クシャトリヤ8





 大好きなのよ。


 ねえ、ミア様はあたしが怪我をすると初めてお目通しがかなった時に城下へ行くよう命じた事を謝りますけど、感謝してるんですよ。


 ねえ、何かあるたび友達なんだから当たり前だとトキヤは言うけど、あたしにはそうは思えないわ。だっていつでも差し出される手がこんなにも嬉しい。


 愛してるのよ、色街のみんなを。


 城下を守りたい。


 この国を良くしたい。


 笑っていて欲しいのよ。


 その笑顔がきっと、あたしの誇りになるから。










 単独でないといけないの。


 この騒ぎを起こしたテロリストはあたしでなければいけない。


 復興しなければいけない程に国の中心部を物理的に潰し、誰もがあたしの行動のみに注目してよそ見をさせず、誰しもが裏町やスラムを殲滅するなんて余裕のある思考をはせる事が出来ないようにしなければいけないのよ。


 西の魔女ではいけないの。ホクオウ家の生みし魔女、その名が必要だから。


 どうすれば良いの?


 言いたい言葉はそのまま出せなくて、このままではきっとうまくいかない。


 問題が3つある。第一にホクオウの私兵に、みんながあたしに助太刀しようとする姿を見られてしまった。第二に東の裏町の人間に協力態勢を得ていない状態で事が起こってる。第三には・・・一番いけないのは、きっと来てしまう。


 タツノ達にも誰にも作戦を伝えていない。あたしは城で暴れた後に『処分』されなければいけない。結末はそこでなくてはいけない。それなのにきっと助けに来てしまう。最悪な場合には国に真っ向から刃向かって仇をとりに行ってしまう。


 嫌ってくれていれば良かったのに。忘れてくれなければいけないのに。ここまで無茶をしたら作戦をどうやって修正すれば良いのか分からなくなってしまう。


「駄目・・・お願い、みんな戦っちゃ駄目。お願いっ、違うの!!みんな戦いを止っふぐん!?」


 後ろから口を押さえられて騒がしい通りから隠れ、屋根から引きづり下ろされる。腰を掴まれたまま目の前に服とも言えない布を着た酷く汚れた男達がいた。忘れかけていたっ!スラムの奴隷勢力の動きを完全に無視していた。


「なんしよん。止めてもうたら困るげに」


 体を無理矢理捻ると、にっこにこ笑うオルゴさんがいた。










 何かに集中していると重要な事なのに忘れてしまう事ってあるじゃない。2つの事を同時に出来ないっていうか、よくトキヤにはそういうとこが詰めが甘いんだって言われていたわけだけど。注意するべきだって分かってたはずなのに、ううん、認めるしかない。元から作戦に穴があった。


 あたしの作戦は、はっきりと誰も貴族に攻撃をしようとしない状態でなければ成り立たなかったのよ。この期に乗じて奴隷達が城に勇んで突撃しない理由が無い。そう、この部分は急いでいても用意しなきゃいけない部分だったのに。奴隷への危険視がされれば裏町に関わっている場合じゃないっていう洗脳は効かない。逆に始末しなければ復興作業に支障をきたすとばかりに、それこそ焼き払われる。


 後悔してもしょうがない。こうしてる間にもオルゴさん達はどこかにあたしを引きずっていくつもりらしいから。


 城にほど近い場所に穴があった。路地の路地の隙間にある木箱をどけると表れて、多分これ掘ったのね?その穴の中には下水と呼ぶには整えられた水路があった。だって、これ、きっと王族のための緊急脱出路よね?なんで奴隷がその道にあたりをつけられたの・・・。


 両脇に男の人が付いて、1人ずつがあたしの腕を掴む。物凄く細い道を横になってむりやり歩くから流れの速い水路に誰か落ちやしないか冷や冷やさせられた。途中で激しく崩れた場所に来るとオルゴさんは器用に瓦礫に飛び移って、あたしに手を伸ばした。


 左手を掴んでる人があたしの手をオルゴさんに渡す。


 力任せに引きずり上げられた場所は酷く不安定で、傾きかけたから思わずオルゴさんの腕にしがみつく。


「先に行くきに」


 向こう側に腰を抱き寄せられて飛び降りる。よくもまあ、こんな狭い所で器用に着地するものだなと思う。上がりそうな悲鳴に唇を噛み締めた。


「お願いだから止めて。ここからはあたしに任せて、貴方達はスラムに引き返して。貴族達が貴方達に手出ししないようにするためには、あたし1人が悪者でなければならない」

 
「傲慢な女じゃて。なしてそげな複雑なことばせんならん。カクウ程度の、しかも女如きが何を変えられよん。あの戦女の姫さんかて結局は負け者じゃて失せよん。オイラば貴族嫌いじゃて、1人でも死ねばよか思っちょるん。生温いカクウが手ば賛成せん。トキヤんがなしてあんたみたいなんを信用しちょったんか理解に苦しかよ。馬鹿男ば釣るにゃ確かによかが」


「男尊女卑」


「難しか言葉は分からんよて、レベル落としてんか」


「亭主関白」


「おまん、悪口言うとぉな」


 うまく口がきけないようじゃ、説得は到底無理だわ。なんて頑固なの。先入観とか差別意識が強くて何処ぞの大臣閣下と性質が似たり寄ったりね。やっぱり階級がどうのこうのって言うより、個人の性格よね、これって。


 話に耳を傾けてくれないのは苦手なタイプだわ。


 水路の途中で階段が表れる。上に向かって伸びる通路には灯りがある。火が点されてるって事は既に誰かが通ったって事で、奴隷が先に城に侵入してしまっている可能性が高い。作戦は完全に失敗に終わった。


「いんや」


 人懐っこい笑顔でオルゴさんは扉に手をかける。


「ただ突撃して勝てるとは思うちょらんけぇ、カクウが先鋒するんに。予定通り行って来んや?大人しく引きこもっちょったら良かがってん、そんなに参加ばしたいんにゃ、最後まで利用したる。邪魔ばさせん。せいぜい悲劇の主人公にでもなって来んや」


 背中を突き飛ばされて飛び出した先は、見知った廊下だった。


 扉を閉められて、膝と手をついたまま見回したのは王族のプライベートスペースにあたる区画。一番西の端に位置する部屋に目を向ける。なんでこんなに懐かしいんだろう。あそこの部屋主はもう遙か遠くにいる。


 ミア様の部屋。


 そして、1つ飛ばした部屋が陛下の部屋で、その隣が王妃様の部屋で・・・。


 ふと、無意識に飛ばした1つの部屋に目を戻す。長く使われていなかった部屋の前に飾られた異国風の飾り。記憶が微かに過ぎる。


 あの部屋にも入った事がある。


 他にも部屋はいくつもあるのよね。だって、1代につき何度も城を造り直すわけないんだから歴代の王が色んな部屋を使ったし、その子供がここの部屋を振り分けられてる。子供の数は時には多い。その中でも入った事があるということは部屋主に招かれたという意味になる。


「何処から入った!?小汚い娘めっ」


 あらぬ所から現れたから、扉が開いた瞬間を見ていなかったらしい。こういう厳重とは言い難いところがこの国の駄目な所よ。武力ばかりで押せると思って。


 手を絨毯から離すと、綺麗な一級調度品に汚れの手形がついた。笑える。


 抱きつきにいったら突き飛ばされるに違いない。病原菌扱いは必至・・・・・。


 両手を見下ろす。


 剣を構えた騎士達を見上げてみる。


 シワを刻んでいる厳格な顔が驚きに歪む。


「お前は閣下の息女であった・・・」


 剣先が降りたのを合図にあたしは剣を避けて騎士に抱きついた。そこは我が国の化け物と言われる騎士。動揺しながらもあたしの肩をかすめて貫いた。だけど、汚れ全開のあたしに体をなすりつけられて悲鳴をあげる。


 すぐにとって返して廊下の燭台を無事な右手で乱暴にひっくり返して全力疾走する。


 大慌てて追ってくる騎士、火を消しにかかる騎士で分散される。でも、抱きつかれた騎士が汚れに顔を歪ませて嫌悪して鎧を払うことに一心になる騎士を見てざまあみろと口に出る。


 トキヤはもう1つあたしに悪い癖を植え付けてくれた。裏町があたしの庭であったのと同時に城も熟知した地の利であるということ。つまり、裏町と同じように何処をどう行けば良いか、罠を張るには何処が最適かを昔から探ってしまってたのよね。裏町じゃないんだからとか思いながら、ここで追われるとしたら、窓を突き破って国旗を掲げるポールで下に滑り落ちれば。


「なっ!!」


 窓ガラスが全身に刺さる。


 白いポールに体当たりでつかまると、破片がいくつも体に深く潜り込む。痛いのなんて知ったこっちゃないわ。


 大きな破片だけを走りながら引き抜く。


 騒ぎを聞きつけて別の場所から騎士が遠目に、こちらを指さすのを確認する。


 来なさい。


「止まれ!くっ、何をしてる!誰かあの小娘を打ち止めないか!?」


 勢い余って壁にぶつかりながら、手に届く範囲の城を照らす盛大な燭台を次々にひっくり返しながら突っ走っている。すれ違う騎士はいずれも剣を構えるよりも火に気を取られる。それはそうでしょうとも!前から想っていたものの1つ。一般家庭よりも大きくご立派な燭台は一度ひっくり返せば中にある純粋で良質な大量の油で火事になれば大惨事ってね。


「しかし火が!?」


 大きな通りに狙い通り芸術をこらした大きな灯籠が目に入る。天井が吹き抜けになって陽炎を立ち上らせていた。夜になれば灯される火は派手な煙突になってくれること請け合いだと思っていたのよ。


「さあ、魔女が大魔術を見せてあげるわ。逃げ惑いなさい!」


 灯籠は吹き抜けに吊され花開くように炎の花で部屋を照らす。大きなこの芸術品は軒下に飾る吊し花瓶と変わらない構造だもの。絡み合うように鎖で繋がれた灯籠に仕掛けをするため柱に手をかけて登っていく。


「壁を登っていくだとっ」


「なんて女だっ!?」


「弓を」


「城内に弓兵なんかいるわけないだろう!」


 右手が滑る。


「あっ」


「カクウ様っ」


 壁に爪を立ててなんとかしがみつく。落ちかけたあたしは冷や汗をかきながらも下を見下ろした。どうも紳士な騎士がいるわね。高い位置から手を滑らせたとはいえ、とっさに、か。


 口元に手をやって息を詰まらせた騎士に、目を丸くして他の騎士や兵士が目を向ける。奴隷に落ちたあたしを間違っても敬称で呼んでしまったのだから。今の立場は完全に賊とか反逆者とかそういう類なのよ。


 もう壁を行くのは限界だわ。得意なものでもない。


 全身で壁を跳ね上がって灯籠を吊す鎖にとびつ・・・・っ!!


「熱っ!!」


 とっさに手を離しかけたけど脂汗を落とすだけで体はなんとか保つ。皮膚が熱した鉄で煙りをあげる。


「あっ、ぐ、うああっ」


「なん!?早く手を、もうそんなマネはっ」


「なんて娘だ・・・」


「観念しろ!降りてこい!!」


 地獄の業火を巻き上げて揺らめく炎は近い。下に波打ってるのは求める惨事の種。


 激しく揺れる鎖に体全体でしがみつく。下で何か言ってるけど何も聞こえない。めまいで世界が揺れる。だけど、ここで燃え尽きるのにはまだ早い。まだ揺れる鎖の上で立ち上がると薄っぺらい靴の底が溶ける匂いに取って代わる。上の階に繋がる廊下に綱渡りで辿り着く頃には底は完全に溶けていた。もう足の裏と靴の感覚が分からなくなってる。


 廊下を飛び越え、壁に飾られる鎧騎士の手からレリーフの剣を引き抜く。手が引きつって握った感覚が分からない。もう感覚が麻痺しちゃったのかな。脆いものね。


 廊下から再び鎖に飛び降りる。正直、力が抜けかけたけど気力でカバーする。まだまだまだまだだよ。


 うっすら笑って鎖の穴に剣を突き立てて、柄を踏み台にして廊下に再度飛び移る。ガチリと硬質な音がしたけど、まだ鎖は壊れない。下で何をしようとしているか悟ったらしい騎士達が悲鳴をあげて2階のあたしに向かって駆け出す。手すりに腰をかけてガンガンガンガン蹴り続けていくと、どんどん鎖がねじれていく。


 剣と鎖が呆気ない音を立てて崩れる。振り子のように急に離れていく灯籠。蹴った勢いと的を失った弾みで空中に放り出されかける。もうホールに人影は無い。


 不味い、このままじゃ。


 手すりに残っていた手が捻切られる衝撃。


 炎の音を聞いた。


 油が広がり広い廊下のホール全体が筒状の吹き抜けを火の川の如く駆け上がっていく。熱気に息を呑む。その火の川にさらわれずに客観的に見ている。


 廊下に引き戻された。


 息が苦しい。


 喉が焼ける。


 朦朧としそうな意識の中、見上げた。手をつかみ廊下に引き入れたディズ少佐は更に体を抱き上げて通路に飛び込み駆ける。


「何をやっていらっしゃられるのですか。しかも、この騒ぎは・・・いや、まずはその全身の傷です。何処の戦国武将ですか、そのお姿は」


「お離し下さい」


 喉がヒリヒリとして掠れているのに驚く。ああ、なんか喉が痛い。なるほどね、火に焼かれたんだわ。


 1つ痛みを感じると全身が急に痛み出してきて、不味いわ。まだこんな悠長なものに浸ってる場合じゃないのよ。痛みを忘れて無我夢中で、まだ走らなければいけない。まだ足りない。


「いたぞ!少佐、さすがです。後は私が引っ立て」


 駆け上がってきた騎士が目前に現れる。手を伸ばされて、はあ、逃げないと。


 少佐の胸を押すけど腕は力強くて、手に力が入らない。捕まった・・・まだ、まだ、まだ、駄目よ!!


「離しなさいよ!!」


 乾いた音で騎士の手を払いのけると、逆上して顔を真っ赤にした騎士が手を振り上げる。


「このっ、テロリストめが」


 勢いよく壁に叩き付けられる。ヒビが丈夫な壁に天井近くまではいって石屑が床に散る。倒れたのは騎士だった。


「手当をしている間はありませんね。コルコットは何処に行っているのか。少し息をひそめておいでください。身を隠す場所を一時のみ」


 少佐は片手を振って、騎士が来たのと別の道を行き部屋に入る。


「さて」


 体を下ろされ、肩に手を伸ばされる。


「どういう事かご説明頂けますか。先だっての仮面舞踏会への侵入、城下での暴動の誘発、城への放火騒ぎと全て貴方のお考えとお見受け致しますが、これではまるで本当にテロリストです。一体、何があったというのですか」


 肩に添えられた大きな手の平が離れると息が詰まる痛みで震えが走る。その手には鋭いガラスの破片が血を滴らせていた。


 敵か、味方か。


 ナルナとのやりとりは記憶に新しい。話し合いが決裂して、なんとかなるタイプの敵じゃないわ。騎士は集団ではなく個々が化け物だもの。


 大きく息を吸って視線を合わせる。


「味方になっていただけますか」


「無条件で了解したいところですが、私は騎士であり国に忠誠を誓う男。つまらぬ戯言で貴方を惑わす事もしたくはありませんので正直に申しましょう。全面協力は出来ません。だからこそ貴方にコルコットを残しておいたのに、あれを何処に行かせました。あれは私とは違う。自分から離れるはずがない」


「誠実なお応え感謝痛み入ります。ですが事は内密にすまさなければなりません。何も聞かずお目こぼししていただけるだけで良い。その優しさを一欠片賜りたいのです」


「無茶が通る場所では無い。現にすぐに見つかる事でしょう。自首なさってくだされば私が一計仕掛けてご覧に入れます。何をしようとしたのか理解出来ませんが、貴方のする事に間違いは無いのでしょう。ですが、もうそのお体では無理です。一度罪人として身を預けて」


 しっかりと見つめたはずの視線が揺れる。


「間違いが無い?」


 深い付き合いの無い少佐に言われた言葉が引っかかった。そう揺るぎなく信じる心の辿る先にある何かに、頭の何処かで感づいた。


 言葉を一端飲み込んで少佐のしかめられた顔に苦笑が漏れる。


「無いのでしょう。ミア姫はよく私に言い含めておられた。貴方は聡明で優しく母性的なのだと。誰よりも気高く、この国を変える柱となる。誰よりも国を憂えている。不真面目なご自分よりはカクウ様の方がよく考えて他人のために走るのだと。だから、誠心誠意仕えるように、と」


 笑みが漏れる。


 不意打ちだったんだもの。


「ディズ少佐。それはミア様の贔屓目ですわ。ご覧の通りの情けない有様で、成功した結果も未来を変えるとは言い難い時間稼ぎです」


 目先の物をそらせるだけ。臭い物に蓋しようとした貴族達を自分達の事で手一杯にしようとしただけ。少し時が経って余裕が出来れば再び実行に移されるかもしれない。ううん、するわ。その間に何かが変わるかもしれないっていう他人任せの願いを込めた時間稼ぎ。


 そう、たかが時間稼ぎなのよ。こんな小さな事なんかに失敗してどうするんだか。ミア様の期待を裏切るにしても傷は浅くしたいものだわ。


「でも、そう聞いて失敗は出来ませんね」


 立ち上がると、気持ちと裏腹に腕も足も中身が抜けていく感覚だった。血を流しすぎたのね。


 膝をついて目線を合わせていた少佐を見下ろす形になる。それでも体格が大きいな。トキヤも背が高かったけど、やっぱり鍛え方が違うのかな。


「全面的な協力は必要ありません。2つだけお願いを聞いて下さい。内密でないと作戦が成り立たないので聞き出すのを諦める事、奴隷達を秘密裏にスラムへ追い返す事を」


「奴隷?」


「傷、つけないでというのは難しいでしょうが誰1人城に侵入させず、こっそりスラムに帰れるようにしてあげて欲しいんです」


 水路にいるオルゴさん達が見つかれば、敵視される対象が広がりをみせるかもしれない。それに万が一にも勝てる事は無いこの戦いで死なせてしまう。暗い目をした子供達を思い出す。あの子達を諦めては駄目よ、オルゴさん。まだ、貴方が必要なの。


「何をしようと言うのですか。助かる道なら私がもっと確実な物を持っています。騎士とはいえ策を弄する事も不得手とはしていません。少し任せていただきさえすれば」


「あたし1人が助かるのでは意味が無いんです。だからお願いです」


 詳しくオルゴさん達の事情を話すと、難しい顔で口を開きかけた少佐を割ってはいってドアのとってが動く。


 騎士の詰問しながら部屋に入ろうとした体を少佐は遮って外へ押し出した。


「なんだ。この部屋には俺しかいない。それより急いで火を消さなければ城が全焼など洒落にならんぞ。火消し粉が何処かにあったと思ったがここじゃなかった。お前は一体何をしてる!」


「はっ・・・、しかし少佐、侵入者があのホクオウの」


「構っている場合か。小娘1人騎士が何人必要だと言う。火を侮るな!!」


 扉の外に少佐は体を押しやり、後ろ手で扉を閉める。微かに振り返った目は苦しげに細められて扉で遮られ、靴音が遠ざかる。










 火は想像以上に燃え広がった。


 人手もかなりそこに集中したしね。


 あそこは武器庫に続く階段の側でもあったから、万が一にでも火が降れば爆発はあたしが使ってきた爆弾とは比べようもない被害になる。地味に城の壁という壁に飾られた高級な物を引っ繰り返したり破壊活動に励みながら再び上に向かっていく。徹底的に破壊したいのは3階。


 城の重要機密や書類が集まるのは重役御用達の3階だから、ここで何かあれば国のシステムを一時的にストップさせられる。上の人間なら誰も彼もが卒倒もの。


 そう、あたしはやった。


「何事だ!!」


「廊下がぁ」


「あそこだ、それ以上の狼藉を許すな!?」


「賊の人数は」


「ホクオウの例の娘1人です!」


「たった・・・・・・魔女めっ」


 爆弾はもう無い。


 火攻めでは消化活動が間に合わず、本当に城を全壊させてしまうかもしれない。


 誰かを死に至らしめたいんじゃないもの。妥当なのは質の悪い悪戯。階段から廊下、部屋の全ての絨毯を巻き取って窓から放り出した。それをなんとか留めたとしても、あんなに重量感のある長い織物だから、さすがの騎士も窓から一緒に放り出されかける。


 まさかひ弱なあたしにその絨毯を捲りあげて窓からポイなんて出来ないから、そこはもちろん仕掛けを施した。絨毯に穴を開けてその辺りにある飾りと繋げて、飾りを重しに外へ捨てる。その重しにどんどん物を繋げたり、壺の中に物を放り込んでいけば、耐えきれなくなった絨毯が一気に窓の外へ吸い込まれる。


 それを引き上げるのは非常に努力を要する。引き上げられたところで敷き直すのには更に手間がかかり、その間に事は為せる。何階であっても広い城の中では随所に掃除用具が仕舞われる部屋がある。メイドのまねごとをしていたあたしには、それが何処にあるかよぉく知ってる。


 灯りを消しながら走り、床に乳白色の液体をばらまく。


 床が晒された廊下の至る所で、階段で叫び声が聞こえて転んだり滑ったり。狙い通りにいってくれた。兵士はさすがに対処法を知っているけど、厄介な騎士は、貴族はこんな体験なくて困惑するでしょう。大掃除に使う潤滑油は非常に滑る。


 掃除用具部屋を見つけては大量に廊下や壁にばらまき歩くと、さすがに兵士も対処出来なくなってくる。もし、彼らを殺したいのなら簡単だわ。そこのロウソクを床に放り投げるだけで勢いよく炎は彼らを飲み込む。


 滑って前に進めずにいる彼らの前で重要な書類があるだろう、重役の仕事部屋に潤滑油を放り込んで燭台を放り込めば壁中を焼き始める。


 これで、油まみれの自分達の立場を理解してくれたらしくて焦り出す。それにいくら炎に巻かれていても将軍の部屋が焼かれていては火を消すのに手は取られる。これでいくらか時間が稼げるわね。


 ちょっと心配になってきた。


 少し炎を使い過ぎている。これじゃ、城が落ちてもおかしくない・・・・・。


 いや、あたし1人でこの城が落ちるわけないけど。そうよ、なんとかするわよね。


「恐ろしい人だ」


 行く手を阻む騎士に、立ち止まり、手に持った潤滑油を構えると布が投げつけられる。手持ちの油が無くなって絡みついた布を横にはねつけるとマントを外した見知った騎士が剣を構えていた。ゴキ准将。若手の中で一番の出世頭で、唯一の将軍格。


 下手に古参の英雄達を相手にするよりピンチだわ。


「城をここまで混乱させる手管。ミア姫がいなくなって久しい我々に、カクウ様の裏切りがどれほど酷薄に映るか貴方は分かっていない」


「動揺してくれたのですか。特によくしていただいていたゴキ准将には申し訳なく思っていますわ。ですが、そこまで思っていてくださるとは考えていませんでしたね。裏切るだなんて、追放された女には不適当な申しようでしてよ」


「戻ってこられると私は信じておりましたゆえ」


 そんな馬鹿な話は無いわ。大臣閣下に頭を下げて家に復縁を申し出るなんてまっぴらゴメンだわよ。


 薄ら笑いで心の声を飲み込む。


「剣をおろしてくださいな。とても恐ろしいわ」


「では降伏してくださりますか。貴方を慕う騎士も未だ多くいるというのに、彼らにカクウ様を捕まえるようなマネはさせたくありません」


「慕うだなんて、あたしタダのお姫様の背景でございますので恐れ多いですわ」


 暢気な会話をしながらも相手の隙をうかがい合う。そうは言っても隙をうかがってるのはあたしだけで、准将からすればいつでも一突きであたしなんて仕留められるんだろうけど。実直で義理堅いけど甘さの無い騎士。ディズ少佐のようにはいかない。


 喋っている間に追っ手は近づいている。見失ったあたしを探す声はもう近くに迫ってきていたから。もう獲物が逃げられないと思っているわね?


 その油断が命取りだ。


 壁に後ずさりするように寄っていく。後少し、もう少し。


「何をなさるおつもりか。それ以上の抵抗はお止めください。壁に手を伸ばせば乱暴せざるおえませんよ」


 手を持ち上げかけて留まる。


 鋭い目に油断は無かったらしい。


「薄暗闇で、よくお見えになりましたね」


 ここある隠し通路は、ミア様に教えて貰った特別な道だ。まさか騎士が知っているなんて。


「何があるのか存じません。ただ、貴方を敵に回したときに侮るのは危険。何かしようとしていると思って構えておいて損は無い。時々、とんでもないことをしますからね」


 どうしよう。


 笑みを浮かべてはったりをかましながら脂汗が流れ続ける。


 ここらで終わりにする?そこそこは暴れられたはずだし、ゴキ准将の家柄ならば迷惑をかけて禍根を残すことが出来ればホクオウ家と争わせるだけの効力が期待出来るかもしれない。でも彼はあまり根を持つ方でも無い。捕まるにしてももっと観客が欲しい。


 彼だと静かに、あたしの面目が少しでも保たれるようなマネをしでかしてくれそうだ。あたしは魔女でなくてはいけない。


 降伏、するもんですか。


 まだいけるでしょう?


 思い切って隠し通路に飛び込む。すぐさま腕が伸びてきて、通路の入り口を塞ぐ間もなく後ろにゴキ准将が迫る。2手に分かれている埃まみれの道へ行く。よく通ったのは王族のプライベートスペースに繋がってる。そこじゃ元に戻ってしまう。


 狭い道が少しあたしに有利に働いた。かなり体格の良い准将が少し手間取った隙に通路から飛び出した。


 他よりいっそう煌びやかな光に目を細める。


 滅多に訪れたことのない部屋に、そこは通じていた。


 すぐさま追いついた准将に後ろ手を捕まれて突き出された舞台は、椅子がすぐ側に配置されていて王と王妃が座っていた。その間から見下ろした場所には騎士が並び大臣閣下が跪いていた。そして、その横から歩いてきたのは砂色の髪の綺麗な男だった。王族と警備にあたる選ばれた騎士以外がその壇上に上がることは許されない。


 正装したその男はいつもの表情を消して顔をしかめてはいたけど、周りの騒然とした様子を物ともせずにカクウの前に立った。


「派手にやっているとは思ってたが、なんだその醜い傷は」


 記憶が何故抜け落ちていたのか、分からない。


 現王の子はミア様だけじゃない。そう、もう1人いた。それも第一王位継承者で面識だってあったのに。ミア様より色が黄味がかった白さの髪と瞳、特徴的な細いめの猫目、面差しが幼かった頃とようやく一致した。


「ラット王子、様」


「やっと思い出したか、俺の花嫁」


 ミア様には兄がいた。たっての希望で諸国に長年留学しているらしいことを誰かから聞いていたような・・・俺の花嫁?


 思わず父に目を向けたけど、目を剥いて気絶しそうなぐらい真っ青になっていた。


 王子様。


 なるほど、うちの国には王子もいたんだっけ。


 『国の誰もが彼を咎められない』そりゃそうだわ。次期国王じゃない。それも他に王位継承者となると血筋がかなり遠のいて末広がりになる。それこそ、あたしもその末に入るぐらいのレベルでよ。


 やっぱり、この人の正体が水を差す位置にあった。複雑な話しに持って行かれるわけにはいかないっていうのに。




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