クシャトリヤ 5






 選択肢が出現する瞬間、あたしはそれが大きければ大きい程に迷わず選んできた。


 大事な物も行きたい未来も決まっていたなら問題は合っても、それを全力ではねつけるだけのじゃじゃ馬根性ぐらいあるわ。


 昼でも夜でもトラブルだらけで、焦って、笑って、怒って、泣いて、困って・・・いつだってあたしの手を引いて駆け回っていたトキヤは明確な未来だったの。必ず、あたしの未来にいる男だったのよ。どんなに絶望にまみれていても。


 未来が消えたみたいだった。


 真っ暗で必死にがむしゃらに姿を追い求めて、今、霧が晴れて見えた未来には色町の貧民街があった。思い出すのは笑顔の代わりに嫌悪だったり心配そうにしている、とても愛しい人達だった。


 なのに、見えた未来に、選ぶその道に、トキヤがいない。


 いないの。










 虐殺作戦の許可書を見つめて、テーブルのインクを開けペンを太ももに走らせる。書類の中から作戦の概要を書き写して髪を縛っていたリボンを巻いて保護して、金庫に神経質なぐらい元通りに書類を戻した。


 執務室を出れば、後は元来た道を戻るだけだ。動揺で見つからないよう前に神経を尖らせながら廊下を進んでいくと、タツノがあたしを横目で伺う。ソワソワと態度があからさまに落ちつかない。気配を読むのがうまいタツノがこれじゃ、見つかるのは時間の問題だ。


「話なら地下で聞くから今は集中して。今はタツノだけが頼りなのよ」


 不安にさせたのは冷静に対処出来ないあたしの態度だ。歯を噛み締めて苦しそうに表情を歪めて言葉を探すタツノに、訂正はきかないわね。上手にフォローするだけの言葉をみつけられないから、いっそ黙っていた方がマシね。今は下手に口を開けば自爆してしまいそうで。


 なのに2階の踊り場でタツノはあたしの前に回り肩をつかまえた。


「やっぱアカン。地下まで待ったらカクウは考えまとめちまう気やろ、頭悪い俺をかわす言葉も用意して。アレに何が書いとったん?思い詰めた顔しといて抱え込んで何も無いなんて、騙されへんからな」


「タツノッ」


 肩を引き寄せられて、炭坑で鍛えられた堅い胸に顔を押さえつけられる。頭が真っ白になる。おじ様とシンヤさんと同じ土の臭いが胸を満たした。


「こっそり泣かれるのなんか一番最悪や。カクウ、俺、俺な・・・」


 金属が擦れ合う音と厳格な男の声が静寂を斬った。


「貴様ら、ここで何をしている!!」


 見つかった!


 条件反射で胸元に隠しておいた特性の閃光弾を男の足下に投げつける。強く目をつぶってタツノの頭を胸に抱き込めば彼は足下からの強い光で計算通り呻きを漏らした。地下を行ってる暇は無い。このまま1階まで逃げて軍用馬へ。


 悪態をついた騎士が警笛を鳴らした。


 逃げなければとタツノの手をとれば、目を庇ったはずなのに呆然と目を押さえているタツノに血の気が引く。


「どうしたの?まさか目がやられたの!?」


「いや頭がやられたっていうか、むしろ下がやられたっていうか、ドレスだったら剥き出しで生だったとか。このタイミングは素直に喜べないような、喜んじゃうような」


「よく分からないよ、走れるなら走って!」


 手を引いて階段を駆け下りていく。1階につけば窓から庭に飛び出した。だけど即座に目の前に兵士がいて、後ろからさっきの騎士が顔を真っ赤にして、あたしを殴り飛ばした。目の前が一転、肺が地面に叩き潰されて息がっ。


 頭に堅い靴が蹴りつけられて左半分に痛みが走る。頭が割れるっ。


 動けなくなったあたしから目を離して騎士は剣を振り上げてタツノに斬りかかっていた。体をよじって騎士の体にしがみつこうとして出来ない。


「やめぇてえええ!!」


 だけど、血飛沫の音の代わりに肉を叩き潰す鈍い音が響いた。


 敵であるはずの兵士は頭から血を流す騎士を突き飛ばし、あたしの二の腕を引いた。騎士が草むらに倒れた。兵士の手には何故かキッチンにあるような綿棒が握られていた。その綿棒に生々しい血の滴りが見える。


「警笛でまさかなと思った。ドレスチェンジしとるし。あぁあぁ、顔に酷い傷出来てるし」


 兜を上げて顔を見ればソバカスに金髪。リキ、なんでこんなとこに。こっちがまさかだわ。手を引かれたまま走りだそうとする彼らを押し止めて厩の方角へ誘導する。


「ちょお待ってや!俺ら馬なんか乗れねえよ!」


「3人で乗っても人間が走るより軍馬の方がマシよ!あたしが手綱を握るからしっかり後ろに」


 厩に着くとリキが別の馬の縄をとってよじ登る。ひょうひょうと笑って。


「ちょっとトキヤの乗馬の勉強に付き合って聞きかじった。3人はちいとスピード落ちるからねー、急ごか」

 
 このホストは器用貧乏過ぎる。


 ギャーギャー騒ぎながら結局タツノを背中に乗せて裏口の狭い場所に馬を通して城を脱出する。ホッとしたのも束の間ですぐに後ろから追っての馬が迫る。あたしの馬の走りに誘導されてリキの馬は走ってくれてるけど、騎手が初心者だもの、走ってるだけで上等。


 目の前に馬が飛び込んできて足止めされる。


 暗がりにもメイドと召使いと兵士の姿をしているあたし達の姿は騎士達の顔をしかめさせた。


「火を、顔を照らせ!大人しく投降すれば牢での贖罪の猶予をやろう」


 ランタンの火を持った騎士が前に出てくる。


 反抗すれば切り捨てられる。こうなったらあたしが出て行って2人が顔を見られる前に逃がすしかないわ。馬を下りようとするとタツノが腰に回した腕を強める。驚いて焦ってタツノを見上げると更に腕が強まった。

 
 光が胸元にさしかかった時、それが一瞬止まったかと思うとそこらじゅうの火がかき消える。闇色の竜巻が馬の間を走って騎士が1人地面に叩き落とされ、消えた騎士の代わりに馬鞍に静かに人影が着地して立ち上がると馬がいななく。乱入した人影は濃紺のドレスで闇夜でもうっすら浮かぶように白い肌が栄えるが、その顔は仮面で覆い隠されていた。シンプル過ぎるそのデザインはパーティではなく葬儀をイメージさせる。っていうか、あれ喪服だ。


 近くに降り立った乱入者はスカートの裾を割いて2本のナイフを取り出すと、馬上からあたしの体を引き寄せて耳打ちした。


「ここは引き受けるのでお帰りを」


 低い掠れた声に体が震えて耳を押さえる。離されて、目を点にしてあたしは何度もそのドレスを着た人を見直した。何か言いたかったけど、そんな場合でも無いから手綱を強く引いてリキに合図をして駆け出す。


 金属のぶつかる音が背中の闇を切り裂く。


「な、何者やねん、あの女!凄い、馬の間飛び回って騎士蹴り飛ばしとんで!?」


 不思議系の騎士コルコット准尉です。


 声出さなきゃ十分女で通りそうだった。抱き上げられた時の筋肉の厚さを思い出す。身長もリキと同じぐらいの低さだし、着やせするタイプなんだろう。あの人は何処にでも助けに来るから、いつも何処に潜んで現れるのかと思っていたけれど、あの格好だけで少し垣間見えた気がした。










 犬も寝静まる時間でもここは今が一番華やかだ。赤や黄色の布が入り口や窓につるされ、ランプの油は何が混ぜてあるのか赤や青や黄色や緑やカラフルに看板や窓際を煌々と照らす。初めて見た時は幻想の世界に迷い込んだように雰囲気に浮かされた。


 人通りも多くて町中から夜遊びのために人が訪れているのが分かる。女や奴隷を買うためだったり、お酒を飲むためだったり、喧嘩するためだったり、賭博をするためだったり。


 色町がもっとも輝き匂いたつ時間、あたし達は帰ってきた。馬は道のど真ん中に乗り捨てて目立たせてきたからすぐに騎士達が保護するわ。あれだけ派手なら夜でも危険を冒して盗もうなんて人もいないだろうしね。リキは鎧もついでに脱ぎ捨てていたけど、あたしとタツノは下に何も着込んでいないからボロ切れを被って格好を隠す。異様さはあっても、裏町じゃ珍しいわけでもない。


「裏町に入り込んでる客以外の人間?こんなとこ探ってどうしよっての。また、カクウの事つけねらう狸親父の兵隊なん?」


「もっと悪いわ。承認段階から実行まではタイムラグがある、その時間がどれくらいか計りたいの。とにかく、こちらの情報が相手に筒抜けになる事態だけは避けなきゃ。逃げるにしても、戦うにしても。城の連中は貧民街もみんなも排除するつもりで」


 血の味が口の中で溜まりすぎて喋りにくい。飲み込むと吐き気がして咳き込むと血が手のひらと顔を汚してタツノとリキは顔をしかめた。


「もういい。とにかく情報集めは俺らに任せてカクウはトキヤん家に」


「・・・いや、この顔で帰したらマジで殺されんで。このずたずたの顔みたら」


 そこまで言って、ふとリキは口元に手を当てて考え込む。


「やっぱタツノもええわ。明日仕事やし後3時間くらいでも寝て金稼いでくれんと。僕って今はタツノのヒモだから」


「気持ち悪い事を言うなや。だいたい、やばい状況なら悠長な構えしてられんやろ。少しでも人間おった方が」


「馬鹿タツノ、飯が無ければ戦争だって出来ないんだよ。僕を誰だと思ってるの?今なら一気に情報からやってくるようにし向けて見せるよ。少しカクウが顔を貸してくれたらね」


 リキは両親がいなくなって家を失った宿無しだから、女の人の家に入り込まないと寝場所はない。最近はナンパもしてないから、ずっとタツノの狭い部屋に泊まっている。おまけにあたし達がしてる事は残念ながら一銭にもならない。タツノは炭坑の仕事があっって、あの仕事はめったに休みが無い上に日が昇る時間から夜中までの辛い仕事。なのに休日をこんな事に使ってる。なんてお人好しだろう。


「あたし、どうすればいいの」


「僕が喋ってる時は耳を塞ぐか離れておいてくれる?一言も耳に入らないように」


 手当をせめてしてからと渋るタツノは、リキが何事か言って帰って行った。ゆっくり休んで欲しい。炭坑の仕事は金額に見合わず寿命を縮めるような辛辣な職業だから。 


 歩きながらリキはコルコット准尉の扮する喪服女の安否をあたしに確認してきた。あたしも別に忘れていたわけじゃないけど、夜陰に紛れればあの黒さだもの。彼に心配は不要だと思う。トキヤとミア様を逃がすために周り中を威嚇して、あたしを抱えて城の塀を乗り越えた健脚は見事なものだった。ディズ少佐がいたとはいえ馬に乗った騎士兵士を撒いた逃げっぷりはプロだと舌を巻く。


 あたしが歩くと、周りで気づいた人間が顔をそらせて顔を歪める。一部はやけにジッと見つめて目をそらせなかったり。リキはそれを見て取ると低い声で笑う。そうやって笑う姿はさすがゴロツキに見える悪い顔だ。


 その内、通りすがりのカンノ君を見つけてリキが声をかける。あたしは言われた通り声が聞こえないように離れておく。話していると、ふと、あたしに気づいてカンノ君は絶句する。なんとなく気まずくて目を地面に落としてそらせると、リキは話を終わらせてあたしの腕を引いて去る。その後も何回か同じやりとりで何人かから話を聞いていく。


 それから、やっぱり情報を得るために遊郭の酒場に行くことになった。


 あたしがいるとちゃんとした話が聞けないだろうから外で待ってると言ったのに、リキは仕上げだから少し耐えてくれと返す。確かにおおまかな情報は得た。見ない顔と、怪しい連中が町の様子を探っているということ。それは一昨日になってからの話。


 酒場に入ると、目線が何人かこちらを向いた。


「おい、裏切り者がおこしだぜ。リキ、てめぇカクウ手伝ってるそうじゃん。アホだろ」


「黙れよ。僕に喧嘩売ったら爆破するからな、バサイん家みたいに」


 ヤクザがいる。


 あたしのせいでリキがって気持ちが沸く前に、目の前の人への恐怖が高まった。


「んだよ。冗談だって!本気でやめろよ・・・お前たまにマジ信じられない事するし」


「金無し野郎が酒飲みに来たの?あら、なんだ後ろの女、ちゃんと金づる・・・・・・・」


 リキに店の中に引っ張り出される。周りの視線が突き刺さる。体が硬直する。冷や汗が背中を流れて指先が冷たくなる。耐えられずにリキの陰に隠れるように後ずさる。


 聞き込みで最初に顔を見たカンノ君が大テーブルの前で固まっていた。リキに苦い顔を向けると感情の読めない笑顔で周囲に口を開く。あたしはリキとの取り決めを思い出して耳を全力で塞いで背を丸める。リキに言われたからと言い訳しながら、公然とみんなから目をそらせて逃げて、卑怯だな、あたし。


 懐かしい匂いは気分が悪くなるぐらい甘ったるい。前はそれに慣れたはずなのに、もう体は忘れて外の空気を欲してる。吐き気がする感覚が、自分がしょせんは貴族でみんなと相容れない存在だと知らしめられているような気がして泣きたくなった。


 酒場のみんなに向かって笑顔で何か言っているリキが、あたしの顎をつかんで上を向かせる。戸惑いながら、それでも耳を離していいのか分からず塞いだまま彼を見上げると、突然、腫れた方の頬をリキにギュッとつままれた。リキの行動と言葉に唖然として、呻きが口から漏れる。


 すぐに手は離された。痛すぎて片目が滲んで涙が零れる。


「哀れな女。自分がなんで動いてるか理解もしてもらえないのに命まで賭けて大変だねぇ。貴族が身を滅ぼしていく姿はさぞ見物だろ。建て前なんて今更。本当は最初から誰もカクウの事なんか仲間と認めてなかったやん?まあ、目障りなんて言ってももうちょっとしたら自滅して永遠に会う事もあらへんて。僕もちょこっと手を貸すだけで美味しくいただけて心残りも無いしぃ、危なくなったら手ぇ切ったらええだけやし。トキヤがおれへんようなったのに、野郎共は頭悪いね。もっと賢く」


 乾いた唇をリキは舌でチロリと舐める。


 あたしは耳を塞ぐのを忘れて、体を抱きしめてリキを呆然と見ていた。こんなに意地悪で凶悪な顔で笑えたのかと乾いた考えが頭に浮かんだ。


「有効利用すれば、貴族からだって甘い汁は飲めるってのにねえ。ま、別に情報が入らなくても困るのはカクウだけだし」


 再び腕を引かれて店を出かけたところで椅子がひっくり返る音や床を蹴る音が鳴る。リキが立ち止まって後ろをチラ見して扉を閉めて家の隙間にあたしを勢いよく押し込めて身を隠す。店から何人か人が飛び出して何か叫んで、走っていく。


 家の隙間に押し倒されて呆然としていると、リキが覆いかぶさって両頬を包んでおでこをつける。涙が止まらない。傷に染みる塩水。それをリキが口でついばむ。


「腫れたとこつねってゴメン。後はええから、全部僕が動くから、ほんまにゴメン。泣かんとって。ゴメン、嘘やから。なあ、僕の方を見てや。もう怖い顔せんから、な?」


 うまく言葉が返せない。


 あたしはみんなにとって目障りなだけだったんだろうかと疑う自分がいる。ここがあたしの居場所だと信じていた自分が虚ろになっていく。あたしは1人で馴染めていると思っていただけだったのかと痛いところを突かれて悲しくなっただけ。リキがそんなつもりが無い事ぐらい分かってる。ちゃんと、分かってる。そう伝えないといけないのに。


「い、の。だいじょ、ぶ。あたしが、ちゃんと耳、塞ぐの・・・忠告してくれてた、のに」


 自己嫌悪で涙が止まらないだけだから。


「カクウ」


 目から口が離れてリキの顔が目の前に、近すぎて焦点が合わなくなった。その途端リキの頭が真横に悲惨な音をたてて蹴り飛ばされた。


 家の隙間の出口に、仮面を地面に叩きつけて殺気を放った喪服ドレスがボロ雑巾と化したコルコット准尉が立っていた。怖くて悲鳴が漏れた。










 夜明け近く。


 初めてシッポウ家を外泊した。こんな顔じゃ帰れないから、リキに頼んで手紙を戸口に挟んできてもらった。用事は言葉を濁して場所も明確にしなかったから、あまり心配させないという意味では用を足さないだろうけど。でも、探し回させるような事にはならないと思う。昨日も遅くなる事は手紙にしておいたし。


 タツノは1組しかない敷き布団と被り布団を部屋いっぱいに広げてタオルを被って凄まじいイビキで眠っていた。あたしにもタオルを渡されて、リキの服を渡され、少し眠るよう言ってリキはそのまま明け方の町に消えていった。一段落ついている内に、詳しい事情を説明しておきたかったのに。


 残されたコルコット准尉は顔の手当を慣れた調子で施してくれた。怪我をした経緯や状況の流れを質問され、それとなく誰にやられたのかまで聞き出されているのに気づき、仕返しなんてしないよう釘を刺しておく。彼がそこまでする義理は無いわけだから、ただ単に面が割れたか探ってくれようとしてるのかな。


 准尉の方こそ怪我をしていてもおかしくない格好だったが、ボロボロの服は慣れないスカートに気を払っていなかったせいだと簡単に片づけられてしまった。謝罪も感謝の言葉も軽く流された。毎度の事だけれど。


 会話が途切れて普段なら沈黙が落ちる間で、あたしは軍部で見つけた詳細をもらした。薬を浸したひんやりとしたガーゼを丁寧に当て、顔を包帯で巻きながら准尉は黙って聞いてくれた。情報を共有するためというよりも、あたしが不安で、誰かに聞いて欲しくて。ここの住人じゃない第三者の彼だからこそ静かに耳を傾けてくれていた。


 これが他人事じゃないリキやタツノだったら、どういうことか糾弾されて混乱を招いていたかもしれない。あたしも落ち着いていられなくて、周りが激動し始めるのについて行けず、また流されるままに。


 ううん、今でも十分そうだわ。


 この色町であたしに出来ることは無い。リキが動いてくれている。もう何もしなくて良いと。みんなの前に立つだけで足がすくんでるようじゃ役にたちはしない。こっちであたしが動いても逆にみんなをかたくなにさせるのなら意味も無い。


 そうでも、やることならいつだって探すまでもなくある。










 朝日が昇っても薄暗く感じる路地に、くすんだ白い煙を出す瓶を抱えた男が濁った目で何人もがこちらを見ていた。いつ喧嘩を売ってくるともしれない強面の男達が朝も早くから徒党を組んでいたり、地面にムシロを引いて背景にそぐわない高価そうな宝石や食べ物や服なんかが統一性なく並べていたりする。中には血痕のついた物まで。


 町の中心から見て北西の裏通りが色町なら、北東の裏通りは賊溜まりと呼ばれる。もう1つの裏町は色町とは種類がまるまる違った系統になる。やりかたも住む人柄も。同じ裏町ではあるけど、あちらは貧民街と言いながら低位貴族よりは余程金を持っている豪邸持ちも住んでいたりする。貧富の差が凝縮されたような場所。


 北西が売春、賭博、人身売買が中心のいかがわしい系統なら、北東は殺傷、禁薬売買、闇市だらけの犯罪系統。


 一般人を餌にしてる分だけ西は表面的に比較的おおらかだけど、東は肩がぶつかれば流血騒ぎの殺し上等の世界になる。元からの住人より犯罪者が流れ着いて集まる。北西と北東の裏町の仲は最悪で、子供同士でも抗争があるぐらい酷い。あたしも子供の頃から何かとぶつかってきた相手でもある。


 緑茶が湯気をたてて黒曜石のテーブルに置かれる。後ろには座らず黙って付き控えている准尉、目前には宝石をジャラジャラ身につけた相変わらず人を小馬鹿にした笑みの男がソファにあぐらをかきながら値踏みしてくる。


「落ちぶれたもんだ。天下のカクウ様が薬のバイヤーの若造に協力要請かね」


「お父様の後をついで元締めになる予定の若様ならタダの若造バイヤーとは意味が少し違うでしょ?ダスクなら賢明な判断と、それなりの人脈があると踏んでの相談だったんだけど」


「ここは西の連中ほどご近所づきあいがよろしくなくてねえ。俺の言葉がどれくらい通じるもんか、ご存じの通り苦労はしたく無い主義だしね。まあ?条件次第じゃ動かないわけでもない。なぁに、筋を通せというだけの話だが」


 壁にもたれた数人のゴロツキが愉快そうに笑う。


 条件とは暢気な事を言ってくれる。腹を割って話そうにも、東のヤクザは腹黒くてひねくれている。元から素直な会話は期待していなかった。


「そうだな。裸でひざまづいてご奉仕でもしてもらおうか。西の女共のテクニックぐらいご教授してもらってるんだろ?勉強熱心なお利口カクウ様のことだものなあ?部下共にも働いてもらわにゃならんし、褒美にもなってもらわないとなあ。当分は睡眠不足と筋肉痛に悩むだろうが、それぐらいは労働してもらわんこっちゃ話にならんだろ?裏町全体に話を通せだ?国王だって出来しないものだ」


「ダスク、あたしは気分が悪いわ」


 機嫌も人生も未来も何もかも。


 立ち上がってテーブルに片手をついた。やることはいつだって溢れてる。なのに感情がついていかないのが、あたしの短所だわ。それでも単純な心理戦が出来ないほど無能でもないのよ。


「勘違いしないで欲しいの。あたしはね、ダスク、協力して欲しいとお願いしているんじゃないの。むざむざ襲撃されないよう心付けをしてあげようと言っているだけなの。やる気が無いのなら別に貴方でなくても、ね。国が裏町の人間を虐殺しようとしてるんだもの。裏町で要として動いたとなればハクもついて、名前にステータスがつく、悪い話じゃないと思ってたけど」


「ふん、騎士が何十とこようが犯罪者がいなくならないようにパワーバランスなんてそう簡単に崩れやしないものだよ。乳がでかいだけの奴隷となった元貴族風情に助けていただく必要があるとは思わないね」


 あたし風情じゃどうにもならないから、あんたが動けってーのよ。


「准尉」


 ならば、仕掛けるまでよ。


「ダスクを含めて彼ら全てを皆殺しにするなら、どうやりますか」


「逃がさないよう入り口に近い者から潰しましょうか」


 周りの空気が鋭くなる。


「うまく隠れられたら?彼らの屋敷だもの。こちらには不利ですが」


「棚も扉も壊します。隠し扉もくまなく」


「トキヤ達もそうだったわ。ねえ、ダスク。でも皆殺しにするのにそんな手間はいらないわ」


 ダスクを含めて周りの顔から一斉に血の気が引いた。


 そうよ、思い出すと良いわ。


「連中がしようとしているのは罪人を暴くなんていうものじゃないの。この区画を、街の北側を全て無に還そうと言うのよ?狂ってるでしょ。ふふ、おかしいわよね。あたし達みたいなのは同じ人間じゃないとでも言うのかしら。ねえ?町から逃げる?それとも戦う?ありえないと突っぱねて商売を続けるの?頭の良い貴方達に、あたしの頭脳は必要ないのかしら」


 周りにいた強面達がダスクに不安と焦りをもった声をかける。歯を噛み鳴らして睨み付ける顔は今でも十分あたしを内心で怯えさせる。本当はとても怖かった。東の裏町は犯罪の温床。子供だったダスクやザリやヴェリーと遭遇しても十分泣きそうだった。


 同じように彼らがあたしを恐れているのも知ってる。


 貴族だからじゃなく、あたし自身が怖いと。










 東の裏町に西の裏町の子達が自ら行く事は滅多に無い。そこには殺人鬼や変態や誘拐魔が平然と暮らしている場所だもの。保安監察官だって用が無ければ見回りもしない。その監察官だって行方不明になる話がチラホラあるくらい。


 それでも東と西の子供の衝突が起きるのは裏町の外か、西に東の子供達が襲撃に来るからだった。今思えば、戦争、ごっこだったのかもしれない。作戦を立てて、奇襲をして、伏兵を立てて、騙したり、取引をしたり、人質を取ったりしていた。


 東の裏町にあたしが初めて足を踏み入れたのは、馬鹿トキヤのいつもの衝動的な思いつき。


『ちっくしょぉ、ヴェリー組の奴らめ、また俺らのシマ荒らしやがってっ』


『服がボロボロや!母ちゃんにボコボコにされるやんけ!』


 色町で遊んでいた時に小道から突然飛び出してきた乱暴者のヴェリーを大将にした奇襲団が、殴りかかってくるなり砂や石を頭から大量に降らしてくれたお陰で全身傷だらけの砂だらけで、服はところどころ破れる有様。ちょうど居合わせた西の子供達は口に入った砂や目をこすりながら歯がみする。


『あいつら、僕らが東に襲撃でけへんからって最近調子乗り過ぎちゃう』


 リキが笑ってるけど、乱暴に膝に乗った石を乱暴に地面に叩き付けて壁を蹴る。タツノ達が涙を流しながら目をこするのを、眼球を傷つけないように必死にあたしは留める。そうはしながらも、あたしだって片目に砂が入って非情に痛かったわけだけど。


 ジッと何かを考えているトキヤに危険信号が走って、止めようとするけど間に合わずに突拍子も無いことを言い出した。すなわち、仕返しだけれど。


『よし、連中は今なら油断しまくってるはずだ。東に襲撃かけたるで』


 さすがにみんな怒りよりも勝って引いてたけど、強引のトキヤの凱旋でその気にさせられた男の子達は揃って東の裏町に乗り込んだ。ありえないと踏んでいた東の子らのパニックぶりといったら滑稽だった。それでも、彼らも子供なりに東の大将クラスは反撃もしてきて、あたし達は散り散りになったんだよね。


 最後には結局、東の子供達はある廃屋に逃げ込んで、そこは結構な大きさを誇って外からの攻撃に備えた迷路の造りのせいで目的地に到達出来なかった。庭から見上げた窓から油玉に火をつけた火炎玉を投げつけられて、あたし達はダメージを受けまくった。屋敷の中を探し回って、隅から隅まで探しているはずなのに、地の利の不利か、夕日も沈む時間になった。


 火傷だらけで、あたしは切れていた。


 西の子供らを呼び戻して、あたしは、あたしは・・・・・・・よく乾いた木造の廃屋に火をつけた。


 入り口のよく燃えた事。


 廃屋は全焼、でも東の子供達は誰も死んでないし、火傷すら負ってないわ。二階から十分に彼らなら飛び降りられるのを計算しての事だったから。それでも、逆の計算も出来る事を恐ろしげに伝えてあげると東の子供らの襲撃は一時期結構な期間は来なくなった。


 窓という窓に、あたし達が一斉によく燃えた火炎瓶を投げれば逃げ場は無かったと。籠城して調子にのってる間に用意するのは十分に可能だった。


 あたしの東での異名が魔女になった瞬間だった。










 テーブルをダスクが叩く音で現実に引き戻される。


「例えば俺がお前の策に乗ったところで勝算があると?女のお前が軍隊の動きに対応出来るとでも言うのかい」


「ここでの勝利を何と設定するかによるわ。勝負で勝っても利益はあるかしら。死人の方が多いのではない?全ては命あっての物種というのが、こちらの訓示だったと思うけれど。その訓示に従って命を守るのが勝利条件だとすれば、自信があると言わせてもらうわ。ダスクがちゃんと仕事をしてくれるのならね」


 ちゃんと情報が伝わって、力を合わせる事が出来るのなら簡単な事よ。


 今すぐ商人から品物を買い占めて旅商人のフリをして宿に泊まれば良い。生活用品だって何食わぬ顔で持ち歩けるし、そのまま余所の町へ移動する事だって出来る。このまま町中の別の場所へ引っ越しする事もね。大部分は傭兵志願として城に入り込む手もある。今は何せ傭兵に大募集をかけているんだもの。いつもより手元の駒に気を配れているかしら。断られればそこはそれで落ちた傭兵として宿に泊まり、何食わぬ顔でやっぱり身をふれる。


 金の徴収がうまく出来るかが決め手だわ。東の貧富の差を消して彼らをひとまとめに処理するために。金があるからこそ、この手段があるんだもの。西にまでは無理だろうから。


「・・・考える時間はなさそうだ。でも、やっぱり条件がある。飲まないのなら俺は構わない、情報は得たんだ、今から俺達だけ高飛びさせてもらおう。別段、生き残るだけなら手を借りなくても出来るわけだしねえ」


「そうかしら。逃がさないように外枠は常に敵から見張られていると思った方が良いけど。単独の所なら始末もしやすいでしょ?」


「さぁて、それでも俺達は馬鹿だから大丈夫だと浅はかに実行するかもしれんねえ。命はてめえでどうにか出来る可能性がある限り取引の材料としては魅力がねえ。当たり前の事だが働くだけの利益が欲しいな。カクウも他の馬鹿共より俺との取引が一番作戦の成功率が高いと踏んだから来たんだろう、ん?」


 人脈が上へも下へも伸びていて、更につてを広げられると踏んだのは間違い無い。更には取引という手段も頭に置いている人物であり、凶行ではない堅実な悪事を働く手腕としても。他の人間とまた交渉を繰り返すのも精神や時間がもったいない。


「いいわ。あたしに出来ることで、道徳に反しなければ」


 ニヤニヤ笑いがダスクの顔に戻り、腕を捕まれる。


「最初に言った通りだ。まあ、時間もねえことだ、全員とは言わねえから俺にはご奉仕してもらおうじゃねえか。あの西の魔女を犯したとなればハクもつく」


『だからカクウは詰めが甘いと言うんだ!!』


 トキヤの声が脳天から聞こえた。


「どうする?図らずも東のゴロツキ共の命はお前の体にかかったわけだ。なんだかんだ言ってお優しいカクウ様の事だ、見殺しにゃあできまいさ」


 捕まれた腕の先、手のひらを握りしめて熱い顔で目を細める。唇が震えて、悲しくなる。甘い詰めを埋めるトキヤがいない。あたしには要求を飲む以外に選択肢なんか無いわけだ。


 体を売る。


 色町では好きな人へ捧げたいのは心とお金。体は叶うべくもなしと女達は歌う。あたしは出来るだなんて自惚れるつもりはなかった。シノも幼いアチだって生きるために売り渡したもの。


 泣くべきじゃない。


 目をつむっても浮かぶ男の顔があるわけじゃないもの。


 この国を変える。


 生きたいと思っている全てを守る。


 それが、あたしとトキヤの目指した未来だったじゃない。


「分かったわ。好きに」


 口にしかけた背後から黒くて長い足が伸びたと思うと、石で出来たテーブルが割れた。テーブルに手をついていたダスクの体が沈み込んだかと思うと、二度目の轟音で床が沈み込んだ。


 唖然として足を見れば、その持ち主はいつもの無表情であたしを見下ろしていた。目が合うと、舌打ちをした准尉がダスクに視線を変える。舌打ちをして。准尉が舌打ちを。


「ここからは僭越ながら俺が交渉をしましょう。カクウ様は徹夜でお疲れのようだ」


「コルコット准尉!いいんです、あたしは」


 護衛の役目を果たそうとする准尉を止めようとした瞬間、首に衝撃を受けて目の前が真っ暗になる。何も考えられない真っ暗闇へ。


 ただ、何も考えられない闇の中で『やっと本性を現したか、エセ騎士が』という声が聞こえた。




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