ライフ オーバー 1




 炎が揺らぎ周りは闇色、ふと目覚めた時は夜らしい。


 火を守る者も無く焚き火は小さくなっている。身じろぎして上半身を起こした者の他に火へ寄り添うのは2人。遠くで瞬く星明かりが獣臭い木々の合間を照らし出す事はなく、この火の届く範囲だけがこの瞬間に在る世界だ。


 この世界に在る一人は上半身を晒け出して軽く上に羽織っただけの青年で、頭の装飾に玉を3つあしらった紐を巻いている。装飾を外すことも忘れて倒れるように寝てしまったらしい。風貌服装は余す事無く何処かで古くからある先住民族ですと主張している。


 もう一人もまた着の身着のまま眠ったのか、薄い織物のバンダナを青とピンクのピンで止めて荷物を抱き枕に丸くなって縮こまっている。涼やかな風貌はまるで子供のそれであるが歯軋りが始まる。寝苦しいらしい。


 それを観察していた寝惚け眼の青年は、歯軋りする仲間の頭を撫でながら改めて辺りを見回した。不審者避けに木の間へ張り巡らせた紐が平和なのを確認できれば、無駄に目覚めたらしいのを知る事ができ落胆した。最後のこの寝惚け眼である青年はというと、カチューシャをしていた。太めの眉に物静かな目、やや地味な印象を与える普通の男である。


「あー、大学のレポート・・・」


 再度横になってアツシは目をつぶってみたが、しばらくして溜息と共に体を捻って立ち上がった。頭を掻いてカチューシャをかけ直すものの、前髪は全開にしたそばからパラパラと幾筋か顔に流れ落ちる。


 ふと、小さくなってしまった火に目をやって、しゃがんで積んである枯れ枝を放り込んでから不審者避けの罠を慎重に躱してアツシはテリトリーから森へ出た。紐は木の枝に巡らせてあり、引っ掛かれば繋がった枝を揺らし鳴り鼓がぶつかり合う音でジャラジャラと鳴る。仕組みは単純だが割合に有効であった。それに仕掛けた本人ならば不注意さえなければかわせる類のため手軽い。


 裏を返せば寝ぼけて紐に足をかけようものならブーイングは必至なわけだが、目覚めの悪いアツシは旅を始めて何度かやらかし怒られ済みである。鳴り鼓のテリトリーから脱出し、アツシは振り返って軽く息をついてキョロキョロと周りを見回し始めた。


「どこ行く、万年迷子」


 眠っていたと思われた先の上半身を露出した青年が少し身を捻り起こしアツシを半目して睨んでいた。起きていた、というより起きたらしい。ケオンは感覚の鋭さと正確さを得意とするところがあり、要は神経質だ。鳴り鼓は鳴らずとも眠りが浅くすぐ起きる。


 アツシは気の抜けた声で正しい応答を考える。常々ケオンには一人で行動するなとキツく言われているのがアツシという男である。トイレ以外で離れようとしたことが分かれば今にも説教が始まるのは目に見えた。つまるところ迷子になって迷惑をかけた回数に比例した怒りなので反論も難しいところだが、いい年をした男としては大丈夫だろうとも答えたい。


「待って、どう言いわけしたら怒られないか考えてるから」


「本気で誤魔化そうと思ってないよな。眠くて仕方ない俺に対する挑戦か」


「うーん」


 苦しそうに寝返りをうつ場の最後の一人ノーディアは煩そうに耳を塞ぎ、先程よりも更に背を丸めた。アツシは声を抑えて手をメガホンにする。


「俺はぁ、目が冴えちゃったからぁ、眠り草でも探そーと思っただけでぇ」


 同じく片手でノーディア側の方に壁を作りケオンも囁き声になる。


「眠り粉を今からアツシが調合するのかー?ゼンマイとヨモギの違いも分からないくせにー」


「ヒマワリとぉ、タンポポをぉ、間違えた男にぃ、言われたくなーいしぃ」


「花の名前なんて分からなくても良いのー。薬草と食料さえ分かればー」


 小声でやる不毛な言い合いだと思ったかどうかは定かでないが、ケオンは体を完全に起こして木で囲まれた空を見上げる。星の位置を見ているのだろう。何せこの世界に時計は存在しない。片手メガホンと囁き声を止めてケオンは小声で続けた。


「もう少しで陽が巡って来る。どっちにしろ、今から深く寝たら昼までまた起きないだろ、アツシは。無理やり寝るくらいならお前もう寝るなよ。今日こそ森を抜けてザハと宿に着きたいんだからな」


「勘弁して、レポートの提出は明日なんだよ。パソコンの電源入れてたちあがるまでに間違って寝オチしちゃっただけなんだ。大学卒業を控える女子大生としては提出が遅れて減点されるなんてマジ困るの。徹夜でコッチの世界をボイコットしたりしないから、アッチの世界に戻って宿題だけさせて」


 瞼が半分落ちた状態でケオンは人差し指を差し向けた。トントンとリズムをとって振られる指。


「寝言は寝てる時だけにしろ。いいか、夢の世界より現実が大事だ。現実の俺に迷惑をかけない事が大事だ。というか、誰が<女子>ダイセイだ。もう飯にして早めに動こうぜ。それで早めに寝ればいいだろ?」


「えー」


「まったく」とケオンが本格的に荷物を引き寄せて行動を起こしたので、仕方なくアツシは鳴り鼓仕掛けの中に戻った。荷物の中からは朝食が取り出された。手際よく干し肉を葉野菜で巻いて串に刺し、焚き火の近くの地面に差して立てられる。アツシは皮袋から水を飲んだ。魔法瓶の水筒とは違い生臭く温くなった水だが、慣れ親しんできたものを今更どうとも思わない。


 香ばしい匂いが回りに立ち込めれば、少々早過ぎる目覚めにノーディアも付き合ってくれることだろう。










 太陽も高く昇り終えて地面に向かい始める時分、任務を終える事は出来なかった。これにて本日中に人里の柔らかなベッドに戻れない事は確定した。ともすれば永遠に。この森の深淵で眠ろうものなら、その亡骸を見つけ弔う者も現れはすまい。


 目を瞬かせ、その太い眉をしかめ焦点を合わせようとそばめる。血に汚れた手で目元の血を拭ったせいで視界が霞んでしまったのだ。それでも油断なく剣を構えるが、彼はかつてない命の瀬戸際を感じていた。周りにいる傭兵達も苛立ちの声を洩らす。


 草は足が長く腰を超えていた。木の屋根が途切れても視界は良好とはいかないらしい。身を低くした獣の息遣いが悪い視界の中にいくつも潜んでいる。


 土がえぐられて跳ね上がる。草の水面から跳びあがった獣は牙を剥き、首筋を狙って視界を覆おうとした。その<1つ目の牛の首>を剣で叩き斬って血しぶきを上げる。だが<2つ目の獅子の頭>が唸りをあげるのに腕が間に合わない。


 剣を叩き落し、己の体から血を噴き出しながら獅子は鋭い爪を振り上げた。首から体躯にかけて継ぎ接ぎされた腐臭と獣臭さは人工的に作られた生物の合成獣の証。それ以外にこんなでたらめな生き物が存在するはずもなく。


「くっ!?」


 剣を失った男は両腕で顔の前を覆い首を背けた。もはや打つ手無しと、人生の終わりを直感していた。だが大きな巨体は人影によって横になぎ倒された。


 目を見開けば、今までこの場にいなかった者がバランスをとって踏みとどまっていた。巨大な猛獣を相手に体当たりをかましたのか。鮮やかなオレンジのバンダナが揺れている。


「すぐに済むからジッとしてな。苦しませるのは本意じゃない」


 突然の乱入者の言葉に反して獣はすぐに起き上がろうとした。しかし別の角度から首に矢が深々と突き刺さってもんどり倒れた。今度は即死したらしい。


 別の場所から獣の咆哮が次々に上がり、今度は傭兵に向かって襲いかかろうとした獣が飛び出し、それすら連続で飛来した矢にことごとく命を絶たれる。木々の合間から、これまた見知らぬ青年が短弓を手に場に飛び込んできた。


 強敵が瞬時にねじ伏せられ、襲われていた者達はそろって呆然としていた。


「大丈夫?」


 3人目の青年が木の間から能天気な声をあげて現れた。彼は草を押し倒して倒れている合成獣に無造作に近寄って手を伸ばす。


「よせっ」


 その手が獣の毛並みを撫でる前に剣士は手首をつかみあげて獣から引き剥がす位置に突き放した。


 よろける青年を目にして最初に素手で獣に体当たりをかましたバンダナの青年がギュッと眉尻を上げる。


「おいテメー助けてやったのに何だ、その態度!頼んでないとでも言いたいわけか!?」


 同じく弓使いもムッとして睨みつける。突き飛ばされた張本人の方がキョトンとして、仲間の方に顔を向ける。


「別に平気だから怒らないで、ノアちゃん」


 間髪いれずに弓使いの方が腕をつかんで引き寄せる。


「いいや、俺にもクォーレル人の流儀は理解出来ないな。もう行こうぜ、アツシ」


 剣士は満身創痍な中で、突き飛ばした青年アツシの手首を再びつかむ。


「待ってくれ。キメラが死んでいるか核心が持てずに焦っただけだ。礼を欠くつもりはなかった。助太刀には礼を言おう」


 傭兵達はおのおので剣を肩に乗せたり、地面に剣先をつけるなりしながら肩で息を整えて緊張を解いた。こんなにも簡単に片付けられるとは誰も思わず、ようやく自体を受け入れられたのだ。


 剣士が剣で獣を刺し毛皮を血で染める。再び動き出す様子もなく、そこでようやく剣士も息を深く吐いて向き直った。血をかぶり怪我を負った姿ながら毅然と構え、どことなく周りの男達とは違う空気をまとわせる剣士は慎重に言葉を探しながら口を開いた。


「私の名はジンという。この、キメラを調べる任務にあたっている公守の端くれだ。彼らは雇いの傭兵になる。調べた後には町に撤退するわけだが見ての通り帰還する余力に困ってしまった」


 明瞭簡潔に話す剣士は無造作に顔を汚す血を袖で拭う。硬そうな髪はおよそ丁寧とは言いがたくまとめて結われている。


「ところで、君達はこのキメラが行き交う人里から離れた山深くの獣道を単独で旅している位だ。先程の腕と良い、何者かは知らないが・・・」


 3人の姿は一風変わっている。服装や身につけている品々がだ。服の材質は上物でいて周辺の文化にそぐわない造りをしている。言うなれば民族衣装的な、間違いなく何処かの土着民族的な、古風ゆかしき民族と呼ばれそうな。村から町への使いにしても、随分な遠路だ。少なくともこのクォーレル国の者ではないだろう。


「・・・相当の戦士だろう。町までの護衛に雇いたい。依頼を受けてはもらえないだろうか」


「ヤだね。公守って言えばアレだろ。クォーレル国の役人とかいう奴で、俺らを何回も蛮族扱いして町から追い出した集団だ。信用出来ない」


 一刀両断。背中に隠れていた荷物を背負い直し、バンダナの端を弄りながら目を背けて口を尖らせて即答が返った。


 すっかり気を損ねたらしき青年の方を諦め、ジンは弓使いの方に狙いを変える。


「報酬は先払いでも良い」


「そういう荒事で稼いだ事はないし戦士は本業じゃなくてね。第一、仲間が嫌がってるものを強要したくない」


 これまた即答で却下が返った。仲間を引き合いに出してはいるが、弓使いは関わりたくありませんという態度をありありと出している。


 傭兵の一人が愛想笑いで手を振りかざす。


「そう言うなよ。まさかこんな所で他に戦闘員が通りかかるとは思えねえ。あんたらしかいないんだって。このまま山ん中で俺らが全滅してたら後味悪いっしょ?報酬だって、ふっかけちまえばいいんだし、そう無下に断るなよ」


 すると最後に現れた青年が苦笑して仲間2人を振り返る。


「確かにね。この人達怪我してるし放置していくのは心配かな。別に帰るまで獣を追い返せばいいだけなんだし、助けてあげようよ」


 この提案に不満の声が揃う。「うーん」と思案声の青年は拳を顎に当ててジンを振り返り、「ちょっと待ってくれる?」と仲間2人の手を引いて距離を開けて小声で相談を始め出した。


 傭兵達は仕方なく各々浅くない傷を始末し始める。ただジンだけは周りの草むらに鋭く警戒の眼差しを向けて剣の柄に手の平を当てていた。あまり長くウジウジと留まれる場所ではないのだ。


 傍らにある血だまりのできた獣達の死臭は飢えた新手を呼んでしまう。


「マジで!?」


 だがその懸念をよそに話はすぐに決着がついたらしい。


「約束だからな、アツシ!」


 不満げだった2人が手を叩き合せて機嫌よく立ち上がり目を輝かせていた。そんな2人へニコニコ頷いて、アツシと呼ばれる青年はジンに向かって歩み寄ってくる。目の前に立ったアツシは片手を差し出して無防備な笑顔を向けた。


「じゃあ、しばらくヨロシク」


 護衛として雇われる事で決定したらしい。










 先頭を歩き、太い木の棒で草をかき分けながらアツシは呟き続けていた。


「まず単純に必要なのは駒を同源1つで複数動かす仕組みを作らなくちゃ話にならないんだよね。カラクリをいかに軽量小型化できるかも問題でさ、でかいとそれだけエネルギーが必要になってくるわけだ。人力にしろ馬力にしろ労力が大きいと実用化が伴わないなだもの。とか言っても金属加工技術がどうしてもネックで材料の精密さが統制できないんだよ。大体、部品を作るだけで何年かかっちゃうかなあ。設計図だけ出来ても絵に描いた餅まさにとか。こんなファンタジーな世界なんだから魔法使いが代用品のマジックアイテムでも用意してくれていればいいのに、そこんとこ妙に現実的だよねえ。草原に高温を保てる窯を作るにしても、そもそも窯とか門外漢もいいところだからなあ。というか冷静に考えたら、マジックアイテムとか存在してもレポートに書けるかって話だったよ。なんだか二重に悲しくなってきた。この題材で明日レポート提出とか無謀過ぎる?」


「さあ?」


 特に考えた風でもなくノーディアが空返事をアツシに返す。そしてアツシも特に答えを求めてはおらず、首を傾げて顎に拳を当てる。


「次世代に向けての新しい省エネと無害な生産プロセスについて!すでに出来上がっている物を違う行程でナチュラルで簡易に再構築する道がやっと見えてきたかもって思った所で仮説の根本に足をとられるなんて、ああ、諦めるな俺」


 傭兵達は変人を見る目で正体不明の一時的に雇った護衛についていく。レポートを進められない今、せめて内容を順序だてて絞り込むしかない。アツシとしては必死である。


 護衛を依頼した剣士ジンは、合成獣を調べて肉片を採取した後は無駄な体力も話もしないとばかりに黙々と歩いている。傭兵達も疲労困憊らしく会話が無い。ただ、この中では比較的陽気な男が一人だけ「ウィリアムだ」と名乗って声をかけてきた。護衛を断ろうした時にも引きとめてきた傭兵だ。


「あんたらは何処の出身なんだ?旅人っつうのは、まあそれなりに異色なナリをしちゃあいるもんだろうが、その格好はあんまりにもお国柄を出し過ぎだろう」


「民族衣装のまんまの奴もいるしな。土着民丸出し」


 ウィリアムの近くにいた一番ガラの悪そうな傭兵が余計な感想を付け加える。傭兵達の胡散臭いという意思を隠さない目に、キョトンとしてケオンが自分の服を指で摘んだり撫でたりする。特にケオンは装飾品や小物一式から服のデザインまでをまったく弄っていない。


「別にお国柄を隠す気がないからな。どういう生まれで、どういう文化なのか見た目でも判断しやすいだろう。何より、俺はこっちの方が断然着心地がいい」


 肩をすくめるケオンに、ガラの悪い方の傭兵がノーディアに近づいて服の裾を指でにじって、したり顔をする。


「なるほどね。確かに質がいいじゃねえの。まさか土着民がキルカの布地を使ってまで、わざわざ貧乏臭い民族衣装を縫ったのか?この世で一番の無駄遣いをしたもんだな」


 3人の服の生地はどれも柔らかく伸びもよい。肌触りは刺激もないし、軽く、上等なのは明らかだ。


「キルカ?キルカってファッションの聖地とかいう町か?前に行った事があったな。物価が高くて買い物する気にもならなかった」


 ノーディアが服を引っ張る傭兵の手を払い落とす。


「おい、お前さっきからマワラを馬鹿にするなよ。これはキルカなんかじゃない。糸は自分達で紡いで布は俺が織った。キルカでも質が良くて希少価値があるって高値で売れたんだ」


「ま、マワラ?」


 話をしていた2人の傭兵は唖然とした。他の男達は聞き覚えも無く疑問符を浮かべて視線を送ってくる。


「お前らマワラ族なのか!?あの、絶対に集落から離れない引き篭もり民族が、なんでクォーレル国なんかにいちゃったりするわけ?」


「ノアちゃん。無闇に名乗るとまた誘拐されるよ」


 アツシは思考に没頭するのを止めて、絡んでくる傭兵に噛み付くノーディアと手を繋いで引っ張るが、卑下されて頭にきているノーディアが威嚇するので会話に参加していなかった傭兵や、ジンからまで注目を集めてしまった。


 少し遠くの無精髭の傭兵が容姿を裏切らない刺々しい口調で詰問の声を挟む。


「ユクレイユ地帯の、名前だけは有名な部族だな。商隊の護衛依頼で行った事がある。天衣無縫という縫い目を作らない柔らかな製作法が不明の生地を織るゆえに需要は高いが、商売を目的に生産を受注せず、どれだけ金を積んでも集落からはテコでも動かんゆえに品が出回らないため幻の名品と呼ばれている。国家予算並みの金を積んだとて1日ですら連れ出せるわけがない」


「要は嘘臭いと言いたいわけか。俺らの自己紹介をどうも」


 ケオンが肩をすくめる。


 マワラ族の集落には他民族よりも余所者が破格の人数訪ねて来る。大金を広げてなんとか生産性をあげ、できれば専用の契約をしたいという者は世界中に大勢いる。結局は「契約?」「小難しい商売とやらはしたくない」「出稼ぎ?集落の外に出てまで金なんて稼ぎたくない」「売り物を届けに来い?欲しかったら訪ねてきてくれないと、集落から出て行くなんて・・・」というわけで外に連れ出せない稀有な部族は、商売人達にとって金の問題児としても有名らしい。余所者を嫌っているわけではなく、むしろ友好的で温厚なのだがとにかく仲間と離れるのを異常に厭うのだ。こんな特殊能力がついているので他部族でも嫁に、夫にと申し出はあるが、他部族との結婚などになると大絶叫騒ぎになるのだから、相当酷い事はアツシ達マワラ族自身も一応自覚している。


 だから旅を始めてからは疑われるのも慣れたものだ。


「思えば遠くに来たもんだー」


 ムッとした顔になったケオンが、早歩きでアツシの前に立ち塞がり両肩を鷲づかみにして絶叫して前後に揺さぶった。


「遠過ぎるんだよ!!誰にも何も言わずに飛び出すはめになってんだぞ!一体、いつになったら集落に帰れるんだよ!?」


「おおー、どんまいぃぃぃぃ」


 激しく揺さぶられながらアツシは拳を握り親指をおったてる。ノーディアは耳に指を突っ込んで気だるそうに「勝手に追いかけてきたくせに、今更うるせーなー」と抗議は関知しないつもりらしい。


 騒ぎ倒してじゃれ始めたマワラ族に慌てたのは周囲の方だ。慌てて「静かに」と止めながらキメラの気配がないか木々の間に目を配る。


 とにかく早く町へと気持ちは急いているのだろうが、怪我人の足並みは相応に鈍行となる。陽が落ちればあっさりとアツシは進行を諦めて仲間を呼び止めた。今日中に町へ到着するつもりだったが、弱っている人間に鞭打つわけにもいかず素直にノーディアとケオンは野宿の準備に入った。逆にジンからもう少しくらい進めるだろうと訴えたぐらいだったが、弓を持って何処かに行こうとする足を止めたケオンは「俺達だけなら行くけどな。怪我人はとにかく休んでろ」と姿を消してしまう。草の根を分けるガサガサという音が遠ざかっていく。


 危険な山を早く下りたいという考えと、危機感の無さそうなマワラ族の能天気な態度の落差に苛立ちが掠める。だが、雇い主の命令だのという無粋な事は口にしない。無口な男は諦めてその場に座って休息に入る。護衛の要はこのマワラ族だ。雇っているのはこちらだとでも言えば手を切ると言い出しかねない。


 焦れてジンに文句をつける傭兵もいたが強く出られないのを理解せざるおえず、しばらく言い合った後に傭兵達も夜営の準備をし始めた。


 ノーディアはその辺の木の根を分けて草と枯れ枝を集め、アツシは木に仕掛けを組む。


「おい」


 姿を消して間も空けずにケオンがウサギを何羽もつかんで現れた。


「ウサギの親子がいたぞ。何組かいたけど、ここら辺は今が繁殖時なんだな」


「えー、俺も見たかったー。可愛かったあ?」


「美味しそうだったけど止めといた。お前ら子ウサギ捕ってくるとババ怒りするから」


「あてつけるなよ。俺に食えと言わなければ俺は怒らねえよ」


 ノーディアは冷たくあしらった。


「はっはっは。俺も目の前で食わなければ批難したりしない、かもしれない」


 アツシも笑顔で全否定する。ケオンは肩を落した。子ウサギ、子ヤギ、柔らかく上等な肉を嫌う仲間の食への意識の違いは共同生活上辛いものがある。


「ノアはともかくアツシは旅の間は食うなと言ってるに等し・・・しかも目の前じゃなくても怒るかもしれねえのかよ!」


 事切れいているウサギは綺麗に急所だけが貫かれていた。けして武道派としては通っていないマワラ族の印象が塗り換わる。狩りの腕にしろ、この短時間で鮮やか過ぎた。木であつらえられた質素で凄いような印象もない短弓。キメラを相手にした時にも普通は考えられない速度で連射していた。


「いや、いくらなんでも見つけるの早業過ぎ。どうなってんだよ」


 ウィリアムの怪しむ顔に、ケオンは得意顔でウサギを持ち上げる。


「歩いてる最中に目星をつけてるんだよ」


 鉄の篭手を外すノーディアの前に座ってアツシは手を伸ばす。当然のようにノーディアは腕を預ける。その腕を柔らかく撫でて裏返し、撫でさすっている。


「何をしているんだ?男同士で気持ち悪い」


 傭兵は顔を歪めて蔑みの目を向けるが、横でケオンが真顔でウサギの首をボトボト落しているのを見て、別の意味で気持ち悪そうに眉を八の字にして引いた。


 平然としてアツシはノーディアの反対の腕を取る。


「君らを助けた時に殴った腕が痛いって言うから調べてるだけだよ。ノアちゃんは体作りをせずに打撃技を始めたから繊細で・・・あー、やっぱりちょっと篭手が歪んだんだね、腫れてる。中のクッション材を変えた方が良いのかなあ。もうちょっと厚手にする製鉄技術が俺にあればいいんだけど基本的に俺、設計と組み立て方しか知らないから」


「だから俺は前にも言ったぞ。鍛冶屋にそれを渡して似たようなもん作ってもらえばいいんじゃないかって」


 ケオンは口を動かしながらウサギを更に容赦なくさばいていく。音は遮断できないが傭兵達は視界を完全に余所へ向ける。


「やーだー。俺はアツシが作ってくれたやつがいいの」


 ノーディアが首を振って嫌がる。


「あはは、だったら俺が鍛冶屋に弟子入りして新しく作り直すしかないんだね。武具の製作は理論通りとはいかないなあ。どっちにしろ調整だね。さて、手当てだ。ケオン、薬袋とってー」


「手が汚れてるから無理。ついでに串も出してくれ」


「さばく前に準備しようよ」


 逆に頼まれてカバンを探るのにアツシが動く。その目の先、少し離れたところで座っている傭兵2人が視界に入った。体格が企画外に縦と横に大きなメタボリックと、アツシの胸位までしかない痩せっぽっち。なんという正反対のでこぼこコンビか。


 兜にギザギザの平行線の裂け目が出来ているのを確認しているらしく、小さい方の傭兵が戻せるはずもないところを指で押し戻そうとしている。普通の獣では考えられないところだがキメラに引っ掻かれたのだろう。運がよかったのだ。あの強烈な損傷なら頭にまで達していてもおかしくはなかった。だが小柄な傭兵の頭に傷は無い。


「それ、修理難しそうだね。買い換えた方が早いかも」


「は?」


 声変わりもしていないような高い声を洩らす。小柄な傭兵は十代辺りか。


「でも鉄製品って高価だもんね。それエグれは貫通してる?鉄板を当ててボルトで止めたら使えるけど」


 前髪が長く目元は隠れているが、首を傾げ口元を歪めて睨む表情が垣間見えた。これは十代後半かも怪しい。傭兵達の中では最年少だろう。


「ダサッ!関係ねえだろ。失せろ」


 小柄な傭兵はそっぽを向いて兜を己のカバンに投げつけてしまった。そのまま体格の大きな傭兵と話し出してしまったので、アツシもカバンから目的物を手にしてケオンの前に調理の小道具を並べてノーディアの前に再び座りなおした。


 しょんぼりとしたアツシに、ケオンは手元の作業から少しだけチラリと目をやって呟いた。


「ああいう手合いは初めてじゃないだろ。懲りろよ」


 苦笑いでアツシは肩を落とす。


 ウサギの切り分けた肉は傭兵達にも分けられた。複雑な顔で肉をむさぼる男達。普段は加工された物ばかりを口にしているのだろう。都会っこという単語が頭に浮かぶ。


 食事が終わるとアツシはすぐに寝床の準備に入り、いそいそと横になって寝る体勢をとった。


「おい、おい」


 ウィリアムが焦ってアツシがかぶった布を引き剥がす。


「見張りを決める前に寝るなよ。まがりなりにも護衛だろうが」


「え?うーん」


 アツシは起き上がって回りを指差す。


「鳴り鼓よーし」


 地面を指す。


「蛇除けよーし」


「虫除けはまだだぞ」


 ノーディアが袋を取り出してばっさばっさと振り回す。舞い上がって辺りに散った粉で近くにいた傭兵達がむせかえった。


 アツシは首を傾げる。


「これで特に問題ないよね?」


 黙って無駄口一つきかないジンは思案顔をしていたが、口を開く。


「獣が襲ってくればどうする。突然の襲撃に対応するためには夜営で順番に見張りを立て警戒するのが定石だ。キメラという不穏な存在もある」


 ケオンやノーディアがお互い顔を見合って、ケオンの方が自分を指す。


「別に好きにすれば?何が襲ってきても起きる自信ならある。俺達の集落はクォーレルに比べれば生まれて死ぬまで野宿みたいなもんだ。俺達は普通に寝る」


 そもそも一人でいるのを嫌うマワラは、単独で寝るのも単独で起きるのも単独で暗闇にいることもしない。そして旅をしないので外で寝ることもないわけだが、文明の度合いで言えば圧倒的にクォーレルや他国よりも野宿に近い。


 集落の中に野生の獣が飛び込んでくるなんていうのは珍しくもない。水が汲み置かれ、家畜が闊歩している。


「お前らも寝ればいいだろ。襲われる前にちゃんとケオンが起こすしな」


 ノーディアの「もういい?寝るけど」という態度にウィリアムが前に出る。


「だああ!もう、お前らの原始的なやり方なんて知らねえよ。護衛で雇われたからには普通のやり方に従えよ。夜の見張りを免除だなんて・・・」


 ガラの悪い傭兵がアツシに目を向ける。足先から頭まで値踏みして舌打ちをして顔を歪めた。


「弓使いや格闘家はともかく、役立たずが夜の見張りでくらいは働こうって思わねえのか」


 こめかみをピクリと動かしたノーディアの顔が険しくなるのを、アツシが手の平で止めて笑顔で返す。


「マワラ族はそれぞれが役割を持っていて、俺は治安対策というか、防御が管轄なんだ」


 親指で示した森の向こうに視線が集まる。


 地面に置いていた手を真横に引く。周囲に張り巡らせていた紐が一斉に揺れて木札が当たり合ってバラバラバラと派手に鳴り響く。その音で突然甲高い獣の鳴き声があがり何匹もが走り去っていく。


 後姿はキメラなどではない普通の獣だと思われる。だが、近くで身を潜めて様子を見ていたのだ。襲うつもりや隙をうかがっていた猛獣の類だろう。


「別に無知で反論してるわけじゃないよ。盗賊やキメラ、猛獣に俺達のやり方が通用するのは仮説だけじゃなくて実証済みなんだ。協調性に関しては許してもらわないと困る。元から急場凌ぎの契約で、何も取り決めていないだろ」


 唇に指を当てて口を閉ざすと、暗闇の中で何かが風を切る。即座に「キャン!」と甲高い声が意外な程近くで聞こえ、残って潜んでいた獣が逃げ去った。


 そこから一番近くにいた傭兵が半腰になり、身構えて硬直する。ジンは静かにアツシを見返す。少しの罪悪感でアツシは苦笑いを浮かべた。


「朝に俺が仕掛けを解除するまで、ここから出ないでね。間違って大怪我するといけないから」


「おい!」


 ウィリアム他、傭兵達が顔をしかめて騒ぎかける。その間に腰を下ろしたノーディアが天に顎を向ける勢いでツンと顔を背ける。


「おやすみ、ゴメンね」


「ちょ、待っ・・・」


 謝罪をしながら反論を聞き流し、アツシはいそいそと横になって布にくるまった。


「この、この辺境土着民がっ・・・・」


「俺もおやすみぃ」


「心配すんなよ、クォーレル人。アツシの仕掛けなら大体・・・」


 騒がしい会話をバックにしながらもアツシは急速に体から意識の抜け落ちていく感覚をつかみとれた。










 落下する様に、あるいは浮上する様に抜けていた力が戻って両腕を突っ張った。目の前には広げられた参考書が3冊。顔に手を触れると本の跡がたどれる。窓の外は明るくなりつつある紺色。時計は4時を指す。


 ずれきっていた眼鏡が床に落下した。


「タイムリミット3時間かぁ。迷ってる場合じゃないな」


 鏡にほっそりとしたインドアだと判断させる日に焼けていない女が映っている。眼鏡をかけなおし、黒い肩までの髪をごっそりとタオル地のゴムターバンでかき上げて、寝転んだままノートパソコンを手前に引っ張る。


 窓の外は電柱、女の部屋にはヌイグルミの代わりに手作りで中身の仕組みが丸出しのロボットがいる。化粧台の代わりに並ぶ工具と工具机。ファッション雑誌の代わりに並ぶ機械系統、理系、辞書、表紙の剥ぎ取られた何か、教科書。旅行の土産らしいストラップが繋がった携帯電話には『メール一件』の表示が浮かび、床に放り出されている。


「シャワーあびれますように」


 つけっぱなしで寝落ちしたパソコンに顔を近づけ、ほとんど文字が並んでいない画面に文字を打ち込みまくる。


「このレポート提出したらオカマ軍団のフランスフルコース手料理。合格貰ったら中山先生の秘蔵データ開示」


 呟かれる念仏。光を反射して文字が映り流れる眼鏡。不必要となった分厚い本をバタリと閉じて無造作に遠くへ滑らせ、別の本を引き寄せて文字をなぞる指。


 閉じられた分厚い本の下には油性ペンで名前が書き込まれていた。『アツシ』と書かれている文字に二重線を引いて一度消した跡の上、そこには『鉄灯』という漢字が並んでいる。その上、ついに3列目にはフリガナがふられていた。確かに何と読むのか分からないから必要かもしれない。それが彼女の名前であろうから。


 クロガネ・アカリ。

 
「うおおお、時間止まれえええ」


 課題をやる学生が大抵唱えるが無駄に終わる呪文である。




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