっそりキッチンの二階に上がって廊下から出てリネン庫に忍び込む。ここなら城でいつも使っていたメイド服にほら早変わり。ドレスはかさばるから迷った末に棚の後ろの方に隠しておく。コルコット准尉に頼めば人脈でなんとか取り戻せるだろうし。


「やっぱりドレスよりこっちの方が落ち着くわ」


「ミニスカ生足萌えー。じゃなくえカクウちゃん?・・・なんで俺達こんな、城に忍び込んだりすることになってんだっけ?逃げるはずじゃなかったか」


「予定が出来たの。タツノはさっきの所からリキと合流して先に帰ってて。出来れば裏町で変わった動きや人の動向を調べておいてほしいの。怪しいところを全部よ」


 タツノは目を細めて首を振る。


「そんならリキだけ帰らせて頼んどけや。カクウだけ残してノコノコ面出してみい、俺はリキとトキヤに殺されんぜ」


「タツノ」


 困った顔で見上げると慌てて顔をそらせて口を尖らせる。


「暗がりでそんな顔したってアカン!思わず押したり引いたり揉んだりしたくなるけど、じゃなくて、あの男から何のネタ仕入れたん」


「押したり引いたり?」


「いやそこは聞き流していいから。小首を傾げたりも止めてくれ、勝手に挑発されるから」


 男というのはたまに男にしか分からない言葉で女を煙りに巻く。こんな時は聞かないふりして距離をとって逃げろ。byトキヤ。


 ふいにトキヤの声が聞こえた気がした。


 それよりも不確かな情報を言おうかどうかに悩む。大事な事だわ。次第によっちゃ命を捨てる事になりかねない。悩んで、迷って、結局止めておく。タツノは冷静に可能性として受け止めるより気が散って正常な判断が出来なくなるタイプだ。なのに脅かして不安になっても帰ってくれる性格でもない。


 タツノに使用人服をお仕着せて南棟の端を目指す。この方がタツノは実力を出せるから。


 庭ならドレスで歩き回っていれば恋人達の邪魔はすまいと衛兵も見て見ぬフリをしてくれるけど、城内に忍び込めるのはキッチンしか思いつかない。城内では使用人のフリをするしかない。もっと欲を言えば騎士か兵士の格好が出来ればいいんだけど、どこにあるのかさすがに知らないもの。


『軍部へ資料が回った』


 西棟は騎士の家系の男でなければそうそう出入り出来ない。使用人だって少年騎士が代わりに雑務するぐらいだったから、この格好でも見咎められるだろう。まあ、正体がばれずに逃げおおせれば咎められたって痛くないわ。まあ、困難だとしても城下だけがあたしの庭じゃない。なんてたって、あたしには変わり者のミア姫様がバックについてるもの。


 さあ、ここで本領発揮しなきゃ、あたしはただの大ホラ吹きよ。





 


 

 石造りのヒヤリとした風を受けながら地下を進む。南棟から地下へ。地下から西棟の二階へ。西棟二階から北棟の端にあるミア様の部屋へ。これがミア様御用達ルート。外に脱走するのに使ったのは幼い頃の一度だけど、人目を忍んでトキヤの姿を覗きに行くためにここ数年は頻繁に使っていたのだと言う。


 見回りをかわせ、かつ忘れられた通路は、苔も生え放題だった。なのに途中でミア様が書いたと思われる相合い傘なんて見つけて、そんな場合じゃないのに吹き出してしまった。


「よくこんな不気味なとこで笑えんなぁ」


「だって、ミア様可愛い」


「教えてくれんし、どこに向かってるんか聞かんけども、なんもこんな怖いとこ通らんでもええやんけ」


 凄んだら誰より裏町のゴロツキらしいタツノだけど意外に恐がりなのよね。そういえばトキヤとリキで脅かしてからかってたわ。嫌な友達。


「タツノ、お化けなんて出ないから安心して。ここはお姫様が相合い傘書きながらスキップして昼夜問わず通ってた場所なのよ。手繋ぐ?」


「別に俺が怖いわけじゃないぞ!カクウちゃんみたいなか弱い女がわざわざ選ぶ事無いと・・・手は繋がせて下さい。っていうか確か姫様って、あのエロ騎士相手に互角張るようなゴリラじゃん」


 思わず手を振り払って両手の拳を握って振り返り反論する。


「ゴリラなんかじゃないわ!花の妖精、月の光で出来た天使、清水の結晶みたいに愛らしい美女なんだから。タツノだって見た事あるじゃない。そう、ただ騎士何十人相手に吹っ飛ばしちゃうトキヤなんか目じゃない勇猛さを持ってるだけ」


「武闘大会の時のキャシルちゃんが通ってると思えばアレだけど、そんな剛胆なお姫様が通ってたと聞かされても、安心する奴はいねえと思う。いや、もう言わないから手離さんといたって」


 地下で誰も聞いてないだろうと静かに騒ぎながら進む。お化けが出ないにしても静かに不安をかきたてる地下は気持ちが良くないのも確か。ラットの言葉で凹みそうになってるのもあって。


 トキヤ、もしこの先に見つけたのものがそれなら・・・この命、貴方達のために使えなくなるかもしれない。でも、知らないフリをしていれば貴族に立ち向かうしかなくなったみんなは、あたしが嫌いだろうとなんだろうと手を貸すしかなくなる。


 嫌な打算が脳裏を掠めた。










 軍部は静かな物だった。


「あっさり着いてもうたなぁ。ここが軍の建物か。トキヤ、こんな所で働いとってんなぁ・・・」


 夜の西棟はそうそう出入り出来ないんだけど、あたしは実のところ何度もここをうろついていた。ミア様の所に夜分こっそり呼ばれた時、っていうのもあるけど理由はトキヤのため。騎士になってからはそうそう会えなくなってたし、夜勤明けなら時間も出来るからね、帰りまで待って遊びに行くまではなくても愚痴を聞いたり差し入れしたり。休憩時間に会えればコーヒーぐらいはいれてあげられたから。


『カクウの顔見るとホッとするわ』


 コーヒー一気のみして笑ってストレス満タンなトキヤに、思わず夜勤のたびに行かなきゃいけない使命感まで持たされた気がした。そうしたくなる笑顔するよね。たまに計算してるんじゃないかって思う。天然なのは長い付き合いで知ってるけどね。


 それが役に立つのは何かってシフトや見回り時間よ。


 どういう順路か決まってて、時間通り動けば計算していけば侵入をこれ程に簡単に許す。トキヤが不真面目な事に休憩時間に悪戯癖を出して口にしていた。ああして、こうして、このタイミングで。ああ・・・あんたは変に今も助けてくれる。


 その後にそれを忠告するだけの権限を持っていなかったのも、今となればプラスなものよ。


 一人、二人、三人と確実に見回りをかわして進んでいく。ただ1つの問題は例の資料が何処にあるか、それもそんな物が実在するのか、はたまたラットの罠ではないかという事よ。あら、1つどころか3つも出ちゃった。


 悶々と顔をしかめていると、タツノに空き部屋へ引っ張り込まれる。何かと彼を見上げれば口元に指を当てて外を伺っている。


 兵士が道過ぎる。


 時間が、ズレてる。読み間違えた?


 一度だけなら楽観出来たけど、その後も何度か読みとは違うタイミングで兵士が廊下を歩いていく。明らかにランダムで、しかも見張り増えてるじゃない!何でこんな時だけ。


 ここまで盗みのトウシロが侵入しただけで十分駄目だけど。


 駄目だわ。このまんまじゃ見つかるのは時間の問題になっちゃう。元から危険な橋だけど、難易度が上がったわ。


 考えるのよ、何処にあるのか目的地が決まったら作戦が固まるんだから。不確かにウロウロと思いつきで動くのが危険なだけで、ちゃんと順序さえ立てたら攻略出来ない城じゃない。


 町の一部を平地にするなんて通常じゃ考えられない。こんな物騒な話、例え貧民街やスラム相手だってきっと重要機密だ。いわゆる内戦みたいな物になるだろうから、実行者の壁金庫に入ってるはず。


 貧民を害虫扱いしていた貴族の面々を思い浮かべれば最初に浮かぶのは父親で、胸と胃がキュッと締め付けられる。きっとあの男の部屋にはあるだろう、断言してもいい。でも大臣の執務室は中央棟の王座近くで厳重の度合いがさすがに違ってくる。


 入り込んだ部屋はたくさんあるミニ会議室。西棟3階ともなれば将官の個人部屋や会議室が並んでるだろう。虐殺するなり、追い出して難民に追い込むなりにしても指揮を執るとしたら将軍になるわよね。


 そこでふと、嫌な事を思い出した。


 貴族にとってあそこはゴロツキのたまり場で、ゴミ屑の山なんだと。治安を乱す裏世界だと言われれば確かに否定出来ない。そこを綺麗にしようとしてる。治安の向上のためってわけ?


 なら、敵は宮廷騎士なんかじゃない。


 戦争するんじゃない、取り締まるんだわ。保安監察官?違う、あれは町の犯罪捜査が職務よ。町を守って害を取り除く役柄は。


「近衛の上官・・・憲兵総監」


 ミア様との文通の仲持ちを協力してもらった事で少なからず他の騎士よりは気心が知れていた、生真面目だが優しいゴキ准将の顔が浮かぶ。彼の父だ。彼に輪をかけて厳格な猛将で有名な、ゴキ憲兵総監。


 部屋に侵入するのは容易かった。隠された金庫も、貴族にありがちな場所を探ればすぐ見つけられる。


「タツノ」


「うわちゃぁ、嫌な予感」


 ぺろりと舌を出して、あたしが差し出したピンを受け取って鍵穴に突っ込む。来てもらって良かった。あたしも出来ない事もないけど。


「本棚?」


 タツノの方が得意だもの。


 几帳面に並べられた書類は他人から見ても分かりやすい。その中でも今一番使用しているといわんばかりに前に出っ張った書類に目を止める。


 見つけてしまった。 


『城下治安清浄計画。城下の景観を減ず華街以下北西部貧民街を平地化し、ヤクザ者を掃討。保安機能の正常化を図り住人の質向上を目指すものとする。』


 承認印、サインがあった。


 紛れもない王族の。


 タツノは簡単な文字しか読めないから難解な文章を目にしてすぐに諦め、黙ってあたしの言葉を待つ。最後まで概要を速読して、膝をついて書類を抱えて地面に座り込んだ。


 ああ、みんな殺される。



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