バイシャ 2


 よく分らんが俺に不気味な平和が訪れた。
 貴族共からの命を脅かすイジメが表向き止んだわけだが、何がどうしたのか分からんせいで落ち着かん。いつか再開するらしき宣言も聞いてるし、殺意のこもった熱い視線をそこかしこで感じるから絶対何も解決してねぇし。
 気の立った猫みたいに殺気でビクビクしてる俺をカクウが笑いやがる。他人事だと思いやがって、気を抜けば多分俺死ぬんだぞ。

 そういうことで出来る限り嵐の前触れに備えておきたい俺なんだが、まさかの弊害がでた。くそつまんねえ小さい嫌がらせ以外は放置プレイ決め込みやがって、現在の俺はほぼ自主訓練しかやってない。数日前まで嫌味を浴びながら集中攻撃の中でン人抜きなんてやってたお陰で普通の訓練だと手応えがねえんだよ。あいつら極端過ぎだわ。
 カクウ調べによると、どうやらここ1年の俺への熱烈な指導に全力を注ぐため、他の連中をおざなりにしていたせいでマジで俺に構ってる時間が無いらしい。今年入隊した騎士と一緒くたにしごいて帳尻を合わせるつもりなんだとよ。本当馬鹿だな!

「どうかしたのか、トキヤ?紅茶が口に合わなかったのか」
 ふと気づくと甘い匂いがして、俺の顔を覗き込むミア姫がドアップ……でっ!?
「わり、申し訳ありません!不味いだなんて滅相もない、俺には勿体無い結構なものでした!!」
 今のは完璧に意識飛ばしてたのバレたわな。あまりにも監視の視線が強烈なもんで完全にトリップしてた。やべえ、普通に素で口利きそうになってた。
 本来なら俺が来るなんて有り得ねぇつう前置きでもって招かれたここは王族の居住区画、つまりプライベートルームだ。
 誰の?我らがアイドルお姫様のだよ。俺はミア姫の向かい側に座って何故か一緒にお茶を飲んでいる。もうなんだこの劣悪な休憩タイム。言動を間違ったら後頭部に剣が突き刺さりそうなんだけど。つうか、そもそもお茶の時間ってなんなんだよ。いやさぁ、カクウに聞いてなんとなく存在は知ってたけど炭鉱だったら今頃ゲロ吐きながら岩壁掘ってる時間だぜ?遊郭だったら店の準備に入ってるっつの。
 ああ、地元帰りてぇ。マジなんなの王族の自室の広さ。扉の内側で俺を見張ってる騎士複数と目を合わせないように部屋を盗み見れば俺の家10個分はあるんだからビックリもするわ。ガキの頃にカクウの部屋に忍び込んだ時の記憶を思い起こしても、ここまでじゃなかった気がするのに。

 いくら姫と接触することで前みたいに露骨な制裁がなりを潜めたっつっても、貴族共の反感が高まらないように適度な距離は保ちたいわけよ。これに関しては目的を同じくしているはずのカクウが非協力的なのがたまらん。
 それにしてもかつてここまで言葉を選びながら会話したことがあっただろうか。ガキの頃に母ちゃんが包丁片手に激怒した時くらいじゃねえか?

 姫の右横から給仕のメイド……服を着たカクウが薄ら笑いで姫のカップに新しいお茶を注ぐ。
「ありがたく飲みなさいよー。トキヤのために姫様が出来るだけ庶民向けの紅茶を手配されたんだから」
「普段飲み慣れた物の方がいいかと思って」
 顔を赤くしてモジモジと姫が言うんだが、カクウの言い方が厭らしいから嫌味にしか聞こえんよ?しかも普段飲み慣れているもくそも紅茶なんて昔カクウが存在すら知らん俺を哀れんで持参してきたものしか飲んだことねえし。ってかそれも味がお上品過ぎて酸いも甘いもわかりゃせんかったわけだが。
「まあトキヤは安酒か緑茶の出がらしを長く付けたものかブラックコーヒーが飲み慣れたものですから、貧相な舌しか持たないこの男では紅茶の味なんて分かっていないんですけどね」
 おい、何故バラすっ!?

 姫が慌ててカクウを見上げる。
「え?え?な、なんで教えてくれなかったんだ。どういうのがいいか事前に相談しただろ」
 あー、いちいち可愛いなぁ。カクウの奴は楽しそうに頬を染めて口元に拳を当ててやがる。
「うふふ、だって姫様ったらコーヒー飲めないじゃないですか」
「だったら安酒とか、そのデガラシの緑茶を出せばよかったじゃないか!」
「酒はお茶の時間に出す物ではございませんし、出がらしなんてトキヤぐらいしか飲みませんよ。味覚が破壊されますわ」
 こいつ昨日の夕飯の差し入れで味が薄いっつったの根に持ってやがるな!
「うちの長屋じゃみんな出がらし干してるぞっ!つうか好きで出がらし飲むかよ!?」
 その時、部屋にいるカクウ以外の全員が首を傾げた。出がしらとは何か、出がしらとは飲み物ではないのか、干すってなんだ。そんな考えがありありと伝わってきた。
 くそ、金持ちめ!入隊してからというもの同じ国だというのに度々話が通じねえ場面に出くわしちまう。城にいる連中なんて貴族が標準だから仕方ないとはいえ、なんでカルチャーショックまで受けなきゃいけねえんだよ。普通に話が通じるのは公爵令嬢のカクウだけ……つって、それもおかしい話なんだが。

 う、裏町の仲間達よ、俺に庶民の誇りを分けてくれ。

 カクウが溜息をついて俺のカップに紅茶を注ぐ。
「つまり味ではどうしても共通の良しは得られないと思いましたので、嗅覚で楽しめるよう香りの強い紅茶をとお勧めしたのですわ。それなのに一気飲みするなんてどういうことかしら、トキヤ」
 笑顔で怒気を送るカクウに姫が両手を叩き合わせ慌てて話を逸らす。
「そういえば実は平民出身の騎士がトキヤの他にもう1人いるんだ。ディズ大佐の推薦なんだが、スラムから来た異例枠なんだぞ」
「あら、あたし初耳ですわ。トキヤを推薦しておいてなんですが前例があるだなんて思っておりませんでした。しかも現役でいらっしゃるんですか?」
 平民出身?いや、スラムなら細かく言えば平民よりも下位の隷属民なんじゃないのか。裏町が治安の悪い地域ならスラムは無法地帯だ。孤児や犯罪者、捨てられた奴隷の行き着く先ともいえる死臭溢れる一角で、命知らずなガキ時分の俺達だって度胸試しで入り口周辺をうろつく程度だ。なにせあっこは究極極限の世界で人間も食うからな……。

 騎士になった奇特な成り行きは相当気になるが、俺まだそれらしい奴なんて見てねえな。こう、金持ちの中に混じってるなら貧乏オーラっつうか庶民の香りがそこはかとなく漂って目立ちそうなもんだが。
「トキヤの入隊前には仲間が出来るって割と楽しみにしてたみたいなんだがな。ナルナの奴」
「ナルナ?」
 入隊前となると先輩じゃねえか。
 カクウがお盆と手を叩き合わせてマヌケな音を出す。
「あ、ナルナ様というと確か」
「トキヤは絶対知ってるぞ。ほら、入隊式の時に剣を突きつけられただろ?肌が白くて顔色悪く見える黒髪の表情薄い……あいつもたまによく分からん事を言うがデガラシは聞いた事がないな」
「ナルナ・コルコット中尉ですね、姫様」
 あまり表情を動かさない無愛想めの中尉の顔が何故かピースで鮮明に浮かぶ。
「あ、あの人おおお!!?」
 何を楽しみにしてたんだよ!思いっきり俺のこと率先してボコッてた1人じゃねえか!?





 姫は甘い物が好きでコーヒーが駄目ね。その辺に生えてる謎の木の実なんて喰わねえんだろうなぁ。初期のカクウってどんなもんだったっけか。そういえば最後まで出がらし気にしてたな。最近はカクウの奴からかうの趣味にしてやがるし……変なことバラしてねえだろうな、あいつ。
 腹をさすって早めに仕事に戻ろうとした俺だが噂の後のせいか、はたまた時間外に修練場にいるせいか、話題のコルコット中尉に目が止まった。修練場横の通りから見える中尉ははりぼての真ん中に剣も持たずに静かに目を瞑って立っている。

 風が止む。
 中尉は一瞬で目を開き、鉄を芯に使っているはりぼてを蹴りでひん曲げたかと思うと右横に跳んで肘で2体目を殴り飛ばし、更に凄い音立てて3体目の足下を下段蹴りでへし折り、4体目に行くところで……唖然として魂が抜けた俺と目が合ってピタリと止まった。

 まさか、まさか、まさか、俺へのしごきが止まってるストレスをぶつけてたんじゃねえよな?自意識過剰だよな!こ、怖過ぎる!!父ちゃーん!!!

 一息をついて、中尉は最後の一体に目を向けて足を踏み込み渾身の力で殴り飛ば……っておお、俺の数p先の壁にはりぼてが突き刺さって、え!?石壁に鉄がこう刺さっ、
「こっえええええええ!!!!」
「大袈裟な奴だ。ビビるなら剣ではじき飛ばすぐらいしてみせろ」
 こちらに歩いてくると、中尉は固まった俺の横から張りぼてを掴んでガラクタになったはりぼての山に積む。前々から変なはりぼてのゴミ見かけるなって思ってたけど、全部中尉がやってたのか!?俺もいつかあそこ逝
「そういえば」
「ぎゃはあ!!」

 しばし変な沈黙が流れた。しかし視線をゆっくりとさまよわせて少し間を置いてから再び中尉は続きを口にした。
「……最近、剣が伸び悩んでるみたいだな」
 あい?
 あ、いや、前はスパルタだったのに今は自習訓練状態で筋トレだからな、伸び悩むのは当然として冷静に評価して声をかけてくる人間がいるとは思わなかった。
「何かアドバイスでも頂戴出来ますか?」
 これが元はスラムにいた奴隷ねぇ?改めて見ても庶民オーラ出てねえや。そういえば貴族のオーラも出てねえけど。
「剣を抜け」
 中尉が背を向けた。
「相手してやる」
 あー駄目だ。今久しぶりに『殺してやる』って聞こえたわ。

「疲れても踏み込みで力を抜くな、返せるような軽い攻撃はやらない方がマシだ。小技は奇襲に使え集団戦では隙が出来る。武器は最短距離で相手に打ち込め、動きが見えれば叩き落とすのは容易い」
 真剣での打ち合い、絶対無事ですむまい……そう思ってたんだが意外にもこの人にしちゃレベルを落とした打ち合いだった。『実践で学べ』ではない、もしかして初めてのまともな指導じゃねえか?思わず打ち合い続けること数十合、中尉が剣を止めるまで見回りの時間が迫っているのを忘れて一心不乱になっていた。
「時間だ」
 押し飛ばされて壁に叩きつけられた俺は顔を上げて呼吸を整えながら、そういや休憩時間が終わる頃合いなことを思い出した。
 痺れてる手を握り開いて感覚を確かめる。くそ、後もうちょっとで何かつかめそうな気がしたのに。
「……なるほどな、平民出は無駄なプライドが無いから飲み込みも早い。いや、元から型にはまらなければ資質はそれなりか」
「何か、おっしゃられ、ましたか?」
 息継ぎしながら聞き漏らした言葉を聞き返せば、中尉は剣を納めて背を向けて歩き出し俺を指でこまねく。「遅刻すると面倒だ」と告げて。

 行く方向に問題も無いので後ろに続く。元からあんま喋らん人だが黙々、それは黙々と進んでいく。しかもいつもはやたらすれ違う兵士メイド召使の類に不思議な程にすれ違わねえもんで風音や鳥の鳴き声、葉のざわめきまで耳に入ってくる。
 なんつうか、平和。
「本当はミア姫が」
 前を向いたまま中尉が突然口を開いた。
「お前を構うのに身分や能力、相応しいのないのはどうでも良かった。誰が相手でもムカつくだろうからな」
 殺意も憎悪も感じない、単調に中尉は言葉を放つ。なんだか初めてまともに会ったみたいな感覚を覚える。
「1年イビったら俺は気が済んだ。そもそもミア姫が嫌がっていることをいつまでもやるつもりはない。だが他の連中が同じとは限らん。ただでさえ出自の低い差別対象だ。身を守りたければ腕は磨いておけ」
 見張りの交代場所近くまで来て中尉が立ち止まる……って、俺の仕事把握されてる?もしかして去年の癖なのか。そのまま身を翻した中尉に俺は慌てて声をかける。
「あっと、コルコット中尉」
 振り返った顔色の悪い顔は最初に会った時と変わらない無表情。駄目だわ、やっぱ読めねぇ。
「御指南ありがとうございました!」
 でもこれは形式的に言ったんじゃないぜ。





 騎士1年目は正直自分のことで手一杯だった。改めて軍を見回せば顔の小奇麗な男ばかり……ではなく、身分に煩い貴族共の無駄なプライドと差別が分かりやすく耳に届いてくる。あ、俺の事はひとまず横に置いといて中尉の話なんだがな。 
「コルコット中尉、腕は確かだがあの下品なスラムの空気は隠しようもないらしいな。夜は賭博に借金、遊廓回り、休暇は昼から酒漬けが常だとさ。騎士の面汚しが」
「まあそう言うな。社交界に出てこられて淑女に手を出されるより余程マシさ。病気でも移されたら目もあてられん。なあ?遊廓のあばずれが相手をしている分には無害なもんだ」
「奴が近づくと馬の糞を目の前に突きつけられたように鳥肌が立つ。隷属民が姫のお側に寄れば本来なら斬り捨て処分だ。あれを騎士に仕立てたディズ大佐の気は相当おかしいわ」
「父上が奴隷を城に置かぬよう何度も掛け合っているんだがな」
「うちも早く辞職させるべきだと何年も上告している。いつまで騎士でいるつもりなのかねぇ」
 今日の俺は見張りの仕事なわけよ。1階の庭園通路って配置が悪かった。勝手に動けん状態で2階廊下から延々と耳障りな会話を聞くはめになってる。睨み上げれば金髪のキラキラサラサラした髪を掻き上げるレイヨン中尉の馬鹿面だけが辛うじて見えた。

 人の考え方には口出しするだけ無駄だ。分かり合えることもあるだろうが、ああやって集団で楽しんでる連中は説教なんざかましたところで効果の一つもありゃしねえ。それどころか逆にヒートアップすんのは目に見えてる。ついでに八つ裂きってオマケがついて、問題にされれば騎士の立場を返上させられて生首が飛ぶぐらいだろう。あのすかした顔面に拳めり込ませてやれればどんだけ気持ち良いだろうな!されど、ここは、裏町にあらず、だ。いつまでもチンピラじゃ通用しねえからここに来たんだろ。
『まず波風を立てずに貴族に認められること』
 これがカクウの出した俺の課題だ。
 貴族が平民以下隷属をどう思ってるかなんて分かりきってた話じゃねえか。先を見ろってんだろ、カクウ。こいつらを黙らせても仲間の暮らしが楽になるか?
 ああ、大体あばずれって言葉が気に食わねえんだ。裏町にいる遊女ってのはそもそも俺の馴染みやダチになる。攫われ親に売られで擦れちゃいるが気の良い連中だ。ゴミみたいに言われる筋合いがあるかってんだ!!
 ああ、もうホント早く散れよ。胃の辺りを鷲掴みにして捻って耐えるにも限度があんだよ。こちとら気が長ぇ聖職者じゃねえぞってんだ。
「そもそも、てめぇら貴族が高ぇ税金絞りとって贅沢してるくせに国民を守れてねぇから人身売買が横行するんだろうがよ。身分制度がなんぼのもんじゃい。スラムだろうが裏町だろうが行ったこともねえくせに想像で物言ってんじゃねえよ。俺達をゴミなんて見下してる貴族連中と接する騎士になんざ目的さえなきゃ好きでやるかよ。胸糞野郎共が」
 残った理性で声量を絞って地面に向かって吐き捨てた。その視界にありえない存在がかすめた。
 冷汗がドッと出てくる。
 隣に、うつむいて口を引き結んで姫が突っ立ってた。

 あれ、俺そんなに聞き耳に集中し過ぎてた?これもしかして俺から声かけなきゃいけない流れか?いや、マジすっげぇ素で口走ったこの後で?
「ひ、姫様?いつからそこに」
 声の裏返った情けない俺を姫は悲しそうに見上げた。
 見上げた?
 俺の肩までしかないミア姫の頭を見下ろしていたのに気づいて更に血の気が引いていっそ倒れたくなった。いわゆるコレ、頭が高い状態じゃねえか。俺こんなんばっかだな!!
「口汚い言葉でお耳汚しをしてしまい、大変失礼を」
「行きたくても行けなかったんだ」
 慌ててひざまずき平謝りしようとした俺だったが、姫は俺を見下ろして言い訳を遮った。
「は、い?」
 言い渡された言葉の意図が分からず頭をフル回転させる俺を待たずに姫は続けた。
「見下したりしてない。仲良く、したい。歩み寄りたいと思う。国政については何も言えないけど、身分のせいで拒絶されたり、突き離されると辛い。城下に行ってきたとカクウが楽しそうに聞かせてくれる話にいつも出てくる子は決まっていたから、ずっと会いたかった。身分が煩わしくて……堪らなかった。夢にまで見たぐらい、どんな男の子なんだろうって想像するしか出来なくて」
 カクウが話す男?
 あいつの好きな男なんてコロコロ変わるから、いつも話す男となると……って、俺か!?
「ずっと憧れてたんだ」
 そこで口を噤んで顔を歪めて背ける姫に胸がズキリと痛んだ。

 なんとかこれ撤回しねえと……不味い、よな?
「俺は……」
 背けられた姫の顔に手を伸ばしかけたのは無意識だったわけで「まったく、いつまでたっても愚かしく頭の固い騎士がいて困ったものだ」予想外の力強い声で凍り付いて止まったわけよ。
 あっれー?
「コルコットには賭博趣味も借金も無い。まして我が国の民草に対してあばずれとは、なんとも悪しざまに語ってくれる。平民がこの国で何割をしめていると思う?彼らを貶めるのは私の国を貶めるのと同じだぞ?それにしても悪意を持って人を語るのが我が騎士とはな」
 姫は2階を振り仰いで腰に手を当てレイヨン中尉以下その他に毅然とした顔を向けていた。先程の儚い口調なんぞ感じさせない他を圧倒する力強さでもって言い放つ。
「私はお前達をこそ恥じる」
 まさかのお姫様乱入に、上にいる連中も目を剥いた。
「も、申し訳ありません!」
「口先だけの謝罪はいらん。それが信念というのなら考え方は変えなくてもいい。だが、この城で根拠なき醜悪な侮辱の一切を口にするな。軍律を乱すなという意味ではない。騎士として誇りを持てという意味だ。分からないようなら騎士など辞めて傭兵にでもなってしまえ」
 それだけを言い残し姫は颯爽と廊下を去っていく。俺は拳を握って姫を見送った。





 騎士の仕事が落ち着いてからはちょくちょく町に顔を出せるようになった。地元の酒場カウンターでグダグダ1人飲み。陽気に歌ってる酔っ払いに露出サービス満点の遊女が誘惑を仕掛け、賭けに勝った負けたと喚き合い、足元が覚束ない奴が木製の椅子から転がって床でイビキをかき始める。
 そこへ背後から知った声が肩を叩いて両隣を埋める。
「よう!騎士様。なんだよー暗い影なんか背負いやがって。貴族連中にイジメられでもしてんのか!?俺達を呼べよ袋にしてやろうぜ」
「あっはっはっは!すぐさま打ーちくーびやーん」
 バンバン背中を叩かれて持ってる酒がテーブルにこぼれる。
「打ち首がなんじゃーい!仲間がやられて黙っとったら男じゃねえ!!」
「それはそうやけど。ま、坊っさんなんか僕らやったらイチコロか。トキヤも理不尽なんに負けてなや。僕ら結束力が武器やねんから」
 両隣を埋めたのは汗や埃っぽい臭いがする筋肉男と、金髪のそばかす優男の気の緩むお馴染みメンツだ。

 俺はテーブルに伏せる。
「タツノ、リキ、俺はもう駄目だ」
「なんだよ、おめえらしくねぇ。1年で早速クビになったのか」
「大丈夫大丈夫。僕らと違ってトキヤは何処でもやってけるぜぃ?次はへい、お嬢さん、俺をヒモにしてみなーいなんてどうよ」
「あっはっは、それはお前だっちゅうの!」
「そう、リキじゃあるまいし俺にナンパでその日暮らしは無理だ。そうじゃなくて今日俺ミア姫に」
「でた、ミアちゃん」
「んもう、僕という者がありながら姫にメロンメロンですな、この馬鹿騎士。自覚あるの?城勤めになってから会うたび会話の内容ほとんどがお姫様かカクウちゃんのことになってんよ」
 そりゃ職場の話をするとお前等に心配かけるし何よりカッコ悪いからだ。

 タツノがキョロキョロ辺りを見回す。
「ところで今日カクウちゃん来てねえの?騎士になってから別行動多くね?貴重な俺達の癒し要員なのに」
「お前俺の話聞く気ある?」
「トキヤの恋バナとか誰得なの。酒の肴が美味く無い、却下!」
 甘ったるい香水の匂いが強くなる。
「何?トラブルメーカー3人組がそろって久しぶりに悪巧みかしら」
 両肩に細い腕がしな垂れかかり、背中に柔らかい感触が押し付けられる。いねえと思ってた奴が出てきて怪訝な顔を向けりゃあ、予想通り病気で臥せてるはずの遊女がいやがるわけだ。露出の激しい服で妖艶に微笑む遊女はいつもよりやや化粧が濃い。
「顔色を誤魔化してやがるな。シノ、もう仕事に出ても大丈夫なのか?」
「医者にさえかかれれば難病でもないからね、すぐに治っちゃったさ。あんな高いお金用立ててくれるなんて、もうトキヤに借りを返すには結婚してもらうしかないわよねぇ」
「ぎゃははは!シノ、それじゃお前ばっかしお特やーん!」
「そうそう、それだったら俺が嫁になってやるよトキヤ。出世してねアナター!」
「ほざいてろ、ばーか。借りなんて野暮なんだよシノ。騎士は給料いいんだぜ?金なんか余ってしょうがねえぐらいだ。病後に無理すんなよ?番頭の野郎仕事に出ろって追い立てやがったのか?」
 背中から離れたシノは目を細めて軽やかに片足で回ってウインクしてみせた。
「あたいがもう死んじまいそうに見えるっての?なよなよした貴族女を見過ぎたんとちゃう。ほんま……ほんまありがとうな。それで…………」
 明るかったシノの声が言葉尻で一気に尖って目は冷たく光を帯びた。
「姫が、なんですって」
 タツノが酒を一気に煽って身を乗り出してくる。
「そうそう、ミアちゃんがなんだよトキヤ。仕方ねえ聞いてやるから惚気ろ!」
「……いつ誰が惚気た。ただ俺はミア姫が」
「可愛くてたまらへんねやろ」
 リキが人を指しながら言葉を引き継いでくる。
「そうなんだよ……じゃねえだろ!くそ、お前らに相談すんのが間違いだった!!」
 俺も酒を一気に煽ってジョッキをテーブルに叩き付ける。
「冗談が過ぎましたーって、なんか今日は切れるの早っ。どうしちゃったのよ、トキちゃん?」
 天井に向かって店中に聞こえる声で叫ぶ。
「うっせーヤケ酒だ!付き合えお前ら奢ってやる!」
「うおおおお、ラッキー!タツノ、みんな呼んできいや!」
「おいおい、財布にいくら入ってんのよ騎士様」

 姫が2階にいる騎士に言った言葉はそのまま俺の胸に突き刺さった。
 口先だけの謝罪ではいけないなら、今の俺は姫を殴りつけるマネしといて謝れもしねえってことだ。貴族連中の前に立って俺は反感や逆差別の気持ちを消すことが出来る自信なんざない。
 新しく出てきた強い酒を一気にグイッと流し込んで頭突きかます勢いでカウンターに突っ伏す。
 そもそも人の顔色うかがいながら政治の中枢に片腕ぶち込むなんて繊細で忍耐力のあるやり口は俺のやり方じゃなくカクウの手口なんだよ。俺なんかしょせん裏町で暴れ回ってるくらいが丁度いいチンピラかよ。ガキの頃は、なんだって出来る気がしてたのに。
 シノに頭を撫でられるのがやけに心地良い。





 目を開けるとハタキを持って笑みを張り付けたカクウと兵舎の天井が飛び込んできた。腹に蹴りを入れられる。
「げふっ」
「もうお昼とっくに過ぎてるわよ。今日の非番は掃除するって言っておいたでしょ。床で大の字になられてたら邪魔なのよ」
「母ちゃんみたいなこと言うなよな。お前はほんと貴族か疑わしくなるくらい年々所帯じみてきやがって。勘弁してくれ、二日酔いなんだってぇ」
 こめかみが脈打つ感覚と形容し難い痛みで頭を抱える。胃もたれ吐き気つきで疑いようもない。
「ええ。あたしが平民を城に引き入れたことへの是非について一晩中お父様と言い争っている間に、それはそれは楽しく飲んでいたそうね。性懲りもなくあんたを陥れる計画が進行していたから潰すのに苦労したわ」
「いつものことじゃねえか。おっちゃんも懲りないよなぁ」
 当たり前の話だが大臣閣下は可愛い娘が城下の掃き溜めに通うのを許していない。娘本人を軟禁、監禁、あらゆる手段で屋敷に閉じ込めようと長らく頑張っている。
 そんなもんで大臣閣下にとっちゃ特にこいつの相棒である俺は大事な娘を唆した元凶でくびり殺したい象徴というわけだ。
「あんたうちのお父様舐めてたらそろそろ殺されるわよ。子供の頃は刺客を送り込まれる程度だったけど、一応大臣って王族の次位なんだから権力にものを言わせて罪状でっち上げられたら敗走確定よ。仕事で謀殺されてるはずなのに隙をみて謀略立ててるんだからあたしまで休む暇が無い!」
 地団太を踏み癇癪を起す公爵令嬢。こめかみが脈打つ感覚と形容し難い痛みで頭を抱える。
「んじゃー掃除なんざしなくてもいいって。お前も休めよ。つかなんでカクウが俺の部屋掃除しに来てんだ?」
 ピタリと動きを止めてカクウがしゃがみ込んで微笑む。
「あんたはあんたで1年ほっといたらここを腐海に変貌させたからでしょうが!!」
 次の瞬間、自室から転がり出された。






「あいつは出会った頃から変わり過ぎたな。昔は屋根の上に引きずり上げただけで泣いてたくせに。まあその程度で泣いてたら俺の相棒なんざやってらんねえけど」
 ブツブツ不満を漏らしながら修練所に来たはいいものの、二日酔いで剣の稽古どころじゃねえな。夕方に回そう、話にならん。少し寝てりゃおさまんのに部屋はお節介貴族め。
 そうは言っても逆らって母ちゃんと結託されると面倒臭い。俺達みたいなチンピラと手を切らないせいで家族との折り合いが悪いカクウは用事がなくとも俺の家に居つくようになった。逆に俺の両親にはベッタリ懐き暇がありゃ体の弱い母ちゃんの家事手伝いをやるようになった結果、もはや俺よりシッポウ家での地位は高い。
 そしてあいつは俺が何かやると速攻で母ちゃんにチクりやがる。

 ということで逆らうのは止めとこう。財布の中身が酷いことになっちまって次の給金までカクウに飯たかりながら自炊しなきゃならんし。
「でも今日は胃もたれ吐き気で何も食いたくねえんだよな。はぁ……姫様何してんのかな」
 いつだったか姫様に貰った剣を鞘から抜いた。まだ訓練でしか使ってねえが今では手に馴染んで使いやすい愛剣だ。剣の隅に刻まれた古代文字は『無敗』、敗北は剣との別れ、死の暗示、それを望まないという願いが込められていると思われる。この剣を好奇心でダチの質屋に見せたら目頭を押さえて壊すなよと言われた。言葉の意味を教えてくれたのもそいつだった。そんな姫にあんな顔をさせたわけだ。
 刃を鞘に戻す。

 兵舎の屋根で寝てたらばれるかねぇ。
 引き返そうとした所に背後から人の気配がして振り返る。そこには昨日の見張りで場所が一緒だった3人組がいた。
「よう、酒の匂いなんかさせて昨日はお楽しみか、シッポウ准尉」
「香水の残り香までさせてたらしいじゃないか。一体どこで何をしていたのやら」
「……懲りてねえんだな、あんたら」
 半眼で見返せば3人は剣を抜く。
「どうも彼は最近、生意気になったと思わないか諸君」
「昨日もお前の近くで見張りの仕事をしていたせいで姫に不名誉なお叱りを受けちまったしな」
「しかし、騎士は私闘が御法度だぜ?どうしようか、諸兄」
 3人は剣を抜き身で降ろしたまま顔を見合わせニヤリと笑い合う。
 あー、なんか嫌な予感。
「だけどここって何処だっけ?」
 剣先がこちらに向けられた。

 半殺しにする気か、こいつら。
 やばい。意地の悪い卑怯な戦法で訓練中に何度もやられた相手だ。
 どうする?

 俺も剣を構えてやるしかねえだろ。
 斬りかかってくる剣を力でいなせば空で回転して飛んでいく。次の相手に剣を叩き付けられている間に飛ばした剣は拾われる。背後から斬りかかる剣を受けるために間をとって横に逃げた。
 これは、殺さず勝つなんて不可能に近いぜっ!
「姫に気に入られているからっていい気になり過ぎなんだよ!」
「平民は平民らしく町で楚々としてりゃいいんだ!」
「俺達の領域に入ってくんじゃねえ!お呼びじゃないんだよ!!」
 くっ、こいつら。

 タツノとリキの言葉が頭に過ぎった。
 剣の、文字も。
 カクウの忠告も頭の隅にはある。だが!
「負けたくねえ」
 こんな奴らに。
「きっかけはコネでも俺とナルナ・コルコットは実力でここにしがみついてんだ!あんたらが俺達を見下せるような生き方なんざしてねえんだよ!!」
 剣を競り後ろに1人倒し剣を横から叩き折り、驚いている騎士の横に滑り込んで後ろ頭を柄で殴り意識を飛ばす。最後に残った男に斬り込むと剣で受け止められるが力いっぱいに後ろへ押していく。
「うおおおおお!!!」
「くっ!?」
 後もうちょっとの所で膝後ろに蹴りを入れられる。前にいる奴にそれが出来るわけがないから剣を折った奴だ。倒れる時に前にいた男がニヤリと笑って俺が剣を折ったように剣の横っ面に、

「あっ!!」
 折れる。そう、思ったが剣は高い音を鳴らして地面に刺さった。ホッとする暇もなく後ろから羽交い締めにされて地面に顔を叩き付けられる。気分は犯罪者だ!
「この野郎、調子に乗りやがって」
「おい、しっかりしろよ。ちっ、完全にのびてる」
 剣を競り合っていた男が俺の剣を拾う。
「触るな、畜生」
「口が悪いな。やはり教養のない奴が騎士になるのは間違いだ」
 息を切らしながら剣を石と手で固定して足をかける。折るつもりか!?腕を捻って膝で背中を押さえる男をなんとか振り切ろうとするがこの体勢から巻き返すのは不利で、振り払えない!
「やめろ!それは大事な」
「そう、お前にそぐわない剣だ!」
 力を入れる男に、この際腕の一本くれてやるぐらいのつもりで体を捻った。負けるわけにはいかねえんだよ!!
「不敗が姫の望みならっ!」
 腕を捻られていたなら折れるはずが、急に体が投げ出されて俺は草むらに五体満足で転がる。

「ぐはっ!?」
 横に倒れた俺を取り押さえていた男が吹き飛んで昏倒する。唖然とした男は剣を折るのを忘れて目を見張る。
 男がいた側にはナルナ・コルコットが上段蹴りの体勢で立っていた。
「何をやってるんだ。レイヨン中尉」
 淡々とした物言いだった。俺は立ち上がる。
「騎士の誇りである剣を足蹴にするなど、下品にもほどがあるだろう」
「ふっ!奴隷如きに騎士のなんたるかなどほざかれたくはないわ!!」
 激昂して剣を折られると直感して俺は奴に跳びかかる。それに目を見開いてレイヨン中尉は俺の剣を構えた。刺さるかと思ったが、それより先に石がレイヨンの顔面ど真ん中に命中。
 昏倒した。

 剣が落ちる前に受け止め、後ろを振り返るとコルコット中尉が手をはたく。
「刃物を持った相手に向かっていく馬鹿がどこにいる。投手は常識だろう」
 彼は歩いていってあっさり奴らの残った剣の刃をボキボキと折ってガラクタにしてからニヤリとあくどい顔をした。
「貴族の警備もイチコロだ」
 奴隷は奴隷でもスラム出身だった、この人。差別するつもりはないけど、まさか、もしかせんでも元は盗賊系の?
 そういえばディズ大佐の推薦とか言ってたけど、そもそも何処で知り合うんだって話だよな。強盗、警備、貴族とくれば話が繋がるような。
「は、はは」
 マジかよ。

「姫に授けられた物だ。大切にしろ」
 刃こぼれのない剣が夕陽を映す。そういえばこれを受け取った時も見てたんだよな、中尉。
「あんたの方がよっぽど騎士だよ」
 剣を鞘に戻して敬礼する。
「借りが出来ましたね。ありがとうございました、コルコット中尉」
 首をコキリと鳴らして中尉は無表情で言った。
「仲間がやられて黙っていたら男じゃないんだろ?」
 なんか聞いたことのある台詞のような?
「あ、あれ?もしかして昨日中尉あそこで」
「騎士の心得の1つに騎士同士の私闘は双方軍追放という規定がある」
 ボソッと中尉が呟いた。もちろん俺は固まった。
「や、これはあっちが!!いや、これは私闘じゃないんです!ほら、ここ修練場でしょ?本番さながらの戦いを想定した訓練をしていたのでありまして」
「仲裁者として報告義務が俺にはある」
「違うんだ!な?誰も知らないしここは1つ脳みそ柔らかく生きようぜ!!な、ちょ、仲間じゃなかったのかよ!?」
 俺に背中を向けて歩き出す中尉の顔が意地の悪い笑みを浮かべていて、からかわれているなんて知らずに俺は手を叩き合わせて泣き落とす。

 ところで、後で気づいたんだが昨日の酒場、あの辺って俺にとっては実家の近所の行きつけなんだが、色町だから遊郭の酒場でもあるんだよな。だからシノがいたんだし。でも城からは遠いし裏町っていうからには、ちょぉっと複雑でいかがわしい裏道にあるからブラリとたまたま寄るような飲み屋じゃないんだが。南にある一般平民の居住区に普通の飲み屋がいくらでもあるわけでぇ。
 そういえば姫も遊郭くんだりは否定していなかったような……。





 身を隠せるテラスから修練所を眺めながらカップを傾ける。任務についていない非番ならわざわざ報告しなければ私闘罪にも問われまい。私は何も見なかったし、あそこまで屈辱的な負けをもらったレイヨン達が自ら暴露もないだろう。
「本当なら私が自分で助けに行きたかったんだけどなぁ」
 公平さを期すために王族として私闘に興じた片側を罰することは出来ない。面倒な身分だ、好きな人を助けにも行けないなんて。せいぜい私の美貌に心酔してる暴走者を闇で粛清するくらいが関の山。
「お互い何をするにも敵の多い身だな、トキヤ。だが味方にも恵まれている。そうも思わないか?」
『俺が行ってきます。ああいう連中を返り討ちにする作業にミア姫が出るまでもないでしょう』
 ナルナには後で何かお礼でも用意しておくか。でもトキヤも騎士としての戦い方が様になってきて格好良かったし、そろそろ昇進試験を推薦してみようかな。きっと合格出来ると思うんだけど。
「強くなる応援はするけど、それまでは私がトキヤを守らなきゃね。よし、ナルナが戻ってきたら今日も張り切って修練頑張るぞ!」

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