クシャトリヤ10





 目が覚めたそこは、医務室だった。


 よくトキヤが怪我した時に薬を拝借しに来た覚えがある。天井も臭いも裏町の診療所と違って清涼な雰囲気を保っている。あそこは異臭とアルコールと薬の臭いが混じって酷いから。


 体中が痛い。


 前にもこんなことあったっけ。


「痕は残るぞ」


 横を向くと床に膝を立てて座る後頭部があった。片手の指に軽く指が絡められて引っかけられている。クンッと中指が引っ張られる。


「カクウらしくねえの。そういう無茶って俺の専売特許なんだろ?いつもはうまくやるくせに、なんで俺がいない時に限ってそう不細工なマネするかね」


 頭がそりかえってベットに乗せられる。表情は見えないけど、鼻の頭がちょこんと目に入る。静かな空間が白くて、いつかの夢みたいに本当に静かで。


「悪かったな。久々にマジで自分の事ボコりたくなったわ」


 髪に頭を寄せて、もう一度目を瞑る。


「どうして?」


 お日様の匂いだなぁ。


「重たい荷物をお前だけに任せて、泣かせた」


「馬鹿ね」


 じんわりと涙がわいてくる。


「重かったから泣いたんじゃないわよ」


 指を引っ張るだけだった手が離れて、顔に伸びてきて目元をグイグイこする。後ろ向きで天井見たまま器用な奴ね。


「無事で良かった」


「阿呆」


 喉がつまったようにクッと鼻声でトキヤは小さく吹き出した。なんだ、トキヤだって泣いてんじゃない。


「こっちの台詞だっつうの」


 窓の外は、真っ青に明るく照らされていた。










 ガーゼや包帯で包まれて、前に増して酷い豪華な怪我人になった。


 姿見に映ったボロボロの自分にドレスが加わり余計に異様な女が立ってる。普通のドレスではなくてコート状のスカートに下にはズボンのスーツドレス。これで部屋の外に出るのか。そうじゃなくても注目の的だろうに。どうか自意識過剰で、誰もあたしに気づかないぐらいの反応であってくれれば良いのに。


「そりゃ無理だろ。ただでさえ派手な性格とスタイルしてるくせに、そろそろ地味なの顔だけだって自覚しろよ」


 煎餅を囓みしめ、紙をめくる音がする。


 鏡で後ろを見るとソファで書類を見ながらテーブルに足を乗せるトキヤがいる。


「あたし今、着替えしてたんだけどトキヤいつからそこにいたわけ」


「ずっといた」


 化粧台の椅子クッションを投げると奴の顔面にジャストミートした。


 一等客室の扉が開かれて部屋付きの侍女が呼びに来る。顔面についた煎餅の屑を払いながらトキヤが隣に立って、あたしの手を取った。廊下に出るとミア様が騎士服で廊下にもたれて待っていた。ミア様だけ若干豪華な青い特別仕様だけど。


「緊張してきた」


「大丈夫だ。カクウは土壇場では案外肝が据わってるし、噛んだら私が口をはさもう」


「心強いですわ、ミア様」


「もう様は止めて欲しいぞ。今は立派な平民なんだからな」


 誇らしげに胸を張るミア様にはすまないけれど、平民になれたと思っているのは彼女だけだ。言い張ろうと、国王がなんと言おうと貴族がミア様を姫と呼んでかしづいてしまったら実質が変わらない。確かに表向きはほぼ好きなようにされているらしく騎士達も一度駆け落ちで逃げられたのがショックで腫れ物に触るようにホイホイなんでも叶えているらしい。


「なかなか難しいですわ。長年そう呼んでいたんですもの。壁を作っているのではなくて、あたしにとっては愛称みたいになっているものですから。姫様とかミア様とかは」


 ムー、と唸りながらも手を組んで上目遣いにミア様は食い下がる。


「だってトキヤと結婚したら私達も姉妹のようなものだし」


「まずもってカクウと俺は兄弟じゃないし、普通はカクウと王子様が結婚したらと言わないだろうか」


「お兄様と結婚したらな。あの男も悪い人間では無いとは思うが留学ばかりで付き合いもなく、幼いみぎりも想い出は少ない。手紙はかわしてはいたが内容がカクウに対しての近況の質問ばかりじゃ人柄も分からない。大手を振って私からは勧めにくい」


「マジで惚れてんのか、あの王子様。つうか、兄弟で人柄不明ってどうなんだ」


「昔のままならクールで冷めててすました男だと説明出来るが、本当に幼い頃に留学したままほぼ帰ってこなかったから臣下の中には忘れてる者もいるんじゃないか。現にトキヤは騎士として3年もいたのに存在すら知らなかったわけだし」


「ふうん。君子危うきに近寄らず。カクウ、却下だな」


「勝手に何を話し合ってるの」


 呼びに来た侍女が困りきって立ち尽くすので、あたしは2人を引っ張って廊下を進む。


 騎士が端により、堅い表情で頭を下げて視線で追って来る。ところどころの廊下が黒く焦げたり臭いが鼻につく。絨毯もフワフワとしていたはずが踏むと灰になって崩れる。飾られていた物はほぼ壊れたから撤去、ボコボコの原型を留めた物は元の配置に収められたらしい。


 長い矛を持った騎士が大きな扉を守っている前に立つ。


 片方はゴキ准将だった。将軍位では一番低位とはいえ、彼程の階級の人がする仕事では無い。多分だけど望んでここにいるのね。


 目がミア様を慈しむように泳いで、あたしに細めた目が向けられる。


 ここは戦場だから。


「特別保安推進官カクウ、参りました。お目通り願います」


 短い返答。


 開かれた扉の中には威圧感たっぷりの古狸が長いテーブルに並んで座ってこちらに注目した。国王が目の前に、その隣にはラット王子、大臣閣下もいる。息がつまりそう。


 背中を2つの手が一方は添えるように、一方は弾くように叩く。


 口を引き結んで顔と胸を精一杯上げて笑顔を浮かべた。 


「このたびは国の大事な重役会議に末席にて参加させていただいてありがとうございます。しばらくは視界のお目汚しをさせていただきますが、必ずや国を栄えさせる手腕、お見せしてみせましょう」


「ご託通りに行けば良いがな」


 国王は重々しく言葉を吐き出し、隣のミア様に眉を寄せ目を細める。ラット王子はヒタリとあたしを見たまま目線を外さない。大臣閣下も含めて国家の重役達からもなんだけど、熱い視線で穴があきそうだわ。


「ご健闘を祈ります」


 部屋に入る瞬間、ゴキ准将と反対側の騎士から小さな声が届く。あたしは迷わずゴテゴテした空席に腰を下ろした。後ろにはトキヤとミア様が立っている。


 トキヤが書類の束をあたしの前にドサリと渡す。付箋が四方八方に飛び出ていて、別のくくりで綴じている薄目の束を目の前に持ってくる。表紙には『貧民階級の衣食住、職の確保案』とリキの文字で書かれていた。










 ドレスコートを脱げば上質ではあるけれど身軽な服装となった。


 城を出て行く道すがらでは、ポツポツとミア様とあたしに労いの言葉をかけて礼をかけてくれる人もいた。近寄りたそうにしているけど躊躇っている様子も見られる。ミア様だけなら土下座してでも話しかけてくる人はいるだろうけど、さすがにあたしやトキヤがいるから来られないんじゃないかしら。


「カクウ」


 城門の前に、数人の騎士を従えた大臣閣下が立っていた。


「これはこれは、このような所に徒歩で顔を合わせるとは思いませんでした。いつも馬車でしか外界へはいらっしゃらないのに、おみ足がポキッと折れてしまいますよ。あたしに用事か言い残しがございましたか、閣下」


 ニッコリ笑ってお辞儀をすれば、大臣閣下は顔を誰にでも分かるほど引きつらせて青筋を立てて拳を握りしめる。


「相も変わらず下賎な物言いが直らないようだな。今回の発案もまったくもってくだらん。これでは賭は6年も待たずと先が見える」


「先見の力がございます閣下のおっしゃられる事は下賎の者にはついて行けません。結果を見ないとあたし達にはどうしても先がどうなるかなんて分からないのですわ。煩わしいこととは存じますが約束ですから6年待っていただいてもよろしいでしょうか」


「なあ、カクウ」


 止めようとするトキヤの手を払い落としてニコニコ前に進み出て分からず屋狸の前で薄目を開けて両手を組み合わせ首を振る。


「ところでホクオウ家の私兵が裏町でうろついており、町民が酷く怯えておりますの。先だって、凶刃を振り回し裏町で血を振りまかれた悲しい事件がありましたので訓練された場違いな兵士がいると罪なき子供らが泣き苦しんでいて、あたしも胸が苦しゅうございまして」


「凶刃とはよくもまあ。あれだけベラベラと狂言を吐いて、まだ体に毒が残っているか。国庫からつまらん事で予算を割かせおって」


「花を咲かすには種を植えねばならぬ事はよくよく存じておられると思いますが、もう1度2度3度と最初からご説明させていただいた方がよろしいかしら。何せ新しい試みですから理解が難解でしたでしょうし」


 周りが砂を擦って引いたけど、思ったよりも終止符は早めに打たれた。大臣閣下によって。


「お前と話していても溜息しか出んわ。時間を無駄にしている暇は持ち合わせておらん」


 さっさと踵を返して去っていく。いつもなら言い負かせるか息切れして血管が切れそうになるまで黙らないのに。


 見送った背中は、昔より遙かに小さくなったなと感じた。










 賭をした。


 奴隷や貧民は国を食い潰す害では無い。きちんと国を整えれば必ずもっとここは栄えるだろうから一度協力をしてみても長い目でみれば損は無い。


 6年で国が栄えたという結果が見せられないようであれば、トキヤは永遠に城の職業奴隷としてただ働きしどんな仕事にも文句はつけないし仕打ちにも従う事。それから、あたしは王子の妻となり五月蠅い口を公の場で死ぬまで封じるクチナシの王妃となる事を。


 おまけにミア様はトキヤと結ばれる事を諦めて将軍家の息子の内の誰かと結婚する事を条件に、政治に参加する権利を手に入れた。










 色街を歩いていると、こっちはこっちでおずおずと声をかけられる。やっぱり側にあたしがいなければトキヤに話しかけたいんだろうけど、遠巻きにしている。手酷いことばかりしたのは自分だから文句は言えない。


 裏切り者の代名詞みたいなもんだもん。


 さすがに仕事以外はトキヤをみんなに返してあげるべき、よね。


「カクウ、うまくいったん」


「怪我開かんかったか。虐められんかったか」


 シッポウ家の長屋前でリキとタツノが駆け寄ってくる。扉が開く音がしてシンヤさんとおば様も外に出てくる。


「母ちゃん、そんなに走ったらまた血を吐くぞ」


 暢気に注意するけど、傷が開いてないか顔から足から触って撫でて背中に回って服を覗いて調べてと咳をしながらもおば様は動き回る。こういう時は何を言っても休まないから極力おば様の動きを阻まずにいるのが得策。


「大丈夫か。疲れたやろ。怪我も治ってない内から働かせるなんて貴族共は何を考えてんじゃ。カクウ、話は寝ながらでも出来る、家で早く休め」


「心配無いわ、シンヤさん。制限付きの賭だもの。休んでなんていられない」


「俺がついてんだから大丈夫だって兄ちゃん」


「お前はカクウに無茶を平気でさせるから余計に心配じゃ、ボケーー!!」


 兄弟漫才の隣でミア様はソワソワとしている。声をかけると肩を振るわせて何も無いと否定するんだけど、何も無いようには到底見えないんですけど、ミア様。


 騒がしいのと、トキヤの声が聞こえてるせいか昼間から狭い通りに人が増えてる気がする。窓からも覗かれているのが分かって居づらいものがある。ああ、これが気になるのか。ミア様にも悪いし、そろそろ言わなきゃいけないな。一仕事終わった事だしね。


「おば様、トキヤ、ミア様、シンヤさん、リキ、タツノ」


 1人1人に顔を合わせて、あたしは支えてくれたみんなに感謝の気持ちを向ける。おじ様が仕事でいないのが残念だけど、それを言うとシンヤさん及びタツノ、リキが仕事を休んで無理矢理ここにいる方がおかしいんだから我が儘言わずに、今度会いに来よう。


「あたし裏町を出ようと思うの」


「は?」


「え」


 それぞれが驚いたような顔で声を漏らす。ミア様だけは首を傾げて何処へ?と応えた。


「スラムへ。オルゴさんの家に住まわせてもらって少し現状把握しようって事になったから」


「いつ!?こんな怪我だらけであんな不衛生で無法地帯な場所に行ったら無事じゃすまへんで!」


 タツノが全身で駄目駄目と反対するけど、トキヤは思案顔で空を仰いで顎を撫でる。


「あー、まあそもそもが底上げしようって計画なんだからそれもいるよな。うし、ちょっと荷物まとめてくるわ。ミアもちょっとここよりぼろくなるけど、野宿よかはマシなはずだから我慢してもらって」


「トキヤはここに残るのよ。あたし1人で行くわ」


 今度こそ全員が声を揃えて驚いた。


「正確には、オルゴさんと子供達とあたしね。出来ればあんたには東の方のスラムの偵察をお願いしたいの。あっちは知り合いもいないし闇街側だから危険はこっちより大きい。だけどミア様もついてるし出来るわよね」


「そりゃ出来るかっつったらやるしかねえけど」


「ここから通えばいいわ。あたし付きの騎士として復帰してるからトキヤとミア様には城の定例会議は一緒に参加してもらうけど、それ以外は1日1回報告しあえれば十分だろうから。まあ、細かいことはおいおいで」


「いや、おいおいで、じゃねえだろ!」


「せやで、カクウ。通えばええんわカクウも一緒やん。なんやったらそんなん僕とかそのオルゴさんとかに任せばええやん。質問して、言うてくれたらちゃんと仕事こなしてくるし」


「戻ってこないつもりか」


 トキヤ、リキと身を乗り出して、後ろでシンヤさんが苦しそうに顔を歪める。


「やっぱりここはもうカクウにとってはいるだけで辛い場所なんか。賭に勝っても負けてもここには最低限来ないですむように、スラムに住むつもりなんじゃないのか」


 静まりかえる。


 違う・・・事もないか。


「オルゴさんの所ね、昔は孤児院だったんだよ。今も子供が隠れ住んでてね、凄く暗い目をしてるんだ。ずっとオルゴさんが面倒見てたみたいなんだけど、やっぱり不精で食いつなぐばかりで世話らしい事も出来てないらしくて。そこを手伝いながら、したいなって」


「答えになってない。カクウはここが嫌なのか。危険な場所にカクウをオルゴだけに任せて行かせられない。私も行きたい」


「ミア様はトキヤと行って下さい。東は危ないから、助けてやって欲しいんです」


「お前さ、何が気に入らないわけ」


 イライラした口調でトキヤがあたしの肩を掴んで後ろを向かせる。気に入らないんじゃない。あたしが前みたいになれないだけだ。うまく事は進んでるはずなのにうまく笑えない。トキヤが側にいればなんでも出来たし、戻れる、そんな気がしてたけど、やっぱり単純になりきれない。


「裏町の奴らがお前にやった事なら俺も聞いた。ひとまず全員一発ずつ殴ってきた。チャラに出来ねえなら出て行けば良い。俺もついてく」


「殴っ・・・!?殴るってあんた何やってんのよ!!全員って」


「女共にはちゃんと手加減」


「女の人まで殴ったの!?信じらんない!何やってくれての!?」


 リキとタツノが顔をしかめてそれぞれ腹と顔をうっすら撫でる。散々迷惑をかけてきた2人にまで一発見舞ったの!?本当信じられない!!


「ただでさえ迷惑かけて不快に思われてる。あたしがここからトキヤを取り上げて、これ以上あんたがあたしに付いてちゃ駄目なのよ。必要なだけ力を貸してくれればそれであたしは助かるの。第一酷い事をしたのはあたしの方なんだよ。勝手に騒ぎを起こして、助けてくれたのに追い返そうとしたりして、ここにいるだけで嫌な空気にさせてる。いざという時だからしょうがなく助けてくれたのは分かってる。優しい人達だから、だから少しあんたともこことも距離を置かなきゃ、甘え過ぎているのは分かってたから」


 腰に手を当てて俺は譲らないからなって顔で、トキヤは不意に周りを見回した。


「いいのか?お前らここで意固地な勘違い女の誤解訂正しとかないと、確執深めるととことんなのは実家とのやりとりでよく知ってるだろ。一生、ここに寄りつかなくなるぞ。ためらってたら逃げてくぜ。下手したら今度は闇街の方に住むようになるかもな。あっちでもなんだかんだ人気あるからな、カクウは。6年後にはもしかしたら国王妃だ。王子に取り上げられて2度と会えなくなってから後悔したって超遅ぇぞ」


 ザワリと声が上がる。


 びっくりしてトキヤの背中に隠れる。


 何を反感買うようなマネを。もうもう、こうなったら逃げるしか。


「だって改めて謝んのは気まずかったんや!!声だってどうかけようかって」


 爆発するみたいに叫びが上がった。泣きそうな気持ちを横からはたかれた気持ちで目をやれば、また別の方からも叫びが上がる。


「つか、東の方で加勢に行った時に謝ったやんけ!」


 だって、突き放したもの。今度こそ嫌われようと思って身勝手な事を言ったはずだもの。


「命賭けて戦ってたのに嫌がってるわけないやないの」


 窓が勢いよく開く。


「勢いがつかなくて!でも、出て行かんでや!」


「もっとうまいこと言いくるめぇや、トキヤ!!」


 鼻で笑ってトキヤは自分でやらんかいと呟いて。


「好きじゃああああ、結婚してくれーーーー!!」


「一発殴ってもろてもかまへんよ!ここがあんたの町やないの!」


「トキヤに殴られんのは納得いかへん。カクウ、殴り直しや」


「頑張っとったん、知っとったからぁっ」


「カクウ姉ちゃんっ」


「裏町嫌いにならんとってえっ!?」


 ツンッと服を引かれて振り返ると、ミア様が優しく笑う。涙が止まらなくて揺れる視界の中でしみじみとしたミア様の嬉しそうな声が耳から離れなくなった。


「やっぱりカクウの言う通り、良い所なんだな」


「・・・はい、とても。あたしの大切な場所ですから」


 その後はみんなが家からも出てきてもみくちゃにされた。その後はもう、酒を持ち寄って派手に宴会になって、夜になってもそれはお開きにならず仕事は開店休業で訪れた客も巻き込んでお祭り状態。


 一度、裏町の祭りに参加させてあげたかったミア様はとても楽しんでくれていた。前に偽名で顔を合わせた面々とはすぐにうち解けて。


 前と同じようには出来なかったかもしれないけど、前とは違った形で絆はまた結び直された。あたし達の絆は何度も切れて何度も結び直して、結び目だらけだけど、その数だけ直す事が出来るんだって教えてくれる。










 でも予定は変えないよ。


 スラムには行こうと思う。トキヤは来ないで、あたしだけで行くわ。って笑って言ったらこの頑固女って頭を殴られた。シンヤさんが代わりに殴り返してくれた。


 どうしてって聞くけど、オルゴさんが迎えに来てくれてあたしは少ない荷物を手にとった。残りは既にこっそりオルゴさんが運んでくれている。


「オルゴはちょくちょく姿消すだろうが。嫁入り前の賭の商品だぞ。カクウが傷物になったら嫉妬に燃えた王子に今度こそスラム火の海にされんぞ。孤児院つっても女の安全はどうなんだよ」


「トキヤンったら相変わらずカクウ、カクウって五月蠅かよ。あの王子の操り方はオイラん方が心得えとうよ。がっちょカクウがいらんことせなんだら、スラムの狼共には見つからんば。まあ、オイラがどうとかっちゅうんは知らんげな」


「一番大丈夫って言い切らなきゃいけないとこで知らん言うな!去勢したろか!?」


 おじ様が帰ってきた夜更け、あたしはちゃんとここにも顔を出すっていう約束を色んな人と取り付けて色街から出て行った。


 その後の未来は誰も見えやしないけど、まだ頑張れる。きっと今日の向こうの明日には支えてくれる人に迷惑をかけるけど、1日を大事に動かして行こう。手を取り合って。










 正直、何処に雲隠れしていたんだろうと心の隅で気になっていた。


 あれだけ側にいたはずなのに気を失ってからというものチラリとも見かけなかったから。裏町のみんなもそうだけど、彼が一番あたしに嫌気が差しているだろう。だって約束までしたのに舌の根も乾かぬうちに騙して裏切ろうとしたんだもの。


 最終的にあそこへ現れたって事は、心中は読まれていたんだろうけれど。


 スラムの瓦礫壁にもたれて目を瞑って座っているナルナは、傍らに剣だけ置いて片足を投げ出している。


「ほいじゃ、道は知っとおやろけぇ先行っとおな。材料だけガキが食わんよーに見張っとおけえ飯炊き早ぉしてな」


「え、ちょ、道なんてあたしっ」


 慌てて止めようとしたけど信じられない。足をかけるところもあるようで無いような瓦礫をひょいひょい乗り越えて何処かに消えてしまった。前に行った時も複雑過ぎて気まぐれにたどり着けるような場所でもなかった。


 血の気が引く。


 行けなかったら出戻りだわ。洒落にならない。


 少しの間、冗談だって引き返してこないかなって目線を送ってみたけど、沈黙の方が耐えられなかった。


「あの、久しぶり」


 ナルナにようやく向き直ってみたけど、返事は返ってこなかった。


「えっと、怪我はちゃんと治療、した?ミア様からは大丈夫そうだって聞いてたんだけど」


 やっぱり返事はなかった。


 苦しい。


 そりゃ怒るわよ。一緒に戦おうとしてくれたのに、自分だけ計画と違う事をして、あたしだったら怒り狂う。なんでそんな無茶するんだって。心配で胸が潰れそうになって。


 ケジメ。


 荷物を横に置いて土の上に正座する。両手をついて頭を地面につけた。


「勝手なマネをしてご心労をおかけした事、真に申し訳ありませんでした。貴族街での奮闘、けして無駄にはなりませんでした。心からお礼を言わせて下さい。貴方を巻き込みたくない一心であったと独断で偽りを述べ、信頼を破いた」


 本当ならたまたま会う前にきちんと自分から会いに行きたかった。時間をおいても不味いって思ってた。だけど所在がはっきりしなくて、避けられていたのは確実だった。だって、他の人間は彼と会っていた事を話で聞いていたから。


「いくらでも言いたいことがあると思います。貴方は飲み込んでため込んでしまう人だから、けれど今回は飲み込む必要なんて無い。一生分の恩を受けたから、今度はあたしがナルナのために全身全霊で借りを返す。なんでも協力するよ。だから」


 許して貰えるはずない。


 でも許して欲しい。


「けれど」


 都合の良い事をあたしからお願い出来ない。


 もう十分にしてもらったじゃない。


「何か」


 解放してあげるべきだ。


 目的は果たした。


「喋って・・・」


 泣いてばかり。泣けば困らせるのに、涙腺壊れてるんだわ。これじゃ、顔、あげられない。


「王子じゃないが、やはりトキヤが気にくわない」


 思ったよりも至近距離で、それも耳元で低い掠れた声が耳の縁に唇が触れて、肩を押し上げて流れる勢いのまま顎が上に上がって唇が塞がった。


 堅い唇に代わって、柔らかい舌が口の中に押し入ってくる。


「ふ、んう・・・!?」


「ん」


 体が背中の方に傾いて思わずナルナの背に手を回して抱きつく。その勢いを利用されて食らいつくように押しつけられて首が仰け反る。後頭部と首を大きな手が覆う。


 逃げ、られない。


 体に痺れが走って、腰に手を回されて。


『嫁入り前の賭の商品だぞ。カクウが傷物になったら嫉妬に燃えた王子に』


 駄目なのに。


 なんで、こんな事になって、るん、だっけ・・・。










 冷たく薄ら寒い目でトキヤが孤児院の入り口で立っている。その傍らにはちゃっかりお腹が大きくなったミア様が口元に手を当てて目線をそらす。


「夜にした方が目撃されんですむのに」


 そ、そういう問題でも無いんです、ミア様っ。


「ナニなさってるんですか、コルコット中尉」


「俺は准尉に降格されてる。ゴセルバじゃあるまいし、お前もたいがい人の階級に興味持たんな」


「ナニをやらかしてんだ、エロ准尉」


「ナニ以外の何に見える。邪魔だ、消えろ」


「やっ」


 毛布を体の間にはさんで押してもエプロンの下の服を半分ずりおろされた状態で手が、手が生肌に触ってるの!それ以上は、駄目!今回は最大のピンチっ!新記録っ!!


「と、とき、助、た、ひあっ!?」


「続けるな!!」


 蹴りをいれようとしたトキヤをあたしを抱き上げて丸ごと避ける。子供達にだけは目撃されたくないって夜には籠城したり裏町に逃げたりしてたけど、よもや昼間にこんな際どい場面を知り合いに発見されるなんて。


「穴があったら埋まりたいっ」


「穴には俺が今から埋まるんだが」


「いやあああっ」


 顔が熱くて体が熱くて、もう、もう、もう。


「やばい、やばいと思ってたら、まさかコルコット准尉、あんたここに住み着いてんじゃ」


「とりあえず、あたしを離そう!ねえ、これはあたしが可哀想だよ。恥ずかしさで死ねるよ!今回ばかりは、本当に、お願い、ナルナァ」


「あ、馬鹿っ」


 ギュッと服をつかんで泣いてるんだぞって見上げて必死に訴えると、トキヤが焦ったように叫んで、ナルナは。


「ミア、トキヤ引っ張って帰れ」


 口を塞がれた。


 口で。


 横目で帰ってはいけないシーンでミア様に引っ張って行かれるトキヤが見える。待って、ミア様駄目だって。これ、合意じゃないよ!?あ、あ、あ、だって、あの、あたし賭けでその。それにどうしていいのか。


「身分を一番気にしていたのは俺だ。あんたが欲しくて溜まらなかったのに遠くから指をくわえてるしかなかった。身分のせいでカクウは人との関係を絶たれた、悪いことばかりだみたいな事を言ってたが、それもどうだか」


 低く笑った。


 唖然としたまま背中が石の床につく。


「あんた、身分で守られてたんだ。なけりゃとっくに食われてた。奴隷でも、平民でも駄目だ。貴族だから俺は手をこまねいた。この天使を」


 手の甲にキスをされる。


「王子にくれてやるなんて冗談じゃない」


「なんで、だって、ミア様のためって」


「何度でも。あんたに最後まで忠誠を。ただし俺からも逃がさない」


 ペロリと唇を舐めたナルナは、凶悪な顔に微かな笑みを浮かべるとすれ違っては不味い悪魔のようだった。人はみな手を繋いで手を取り合って、仲良しこよしになれるはずと。


「一生分の恩は売れたんだろ」


 賭がその後どうなったのか、あたしがその後どうなったのか、先の事より現在を一体どうすればいいのか、それは、その・・・・・・・・・どうしよう。




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