クシャトリヤ 7





 オルゴさんの居場所を知る術が浮かばずとも一手目は色街へ。どれだけ疎まれようと、あたしにとって少しの変化でも即座に気づけるのはここ、だけだから。少しでも何かわかればいいのに。


 先手を打つにも、後手で手を回そうにも情報が要だというのに忌々しい位、あたしには情報がいつも絶対的に不利。こういう時にちゃっかりした耳聡いトキヤがいないのが痛い。いざ動こうという時になって、ああ、あれを聞き出していれば。こちらにも気を回していれば、なんて。


 いつもなら、そうやって困るあたしに、いつ聞き出したんだってぐらい情報を、あっさり横からトキヤが・・・。


『近くにいないトキヤに助けを乞うのはやめて俺を呼ぶよう』


 ナルナを振り返りかけて、苦笑いして首を振る。得意分野の違う彼に同じ方法で助けを求めるのはナンセンス。彼には別の得意分野で助けを乞おう。


 色街は果てしなくいつも通りの空気を漂わせてる。当たり前ながら思惑は全て闇の中で動いている。軍の掃討作戦に奴隷達の一揆。何を知るわけでもなくみんなはいつも通りの一日を始めようとしているんだ。トキヤがいなくなってから、とても静かで不穏な一日を。


 ろくに性格を知るわけでもないオルゴさんの動きを読むのは難しい。その上に彼は元々奴隷らの組織に属してるわけでもないらしかった。城の連中の方針を知った上で発破をかけたのは彼だろうけど。だいたい止めた後にどうやって彼らの安全を保証できるだろう?問題を解決する前に増えていく。なんて世の中。


 もどかしい。


 無限にわく可能性と確率にかけるしかないなんて。


 出てくる時にゾッとする程に閑散としたスラム。コミュニティなんて言葉がないこの国の奴隷があそこまで一致団結出来るなんて、城の人間は予想したかしら。あたしにだって想像出来やしなかった。みんなの言う通り、所詮あたしも貴族生まれってわけね。


 一番穏便に事をすますには事前に説得すること。このまま運に任せて出会える事を祈るなんて不確かな方法取りたくない。ねえ、トキヤ。あんたならどうするのよ。


 振り返る顔はいつも通り、すました無表情のナルナでトキヤじゃない。存外あたしもしつこく諦めが悪い。ほら、ナルナがいぶかしがってるもの。何も無いのよ、ごめんなさい。


 ふと、オルゴさんとナルナのやりとりを思い返す。なんだか知り合いのような素振りだった。基本的に黙ってついてきてくれるのが彼なわけだけど、関係をはっきりさせないと気持ちが悪い。奴隷のオルゴさんと元スラム生まれの彼なのだから接点が無いわけでもない。なんでもいいから糸口をくれないかしら。


「あれは俺の知り合いではない。極短い間だが裏でミアが個人的に雇っていた盗賊だ。ある罪で投獄されたがミアが恩赦を出してこき使っていた」


 あたしはたまにミア様の人選が分からない。なんの罪で投獄されていたのか分からないけど盗賊をお姫様が雇う発想は何処から生まれたのだろう。なんで彼を選んだのか。


 分かったのは彼がまるっきり話が通じないわけでもなさそうだって事だけ・・・。ううん、子供を養ってたのを考慮にいれても他の奴隷より心に余裕があって、あの子達のために罪を重ねて、それに誇りをもつ扱いにくそうなタイプだ。説得出来る確率は低い。


 もうそろそろ日が沈み夕闇が落ちる。


 色街の出口で一度立ち止まる。広い通りの向こうには強固な城がそびえ立っていて、これに喧嘩を売るのかと思うと頭が痛い。戦うより逃げる方が生き残る確率は高い。誇りなど捨てて奴隷らは逃げるべきだった。力を合わせて。


 それでも、国にいる限り関所や山狩りで殺される可能性は、ダスク達に言った通り高い。義賊になれば国の後の憂いになるならやるだろう、大臣閣下なら。


 考えをまとめなきゃ。


「彼らを止めるのが無理だとすれば、軍の注意を絶対的にそらせる何かが必要になるわ」


 戦が始まるまで、ただ待つ。そんな後手に回って生き残れるのはほんのわずかな人達だ。軍側の狙いはなんて言っても町の北側全てのせん滅。ああ、途方も無いったら。しかも、企みは分かっても日取り・規模・作戦、どう動くか分からない。


「俺が城の中で暴れるか?」


 苦笑して振り返る。


 欲張ればリスクは高くなる。失敗する確率だ。それでも、こればかりは妥協出来ない。粗雑で確実性に欠ける計算が無い、これはもう喧嘩に近い。喧嘩で受け身である必要は、そう、無いのよ。


 そういう意味ではナルナの意見もありなんだろうけど。


 馬鹿馬鹿しい子供のような行き当たりばったりの綱渡りは、トキヤの専売特許だったけど。


 じゃあ、あたしの専売特許は?


『時に、目的のためなら手段を選ばない発想と実行力、だな』


 いつか聞いたトキヤの声に耳を傾けながら、心を静かに切り替える。





 




 火事が起こるとき、密集して建てられた木造の建物ときたらよく燃える。西の裏町では一件燃えればそれは他人事じゃない。鐘鈴が鳴り響き、それを聞けば誰もが家から飛び出し持てる全ての桶でもって井戸から瓶から水を持って水を浴びせるの。槌を持った火消しが家を叩き壊して移り火を止め。


 吊るした鐘鈴を叩きながら世界の果てまで響かせる気概で叫べば祭りは始まる。


 南の普通平民住宅地区の火消し法は違っても、この音が示す意味は同じ。つまり人を緊迫させる効果ぐらいあるわ。


 北ではなく、あたしは南の平民地区の屋根の上で平穏を切り裂く鐘を鳴らした。日は落ちて完全に町を夕日が染め切っている。屋根の下で指さす野次馬達。夕食を作り仕事から帰宅する安らぎのひと時になんて迷惑な気違いだと非難が聞こえてくる。


 とてつもない迷惑は承知の上だけど顧みない。関係が無い貴方達の立場、利用させてもらうわ。


 傾向とパターンっていうものがある。何か事件があった時、喧嘩をする時、問題が発生した時、色んな始まり方があったが、昔からトキヤの周りはそういうものが多かった。それはそういう星の元に生まれた宿命だとかいう理由だったろうか?違うわよね。性格の問題だったはずよ。あいつが迎え撃ったり首を突っ込むから無関係のはずの他人の分にまで自分から関わるからそうなるのよ。


 でも、そう。たくさんのトラブルを経験したから分かる事がある。成功した例と失敗した例を比べれば何が決定的に違うか分かる。絶対では無いけれど、やはり奇襲はされる方よりする方が有利なのよ。横からトラブルに首を突っ込む関係無いはずのイレギュラーはリベラルだから常に伏兵となりえる。


 そう、あたし達はいつも因習に囚われないからこそ無敵だった。


 主導権を誰かに渡すから可能性が広がる。選択肢さえ相手から奪ってしまえば反応を読み勝てば良い。悩まず昔通りやれば良いのよ。どうすれば意表をつけるか、それが常套手段、つまり基礎。武力戦であたしがどれだけ対抗出来るか勝率は考えないでおこう。


 足に鐘鈴を打つ縄を結びつけてガンガンに打ち鳴らし続けながら、人の家に勝手に組み立てた簡易式砲台に手作りダイナマイトに火をつけて置いて発射させるゴムを腕が伸ばせるギリギリまで引き延ばす。


 これであたしは誰から見てもどう言い訳しても完璧なテロリストの仲間入りだ。悪名高いリリス・ディズに並ぶ名を残す。


 ゴムから手を離せば。


「いいえ、本望よ」


 風を切り裂いて爆弾が空に飛んだ。もう1つダイナマイトを発射台にしかけて城に目掛けて更に放つ。弧を描く爆弾を目で追いながら、1つ目が城壁の辺りで爆発して爆風が髪をソヨリと撫で、2つ目を空高く飛ばして庭先で爆発した。派手さを求めて子供が作った威嚇弾は怪我をさせても人を殺す事は出来ない。炭鉱で使う本格的な物じゃないからね。


 直撃でもしたら別だろうけど。


 タツノは器用だから昔から物を作らせると素晴らしい腕前を披露してくれる。子供の時分にはなんて物騒で末恐ろしいと思っていたけど、その才能に今は感謝するよ。子供の頃に秘密基地とか言っていた実質武器庫と何も変わらない物騒だった場所をまだ処分していなかったのも結果的には助かった。思い返してみれば、本当にとことん危ない子供達だったのね、あたし達って。


 ここからじゃ城での騒ぎ具合は図れないけど、飛んできた方向はちゃんと目撃したかしら。


 あちらには本物の砲台があるわけだけど、さすがに国民の住宅地に向かっては放てないでしょ。これ以上やれば保身のためにやり返されかねない。砲台を崩して屋根から屋根に飛び移る。地上は大混乱。その辺りから拝借した洗濯縄を肩にかけて次の鐘鈴まで走る。


 家の間を跳んで広い道の間はロケット爆弾で洗濯縄を飛ばして綱渡りで駆けた。久しぶりでも体が覚えてる。あたしは一体どこの曲芸師だ。こんなことを仕込むだけ仕込んでくれたトキヤにパンチで応えたい。


「さあ、来なさい」


 到る所であたしを指さし叫ぶ住民。悲鳴が聞こえ、城に恐怖と好奇心で目を向ける平民。あたしは出来るだけ騒ぎ立てる『鐘のような彼ら』を煽るために誰もいない場所に向かって小型爆弾を道々落としまくる。小さなボヤ騒ぎに、人の将棋倒し、騒ぎが起きれば喧嘩も起きる。


 段々あたしとは無関係な場所で、別の問題が勝手に広がっていく。


 市場の上に来れば牛を売っている場所を見つける。口元が笑う。常々、彼らが暴れれば大混乱は避けられないだろうと思っていたのよね。爆竹をありったけ牛の囲いに放り投げる。物凄い破裂音で余すことなく牛の集団が囲いに激突して道に走り出る。辺りが騒然の悲鳴合唱。思い思いの方角へ走っていく牛さん達を見送って、あたしも屋根を駆ける。


 こうなってくれば、屋根の上を走るあたしに目を向けている余裕のある住民は減ってきて、火事を知らせる別の鐘鈴まで辿り着けば、次はそこで鐘を打ち鳴らして再び注目を集める。


「あそこだ!!」


 4人の保安監察官だ。当然、町に常時待機している彼らがまずあたしを発見する。自然に口元に笑みが浮かぶ。


 下で騒ぐ彼らを無視して鐘で人の流れを操る。いつもと違う気違いな空気が屋内から人を誘き出す。観客は多ければ多い程に良い!


 周りを見回して屋根に登りだした保安監察官達が屋根に足をかけて1階の屋根に4人目が登り切り、1人があたしのいる2階の屋根に手をかけたのを確認して再び屋根から別の家へ跳ぶ。1人器用な人が素早く屋根を駆けて迫る。


 洗濯縄を再びロケット爆弾で飛ばして綱渡りで別の区画へ逃走する。綱を渡るあたしに目を丸くはするが、すぐに冷静になって保安監察官は剣を抜いた。


 綱を切られる!


 素早く身をかがめて縄にソレ用の釘を突き刺し、その釘用に作られた丸い鞘をかぶせた。太い張りつめた物が波打って揺れ、体が宙を浮く。


 両手で縄に繋げた取っ手を掴み、弧を描いて壁に落ちていく。縄を手繰って上に跳び、そして背中を向けて体を丸める。


 甲高いガラスの破壊音と熱い痛みが背中に突き刺さる。


 ジャラリと部屋の中でガラスを踏みしめ、見回しても誰もいない。思惑通り誰もが家の中から外へ誘い出されたんだもの。火事の時に2階で安穏としてる馬鹿はいない。火が近ければ回るのは一瞬だ。


 逆の窓から別の窓に椅子を投げる。


 隣の家に飛び移ってまた別の窓から地上へ飛び降りる。更には飛び降りる前に拝借した服に早着替えする。貧民から平民にチェンジして人混みに紛れる。帽子を被れば平凡なあたしの容姿に気づく者はいない。


 低い態勢で人混みを縫えば保安監察官が、あたしが抜け出した家の方角へ走って行くのにすれ違う。そのままあたしは色街に向かって駆ける。貴族の住宅区で盛大な火柱が上がる。宝石で包まれた煙突状の立派な時計塔が巨大なロウソクと化して。


 貴族の住宅区の中心には宝石の散りばめられた時計塔がある。


 税の尽くされた目に痛い塔だ。上品で芸術的なそれはこの戦いで失われるに相応しい。


 あたしのノルマは後3カ所。


「そこまででご勘弁いただきましょうか、カクウ様」


 人混みの中で、突然名指しされて顔をあげかけた。けれどすぐさま身を沈めて人の間を縫って駆け出す。人をかきわけるのと、後ろから追ってくる大きな圧迫感を感じるのとで足が震える。


 名前がばれている、ということは騎士だわ。でも騎士が来るのが早すぎる。垣間見えた白い服に後ろから突き飛ばされた人達の悲鳴。


 でもまだ1人。


 道の端に辿り着いたら壁を蹴って塀の上に飛び上がる。背の高い中年騎士があたしの足首を掴もうとする前に一息つかず屋根に飛び上がる。手をからぶらせた騎士の驚いた顔と目が合う。男勝りの身のこなしはミア様の専売特許だとでも思った?その通りだけど、あたしだってこれくらいは出来る。


 舌打ちして塀に手をついて、年の割に軽やかな身のこなしで屋根に手をかける。あたしは上の方の屋根瓦3枚のくっつきが甘くなってる部分をひっぺがえしてその場でジャンプする。何をしてるか騎士は分かってない。


 足先を差し込むように瓦に体重をかけて蹴り込むと、ガシャリと瓦がはがれて滑り落ちる。そのままあたしの体も屋根を滑っていく。瓦もどんどんはがれて滑り落ちていく。騎士に向かって。


「んな!?」


 塀から飛び退いた騎士はさすがに反射神経が良い。


 あたしは雪崩れのように流れる瓦が屋根の縁でそのまま落下するのを許さず、更に両足で上に蹴り上げて屋根にしがみつく。堅い瓦だから足に衝撃がいくつも当たって痛みが走る。瓦は雪崩から津波に変わる。


 焦りを持った騎士が剣を抜いて住民が引き、瓦が騎士に降り注ぐ。


 結果を見ずにすぐ逃げた。


 裏町じゃ子供の常套手段でも、剣での打ち合いが常の騎士じゃ対処の仕方が分からないでしょ。何度も使える手じゃないけど。


 それにしても人混みからあたしをすぐさま特定するなんて・・・顔を隠してたのに騎士を甘く見過ぎているのかしら。


 ふと、視界の隅に見えるガーゼに気づいてひっぺ返す。そういえば包帯やらガーゼで結構な目立つ出で立ちをしているんだったわね。馬のいななきと騎士の怒号をバックに再び路地に飛び降りながら、はずせるものを全て捨てていく。爆発物の弾切れになったバックもね。


 人混みは避ける。道すがら十分に暴れてきた。牛が家を吹っ飛ばしたとか、馬車を吹っ飛ばしたとか、大乱闘が起きているだとか、泥棒ー!とか騒ぎが騒ぎを誘発してくれている。騎士達が駆けつけているのも大きな声が知らせてくれる。


 だけど、やっぱり貴族街の時計塔に続いてあらゆる方角から火柱が吹き出る圧巻の風景が人目を引く。路地をくぐり抜けて色街に突入すると、呆気にとられて南東を見上げる人の視線。


 だけど、さすがにあたしが走るとその視線が向かってくる。姿も乱れてるし、何かと最近の騒ぎの中心だったもの。騎士が追ってきたら間違いなく正確な道順で追われてしまう。南と違って顔が知れ過ぎている。手際の良さが成功の是非を握る。


 見慣れた路地を曲がり木箱を階段みたいに跳び上がり、屋根を越えて別の道に着地する。道に慣れない追ってなら、これで少しは迷わされる。


「カクウ!」


 着地した地点で名前を呼ばれて前を見れば、カンノ君とジダがいた。チクリと思い出したように顔に痛みが走って片手で押さえ、自然に胃を握りしめるように逆の手がいく。だけど、萎縮しかけた体を激しい爆発音と火柱が正気に戻してくれる。


 あたしは彼らの塞ぐ道に目を細めて再び駆け抜ける。


「待てよっ」


 横をすり抜けて行こうとした腕を誰かが捕まえる。振り返ればジダが苦い物を噛み潰した顔をして右手を掴んでいた。思いきりビクンと体が震えたけれど、なんとか彼らを見返せた。絡まれている時間は無い。


「離して」


 出来るだけ低い声で静かに告げて手を引くと、簡単に手はすり抜けられた。ジダが口を開きかけて口をつぐむ。カンノ君が代わりにヘラリと笑って腰に手を当てる。


「お・・・面白そうなことやってんじゃん」


 地面に視線をそらし、カンノ君は目を合わせないまま絞りだすように小さな声で思ってもみない言葉を発した。


「・・・手伝おうか?」


 返す言葉が見つからず見つめてしまう。長い時間じゃなかったと思うけど、ジダが早口に言葉を繋ぐ。


「貴族の考えなんてしったこっちゃないけどっ、なんかこうっ、俺達も税金ふんだくるだけで裏町を踏みつけにしてやがる国にひと泡吹かせられそうやん!なんかすげー騒ぎになってるし、火柱上がってるし、こんな大がかりな事するなんて・・・・・何やってんだよ・・・・・」


 最後には心配そうに、してくれるのね。仲間としてみてくれなくても哀れに思えば見ていられないと手助けしようとしてくれるのね。トキヤがいたから暖かく見えたなんて嘘。


 やっぱり、ここは十分温かい街だわ。


 泣きそうなのに笑みが浮かぶ。張りつめた顔であたしを見ていた2人の顔がホッと緩む。


「必要無いわ」


 緩んだ表情が一気に凍り付く。


 笑みは完全に消せた?飛び切り冷たい表情を作って、感情を消した声で突き放す。


 ごめんね。


「頭の悪い貴方達に作戦を説明してる時間は無いし、駒として役に立つ程の力も無いじゃない。だいたい何?触らないでよ、汚らわしい。いるだけ邪魔だわ」


 ありがとう。


「裏切られるかもしれないのに作戦にいれられるわけが無いじゃない。あんた達、貴族が大嫌いなんでしょ?トキヤを奪ったあたしの顔を見るのもうんざりするんでしょ?お互い様よ?」


 罵って、忘れて。


「あたしだって、貴方達の事、大嫌いよ。手を借りるぐらいならいない方がマシなぐらい」


 貴方達の優しさが、この作戦を無意味にするから。


「さよなら」


 貴方達を守るしばしの盾になれるなら、悪になるのも悪く無い。


 次に走り出したあたしが、引き留められる事は無かった。


 火柱が増えていく。当分、炭坑の作業を滞らせてしまうことだろう。かなりのダイナマイトを拝借したから。日が落ちたのに夜は暗闇を提供せず、炎が町を鮮やかに赤く縁取る。空気が熱くなっていき、ジリジリと肌を焼くようね。


 ナルナはあたしの作戦をどういう風に理解しているだろう。


 最後に裏切りを用意しているあたしを。


 信じてくれている?仲間である騎士を相手にしながら、貴族の街を焼きながら。


『いかに貴族の屋敷を焼き払うかが決め手なの。使用人達は火を消すために駆り出されるかもしれないわ。だから』


 消す気も起こさせないぐらい徹底的に潰す。まずは屋敷から全て外に誘い出すぐらい騒がしくして、見計らって大穴を。火の通り道には油と火薬を。


『姿は絶対に見られない事。屋敷を滅茶苦茶にして、作戦が終わったら、国から姿をくらますの。待ち合わせの場所を決めましょ。時間に遅れたら別の道か手段で逃げるから先に行ってね』


 この作戦でどう効を為すのか?


 裏町を救うために軍を思い留まらせるのか?


 スラムの奴隷達の行動を止められるのか?


 尋ねるナルナに曖昧に笑っておいた。彼は知らなくて良い。










 内戦があれば国庫は疲弊する。


 政策を為そうとすれば経費を要する。


 国の中心が荒れれば立て直しに追われる。


 悪者が祭り上げられ、見せしめが済めば国の体裁は保たれる。


 必要なのは破壊と犠牲者。










 息を切らせながら辿り着いたのは肥溜め。ゴミの集まる醜悪な匂いを放つそこは裏町からスラムに入りかけるぐらいの境界線にあって、ゴミを捨てに来る以外には子供がふざけて訪れるのみ。


『ここまで来てみろや。ばーか、ばーか』


『この糞ガキ!!』


『糞はお前だ、みんなやっっっちまえーーーー!?』


 木の板ですくいあげて人に投げつける悪ガキ達の姿に苦笑が浮かぶ。


『ちっくしょー、手強かったな、大人のくせに』


『わ、トキちゃん危ねー!!』


 肥溜めに落ちるのは、ひとまず子供達の通過儀礼だと言う。冗談じゃないので、あたしはここに来るときかなりの注意を払っていた。


 肥溜めの囲いに、色街でかっぱらってきた3つの油壺の中身を注ぎ入れてマッチを擦る。


 火を囲いの中に放り込むと物凄い色の炎が汚物やゴミを包んで、一気に悪臭を放つ。一瞬気を失いそうになりながら、咳き込んですぐさま立ち去る。次は東に向かって。裏町が悪臭に包まれれば騎士も貴族だもの。こちらに近づくより自分達の屋敷がある方か城へ集中して向かうはず。


 この騒ぎなら奴隷だって身を隠していられない。騒ぎに乗じてそろそろ城へ襲撃するために動き出してるかもしれない。


 東の裏町も悪臭を放てば、これでまんべんなく城下町は混乱の渦へと導けた事になる。


 そろそろ仕上げといこう。


 城へ向かって走りかけた横っ面に衝撃が走った。壁に頭からぶつかって星が散る。


「やってくれたよ、このじゃじゃ馬が」


 煤けた格好の私兵が肩で息を切らせる。背後にも同じ格好の私兵が道を塞いだ。目が血走っている。耳の上から髪に指をいれて梳くとヌルリとした感触がした。大した出血じゃないわ。


 そう、そうね。2番目にあたしを見つけるのは大臣閣下の私兵よね。なんせ長年あたしを屋敷に放り込むために追いかけっこしたのは彼らだ。この事態をあたしの犯行だと当たりをつけて一部を寄越したってわけね。


 騎士と違って凡庸な傭兵である私兵だけど、対峙するのがあたしじゃ勝ち目は無い。しかも、手の内が読まれるぐらいには知られている。ジリジリと距離を詰めてくる。


「元々、抹殺命令の出てた娘だ。雁首揃えて閣下に献上してくれる」


「雁首ですって?」


 ピンチなのを忘れて一瞬惚けた。失笑して、目の前の兵士は吠えた。


「お姫様唆した一族に目がかけられるとでも!?」


 当たり前だ。


 ホクオウは大臣家。貴族であり、国王の信も厚い。あたしが何をしても降格の可能性はあっても一族郎党死刑にはならない。貴族には死刑が無いから。終身刑か流刑、身分剥奪が段階としてくだるから。


 平民に、そういう人権があると、貴族は認めていない。


 おじ様、おば様、シンヤさん・・・もし血の繋がりを知られたらアチちゃんも?殺す命令が出ているんだ。










 ここで兵士を撒いて逃げる?


 この騒ぎに上じてならおじ様達を連れて・・・・・。










 あたしはすぐ当たり前のことを見落とす。貴族がどれだけ平民を家畜扱いしているか、忘れてしまう。だって、本当は知っている。貴族の中にもいたのだから、あの人達にだって優しさがあるはずなのを知ってる。


 平民を人間だと認めていないだけで、その優しさを向ける事が無いだけで。


「ガキが、調子に乗ったまま育つからこうなるんだっ」


 剣を振り上げる私兵の刃が煌めく。顔が半分腫れていて、頭から血が流れてきて、手が火傷で、服がボロボロで、足が切り傷だらけで、その刃があたしを切り裂くのに疑いの無い動き。


 だけど、貴方達があたしのやり口を知っているのと同じくらいあたしは貴方達のやり口を知っていて、昔から逃げ切っていたのを忘れているわ。


 壁と雨樋を蹴って屋根をつかんでよじ登る。


「ワンパターンなんだよ!お前らのお陰で俺達も屋根はお得意の」


 瓦をひっぺ返してよく喋る私兵の腹に投げつける。


「戦法になったんでね」


 瓦をキャッチした私兵がニヤリと笑う。後ろも前も、あたし1人に5人もいるなんて、結構な大物になった育ったもんだわ。


 でも。


「まだ甘いわ」


 裏町全体の長屋造りには大黒柱ってものがあるのよ。古くて腐ってて、それ一本で屋根を支えてる重要な柱がね。その真上に立ってるあたしは最後のロケット爆弾を真下に向けた。火はとっくに導火線の根本に辿り着いている。


 愕然とした男達の顔と、爆弾が柱をえぐり折った隙をついて隣の屋根に飛び移った。崩壊する家に巻き込まれる私兵を後ろに屋根上を再び走る。


 長屋造りの良いところは、家が崩れても骨折しかしないところよね。


「この国の平民の家は造りがずさん過ぎる」


 1人、目前に私兵の新手が現れる。


 よく知った女兵。


「クリアメール」


 立ち止まる。


「あんたを舐めるつもりは無い。頭が良いのもよぉく知ってる。どこをどうすれば物が壊れるのかも、散々あんたから学んだ。ガキの頃から、少々過ぎたガキ共だと思っていた。いつかやるんじゃないかとも知っていた。まさかここまでとは、あたしは思わない」


 剣を引き抜くと、周り中から私兵が姿を現した。


 5人とかいう問題じゃない。冗談じゃない。武芸レベルなんて底辺のあたし相手に1部隊分の兵士がいた。やりすぎでしょ。


「大人しくしてれば死期も延びたものを」


「先手必勝って言うのよ。後手だったらここまで舞台を整えられないじゃない」


「お嬢様が戦争屋に喧嘩指南かい。こちとら2つも戦争乗り越えての就職だっての」


 クリアメールが瓦をひっぺ返してあたしに向けて投げつける。


「あぐっ」


 足がもつれて硬い瓦が肩を打つ。軽く砕けたかもしれない。


「嬲り殺すなんてしない。すぐにしとめる。コルコットに来られても面倒だわ!」


 屋根の上だってのに本当に慣れたもので、クリアメールが屋根を蹴って瓦がずれても一足で刀を振りかぶって首を狙う。


 どこを切られても、まだ死ねない!


 切っ先を目で追って、頭蓋骨で止まれ!ぐらいの気持ちで身を落とす。だけど刃の方がもっと下に下がった。正確にはクリアメールの体ごと。屋根の下に。


 穴だわ。


 先程まで絶対になかった穴が屋根に出来ていた。クリアメールが着地した振動で、なんて理由じゃない。着地する直前に出来たような穴だった。へたり込んでいたあたしがチラリと覗くと、クリアメールは部屋の中の誰かに怒鳴り声を上げた。


 すぐさま屋根の舞台に上がろうとした兵の手に矢が飛んでくる。素早く手を引っ込めた手に矢は刺さらなかったけど、瓦に当たって矢骨は折れた。


「人の家、壊しやがった奴ぁ、どこのどいつだぁ」


「やってくれるじゃあん、この闇街で」


 悪臭が街にやっと満ち始める。


 顔をしかめて、鼻をつまんで、兵士達も気づきはじめて口を押さえる。


「誰かと思えば西の魔女じゃねえか!てめぇ、奴隷になって遊女やってんじゃなかったのか!!」


「花火が盛大に上がってんねぇ」


「はあっ?なんじゃい、こりゃあ」


「あれ、カクウじゃね?」


「なんだぁ、この傭兵共ぁ」


 わらわらとわいて出てくること。私兵も、悪名高い東の裏町に住む悪人らの出現に怯んでいる。ここは東裏町そのものなんだから現れて当然。あたしもさっさと逃げる気だったけど、私兵も承知の上らしく剣を構え直す。


 不味い、非常に不味いわ。


 にじり寄って私兵に向かっていくスキンヘッドに、剣で威圧をかける私兵。この状況を読もうとする男達。騒ぎの中心があたしだとピンと来れば、私兵に喧嘩をふっかけて私兵が減り一見敵が少なくなったと見せかけて、あたしも襲われる。プラスマイナス、危険度ややプラスだわ!


「んだ、やんのかぁ、コラ!!」


「ゲス共がっ」


 ワッと怒声が広がる。


「駄目っ」


 洒落にならない。間違いなく死人が出るっ。


「この」


 屋根に登ってきたオールバックの男に足首を捕まれる。


「きゃっ」


「どわっちいいいい!!」


 すぐさま男の手があたしから離れる。肉の焼ける匂いと煙と焦げ後が男の腕から上がっている。


「火薬はいらんかねー」


 窓から突き出た腕には熱されて赤い鉄棒が握られていた。赤みはすぐに冷えて黒ずんだけど続いて伸び出てきた眼鏡の男は、シンヤさんだった。


「伝説の炎の剣は威力絶大だな。一撃使い捨てやけど」


 クルリと器用に屋根に逆上がりして隣にしゃがむと、空に向かって赤い照明弾を撃った。


 あたし達の合図。


「トキヤも馬鹿だ馬鹿だと思っとったけど、カクウは愚かや」


 誰もが一瞬は目を奪われる赤い照明弾からシンヤさんに目を向ける。ああ、一方的に逃げてから会ってなかったんだわ。随分会ってなかった気がする。


「大丈夫だと思って無茶をするトキヤは馬鹿だけど、駄目だろうなと思って無茶をするカクウは愚かや」


 繰り返し詳しく言ってくれなくても良いよ。


「何がどうしたらこんな事態になるねん。どうして自分から危ない方に走っていく。助けてってどうして言われへん」


 顔を大きな手が撫でる。ズキズキと痛い。


「少しぐらい頼ってくれてもええやんか。あたしを守ってとも、連れて逃げてくれとでも。俺じゃなくても全部捨てても良いと思ってる奴はちゃんといるのに。泣いてすがれば」


 屋根に手をかけた男の手を石瓦が割れる勢いで踏みつけて立ち上がる。


「理由なんか無関係に駆けつける愚かな仲間がちゃんといるってのに」


 騒ぎを押し潰すように大きな歓声があがった。


 タツノ、リキ、カンノ君、ジダ、アグリ、シノ、サイガ君、マールさん、ツムルさん・・・。


 いるはずない。


 いるはずがないのに、東の裏町に確かに見える色街のみんながそこかしこにいた。


「ガチで目的知らんねんけど」


「トキヤ助けるためとちゃうかったん?」


「え、じゃあ今トキヤこの町に帰ってるん?」


「ちゃうやろ。また別の問題があったんやろ、どうせ」


「酷い匂いで仕事にならんわ」


「どれが敵なん?ちゅうか東の連中はこの機会に潰すけど」


「後は僕に任せぇ、言うたのにぃ」


「遅れてすまん!どうゆう展開になってんのかついていけんから説明したって!」


「カクウちゃん見つかったって!?」


 後から後から、人が集まってくる。


 駄目なのに。


 あたし1人で戦わなきゃいけないのに。


「ねじ曲がった神経持った馬鹿ばっかりで良かったな。後で説教や、カクウ」


 シンヤさんは鉄の棒を構えて道に飛び降りた。


「何処か知らんけど、行って来い!!」


 最後まで1人のはずだったのに。


 やはり北は危険なのだ、ではなく、カクウ自身が危険だと言わせる必要がある。単独犯として印象づけるためにところどころで姿をみせて、城や屋敷の復興と立て直しに目を向けさせて、貧民やスラムの殲滅に目を向ける余裕を無くさなきゃいけないのに。


 涙を流すには早いのに。


 こんなに罪深いあたしが救われてはいけないのに。


 ああ・・・やっぱりあたしは色街のみんなが好きだ。




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