ライフチェンジ・プロローグ


 お姉さまがたがお城に初めて行かれたのはパーティの時だったけれど、あたしは社交デビュー前に連れてこられた。それはちょっと特別なことなの。
「本来なら礼儀作法の勉強途上であるカクウを城内に連れて来るのは早過ぎるところだが、姉達よりもお前の方が姫君とお年が近くおありである。それにお前はとても利口な子だ。ホクオウの名に相応しい振る舞いで遊戯を勤めてくるのだよ」
 お母さまは、カクウはまだ外に出せないからお姉さまを、と最後まで引き止めていらっしゃった。それでもカクウならば、とお父さまが信を置いてくださった。
「はい、お父さま。カクウは立派にお勤めしてまいります」
 ドレスの裾をちょこんとつまんで一礼する。緊張してるからなのだろう、部屋の前に立つ騎士さまがたがあたしを小さく笑って、お父さまに挨拶する。
「姫様は待ちきれないご様子でいらっしゃいますよ」
「それはそれは」

 足の位置はいいかしら。腕の位置に顔の角度。服の裾は直したんだったかしら。
 扉が騎士さまによって開かれる。お父さまに背を押されて足をふみ込む位置と姿勢を気にしながら部屋に入ったわ。その真ん中のソファに花びらをまとった妖精みたいな方がおられた。かのかたと目が合うと、勢いよくお立ちになられて走りよっていらした。お父さまに一礼されて、それからお父さまからの紹介も半ばに手を引かれる。
「貴方がホクオウ大臣の娘ね?待ってたんだよ、私は王位第2後継者、現国王第2子のミアよ!」
 ソファの前に連れてこられ、手が離れたあたしは心臓を押さえたいのを我慢して腰を屈め頭を下げる。
「恐れ多くもご丁寧な紹介をいただき至極恐悦でございます。私、お、お初にお目にかかりますはホクオウ家第3子カクウと申します。以後お見知りおきくださいませ」
 噛んでしまった!
 お父さまの反応が気になってチラリと顔色を確認しかける。駄目な子だって思われたかしら。せっかく期待してくださったというのに。
「おやつを用意しているんだよ、ねえ、大臣、アレを持ってきて」
 え!?お父さま行っちゃうの?

 ソワソワしそうになるのを口を引き結んで我慢する。落ち着きがないのは恥ずべきことよ、カクウ。
「座っていいのよ。ねえ、何をして遊ぶ?カクウはいつも何をしているの?」
「姫さまのお好きなもので相手を務めさせていただきます」
 姫さまは顔をあげてキョロキョロ部屋を見回しながら思案なされ、あたしの手を再び引いてくださり見事に参列したヌイグルミの前に案内いただいた。その前に座りこまれてウサギのヌイグルミを抱き上げ、あたしの目の前に持ち上げられた。
「カクウに好きなものを貸してあげるよ!選んで!」
 お姉さまは自分の持ち物の中でも触ってはいけないものをお持ちだ。あたしから選ぶなんてできない。
「どうぞ姫さまからお選びください」
 姫さまの手がわずかに下がり、ウサギが頭をクタリとさせた。
「気に入ったのなかった?」
「いえ、姫さまの物は素晴らしい物ばかりでございます」
 し、失敗したのかしら?
「ヌイグルミ、好きじゃない?」
「カクウは姫さまのお好きなもので相手を務めさせていただきます」
 頭が真っ白になった。思い出さなければ、礼儀作法の先生はこのような時になんと答えるべきか言っていたかしら?ニコニコしていた姫さまの顔が次第にこわばっていく。あたしは何を言っているんだっけ。どうして姫さまは不機嫌になっていくの?

 お姉さまがカンシャクを起こされる時の顔だ、と心臓がギュッと締め付けられた瞬間。
「もういい!!貴方いらない!」
 姫さまの声でお鼻がツンと痛くなる。目がウルウルしてくるけれど、姫さまが窓際に歩き去ってしまわれるので慌てて追いかけた。一生懸命謝ったけれど、姫さまは唇をかんで顔をそらしてしまわれる。
「真に心から反省いたしております。どうか」
 声がつまって、のどに熱い何かが引っかかって言葉が続けられない。姫さまはまた怒鳴ろうとしたけれど、ふと1度口をつぐんで深呼吸された。そして眉を寄せて口だけお笑いになられる。
「許して欲しいなら、私の代わりに城下で面白いことを見つけてきてよ。どんなものがあって、どうんな風なのか細かく貴方が話すのよ。それなら貴方とお話してても面白いだろうから」
「城……下?でも、でも私は城下になんてくだったことが」
「じゃあ、知らないわ!」
 涙がおさえきれずに流れてくる。がんばっておさえなきゃって手で拭くけど、段々声も出てきちゃう。いつの間にかおやつを手に持ったお父さまに手を引かれて部屋の外に連れて行かれる。
 背中に姫さまの視線が突き刺さってくる気がする。扉が閉じて、廊下を歩いていてもずっと。

 どうして姫さまのご不興を買ったのかお父さまに聞いても難しい顔をされるだけで分からない。屋敷に戻ればお母さまがお父さまと大ゲンカをされる。耳をふさいで部屋に逃げこんで、執事が食事に呼びに来ても布団にくるまってた。
 なぜ?何が悪かった?何を失敗したの?
 お姉さまに布団から引きずり出されて食卓について、何か食べないとご心配をかけてしまうからスープだけ飲んで部屋に帰る。
 どうすれば正解だったの?





 姫さまはあたしだけじゃなく他家の者ともうまくいっておられないらしい。お姉さまも姫さまの元にお行きになられたけれど「ワガママでついていけない!」と怒鳴っておられた。
「上流階級の娘はもう打ち止めだ。嗜虐心が強いと噂がたち下流階級の貴族共すら娘を出したがらない」
 きれいな可愛いお姫さま。どうしてお友達が作れないの?だって最初は笑っていたの。

 このままじゃいけない。
 だってお父さまはおっしゃったわ。ホクオウ家の名に恥じないようにしなさいって。代々受け継がれる王族の第一の臣下である誇りを持って生きなさいって。お父さまにはご政務がある。あたしが他家の娘と同じようではいけない。
 そうよ、姫さまはあたしにどうしろとおっしゃった?





 まだお空が暗い内に用意していた小間使いのフードをかぶって外に出た。屋敷の見張りは声をかけてこないわ。外からの侵入者には気をつけているみたいだけれど、中から出て行くメイド達のことには無頓着だって窓から見てて気づいたの。
 馬車の窓から流れる景色が止まって見える。建物もそまつで歩いて進むほどに馬小屋みたいになっていく。フードの端を握る手には力がこもっていって全身が緊張してくる。
 これが、城下。
 道端に布を広げて地べたに食べ物を置いている。おかしな壺の中身を匂って話し合い。布をクルクル巻いた物を何本も見てる人もいれば、草をやりとりしている人がいる。一体、何をしているのか全然わからないよ、どうしよう……。しばらく歩いていると踵も痛くなってきて、道端で靴を脱ぐわけにもいかずスカートの裾をめくってみた。見えないのは分かりきったことで、どうにもならず立ち尽くす。馬車じゃないんだもの。

 さっそく行き詰っちゃった。
 頭を抱えるしかなくて困っていると、同じ年頃の男の子がぶしつけにこっちを見ながら走り去っていく。ぞうきんみたいな服を着て前を向かずに。
 平民ってきたないなぁ。
 なんにせよ、ここでジッとしているわけにはいかない。誰かに声をかけて町についての情報を集めないと。

「なあ、お前さぁ」
「きゃっ!!」
 いきなり背後から話しかけられて振り返ると、さっきのきたない男の子が頭の後ろで手を組んで片足立ちで笑っていた。手には何か紙切れをつかんでいる。紙切れをポケットにしまって男の子があたしの顔を覗き込んでくる。
 うっ、なんだろうこの匂い。
「怪しい占いババアみたいな格好してんなあ。何?お前ん家って一家そろってそのかっこなん?」
「ち、違うわ。貴方初めて会う人に対して失礼よ!名前を名乗りなさい!」
 言い返せば男の子がちょっと顔を引いて、口を尖らせたと思ったら腰に手を当てて顔を突き出し直した。
「お前はれいぎを知らへんけどな。人に名前を聞く前に自分が名乗るんが筋やろっ」
 かしこまって言ってから、ニイっとイタズラに笑う男の子。
 まさか平民に礼儀を説かれるなんて……でも、それでも、現国職についている大人を除いた子供の中ならば、王子さま姫さまに次いで立場が強い公爵家であるあたしの方に権限があるから。
「……カクウと申します」
 今はあたしがそう名乗れないので、言い返すことが出来ない。
 男の子は手を差し出してきた。
「俺はトキヤ。ちなみにおつかいの途中で、今からそれほっぽりだす予定」
「どうして言いつけを守らないの?」
 どろだらけの手がいやだと思いながら我慢して握手の手を出したら、男の子は手じゃなくてあたしの手首を強くつかまえた。
「お前が逃げるためや!」
 引っ張られておどろく間もなく走り出す。この子から腕をふりほどくよりも、背後から追いかけてくる音に気をとられて振り返えれば怖い男の人と目が合った。男の子に細い家の隙間へ引きずり込まれ壁にぶつかりながらグングン走っていく。痛くてたまらないんだけれど怖い男の人が怒鳴って追いかけてくるから止まれない。男の子がゴミ箱や道にある棚を倒しながら平然と走るんだけれど、こっちは足を捻り、転びそうになりながら頭は真っ白。

 複雑で細い道が行き止まりになる。そこにはあたしと同じ年頃の男の子達が塀の上で立ち上がったり、下に座り込んだりしていた。こっちに気づいて立ち上がった男の子はくすんだ金髪とみっともないソバカス顔を笑顔にして手を振ってきた。
「あ、トキちゃんや!」
 あたしを引っ張るトキヤは走りながら塀をなぐりつけるように指差して叫んだ。
「リっちゃん、タっちゃん足場くれ!」
 すぐにソバカスの子が手を組んで前に立ち、その後ろで黒髪短髪の男の子が塀に手を当てて背中を向ける。トキヤはあたしの手を離して階段みたいに塀の上に駆け上がった。びっくりして目を丸くしていたら、「そいつ押し上げて!」という声で今度はあたしが抱え上げられて体を押し上げられる。パニック状態でトキヤに腕をつかまれて引っ張り上げられていると、あの怖い男の人が追いついてきた。
 悲鳴を上げる男の子達。
「後頼むな」
 後片付けでも頼む気軽さで片手をあげるトキヤの手で塀から飛び降りさせられる。
「ひあああああ!?」
 地面にげきとつする勢いで着地して転び、膝をすりむいたにも関わらず腕は引っ張られ目を回しながら連れて行かれる。もう何処にいるのか、何がなにやら、塀の向こうからはアビキョウカンしているさっきの男の子達の声がするし。
「覚えてろよ、トキヤー!?」
「気をつけろよー」

 息を切らして目の前がチカチカしていたら、トキヤはようやく立ち止まって古い木で出来た扉を横に開き、中にあたしを招き入れて扉を閉める。
「なん、だったの?ここは、どこなの?」
 息を切らしながら聞くあたしへ答えが返される前に、床をきしませながら服が乱れて裸みたいな女の人が出てきて、体がビクリと跳ねる。
「まだ客が帰ってへんのに何ガキが入り込んでんの。ここは遊び場ちゃうで、ドツキ回すよ」
「かくまってや、おばちゃん。ロリコンの強盗がナイフ持って追っかけてくるねん」
 ここ、貴方の家じゃ無いの!?
 おどろいてトキヤに顔を向けたら、みだれた格好の女の人がトキヤの元にしゃがみこんで襟ぐりをつかんでヨウシャなくほっぺたにビシビシビシビシとビンタがくわえられた。
「あたしゃ、まだ29だつってんだろうが」
「た、助けて、キャサリンお姉ちゃま」

 部屋へ案内されてあたしは座りこむ。あの人からは当分ここで静かにしているよう言い含められ、再び子供だけで取り残された。この展開を作った男の子はほっぺたを真っ赤にしながら、足を伸ばしてくつろいでいる。
「一体なにがどうなってるの?あたし、別になんにもしていなかったのに」
 膝が痛い。
 ううん、色んなところが痛い。
 また涙がジワリと出てくる。
「良い服着てんな、お前貴族の子供やろ」
 トキヤが人差し指であたしの額を押し上げる。涙がポロっと1粒落ちる。
「1人でほうけてたら犯罪者の良いカモやで。阿呆やなって一回通り過ぎたんやけど殺されたりとかしたら後味悪いからな。あのおっさん、ずっと見とったんやで」

 目をつぶると何粒も涙が落ちる。目を開けるとトキヤは寝転んでいた。
「ここな、俺ん家の近所の遊廓。昼ぐらいになったら裏町は俺達の庭やから、すぐ窓の下に友達が通るわ。そしたら親呼んでやるよ」
「ユウカク?」
「春を売るんや」
「春?」
 身体を起こしてトキヤはあいまいに笑う。
「何しに貴族の子が町に来たんかしらんけどな、当分はおるしかねえな。俺達は逃げるだけやったら得意やけど…………まだ大人の男に勝てるわけやないからな」
「でも、あたしここで時間をつぶしてなんていられないわ。城下で面白いものを見つけるまで帰れないもの。このまま帰ったら叱られて部屋から出してもらえなくなる。そしたら姫さまに会っていただける方法がなくなっちゃう」
 トキヤはあごに手を当てる。
「面白いこと?祭りなんて当分ねぇし、変わったうわさも最近知らねぇぞ。闇街の奴らとは派閥争いで情報が入らへんけど、ここいらの情報ならリっちゃんが情報通やで。あ、でもさっきので怒ってるから教えてくれへんかも」
 うわさをすれば建物の外から男の子達の声が聞こえてくる。どうやらトキヤの悪口を言いながら探しているみたい。当のトキヤは面倒そうに舌を出す。
 なんて子だ。

「しょうがねえな。えーと、クウちゃんだっけ?面白いこと探すなんて至難の業。だったら作るしかないよな。行くで」
「え?今度はどこに!?」
 またまた手を引っ張られて窓際に連れて行かれる。
「作戦変更、まずは変装!そんな上等な格好しとったら別の追い剥ぎにも目つけられてしゃあないわ。おばちゃん、おじゃましましたー!」
 かけ声をあげて窓から一緒に飛び降りさせられ悲鳴を上げる。去り際にキャサリンの怒声が聞こえてきて、フードの下でドレスが裂ける音がした。

 トキヤは外の男の子達に何事もなかったように声をかけ、当然怒っている男の子達がなぐりかかってきたた。けれど隣で怯えているあたしを指して「面白いことしようぜ」って誘って状況を説明する内に目を輝かせ出した。
「要は僕らのイタズラを貴族の子に見学させたるんか?」
「変装か、どんなのにすんの?はっきり言って俺らも十分ツラ見られとんで。このめいよの負傷を見ろ!追い剥ぎのおっさん怒りまくってたぞ。顔覚えられてるうちは見つかったら八つ裂きだぜー」
「あのおっさんを陥れる他、俺達に未来ないなー」
 ナイフで切られている腕の傷口にあたしは口を押さえてうめく。なんてひどい!
「トキちゃん、トキちゃん、おじょうさまにドン引きされとる」
「えー、貴族はどうしようもねえなあ」
 そんな風に言いながらトキヤはあたしを別の場所に連れて行く。
 どうしようもないのは平民の方じゃない!どうして平然としていられるの!?

 どろの小道を進んでたどりついた小さな立て付けの悪い扉を開けば、予想外に奥行きのある道がまた続いていた。道には扉ばかりがたくさん並んでいて、馬小屋にしては荷物がごった返している。ソバカスの子が「僕ん家ここのナガヤにあるねん。トキちゃんは隣やねんで」と信じられないことを言ってきた。ここ、おうちなの!?

 ある扉の前に来るとトキヤは扉を開いて狭い小部屋に入り込む。中には廊下もないようで、扉のすぐそこの玄関しかないつくりだった。そこに1人ならばまだしも女の子が2人と多分母親が1人いる。その人達を相手にトキヤは交渉しだして、外の荷物に何着か服を並べだした。それでいきなりトキヤは上半身の服を脱ぎ捨てて地面に投げ出して、みんなにも着替えるように促してくる。
「印象を変えるには手っ取り早く性別変えるのが一番や。まあ女装できる年は限られてるけどな。兄ちゃんみたいに脛毛が生えてからじゃ使えへんし、やれるうちに手段は使っとこ。それに今回の作戦名はなんせロリコン撲滅、甘い罠は危険な香りやからな。準備邪魔されへんように全員変装な。やらねえなら参加させたれへん。あ、クウちゃんは俺らの服を取り替えて適当に見繕えよ」
 汚い服を投げつけられて顔をしかめるものの、他のみんなが渋々着替えだしたので服を持って奥で着替える。服を借りたうちの女の子は「またおかしなこと始めうよったわ」なんて笑っている。

 全員が着替え終わった。道にはこぎたないながら女の子へと姿を変えた男の子達がまるでサルのようにキャッキャとじゃれあっている。ちょっと女の子に見えない気持ち悪い子も入り交じってるけど「髪型と化粧でどうにかなるやろ」って女の子の母親が悪のりして仕立てていったから、どうにかみんな女の子に見える……気がする。
 トキヤが誰かのかぶっていた帽子をあたしにかぶせて、三つ編みにしてある髪の毛を中に押しこんだ。
「よし、いいか。今回の標的はクウちゃんを狙ったロリコン強盗だ。あいつを誘き出して盛大に祭り上げる」
 円陣を無理やり組まされて額を付き合わせる。ああ、お父さま……なんでこんなおかしなことに。





 カタカタ震えながらあたしは涙をこらえる。
 そういえばお母さまがおっしゃられていたのを忘れていたの。平民と同じ空気なんて吸ってられたものではないって。確かに同じ場所にいられるものじゃない。人の家の、ましてや屋根に登るなんて仕事じゃなきゃ小間使いだってしやしないはずよ!
「せっかく特等席に招待してやったんやから下見いや、クウちゃん」
「見れるわけないじゃない。落ちたらどうするの?」
「え?着地する」
「3階の高さから!?屋根の高さを!?とてもじゃない。自殺してしまう!!」

 下はよく見れないけれど、女の子の服を着た男の子達が屋根や地上を自由自在に移動して何かわなを張っているみたい。普通の町中みたいなのに、こんなところへ危険人物が通りかかったりするのかしら?
「なあ、トキちゃん。そういえば、どうやってここに追い剥ぎ連れてくんの?まさかお色気とか言わねえよなあ」
「どう考えても無理やろ、それは」
 クネクネと腰をくねらせる男の子に別の子が否定をかぶせる。トキヤは自信に満ちた悪い顔で身を乗り出す。
「そのまさかじゃ。あいつは今、金づるを逃がして飢えとんねん。しかもガキにしてやられて気がたっとるはずや。どうせ身寄りなさそうな女子供を漁りにスラム近くで人狩りしとるに決まっとる。あの辺りで1人だけでおる女見つけたら絶対にノコノコ追いかけてくるはずや。あそこは腐るほど親がいなくなった子供がおるから怪しまれることも」
 トキヤの声がしぼんで聞こえなくなる。急に黙りこんだトキヤに、周りの子達も様子をうかがうようにキンパクした空気になる。意図が切れたようにうつむいたトキヤは足元を睨んで微動だにしなくなった。

 口をはさもうかどうか迷っていたらソバカスの子がボリュームが無い薄いボロのスカートをひるがえして立ち上がる。
「その作戦やったら別に総出で女装せんでも標的の顔知っとる奴が5人くらいおったら十分やんか。囮の誰かに引っ掛かったの確認できたらスラムから解散。作戦場所にすみやかに集合すればええんちゃう。僕も囮やったるわ。あの強盗見つけたら哀れっぽくしていかにも厄病を呼む幸薄い空気で、売り払ったろうって気にさせたるわ」
「でもリキ、標的の顔知っとるゆうことはあっちも俺らの顔知っとるっちゅうことちゃうんか?バレへん?」
「なんのために女装してん。ケイちゃんそんなんやからチキンやねんで。裏町の男らしくしいや。速攻で誘き出したるくらい言うて。ええわ、ジダは囮やるやろ」
「げぇー」
「タっちゃんは友達のひいき目でもブスやから罠の最終確認でもしといてな。後3人くらいはえーっと」
 ワッと屋根から男の子達がバラバラにどこかへ消えていく。

 1人だけ男の子がポツリと残った。立ち尽くしてトキヤを見てて話しかけようかって迷っているみたい。それで、モゴモゴと口を動かして結局話しかけたの。
「モっちゃんは自分で決めて身売りしたんやから、もう気にしなや。あいつ困ったからって相談とかしてきたりする奴とちゃうかったんやから仕方ないやん。こんなんいつものことやんか」
「うるせえ。モキチのことで仕方ないなんて口きいたらタっちゃんでもブッ飛ばすぞ」
「……」
 男の子は去っていく。

 取り残されたあたしは気持ちが滅茶苦茶になっちゃってるらしい男の子のうつむく横顔を見ていた。慎重さもない単純な動物。
「あんなことを言っては後の作戦に影響するのではない?今は感情を抑えるのが利口だと思うわ」
「女の癖にモキチみたいなこと言いやがって。そうかもな。あいつは利口な奴だった。裏町で誰よりも」
 トキヤが顔を上げて最初に会った時のように笑った。
「だから俺は利口になりたくねえ」
 違う身分の人間が考えることなんて、あたしには理解できない。姫さまのことも、トキヤのことも。

 トキヤはまた大きな声で支持を出し始めた。お話しするような空気じゃなくて、あたしがやることなんて何もなくて、トキヤをボーっと眺めた。
 そんなことをしている間にも下で右往左往していた男の子達が屋根や路地に隠れだして急にさあっと引いていく。あたしからはたくさん隠れているのが分かるけれど、きっとあっちからは死角になって人通りがまるでないみたいに見えると思う。頭を下げろと埃っぽい屋根に頭を押さえつけられて、きっと顔がよごれた。
 こんな危険なことを見学するために屋敷を抜け出してきたのではないのに、あたしは限られた時間を無駄に過ごしているわ。姫さまに城下について調べてくるよう申し付かったのに、あたしがしていることと言えばたちの悪いイタズラに巻き込まれているだけ。

 曲がり角で身をひそめていた子が手を挙げて姿を消す。そのすぐ後に道の奥に人影が現れた。スカートをひるがえした囮の子だ。よろめきながら必死に走っている。そのすぐ後に大人の男の人が走り出てきた。本当に見覚えのある、あのナイフを持った悪人が来た!
 でも、予想外なことに更にその後ろでまだもう1人凄く大きな怖い男の人が出てきた。
「ひっ!?」
 口を押さえてあたしは小さく悲鳴を上げたのに、オトリの子がワナを駆け抜けた後にトキヤは向こうの屋根に向かって手を挙げて立ち上がった。
「野郎共、行くぜえええ!!」
「「うおおおお!!」」

 ギョッとした怖い大人に向かって屋根から飛び降りた男の子達が走り出す。両側から飛び降りた子達の手には屋根に結ばれていた洗濯物のかかったナワが握られていて、大人2人が立ち止まれずにナワに足を取られて地面に倒れた。そこにもう1組が大人の周りをナワを持って歌いながらグルグル巻きにしていく。残った大人が男の子達になぐりかかろうとするのを大人の背後にある屋根からまたたくさんの子が飛び降りて、その手に握った木の棒でなぐりかかった!

 なんて暴力的な!
 オトリとなっていた子が振り返って立ち止まりニヤリと笑って、あたし達とは逆の屋根によじ登った。
「楽勝や」
「さっき高値の商品取り逃がしたからやろ。リっちゃんは横槍いれられんよう屋根から見張っとって。後、高額商品も」
 トキヤはあたしを見下ろし、それから辺りを見回した。
 商品?今のはあたしを差して品物って言ったの!?

「第2班、投げろ!」
 トキヤがさっきと反対の手を挙げると、屋根に隠れていた子達が立ち上がって、下でざんこくな制裁を加えていた男の子達がキャーキャー悲鳴を上げながら逃げていく。
 ナワに絡まって膝と手をついた怖い大人達が「この、クソガキが」と大きな口を開けたところにドロ球が入った。埋まるんじゃないかっていうくらい一気に投げつけて、あれ?
 ドロくらいでなんで怖い大人達は悲鳴をあげてるんだろう。それに、投げてる子達もなんだか鼻をつまんで……。
「ふ、うんっ!?」
 いきなりツンと鼻が痛くなって涙が出てせきこむ。今更あたしは鼻を押さえた。
「いえーい、糞まみれ妖怪!」
「糞野郎ー、人さらいー!」
「お前の母ちゃんウンコ垂れー!」
 ここが屋根の上だってことを忘れて、あたしは後ずさる。
「い、いや、臭い!?」
「糞やもん。よーし、第3班攻撃を」
 平然ときたない新事実を知らせるトキヤは鼻も押さえない。
 ワーッと歌いながら瓦屋根を走る子達。怖い大人がナワからなんとか抜けて立ち上がるけど、両側の屋根を見上げるだけで手なんて届かない。
 一方的なぼうりょく。

「あ!」
 その屋根を走る子が1人滑って屋根から落ちる。
「「危ない!」」
 あたしの声と誰かの声が重なって、滑り落ちた子が屋根の飾りにつかまりかけたけど、体が跳ねて手が滑り地上に転がった。怖い大人の立っているすぐ側に。汚物だらけでもわかる怒った顔でその子に手が伸びる。
 真っ青で立ち止まった屋根の子達に「何やってんだ!瓦落としだ、やれ!!」ってトキヤは怒鳴りながら地上に飛び降りた。とまどっている子が多い中でトキヤにブッ飛ばすとか乱暴なことを言われていた子が率先して屋根の瓦を足でめくりあげて踵で地面に向かってはぎ落とした。ガタガタなつくりの屋根瓦は雪崩を起こして怖い大人と仲間の子に降り注ぐ。他の子達も一斉に続いた。
 怖い大人と、それ以上の甲高い男の子の悲鳴があがった。あたしは膝から力が抜けそうでガクガク震えて目を塞ぎそうになった。でも、その瓦が降り注ぎそうになってるところに一杯腕を伸ばしたトキヤが飛び込んで行った。凄い砂埃で見えない!
 やだ、やだ、どうなったの…………。

 埃が静まっていく。そこにはうずくまって倒れている怖い大人達がいて、あの2人が見当たらない。
 周り中で男の子達がざわめきを上げる。
「アグリ大丈夫か!?」
「なあ、今トキちゃん突っ込んでったよお!?」
 長くて太い木の棒が立てかけられている壁から重なった瓦がくずれる。木の棒の陰からせきこむ声と人影が2つ現れて男の子達から歓声があがった。あたしもホッと息を吐き出して、けれど倒れた怖い大人の方がピクリともしないのが気がかりで目を向けた。そうしたら、あたしを追いかけていた方の大人が立ち上がろうとしていた。それにトキヤも気づいて一緒にいた子の背中を突き飛ばして下に落ちてた木の棒を構えた。
「ガキが調子に乗りやがって、端から売り飛ばしてやる。お前、ここらでガキ大将ぶってるチビだな。最近仕事の邪魔ばっかりしてやがるらしいじゃねえか。裏町のヤクザに逆らってお仕置きですむと思うなよ」
 怖い大人が肩で息をしながらナイフを持つ手で流れた頭の血を拭う。

「ど、どうしよう」
 誰かが周りを振り仰いだ。
「も、モキチ、俺達どうしたら……あっ」
 誰かが呼びかけようとした名前、それは確か、ここにいない誰かで。
「相手は1人やから、トキちゃんやし」
 瓦を率先して落とした子が大丈夫だって言おうとしたんだけれど、もう1人も立ち上がってきて屋根の上をにらみ上げてきた。そして手近な屋根に怒声をあげながら登ってきたの。あたしの方じゃないソバカスの子達の方。ソバカスの子があたし達の方にも多分逃げろって手を振って屋根の向こうへ飛び降りた。おたけびをあげて追いかけられた子達は鳥が飛び立つみたいに、あちこちに逃げ出した。こちら側の子達も。

 でも、だったらトキヤはどうするの?
 ナイフを相手に木の棒で殴りかかるトキヤはさけきれず肌を切り裂かれる。
 どうすればいいの?でも自分が悪いのよ!あんなことをするから。騎士さまに任せれば良いことを遊びにしたりなんてするから。
 そう、そうよ!騎士さまを呼ばなきゃ。だって、あんな悪い子でも、あたしは恩を受けたんだもの。
 頭がおかしいのよ。利口になりたくないなんて。
 あたしはそのためにいっぱい勉強して、色々と考えてるのに。
「人売りなんてみんな殺してやる!!」
 だからって、トキヤが何も考えてないわけない。

 屋根を腰を屈めてなんとか動く。けっこう滑りやすくて途中で何度も転びながら屋根の上の方をつかめば落ちずにすんだ。目的の場所についたら、あたしは見よう見まねで瓦を足ではがした。足が痛いけど今は忘れなきゃ!
「行ってぇぇぇぇぇ!」
 ズルリと瓦がはずれていく感覚がして顔を上げる。それでバランスを崩して前のめりに体が転んで、瓦が、え、ちょっと待って!?
 瓦と一緒に落ちる!!
「き、きゃああああああああ!!」
「あ?ずぅええええええ!?」
 トキヤと悪い大人が見上げているところに落ちてく、地面にぶつかる!!
 周りで瓦が甲高い音を立てて何枚も割れる音が響き渡った。身を縮みこまらせて痛いお尻を両手で押さえる。
「なん、痛あ!」って耳元で声がして横を見るとトキヤが木の棒で頭元を守りながら泣いていた。その手が赤い。
 屋根を見上げて、これだけ高いところから落ちたのにと思ってお尻の下を見たら怖い大人を踏んでいた。

 トキヤが目を開けて、パチパチと瞬きして木の棒の角で後頭部を掻く。
「超痛ぇ。お前なかなか根性あるな!貴族の子なんてえらそうにするしかできないって思ってたけど見所あるぜ」
「こ、こんなつもりじゃ」
「あーあ」
 手が伸びてきて頭を撫でられる。
「お手柄だな。さあて、あっちの大男も片付いたかなあ。とりあえず、こいつガッチリ縛って肥溜めにでも沈めるか」
 撫でられた感触におどろいて頭に両手をやっているところに、恐ろしい台詞を聞いて目をむく。
「ちょ、沈めちゃ駄目でしょうが!保安監察所に連れて行って逮捕してもらうのよ」
 トキヤは洗濯物をかけていたナワをつかんできて、それで倒れた怖い男の人を固くしばりだす。
「無駄だよ。大体、なんの罪を犯したって説明するか困る。逆にこっちが罪に問われるだけだ」
 それは確かに。少し前の状況までさかのぼればナイフでおそわれたのはこちらだけれど、逃げ切った後にもう1度ワナにはめてボウリョクをしかけたのはこちらだもの。しかもトキヤ達だって十分きょうあくにしか思えないことをやっていた。
「それでも裁判にもかけず人を裁くことは法が許さないわ。まして処刑するなんてまともじゃない。悪人を捕まえたっていうのにトキヤくんが悪に手を染めてどうするの?」
 トキヤがため息をつく。まるであたしの方が聞き分けがない子供みたいに。騒ぎながら男の子達が戻ってくる。あのもう1人はどうなったのかしら?答えを聞くのが恐ろしい。

 挑むようにトキヤがあたしを見た。
「城下見物に来た言うとったけど、クウちゃんが来とるんわ裏町っちゅうヤクザのたまり場やねん。悪い遊びがいっぱいあるから一般人もよく来よるけど住んどる奴に平民なんてほとんどおらん。今日会ったほとんどが奴隷の子や。こういう奴らに理不尽に捕まってパンかなんかみたいに売られるんや。殺されて肉にして食われたりもするんやで」
 縄をつかんだままトキヤは人を足蹴にする。
「俺はいつか裏町のシマをしめる。正義じゃ誰も納得してくれねえんだよ。誰も彼も諦めて、勝手にいつも消えていく。俺はそんなの許さねえ。こいつらが法で裁かれねえなら俺が殺す。それとも諦めてやられっぱなしでいろっつうのか」
 走ってきた子達が、ナワで縛られた悪人を見て歓声を上げて手を打ち合う。手にはきょうあくな武器を持ち合わせて戻ってきたみたい。
 だから、そういうのは駄目だってば!
「さすがトキちゃん。1人でやっつけたんか。あっちは袋叩きでなんとか捕まえたんやけど、俺ら大人に勝ったんや!これは裏町の歴史に残る大事件やで」
「そんで捕まえたんはええけど、そういえば後はどうしたらええの?」

 お父さまは戦争ほどひどいものはないとおっしゃられた。人間が人間を傷つけ合い、財を投げ打って命がけで相手の財を奪う。我が国は強兵ではあるけれど、富を求めてガイセンはしない誇り高き志を持っている。だけれど我が国にも治安に影を落すものがいるから、よき国としていくために取り払わねばならない悪人もいると。騎士さまはそんな悪人を斬るためにいらっしゃるのだと教えてくださった。
 だったら、あの子達は騎士かしら?
 あんなぼうりょく的なことを平気でできるそぼうな平民が正義だなんて思えない。礼儀も上品さも正義も道徳もルールも無かった。城下に面白いものなんてなかったんだ。怖い大人、ぼうりょく的な子供、きたない町並み。どうして姫さまはこんなものを見てこいと言うの?

 これが、平民。

 あたしはヨロヨロと立ち上がってトキヤをにらみかえした。
「利口になればいいのよ。でも、トキヤくんが利口になりたくないなら、あたしが考えるしかないみたい。だって、貴方以外は何にも考えてなくて、もっと利口じゃないみたいなんだもの」
 周りの男の子達を振り返った。
「悪い人を捕まえたら保安監察所に連れて行くの!」
 トキヤがあたしの隣に立ってナワを肩にかけて黙って目を向ける。やれるものならやってみろっていう顔。お父さま、カクウはホクオウの名に相応しい振る舞いではないかもしれませんが、人の模範となる行いを致そうと思います。

 途中で目が覚めた悪い2人はきたない言葉をまき散らしながら大勢の子供に引きずられていく。
 段々と整備された道に変化していき、貴族街に比べたら質素だけれどさっきよりも清潔感のある風景になってくる。小間使いが着ているような服の人達がきたない服を着たあたし達を嫌な顔で眺めてくる。

 確かにきたならしいから仕方ないかもしれないけれど嫌な気分だわ。

 そこでようやく「あそこ」と指差されたところが保安監察所で体中の緊張が抜けていく。保安監察官が異常に気づいてあたし達の方に向かってきてくれる。
「一体、これはどういう状態だ。う、臭い」
 そういえば匂いのことを忘れていて恥ずかしくなる。うう、匂いが染み付いていたらどうしよう。トキヤは気にした様子もなくナワを持ち上げる。
「こいつがナイフで俺達に襲い掛かってきたから逆襲して捕まえたんや。よく子供捕まえて売り飛ばしたり身包み剥いだりしてる犯罪者」
「はあ?」
 鼻を押さえながら監察官がナワを受け取るかためらってる間に、グルグルに縛られてる悪い人が監察官に訴えかける。
「こいつら裏町の悪ガキ共だ。俺が襲いかかったんじゃねえよ。道を歩いてたらいきなり集団で襲いかかってきやがった」
「俺の仲間を捕まえようとしたからだろ!」
「証拠がどこにある!」
 悪い人が鼻で笑う。

 監察官はためいきをついて顔を歪めた。
「チンピラのゴタゴタを外に持ってくるなよ。お前達、どうせ奴隷だろう。男だったら遊女じゃあるまいし所有者はいないな。こんな罪状もとれないようなことで保安総督に書類あげるわけにはいかないんだよ。お前、平民には手を出してないだろうな?」
 周りの男の子達が次々にさわぎ始める。「俺は平民だぞ!」「わいの父ちゃんも貧乏やけど税金おさめとるわ!」「そんなの関係あるか!俺らいきなりこいつに切りつけられて、ほら、これ見ろや!」なんて監察官に訴えかける。けれど、悪い人が高笑いをあげた。
「裏町の糞ゴミに誰が無駄な労力割くかよ!縄解けよ、おら!」

 トキヤは最初から分かってたっていう顔で悪人達を見下して笑っている。目は笑ってない。やっぱり殺すべきだって思ってるのは明白で、確かにこのまま野放しにすれば悪い人にひどいことをされるリスクは逃れられない。それは監察官だって分かってるはずなのに、このままにするって言うの?
 そんなことがまかり通るの?
 裏町で身を守るためには自分が悪人にならなければいけない?

 あたしは帽子を脱いで真っ直ぐに顔を向けた。
「彼らに手を出したことをとがめないのならば別の罪を提示します。この人は恐れ多いことに貴族の子供を誘拐しようとしました。あたしはホクオウ家の娘カクウ。この方々に恐ろしい目に合いかけたところを彼らに守られて大事にいたずにすんだ。貴方があたしを保護して彼らを逮捕しないというのならば、貴族街の屋敷まで自力で帰りお父さまに事を報告せねばなりません。この対応についてもです」
 目を見開いておどろく監察官に、大げさにした作り話を身振り手振りで訴える。後ろにいた悪い人は真っ青になって否定するけれど、涙を浮かべて泣きながらまくしたてたら保安監察所から次々に人が出てきて悪い人は逮捕される。
「ホクオウ様だと?大臣閣下のご息女じゃないか、何をモタモタしていたんだ!」
「誘拐なぞとは恐ろしいマネを」
「とにかく保護をして、誰かホクオウ様の屋敷へ連絡を」
 あっという間に変わった事態が逆に苦いものに感じる。奴隷というものは知っていた。この子達の中には平民もいるけれど。それでも、正義であるべき保安監察官が悪事を選んでさばくなんて信じたくなかった。
 確かにトキヤ達はきたないし、清廉潔白でもない。けれど、あんな目に合うのが当たり前だというのなら自分で身を守るしかないのかもしれない。
 あたしがいなければトキヤが人を殺していた。でも、悪い人に目をつけられるのが分かっててトキヤはあたしを助けた。
 保安監察所の部屋に通されたあたし達は、ところどころに座る。行儀悪くジッとしない男の子達。その中でトキヤは少し浮いていた。ただ無茶をするだけじゃなくて仲間を守ろうと決意してる強い目が。

 これが、あたしの人生をひっくり返した、大きな出会い。

 屋敷から迎えがつきそうという連絡が入り、トキヤはみんなに「俺達もそろそろ帰るか」って声をかけ始めた。なんともいえない気持ちがあたしの中でまだウズウズしてる。
 そのまま出て行くのかと思ったトキヤは、大さわぎで出て行く男の子達の中1人だけあたしを振り返った。
「また裏町に来る時はもうちょっと服装に気をつけろよな。後、間違っても東の方の裏町には行くなよ。あそこは俺達のシマじゃないしヤバいとこだからな」
「ここにだってもう来ないわよ。危ないんだってことは十分思い知ったもの」
 トキヤはニヤリと笑って手を差し出してくる。
「来ないなんて言うなよ。裏町に来たら俺が守ってやる。だから頭がいいなら俺が裏町のシマをシメるの手伝えよ」
「そう何度も屋敷を抜け出したり出来ないわ」
「いいのか?今回はクウちゃんの満足いくやり方で通ったけど、お前いなかったら俺は今度こそ連中を簀巻きにして川に沈めるけど」
「だから駄目だって……!!」
 諦めないって顔に書いたトキヤは誰かが止めないと本当に何かやらかしそうで、あたしは、悔しい気持ちもあったけど迷いながら手を握り返した。
「またすぐ来いよ、約束だからな」
 もうトキヤの手がよごれてることは気にならなくなっていた。だって、何回この手を握って駆けずり回ったかわからないんだもの。
 でも、これでまた屋敷を抜け出してこなくてはならなくなった。

 運命を変えた約束。


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