クシャトリヤ9




 天井は高く宝石で出来たトキヤの家ほどの大きさを誇るシャンデリアが照らす城の中心、謁見室。これは権力の象徴として広さもダンスホールと並び立つ。


 煌びやかな服をまとい、ドレスをひらめかせ、貴族だけが散りばめられている。


 ガラス窓の向こうは黒と白の煙を窓から放出させて、消化活動に怒号をあげている。基本的に石造りの城だもの。燃えるよりは消えやすい。少なくとも自分大事の貴族なら無駄と悟れば逃げるだろうし、騎士達の能力も見誤ってはいないはずだわ。


 激しい地鳴りと城の一角が破壊される瞬間を見た。長屋も城も最終的に酷い火事は取り壊しで燃え広がりを消すらしい。


 死人が出ていないか、それが気がかりだったのと同時に、出ないわけがないだろうと思う冷たい意見が自分の中で出てくる。火をつければ消すし、破壊をすれば埋まる何かがある。騎士が丈夫であるよう祈り、罪深さに懺悔すれば良い?


 恨み辛みを背負うだろうし、死ぬ人間に罪は無いかもしれない。あたしは綺麗事を叫びながら死に神を振る舞う本当の悪鬼でしょう。


 ラット王子はあたしの顎を長い指で上向かせて、不快そうにあたしの髪を弾く。


「殺人でも犯してきたような顔だな。あの程度じゃメイド1人も殺せやしない。街の鎮圧にも既に兵を送った。よくも女の身1つでここまで暴れたものだ。ミアと行動していただけあって、枠には囚われない強兵ぶりだった」


「お褒めに預かり光栄ですわ。王子様」


「売女め!魔女めが!?殿下の前でそのような薄汚い口をきくとは」


「准将、娘をすぐに」


 大臣閣下に国王陛下と、あたしを黙らせようとした権力者を王子は片手を握る動作だけで黙らせた。


「俺が、カクウと喋っている。余計な雑音は聞きたく無い」


 本気で誰もこの人の行動を咎めないらしいわね。外からの音以外が身動きすら止めた。


「あれを教えてやった結果がこれか?もっと理性的な女だったと思っていた」


 下手な行動には出られない。この人は多分、あたしの行動の動機をオルゴさんと同じぐらい知っていて、誰よりも狙いに感づく可能性のある人物だ。それも、誰がなんと言おうと全ての願いも策略も握りつぶすだけの権力を持つ者。


「ご期待を裏切り申し訳がありませんわ」


「まだ毒を吐くのか。王子と知っても相変わらず俺は敵らしい。そして相変わらず君は優しいものだな。そんな姿に堕ちてまで貧民を救いたいか」


 体から血の気が引く。


「何をおっしゃられるのですか。ただただホクオウ家から縁を切られ、奴隷の身に身分を落とされた恨みからの行動。今までの言動は全て民衆を操るためのデモンストレーションに過ぎませんわ」


 言い訳はもはや本気で通じるとは思っていない。やはり宣戦布告なんてするんじゃなかった。始めの予定とは様変わりして、酷く不利な決定打になっている。


 あたしはずっと、身分の不毛さ、貴族への侮蔑、徹底抗戦の姿勢を示してる。それは貴族を追われる前からでもあったし、この人の目の前でもやっていた。この城を落とすための策略なら思想を胸に秘めたままにしていただろうけれど、あたしの本当の狙いはずっと人に思想をねじ広げていくものだったから隠さずにいた。


「痛いですわ。ゴキ准将、腕を外すおつもりなの」


「緩めれば私をいなすでしょう。これ以上の抵抗はお止め下さい。大人しくさえしていれば、酷い目には」


 小声で説得してくれる准将は本当に心配してくれてるのね。苦しそうな顔をさせてしまった。本来ならとても紳士的で優しい人だもの。少なからず付き合いもあった、トキヤを除けば友人と呼べるかもしれない唯一の騎士でもあった。


 けして心根が冷たい人間ばかりが貴族じゃない。


 だって、そんな人達をミア様が信頼していたわけないもの。育つ環境も、出会う人の種類も、こんなにも得る情報が違えばすれ違いが起きて当然だから。きっと時間をかけて歩み寄れば分かってくれる人もきっといる。


 ゴキ准将、ディズ少佐も、他の騎士の中にもきっといる。懸命に話せば平民と歩み寄ろうとしてくれるだろう人が。ホクオウ家の人間みたいなのがばかりが貴族じゃない。


 だけど因習やプライドがそうはさせない。


 必要なのはきっかけ。


「良い、離せ准将」


 王子の言葉に王が言葉をかぶせる。


「取り押さえておけ。賊に情けをかけるいわれはない。いい加減にしないか、ラット」


「何度も言わせるな、丁寧に扱え。俺の機嫌を損ね、俺を諦めて遠縁の王の血筋を探し、次席を改めるか?息子を王位につかせ老いた自分の身を盤石の地位に置きたいんだろ。元々外国暮らしの方が俺は好きでね、別の国でもやっていくだけの力はある。未練を残さず国から出奔するぞ、俺は」


 苦々しい顔で顔を引きつらせる国王に、余裕の表情で王子は再度准将に命じた。ソッと離される腕にどう動いた物か迷う。


「まず君は俺と取り引きをするという選択肢を選ぶべきところを、わざわざ捨て身で城に特攻なんて方を実行した。これはあまりに愚かだったと言う他無い」


 愚か、と、自分でもそう思ってる。けど人にそう肯定されるとあまりにおかしい気がする。そうよ、どうして正しい選択を迫られなきゃいけないの。そもそも彼が何者か思い出せなかったのだから選びよう無い。


 あたしがこの方法を選んだのは、これしか無かったからよ。


 奴隷達の先手を打って手を引かせ、敵としてあたしに全員の目を向けるためには、あたしに考えられた限界がこれだった。だって一度剣を抜けば後戻りはしないじゃない。


 それに最終的に、この戦いはトキヤ達のためになる。この騒ぎに労力を取られている片手間にトキヤを捕まえられる程、あいつは間抜けじゃない。ミア様もついてる。例え先に害虫駆除を優先したとしても、あたしの次は裏町だ。その間に2人は完璧に隣国へ逃げ切れる。


 始めの目的は最悪の形で叶うだろう。


「奴隷と手を組むとおっしゃるのですか?こんなボロ切れみたいな服を着て、城を燃やし尽くそうとするあたしを?何が選択。何が取り引き。何も持たないあたしが一体、何を選べ何を駆け引きに使えるとおっしゃるの」


「身分など不毛なものは取り潰してみせると言った口で、奴隷は中身が何も無い肉塊と言うのか?卑屈な嫌味で当てつけか、俺への拒否か。少しは折れて俺の話を熟慮するつもりが無いのか」


 さすがの王子も毒ばかり返すあたしに苛つきが現れ始める。


「ありませんわ。貴族の言ばかり受け入れてポキポキポキポキ折れていては、話が続かないですもの。ミア様もおっしゃられていたけど、我が儘とばかりに押さえつけてくる輩には徹底的に何も譲ってはいけないそうですし」


「じゃあ一体俺にどうしろと言う。周りの連中に君に向かって跪けとは言えても、貴族の位を全て捨ててこいと言って誰が実行する」


「誰も位を捨てろとは言ってませんわ。もっと耳をかっぽじいてよくお聞きになって。その自分上位のすっからかんの頭でもってよくお考えあそばせ」


「かっぽじっ・・・。黙って言わせておけば」


 あまりの物言いに大臣閣下は愕然とし、頭に血を上らせて口を開きかけるけど王子を避けて階段下にいる全員を見下ろして声を張り上げてやる。古参の臣下が多いから何処まで効果があるか分からないけど、扉からは段々と人が増えてもいってる。


 正統に、真摯に説得しても貴族は本当に自分上位な生き物だからきっと理解は難しい。だからショック療法しか思いつけないんじゃない。


「確かミア姫様を引っ捕らえよという命令を国中に出されていましたね。探し人としてではなく罪人として保安監察に名簿があるのはご存じですか。罪人として処分するに等しいという事で、満場一致でよろしいのですね?王族で無くなったミア様には罪と罰を。あれほど熱心に忠誠を誓っていらっしゃった方々までただのポーズでしたとは」


 さあ。


「あら奴隷と目を合わせたぐらいで顔をおそらしにならないで。見下しなさいな、いつも通りに」


「王族である義務と誇りを捨てたのは、あの愚かな娘だ。もとより自覚のない狂女であった。王を支持し国を守るはずの貴族が、国を裏切り俗世に堕ちた者に気を取られるとはあまりに卑しい!」


 国王が立ち上がって動揺する臣下達に弁を振るう。


 でも逆効果だわ。ふふ、ミア様に陶酔していた若年ほど心を突くでしょう。揺れるといいわ。彼女に縄をかけなければいけない立場というのに十分打撃を受けているのに傷を抉られる想いなのでしょう?広げてあげるわ、その傷を。


「ではミア様は捕まればやはり生涯幽閉ですか?それとも王族という立場から逃げた罪で処刑かしら。あの方が牢で大人しくされているはずがありませんもの。鎖と口縄、それとも杭に重し」


「当然の報いで」


 おそらく決め手になる言葉を国王が漏らす前に、舌打ちをして王子が老いた王を玉座へ押し戻して言葉を消した。それでも動揺は走る。思ったよりもずっと。


「あれには元から忠誠を立てるだけの価値があったとは俺にも思えない。昔から我が儘で好き勝手に生きていた。付き合わされた同年の騎士が一番良く理解しているはずだ。容姿に騙され惑わされていたようだがな。あの事件で冷静であれたのを逆に褒めても良い。だが、捕らえたとて俺も妹にそこまでしようとは思わん」


「貴族のように身分の剥奪と国外追放では気がすまない。だから今も追っているんだわ。手元においておけばあの頑固なお姫様が貴族に心を戻してくれると?」


「もう良い。娘を黙らせろ」


 国王は座したまま腕を一閃する。


 斬れって? 


 騎士達の反応は遅れた。


 真後ろにいる准将や古参騎士ですら。


「騙されただけで罪は」


「平民が」


「身分剥奪など」


「陛下が」


 ポツリと零れ出す想い。


「静粛に!陛下の御前ぞ、静粛に!!」


「姫様の焼かれた顔を」


「あれはリリス・ディズの」


「静粛にせんか!?」


「では、どうしろと」


「王子は」


 ミア様が恋しいでしょう。


 貴方達は彼女がいれば迷わなかった。我が儘と言うけれど、彼女の言葉に逆らうつもりなど持たなかった。国王の命令にも彼女の言葉を努力も無しに退けようとはしなかった。出来るだけ沿うように。


 あの方の行動こそが自分達の指針で未来だった。


 あたしの指針で未来がトキヤであったように、貴族の大部分はミア様に引きずられていた。王になりえないのを知りながら。気に入らない事もあったろうに、我が儘と罵りもしていたのに、武力で押さえつけられたのではなくとも、結局は言葉通りに従った。


 けして、あたしがトキヤを切り離せないように。


 大臣閣下がなんと言うおうが、国王陛下が命じようが、波は止まらなかった。


 なのにこの人は止めた。


 完全に機嫌を損ね、不快な様子を隠しもせず上から見下ろしてくる彼もまたミア様と同じカリスマの人か。


「国に久しぶりに帰ってくれば城中がミアがミアがといなくなってもなお五月蠅い。騎士共や文官共はどうでもいいとしても、君にまでそう扱われると俺は拗ねたくもなる」


 誰にでもなく、あたしに向かった声だけで怒鳴り声に対するよりもスッと波は引いてしまった。


「君は階級による人間性を決めつける国を嫌悪するが、低脳な人間に親しくない者の中身まで見抜く目を求められると思うのか。誰もが目測出来るのは育ちであり階級ぐらいだ。そこから抜け出すだけの目を持った人間が希有なだけ。自分が普通だと思うから付いて来られない他が腹立たしくなる。他が低能なのだと気づいてやれば良い。誰もが君のように気付はしない。切り替えられやしないのだと」


 この人は外国育ちだ。


 分かっているんだ。あたしの訴えたい事も想いも、同調する部分もあるんだわ。だけど、決定的に違う所がある。


 問題を丸投げしてる。


 理想はそれまでで、そこに辿り着くだけの生き物ではないと。諦めと譲歩を覚えろと。差し迫った問題にそれは無い。それは見捨てるって事だもの。


「王子様、貴方の言葉は正論であって目的を達する助言にはほど遠く受けいれがたく存じます」


「目的と真理を分裂させるなら、初めから目的だけを口にすればいい。君の願いを俺なら簡単に叶えられるんだからな。そう、俺にただ一言囁けばいい」


 記憶がぶれる。


『君が望むのなら俺は他国で足りない物を見つけてこよう。ここより優れている物を見つけるのは諸国を回れば故国で思案するより容易い。そして優れた智を持つ王に。誰も逆らうことが出来ないぐらい綻びのない智があれば君の願いを叶えられるだろう。君が共に立ちたいと思うようになるのはトキヤではなく、俺だ。いつか城下ではなく城に留まるよう誓わせてみせる』


「俺の妻となり生涯俺の側を離れないと。俺は昔から君を愛している。ミアの元ではなく、トキヤの元でもなく、俺の元へ。そのために国を出てあらゆる国の思想と法の勉学に励んだんだからな。君の理想国家を作るに叶う賢王となるために」


 どうして記憶から彼を抹消していたのか思い至った。


 何も分かってない。


 あたしはただ優しさから身分差別を無くしたいと思ったんじゃない。


 友達から、たかが身分というもののせいで引き離されるのがいつだって憎かったからだ。私怨ではなく本気でそれを願ったのは、真面目にそれを目指していたのはトキヤだ。


 王子もまた、あたしを友達から引き離す存在の1つとして幼いあたしが拒絶した。自己暗示の強い自分の事だから驚きもしない。


 この状況下で、彼に屈せば願いは叶うのだろうか。


 トキヤやミア様は無事に。裏町は平穏に。


 なんだ、悩みを抱えて物の数日で片づく問題だったんだ。ただ、あたしが身1つ、心1つ売ってしまえば。










 そんな自己犠牲溢れる道に素直に行けるだけの気持ちが何故か沸かない。


『そういうやり方は納得がいかないからぶち壊した。俺にとってはよろしくない流れ、それだけです』


 目的のためにボロボロになってまで駆け上がってきたのに。


『あんたにはそういう愚かしいところがある』


 どうして浮かんだのが、ミア様でもトキヤでもなく貴方なんだろう。


『そんなに安売りする程度の存在なら俺はいつでも牙を剥く』


 2人のためにはそうするべきで、裏町のためにもそれは良くて、でも、貴方のためだけにはならない。何故、そう思うんだろう。ナルナだって2人のために戦っている同志のはずなのに。


 はずなのに。


 そこに何かの答えがはまる様な気がして、切なくて苦しい。










 悩みを打ち切る声が王の間を切り裂いた。


「報告します!城門を破ろうとする賊が多数っ」


「裏町に潜ませていた間者より伝令!感づかれ監禁されていたとっ、脱出した者によると奴らは我らに内戦をしかけるつもりであると」


「北東地区による騒ぎ沈静・・・介入していたホクオウ閣下の私兵、多勢に囲まれ敗れたとの報が入りました」


 頭は再び真っ白になった。


 だけど、そう何度も崩れ落ちたりしない。


「静粛に願いますっ!!」


 膨らみはじけそうな殺気と、応戦の号令を打ち消した。誰にもあたしを無視させない。思ったように動かない平民にも貴族にも王族にも大臣閣下にも。


 階段を駆け下り、王子の伸ばした手をすり抜け、通常の建物の3階分はあるガラスの壁に吊り下がる重いカーテンに辿り着く。王の間の中間に当たる場所まですり抜けても誰も小娘を捕らえる事も出来ず固まったまま。自分で判断する力が無いから武力は化け物級でも、あたしをどう対処すれば良いのか命令無しには分からない。何処までやって良いのか分からないから。


 だから、迷ってる間にあたしなんかにこんな風に足を取られる。


 何をするつもりかも分からない、油断して即効で押さえつけない、だから一部の騎士が危機感を覚えて走ってきても彼らに間に合わせずあたしは策を成功させる。


 カーテンの束の隣にはそれを開け閉めするための縄と、もう1つこの天井高い、国一番高い場所に吊した豪華なある物に繋がった鎖が床の頑丈な巻き具に繋がっている。鎖の巻き取られた長さ、天井から床までの長さをアバウトに計算した。


 失敗の確率計算とか慎重さなんてこれぽっちもない。


「この鎖、シャンデリアに繋がっていますの。天井裏から油を足せない王の間のみの仕様でございます。落ちたら大惨事、ご存じでして?」


 ポカーンとしたのは一瞬だった。出来るはずがないと思った人間がいれば、人殺しにならないための助言は何も意味を為さず血の海を作る。


 カーテンの重い布の端を大きな鎖の穴に通してカーテンのを端に寄せる掛け金に突き刺し、鎖の巻き具の留め金になっているレバーの上端を全体重で踏みつけてカーテンに飛び乗る。


 かつてない丈夫な布の引き裂かれる音と柔らかな布の感触、鎖が捻れながら布を巻き取り、シャンデリアが轟音と共に王の間の中心にぶつかり落ちる。シャンデリアの重さで上に急速移動したあたしは、ハンモック状のカーテンの上から確かに見えた。


 誰もそこに留まっていなかった。出来ないと侮りはしなかった。きちんとあたしの宣告に危機感を覚えて逃げた。


 それは、かつて闇街で西の魔女と呼ばれた時と同じ。ようやく誰もがあたし自身に脅威を感じた目を向けたのが見えた。


「魔女め・・・」


 誰かの声が聞こえた。


 あたしは、失笑が漏れた。


「平民はとっくにあたしをそう呼んでいたわ」


 もう途中で趣旨替えはなしよ。平民にもお引き取り願いましょう。この国に生きる全ての人間にとっての敵でなくてはならないのだから、あたしただ1人が。










 城って、町の中はおろか国中で一番高い建物だわ。どの町の時計塔だって城の尖塔先には届かない。見上げた時よりも見下ろした時の方がとても遠く感じる。城下が今はあんなに遠い。あるのはただ空だけ。


 目の前の大臣閣下や、周りにいる騎士の顔色は悪い。


 上がってくるかどうかは分からなかったけど、騎士はともかく贅肉で重い体を押して大臣閣下が王の間の屋根に登って来るとは思わなかった。観客は多い方が良いけど、屋根から滑り落ちたらどうするつもりかしら。


 真っ青な顔に対してあたしは平常。初めて屋根に引きずり上げられた時はあたしもあんな風だったんだろうけど、今ではどこの屋根の上だって同じに見える。


 風が服の裾を持ち上げると、肌寒い空気が撫でていく。細い屋根の上で両手を広げてバランスを取りながら心から笑みを浮かべた。とうとう来たっていう充実感か、開き直っちゃった気分のせいかな。


 不思議なもので、怖いとは思えなかった。


 体をずらして下を見下ろすと広がっている城の人達と色街闇街、スラムの人達。地下水路から追い出されたのか、別の部隊なのか分からない。もしかしたらまだ地下でディズ少佐が奮闘してくれているか、元から見逃してくれただけで別の場所にいるのか。


 それになんでダスク達までいるのかしら。武装しちゃって。逃げるんじゃなかったのかしら。あれじゃ、備えてたみたいじゃない。他人はどうでも良いみたいに言ってたくせに、あれは指揮をとってるようにしか見えない。そう、やれば闇街だって統制や団結が出来るんじゃない。どういう風の吹き回しかは知らないけど。


 とても良い国だとは胸を張って思わないけど、本当はとても愛していた。だって生まれ育った国なんだもの。大好きな人達と出会えた国なんだもの。


 目の前にいる父親とはついぞ意見が合う事は無かった。愛される事は無かった。憎まれているに違い無いし、母親に生ませるのではなかったと思われている事だろう。今でもそれは少し悲しくなるけど、嫌だと感じるという事はその家族だって嫌いではなかったってわけね。


 シッポウのおじ様やおば様の方がよっぽど受け入れてくれて、心配してくれて、娘みたいに扱ってくれたのに、最後まで自分の親のようには感じられなかった。


 この親からの愛情を諦めきれなかったのかしら。


「もうお得意のトリックはここでは通用せんぞ。いい加減にしろ。我が国最大の恥知らずが、これでホクオウ家は終わりだ」


 そろそろ終劇といこうじゃない。


「罰を要する悪の根源はあたし1人にございますれば、手を煩わせるべくもなく効率的に解決させていただきたく存じます。なお、大臣閣下に申し立てたく思いますれば一言お許し願いたく」


「許さずとも黙った事があったか!この2枚舌めが!!」


 ええ、許さないと言っても言うけども。


「不詳カクウ・ホクオウは死ぬまで貴方の敵であり娘でございます。ざまあみろ、石頭親父」


 目を丸くしたお父様にスカートは無いけれどズボンの裾を軽く指でつかみ、優雅にお辞儀を見せて完全に背を向ける。


 兵士も騎士も城下の誰もが手を止めていた。血を流して、酷い怪我をしている。倒れたあちこちの誰かは死んでいないか、知った姿ではないか、胸が張り裂けそう。そもそも、どうして女の人まで混じっているのよ。明らかに色街の遊女まで混じっているのはおかしいじゃない。


 どうせなら、あたしを切り捨てたままでいてくれれば良かったのに。


 お節介な。


 こんなに混戦しているのに、見つけて目が合ったタツノが呆然とあたしを見上げていた。


「・・・よ。嘘やろ!こんな結末認めねえからな!!」


 こんなに遠いのに、分かったのかしら。あたしが今しようとしている事を。頭の回転がけして速いとは言えないのに余計な勘ばかりはとても良いんだから。


「城下を混乱に陥れたのも全てあたしの策略よ。ご苦労様、でも平民の貴方達にこの戦いの意味はあるのかしら。傷つけ合っているのは同じ国の者なのにおかしいと思わないのかしら」


 澄んだ空気に響き渡った声が下界に聞こえて染み込むようゆっくりと伝える。


「貴族は貧民街を駆逐しようとした。それは誰のせい?こんな風に傷を負いながら戦わされているわ。誰のせい?物には全て原因がある。正義と悪がある。なら、悪を無くせば全て解決すると思わない?何処かしら、誰かしら。貴族かしら?違うんじゃない?」


 平民は、今まで通り譲歩すれば良いだけよ。


 へりくだって自分達が悪かったという態度を示して引けば、国中への確固とした正義を貴族は示せる。だから彼らに手は出せなくなる。そう、誰かを吊し上げて処分出来ればこの問題は貧民を守る歴史の盾になる。波紋を残し、歯車を1つ崩す。


「そうよ、分かってるでしょ。あたしが全てを引き起こした者よ」


 どの段階でだって道はあるものね。


 きちんと目的を果たせる未来に繋がっている。明確に見えるもの。彼らが引いて行きさえすれば全て叶う。学は無くとも利口も多い裏町のみんななら分かってくれるでしょ。


 空気が変わった。


 平民方に動揺が伝わるのを感じる。でもまだ一部で、納得してないわね。空気は言葉を知らない奴隷にも伝わる。ちゃんと全員が一致してくれなきゃ。


「まだ狂劇を続けるのか」


 来たの?


 きっと大事な王子様は取り押さえられて上がっては来られないと思っていたのに、ガッツのある人だわ。さすがミア様と血を分ける兄というか。


「君が俺に、いや俺が君に屈したと告げれば良い。この騒ぎで無血開城は不可能だとしても、貴族共が面目が立たないと騒いでも俺に納めさせれば良い。勝利を告げれば戦いは止まるものだ。どうして君は昔から俺を信用してくれない。どれだけ手を伸ばせば振り向いてくれる」


 上がってきたのに目を剥いた騎士達にすぐさま両腕を拘束されたけど、そのまま、真剣な顔でラット王子はまだそう口にする。悪趣味な人。だけど、少しトキヤや他の誰かに似た人ね。


「貴方では一時的な重しにしかならないからよ」


 でも何度でも手を伸ばしてくる諦めの悪い貴方の手を取れない。


「歴史にこう刻まれるだけ。愛に傾倒した王が一時的な平和を強いた時代と。それでは刻めない。歴史や因習を動かすためには大きな傷がいるの。命令で押さえるのではない、派手で人の心を一気に惹き付けるイベントがいるのよ。革命っていうのはね」


「お前如きが革命家になれるというのか!」


 大臣閣下は一歩前に出る。


「地味なあたしに出来るのは魔女になることだけだわ。小さな呪いを」


 城下に向かって胸の前に小さな魔法を閉じこめるように両手で包む。お願い、聞いて、みんな。


「戦いを止めて本当の悪を見つめ直せば、誰も貴方達を責めないわ。間違いを認めたなら貴族にも情けはある。悪は罰せられ平和が訪れるのよ。貴方達の異分子は一体誰かもっとよく考えてみなさいよ。あたしはよく知ってるわ。悪いことじゃない。貴方達は本当の敵を認めるだけ」


 ここまで公に言われれば、貴族は従わざるおえない。後は、貴方達が譲歩するだけよ。


「異分子やて?僕らが戦う理由を拒否するっていうんか!敵なわけないやろ、カクウ!!」


 駄目よ、リキ。分かって、これは作戦なんだよ。


「せっかく加勢に来てやったんだ、内々に処理するのは止めてもらおうか!」


 五月蠅いわよ、ダスク。誰が加勢に来いって言った。あたしは逃げ隠れしろって言ったのよ。


「諦め悪かろうが、もっと戦いを煽らんや!国の根燃やさんが今が時ぞ!?」


 察しが悪いわね。盛り上がりを一気に沈下させて冷ましてあげるわよ、オルゴさん。


「戦う意味が本当にある?ここで貴方達死ぬのよ?周りを見てよ。騎士に貴方達は傷を与えられたの?城門を開いただけで、何かを勝ち取れるつもりだったの?」


 勝利は城側にしか無い。武力でぶつかれば、誰も生き残れやしない。思わず見回して、絶望の顔色が広がったのを確かめて暗い喜びに浸った。絶望してもなお引かないだろうタツノ達も最後の決め手では引かざる終えなくなる。戦う意味を無くすから。


 共に戦おうとしてくれたのよね。


「下地は整った」


「止めろ」


 大臣閣下が意外にも震えた声で行動を止めた。裏町を消し去るのはこの人の悲願だった。何をするのかこの人も思い至ったのかしら。


「どうして諦めない。どうして間違っていたと認めない。これほど恵まれた身に生まれさせてやったというのに、どうして反発するんだ。この私の何が憎い。何故私よりあの様な下賎の民を選ぶというのだ」


 ずっと波打っていた暗い空間にある水面が静まる感覚。


「子は親に似るものですわ。あたし、一度信じた者にとても頑固なだけ」


 ああ、この人と本当に親子だったんだわ。


 なんて素直じゃ無いんだろう。


 両膝をぐんと曲げて伸ばして屋根を蹴った。


 国を変えたい想いは嘘じゃなかった。


 家族を愛する気持ちがあたしの中にもあった。


 騎士の人達が嫌いなわけじゃなかった。


 裏町もスラムも笑顔に溢れていれば良いのにとずっと願っていた。


「悲劇の主人公なんかじゃないわ。無様なあたしは立派に戦った。そう言ってくれるでしょ。馬鹿げてるって誰が認めてくれなくても、そう・・・あんただけはね!!」


 国の中で一番高い建物の一番高い場所から空に向かって跳べば、あたしはこの国で一番高い場所にいる。騎士の手をすり抜けて手を伸ばした王子様の指が髪を掠めた。短い大臣閣下の腕が王子と並んであたしに必死に伸びていた。たくさんの呼び声、みんなの顔、それから強い風が体を吹き抜けてく。


 目に入ったのは草色の髪。


「ああ、認めてやるさ」


 人が飛び退いて場所を開けた場所に長く鋭いアックスを低い態勢で構えた銀の輝く髪が跳ねる。遠目にも分かる眼力が真っ直ぐこちらを向いている。彼女の近くに立つ男は不敵に胸を張っている。あの見慣れた笑顔で。


「だけど足らねえよ。いつも言ってるだろ、カクウは詰めが甘いんだよ!!」


「チャンスは1度きりだぞ。まさか本気でこれを使う事になるなんて」


「行くぜ、ミア!!」


 国旗を掲げるポールをまるで橋のように駆け上って、後ろから追いかけて本当に足だけで駆け上るミア様はポールを蹴った伸びやかな足と体を旋風の如く渦巻いて巨大なアックスの平らな側面をトキヤに撃ち込んだ。


 アックスの上で更に跳ねたトキヤが、その、人としてあり得てはいけない高さを大砲の弾よろしく空を切る。


 誰もが息を呑んだはずの空間を一気に塗り替える。


 奇跡の色は何色だろう。


 落下する浮遊感の中で突然左腕を肘からがっちりつかみ合って、落下が一瞬止まった。


「高ぇ、やべ。次どうしよう」


 答えは血が引いて真っ青だった。


「きゃああああああああああ!?」


 台無しだわ。


 3階の高さから再落下させられて悲鳴を上げる。最悪、丸潰し、大暴落。なんでこいつが城下に現れるのか!?


 そこから追撃をかますように地面から再び空中に打ち上げる衝撃がぶつかる。


 トキヤと繋いだ腕がぶち切られて横に吹っ飛び、空中に器用に回って着地するトキヤは前より確実に動きが良くなっていた。片足を引きずっていた最後の姿をかき消すぐらい。


 まだ空中を跳んでいたあたしは、抱き込む黒い騎士に目を向ける。


 どうしているの第二弾。


 貴族街を混乱の渦に巻いたら、1人で逃げてって言ったはずなのに。頷いたはずなのに。


「お待ちかねのトキヤとミアだ。満足か」


 挑戦的な目は、いつかの怖い彼を彷彿とさせた。騙そうとしたことは気づいていて、なおかつ盛らないけど怒っているってダイレクトに目で伝えられた。


 長く大きなひれを持った魚が深く潜っていく緩やかな動きで地面に着地した。本来の予定とは真逆の優雅な辿り着きに、あたしを抱えた黒い騎士の服裾が遅れて体に舞い落ちて収まる。腰を支える片手を離して、ナルナは自分の手の平へ口づけるとブツリと肉を裂く小さな音と共に口元にガラスをくわえていて吐き捨てる。


「刺さり過ぎだ」


 抱えたせいで、あたしから刺さったらしい。


 抱えられたまま周りは静かだった。何人かは地面に座り込んで惚けてあたし達を見上げてる。長く大きなアックスを振り、軽く構えて立つミア様は周囲に目を向けて誰が近づくことも許さないというように牽制している。


 久しぶりに見たミア様の顔は記憶に長らくあった一点の乱れもない花ではなかった。顔が半分焼け爛れ、残りの肌もツルツルだった髪も少し傷んだ姿、それでもなお眩しい堂々とした銀の目は周りを圧倒していた。前よりもずっと勇ましくて真っ直ぐな刃。


 ミア様の視線に言葉を飲み込みかけた将軍が思い出したように背を伸ばし剣をあたし達に突き向けた。ゆったりとそちらにミア様は顔を向けた。そちら側にいた誰もが息を呑んだ。あたしからは表情を伺うことは出来ない。


「誰に剣を向けている」


 静かな問いかけだったけど、騎士達の剣先は鈍り、何人かは下を向いて唇を噛んだ。


「剣を下ろすな、愚か者」


 城の上から王の声が朗々と響いた。


「それに甘い顔をしたとて何を生む。しっかりと見据えよ、それはこの王に背いた逆賊になりはてた者よ」


「お父様か」


 淡泊な顔で溜息をついて上を仰ぎ見たミア様が、返す。


「いいのか。私に剣を向ければ忠義の厚い長年の家臣とて今宵は斬らせていただくぞ。剣を向けるのならば仕合って殺すか、話を聞くかだ。何を生むか?それはそちらの譲歩しだいだ」


 国王は王の間から続くバルコニーから姿を現した。あのトキヤに裁断をくだしたのと同じような状態になった。あれよりもとても騒々しくて血生臭いけれど。


「自ら罰を受けに戻ったか、ミア」


「私が決め事を曲げた事がありましょうか?顔が醜く焼けてしまえば親子の情も消え失せたか。罰そうとしやる父の元へ誰が戻ろうと思いますか。親子の縁はとうに切れたものと捨て置けば良いものをいつまでも追ってくるから舞い戻って決着をつけに来て差し上げたのではないですか」


「私はどの子も育て方を間違えたようだな」


 屋根の上で悲鳴が聞こえたかと思えば、王子は屋根からバルコニーに飛び降りた。華麗に飛び降りて手すりに長い足をかけ、王子が下を見下ろす。王の間から屋根までの高さはかなりあるっていうのに、さすが武国の王子というか、彼も運動能力は普通じゃない。


「我が儘娘が、駆け落ちなんぞするから俺の人生計画が狂ったじゃないか。武芸でもなんでも好きにすればいいが、せめて城にこもってれば良いものを。平然と帰ってくるとは厚顔無恥も甚だしい奴だ」


「ああ、帰国されていたのか、お兄様。好き勝手に留学生活で羽を伸ばし放題だったそちらに言えた義理ではないな。人生計画が狂っただのと、どうせまたカクウに振られたんだろう。自分が落とせなかったからと妹のせいにするとは情けないお方だ」


 空気が凍る。


 緊迫感溢れるやりとりの横で、顔だけは真剣にトキヤがあたしに上を指さして確認した。


「あのミア似の兄ちゃんはあれか。俗に言う王子か」


「俗に言わなくても王子よ」


 間を置いてミア様は静かに怒気をはらんで口にした。


「カクウやナルナに何か手を出されぬかと遠ざかるふりをしながら国に潜むのには苦労したぞ。少し離れている間に手酷くやってくれたものだな」


「何処が手酷いものか!」


 屋根の上から大臣が真っ赤になって怒鳴る。


「この町の惨状、城の異臭、煙、全てどこの娘がやったと思われるのか!?そこの愚かしい魔女めがしでかした事だ!」


「素直になろうや、おっちゃん!」


 ミア様を押しのけてトキヤが胸をそらして見上げて指を突き上げる。


「この場を可及的速やかに収めたいってのに異論がある奴はいねえだろ?それとも俺やカクウをボコにしねえと気がすまねえか?推察するに俺はともかく王子様はカクウに気があるときた。そこで提案なんだが平和的かつ公平に」


 声が遠のく。


「俺と大博打をしようじゃないか、王子様」


 ああ、こんな時に気を失っている場合じゃないのに。


 抱きかかえられたあたしにトキヤが悪そうな顔で目を細めて笑う。


 いいの?


「話だけ聞いてやろう。なんの賭だ、愚民」


「あの王子、俺が嫌いなんか」


「かなり」


「OK。押し勝つ」


 ミア様の返答に嘆息をついて、余裕のある軽口でトキヤは指を鳴らす。


 うっすらとあった意識が、ブツリと切れた。





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