ライフオーバー 20




 揺らぐ視界、頭を包む霧、重い体は疲労とはまた違い冷たく泡だつものを感じた。


 あれから夜もふけたが集落の中心では炎が焚かれ、まだあのまま人が大勢残っている。料理が外に運ばれ酒が持ち込まれた。炎の光が届かない闇の中、集落を囲む柵の上に座るアカリとオトはその光景を静かに眺めていた。火は遠かったが表情を隠しはしなかった。


 以前も今も人を遠ざけているのは己だ。誰かに声をかけられるのが怖くて身を隠している。死ぬ気になっても不器用で、臆病なまま。


『そのナリでアツシと名乗ったんなら、今更マワラ族かどうか分かりませんじゃねえんだよ!いいか、お前はマワラ族の守護者アツシなんだろう。その名前はな、このユクレイユ地帯で最強の戦士の名前だ。ヘタレた姿ばっかり見せてやがったらいい加減に張り倒すぞ』


 捨て台詞を残して集落を去るエルドラの背に手が引き止めようと持ち上がり、空をつかんで思い留まり途方にくれた。礼も言い損ねたまま、これでもう会うこともないのかもしれないと思えば胸がまた痛む。


 オトは手にしていた弦楽器を鳴らす。オルゴールの様な単音で奏でられる音楽はただ綺麗で、物悲しい。


「報復する相手だったら、ここにもいるんだけどね」


 音楽に紛れさせて自虐的な呟きをオトが漏らす。


「君を調べてチャンドラに情報を流した。告白してこようか。仇を討てれば少しは集落を出る案に前向きになれる人が増えるかもしれない」


「顔見えないんだ。俺、この体じゃ目が悪くてさ。近くに寄っていい?」


 柵に手をついてグイっと身を寄せたアカリにオトは手を止めて軽く身を引く。久しぶりに見たそばかすの顔。配色は王子なのに、態度はいつも孤独な世捨て人だ。目をそらしてオトは伏せ目になる。その目が感情を強く映しているのを自分でよく理解しているのだろう。相手に心の内を知られるのを恐れている。


 オトの持つ楽器の弦をアカリは指で弾く。


「遠からず俺は死ぬよ」


 揺れた青い瞳がアカリを見た。


「仮の命だから。もう俺に眠った後の行く先はない。チャンドラに何処まで聞いたか知らないけど、眠りで休息をとれない生物は生命を維持できない。だから集落を出て、今度は誰にも知られない場所で死ぬ」


「どうして・・・俺に」


「口車を合わせてくれる協力者はいるかなって。それに一緒に旅をしようって誘った手前、責任とって引き取り先も考えないと。君にキメラとしてクォーレルで羽を晒させてしまったから」


 弦を触るアカリの手をオトがつかむ。口を必死に動かしてもオトから声は出ず、代わりに手の力が強まっていく。少し痛いと感じるぐらいの拘束に黙ってアカリは付き合う。


 オトはすがる目でアカリを見た。


「捨てないで」


 搾り出された言葉に困った顔でアカリは微笑む。


「他のマワラ族といた方がこの先、必ずオトは求めているものを手に入れられるよ。楽しい旅路は約束できないけど、俺といてもすぐに孤独しか無くなる。ああ、でもまだ逃げてくれるって決まったわけじゃないか。もし駄目だったら」


 オトの手が強張る。


「アツシ、ここにいたのね!!」


 息を切らせた女の声に押し黙って目を向ける。暗闇の中で近視のアカリに姿はよく見えない。だが、声でそれがノーディアの姉イレリアだと分かって凍りついた。アカリの反応にイレリアは戸惑い焦る。


「あ、えっと、アツシでいんだよね。その、随分変わっちゃったから。でも前から異世界ではこの姿だったわけだから変わったっていうのもそもそもおかしいよね!あは、あははは」


 目を泳がせながら「えっと」と言葉に迷いながら、イレリアが一歩踏み出す。柵に座っていたアカリは降りて迎えた。


「あのね、なんで黙って旅に出たの?そりゃ、聞いたら止めたと思うけどさ、凄く止めたけど、でも・・・・・・・あのトワトワ族にも言ってなかったのは意外だったの。なんか、凄く怒ってたわよ」


「・・・・・・ノーディアをとっさの思いつきで連れ出したのは悪かったと思ってる。役目に悩んでいるのが他人事に思えなかくて気づいたら声をかけてたんだ。あんな目に合わせたのは全面的に守護者である俺が不甲斐なかったからだと」


「せ、責めてるんじゃないの」


「必要だと思ったんだ。同胞の死に報いる償いができるのかもしれないと、ずっと計画していたけど、マワラ族なら必ず激しく反対するだろう。げんに、ケオンにはかなり必死に止められたんだ。追いかけてきてまで。そういう、追求から逃げたかっただけ」


 顔を伏せて情けない告白に薄く笑いが浮かぶ。


「エルドラに話さなかったのは、なんて言われるか予測できなかくて怖かったんだ」


 イレリアは無言になる。だがその沈黙に耐えられないからアカリは続ける。


「ケオンはイレリアが一番怒ってるだろうと」


 跳ねるようにイレリアが顔を上げる。


「今回の怪我のこと以外に、ノアちゃんじゃなくて俺が旅に出たことを怒っているだろうと。約束でもしてた?どうしても思い出せなかったんだ。俺、自己中だから、あの頃は旅に出ることばっかり考えてて」


「してないよ」


「なんだ。じゃあ、ケオンにからかわれてただけか。内心、凄くびびってたんだ。でもイレリアはノアちゃんみたいに怒るような」


「怒ってるわよ!!」


 慌てて顔を上げれば、涙を零れさせてイレリアが距離を詰めて迫ってきた。思わず後ずさったアカリはすぐに柵にぶつかって逃げ場を失う。手前で両手を組むイレリアの目元はすでに赤く泣き腫らされていた。


「なんでマワラ族の中にいるべきじゃないとか思っちゃうの。急に旅になんて出ちゃうから、私、もう何年も貴方が好きなんだって言い損ねちゃったじゃない!」


「え?」


 耳を疑って、「え・・・」と時間差でアカリの顔が染まる。イレリアは空に向かって泣きながら叫ぶ。


「こういう女もいたのよ!いるのよ!必要ないとか、いちゃいけないなんてありえないんだから!!いて、欲しかったんだから。誰の誘いも断って待ってたのに。ずっとアツシに嫁ぐのが夢でいき遅れてるのに。好きな人が死んでたり女になってたりした場合、どうすればいいってのよー!」


 泣き崩れるイレリアにアカリが焦って「うわああ」と情けない悲鳴を上げる。


 そこにフラリと背の高い影が現れる。


「あーあ。泣かしてるし」


 酒を片手にケオンがエペの肩に手をかけて現れる。その隣をチュチエが走り抜けてイレリアの側にしゃがんで頭を撫でてて、同じく近くに年若い衆が集まっていた。ノーディアが柵を跳び越えてアカリの背後から柵に腕をついて身を乗り出す。


 ケオンがイレリアの前にしゃがんで溜息をつく。


「俺は帰ったらこの光景を肴に酒を飲んで、慌ててるアツシを見てこの3年の溜飲を下げるつもりだったのになあ」


「け、ケオン」


 酒を傾けて足に肘を立てたケオンがアカリを見上げて口の端を上げる。


「イレリアがお前を好きなのは見てて気づいてたもんでね」


 ノーディアは「俺の方が好きだもーん」とアカリの首に腕を回すと、イレリアが立ち上がって「横恋慕反対!!」と姉弟喧嘩を始めかけた。


 その勢いで黙っていた若い衆の中で、ケオンの腕を解いて口を開いたのはエペだった。


「お前が本当にあのアツシ、なんだよな?」


 頭が混乱しつつ、コクリと頷く。


 エペは表情を歪めて吐き出す。


「なんだよ、マワラ族かどうか悩んでたって」


「ヘムナを連れ戻した時に大勢同胞が死んだから?自分のせいだって思ってたの?それで距離を置いてたって」


 チュチエに痛々しそうな目を向けられる。


「それも、ある。ガザル族の血を引いているという以上に、俺はアカリの性質を強く持っていたから、話をしていてマワラ族と違うなって強く実感したくなかったし。臆病だよな」


 笑う。が、当然誰も釣られてはくれない。


 あちらの世界でも同じだ。他人と違うと実感したくなかった。拒否されるぐらいなら、最初から歩み寄っていなければいい。そうすれば手を跳ねつけられなくてすむ。


「マワラ族らしくなくても、守れていれば仲間でいられる気がしたんだ。母の言う通り。馬鹿な自己満足なんだけど、俺はあっちの世界でアカリと繋がっている意味を、他人と違う理由を見出したかった。この技術があればもっとみんなを守れるのかもしれない。そのために俺は生まれついたんだって」


「そんなの必要無かったわ。ただ、生きてさえ、いてくれれば」


 泣き声でイレリアが吐き捨てる。狩り手のラオが前に出てくる。旅に出る前には幼いとすら感じた少年は既に立派な青年としてアカリを見下ろしていた。


「イレリアがアツシを探しに旅に出るって言い出してたんだよ。帰ってこないなら迎えに行くって。それで俺達みんなで連れ戻そうぜってなったんだけど、旅なんて勝手が分からないから相談し合っててさ」


「そりゃ、集落を出るなんて想像もつかないし苦痛だったけど、3人共音沙汰まったくないし。なんかあったんじゃないかって気が気じゃなかったのもあるし」


「って、たじろいでる間に、もうちょっと早く実行してりゃ良かったなって後悔してるんだけど」


「アツシってやっぱり変!寂しかったなら、ここにいれば良かったのよ!!」


「大体、そんなに私達の事が大事だったんなら、どうして同じ位に大事に思われてるはずだって分からないかなあ。だってマワラ族なのよ?」


「不思議君だった事なんて元々みんな知ってたのに」


 次々に身を乗り出してアカリは完全に囲まれて手を伸ばされる。「肌白過ぎない?」だとか「腕細い、あたしでも折れそう」「胸が私よりあるって、どういうことよ」だとか、されるがままのアカリはまた目頭が熱くなって泣き出す。


 周りが慌てる中、涙を零すアカリの目元をエペが拭って肩をつかみ真っ直ぐ見据えた。


「物言わぬ死人であれば心は伺えない。だが、アツシは体を失いながら、戻った。なんて言っていいか分からないけど、半分生きてる。その口から報復を厭い、俺達の無事を願った。だったら生きるために戦うべきだ。例え、血の滲む苦痛が伴ってもだ。俺は、行く」


 腰に手を当ててチュチエが苦笑いを漏らす。


「ちょっと予定とは違っちゃったけど旅に出る心構えなら少しは出来てるわ」


「あたしはまだ報復してやりたい気持ちの方が断然強いけど、アツシが嫌だって言うんなら断腸の思いで諦めるわ。それで他のみんなも説得してあげる」


 ユユの言葉に若い衆が覚悟を決めた顔で頷いた。


 許されてかまわないのだろうか。まだ何も解決したわけではない。長い戦いを迎えようとしているマワラ族を残してしまう事になるだろうアカリが、最後にこんな救いを与えられても。


 眠らなくなって幾日目になっただろう。後、どれくらい命は残されているだろう。










 朝、集会場に徐々に人が集まっていく。久々に家で夜を明かしたアカリは、ぼんやりとその光景を眺めていた。眼鏡の無いアカリには薄っすらと人が動いているとしか分からない。集落の外に目を向ける。そこで緑の中に明らかに人影を感じた。柵に近寄り身を乗り出して目をそばめる。


 騎馬が複数。鉄の鎧めいた色や、商人めいた大荷物のシルエットも見えない。


 脱力して震える足を無理やり立たせる。近くにいる家畜を引っ張ってきて体の支え代わりに身を任せながら歩く。


 歩きではさほど集落から離れない位置となってしまうが、エルドラが馬を引いて止まる様に周りへ声をかけると不平不満を口にしながらも騎馬に乗った男達が全員アカリを取り巻いて止まった。ぼんやりとだが彼らが誰か分かった。


 分かったからと言って、なんと口を開けばよいのか。


「なんだこの女は。クォーレル人か?」


「クォーレルにしては顔つきが違うんじゃない?」


「肌が白過ぎる」


 馬からエルドラが下りる。それに顔を向けて、とにかく守護者としての台詞を思い出す。


「マワラの集落に各部族の戦士方が訪問される用件を伺いたい。俺はマワラ族の守護者。今は大切な話し合いの最中なので待機願いたい」


「はあ?マワラ族の新しい守護者だと?」


「おい、待てよ。トワトワ族!まさかこの女がアツシか!」


 慌ててエルドラを見た青年に、軽くエルドラは答える。


「そうだ」


「「「はああああ!?」」」


 何人もの男が声を荒げる。幾人かは馬から飛び降りアカリに詰め寄ってきた。


「冗談じゃねえぞ!こんなのどう考えても別人だろうが!」


 二の腕をつかまれて家畜から手が離れ、後ろから強烈に揺さぶられる。


「どう見ても縮んでるぞ!?細い、弱い、つうか乳揺れてる!!」


 脳みそも揺れている。


 意識がぶっ飛びそうになりながら「やめ」「あう」「うえ」としか声が出せないアカリはされるがままに振り回される。


「説明した通りだ。嘘なんざついてねえ。直接確認してえ奴は聞けばいいだろ」


 エルドラが冷めた口調で言うので揺さぶる手が止まる。目の前に立つ男が苦い物を口にした風にアカリを見下ろす。何度も対峙した男だ。なのに女の身になって相対してみれば、こんなにも大きく圧迫感を感じるものか。


 揺さぶりで頭をやられ、動きを封じられたままアカリは口を利いた。


「何を確認したいの、ボノ」


 目の前のガザル族の青年の名前を口にすれば、周囲はすぅっと溶ける様に静かになった。


 マワラ族にとっても、彼の部族にとっても、相容れがたいお互いの集落に訪れるとなれば、そう軽い理由ではない。他の部族もそれぞれで訪ねてくるのならばともかく、この複数となればマワラ族に生地を依頼しにきた、という用件ではないだろう。この時期にエルドラも伴っているのだ。内容など1つしかあるまいが。


「お前がマワラ族のアツシだというのなら、なんだそのザマは」


 ため息が出る。


「エルドラから聞いたんだろう。旅に出ている最中クォーレル国の人間に異質で危険な存在だと判断されて処刑されたんだ。女の姿なのは異世界で」


「そんな話はどうでもいい!よりによってクォーレルの人間に何故遅れをとった!!死んだだと?急に姿を消した次の報がコレか!?」


 二の腕をつかむ手がきつく締まり、背後からも歯軋りの合間から恨み言が放たれる。


「勝ち逃げしておいて死んだなんて。蘇ったつったって体は縮んでるは、乳はあるは」


「おいハスィブ族、乳の話は止めろ。マジその空気読まねえ舌引っこ抜くぞ」


「止められるか!!」


「ひょわぁ!?」


 二の腕から手が離れたかと思えばスルリと胸を鷲づかみにされてアカリはビクリと体を震わせる。


「いつかぶちのめして負けの汚名をそそぐ予定だった標的になってんだぞ!どうしろってんだ!もはや抱けってのか!!ああ、そうか!!」


 大興奮している背後のハスィブ族と別方向で馬に乗ったままのレム族が口に拳を当てる。


「なるほど。その方法なら己のプライドを傷つけずに屈辱的に負かす事はできるな」


「何に征服欲をだしている。元がアツシだぞ。正気に戻れハスィブ族、レム族」


 ティマが呆れた声で水を差す。


 胸を揉みしだくハスィブ族の手をつかんでアカリは身をよじる。


「ひあ、やう、や、止めてヴダラ!衆目プレイはアダルトビデオだけで結構です!セクハラ反対!!」


「僕の名も呼ぶか!本物のアツシだとすれば哀れなもんだな。最強の男が外つ国で玉を取られ簡単に組み敷かれるまでに堕ちた!!」


 疲れたようにエルドラが頭に手をやって舌打ちする。「ハスィブ族、遊びに来たんじゃねえだろうが!いい加減に」と言い掛けてる所でアカリはヴダラの肘をつかんで捻り弾き、深くしゃがみこんで草を滑る様にエルドラの横へバックジャンプして尻餅をつく。ついでにエルドラの膝に抱きついた。


 思わぬ動きですり抜けられて唖然としているハスィブ族その他に見下ろされ、捕まえられているエルドラも「おい」と声をかけるがうつむいて若干泣きそうになりながらアカリは上目遣いに周りを睨む。


 騒ぎを嫌そうに見下ろしていたティマがここぞとばかりに話の軌道修正を図る。


「クォーレルがマワラ族と他の部族を見分けることはできん。戦火は少なくともユクレイユの西部に広がるだろう。第一にケノモ族はクォーレルが好きに草原を駆け抜けるのを許さない。ここにいる部族は事を構えるのに合意している。共同戦線を嫌う者もいるが、部族の決定を別にして個人的に動く者もいる。この件を元に同盟の体裁はとれた」


 ティマの言葉にアカリは目を細める。


「それでマワラ族にも武器を取れと言いに来たわけか。俺がマワラ族に何を望んでいるか知りながら」


「お前がアツシならそうだったかもしれん。かたわらを預けるには今のお前では役不足だ」


 アカリは口を引き結ぶ。ズキリと痛む胸をソッと押さえつけた。


「マワラ族の意向に関わらず、これからエンドから草原に足を踏み入れようとするクォーレル人は迎え撃つ。だがマワラが散ってクォーレルから逃げるのなら身動きがとれない妊婦や老人、赤子はトワトワとケノモ、後はトルホが女であればの条件付きで受け入れる事に合意した」


「え」


 周囲の顔を見回す。


 何度も拳を合わせた戦士達の、戦いを前にした真剣な顔を。それは実質、マワラ族を助けるために火に飛び込む事で、それを受け入れると?


 ガザル族は剣のある顔で腰を屈めて噛み付く様に吼えた。


「勘違いして呆けた口をきくなよ。ガザルは他のどの民族の下にもつかん。それが草原の外の連中であろうとだ。最強頂点こそガザル。マワラを逃がすために戦うんじゃねえ。このユクレイユでクォーレル人が大手を振って足を踏み入れようとする思いあがりを叩き切るために過ぎん」


「ハスィブ族もおおむね同意した。草原の中ですら覇権争いで忙しいってのに、クォーレルの横槍なんて冗談じゃねえ」


 ゆっくりと瞬きをして、アカリは苦笑する。


 エルドラの手をのけて立ち上がり、マワラの集落を振り返った。この草原が統一されてクォーレルに匹敵するいかんに関わらず国として成り立っていたのならば、この様な状態を望めはしなかっただろう。


 部族間抗争で戦火の止まぬ草原。プライド高い戦士達。


 軍を率いて本気でクォーレルが侵略を図れば戦況はユクレイユの部族達に分が悪い。だからと言って、降伏などしないのだ。草原を明け渡す足がかりを許すなど。部族を侮る事を許すなど。


 そしてマワラ族の決断はついた。


 知らせに来たヘムナに、ティマは息をついて首を振り「不戦か」と不満を漏らす。


 他部族の申し入れにヘムナは笑みを浮かべて「知らせてくるわ」と集落に戻っていった。


 覚悟を決めたが早いか、積極的にこれからを話し合うマワラ族達。アツシは死してユクレイユの草原が選ぶ道を見ている。


 もう役目は終えた。


「おいアツシ」


 集落に戻ろうとしてエルドラに呼ばれて振り返る。背後に立ったエルドラがアカリを睨みつけて言い放った。


「別れる前にこれだけは言っとくぞ。旅に出るのは誰にも言うつもりがなかったっていうのは百里譲っても、俺が火祭りに行くつったのに姿くらましたのは許さねえからな」


 目を丸くして見上げて困った顔で笑う。


「なんで?あれ来るって言ってたけど行けなかったの?」


「お前がいねえのに、なんのために他部族の豊穣を喜びに行かなきゃなんねえんだよ!」


 指を突きつけて顎を上げられる。


「マワラで孤立してんならと思ってトワトワの女世話してやりゃ逃げるわ、酒に誘えばまだ呑めないとかわけわからん事で逃げるわ、戦えっつったら逃げるわ!人をおちょくてんのか!?」


「いや、忙しい時に仕合いの申し込みは無理だっていうだけで。他はまあ異世界の法律的というか、女の子紹介されても俺には荷が重過ぎ」


「うるせえ!いいか、俺はこの3年、帰ってきたら必ず勝つと決めて腕を磨いてきた。無事に帰ってきていたら俺が勝っていた!!」


 切なく響く狂おしい訴え。


 少し迷ったが、アカリは頷いた。


「ああ、そうだね。エルドラは俺が知っている中で一番強かったよ」


「「「ああ!?」」」


 他の戦士連中が騒いだ。プライド高い男達に苦笑して付け足した。


「それに少なくともここに来てる顔ぶれは、手合せでヒヤリとさせられてた戦士だ。旅に神経を向けて鍛錬を怠っていた俺には勝つ隙なんてないさ」


 ガザル族が頬を引くつかせて「てめぇな」と頭痛がする様な仕草と表情をしだす。


 アカリは江崎に好みの男のタイプとやらを答えた事があったのを思い出す。その思い描いた男が誰だったか。


「他部族の戦士相手に何言ってるんだって呆れられる気がして言えなかったけど、俺、君達が好きだったよ。会うのが楽しかったんだ」


 周りを見回して、最後にエルドラと目が合って止める。


「だから背を預けて戦うというのも惹かれる話だった。もうかたわらに立つ事も、再会する事もないだろうけど」


 寂しさで下がりかけた頭をエルドラに前髪ごと鷲づかみにされ、上げさせられる。


「一つだけ、俺は止めろ」


 目を丸くすると、エルドラは更に問題発言をした。


「もう会うことも無い?相変わらずの馬鹿だな。戦えないのはどうしようもねえんだ、もうこれ以上は俺も言わん。だがその景気の悪い思考回路は消滅させろ!寂しいんなら俺が嫁にぐらい貰ってやる」


「えええええええええええ!!」


 周りの他部族が呆気にとられてる横からつんざく悲鳴をあげた女の声に、アカリは固まりかけた身を捻る。血の気を引かせたイレリアの声らしかった。後ろにいる他のマワラ族もあまりの声にのけぞっている。


 イレリアはアカリとエルドラの間に体当たりで割って入った。


「やっぱり、やっぱりそういう下心があったのね!?駄目よ、駄目駄目絶対に駄目!アカリは他部族にお嫁になんてやりませんからね!!」


「煩い女が来た・・・相変わらず意味の分からんことを。どうせこいつが腹の中でグルグルいらん事を考えてるのをマワラ族に漏らせるようになるわけじゃねえんだ。ガザル族に嫁入りしたヘムナの件と違うし、俺ならこいつの異世界云々はともかく大体分かってるし適任だろうが」


「勝手に他部族が口説いていいと思ってんの!?ももも元はアツシなのよ!!」


「女なんだから問題ねえ。こいつに一生独り身でいろっつうのか」


 ケオンが更に後ろからアカリを引っ張る。


「これだけ可愛ければ十分貰い手くらいいるわ!!」


 その横から更にノーディアに手を回されて頬に顔を寄せられた。


「大丈夫。俺は中身が同じならどっちだって好きだし、俺が欲しいから貰う」


 イレリアが目を回しながら男達を懸命に押しのけて真っ赤になって叫ぶ。


「私だってどっちでも好きなんだからあああ!!この長年の想いが女になった程度で捨てられるもんですかああああ!?」


 もはや他部族連中は最初こそ驚愕していたものの呆れて肩をすくめた。アカリは噴き出してしまった。


 人に囲まれて、こうして笑っていたかっただけだ。


 屁理屈をこねたところで本当に求めているものは、たかがそれだけなのだ。










 今までに見た事もない閑散とした集落。


 アカリはオトがいない事に気づく。そういえば夜から見ていないのだ。


 去ったか、それともクォーレルに還ったのか・・・。だが、万が一、オトがマワラの情報を持ち帰ったとしてもマワラ族の決定を知らずに去ったのならば追う事もあるまいと思考を閉ざす。


 オトがいないのなら、マワラ族から姿を消すのに多少別のアリバイを作らねばならない。母ヘムナを見れば、昨日まで持っていた腕を持たず、荷物を抱えていた。少しホッとする。いつまでも己の死んだ腕を抱えている母は見ていられないと思ったから。


「俺達も出発しよう。おーい、アカリ」


 ケオンの呼び声に振り返ったアカリはノーディアとケオンに向かい合った。目をそらせて直視できずにいた2人の顔を記憶に刻み込みたい。


「母は最後尾を守って道を進むから2人はマワラ族を先導して先頭を守って欲しい。俺は旅が出来ない同胞の受け入れについてエルドラ達にまだ話があるから、後で追うけど任せても大丈夫だよね」


「それなら俺達も少し待って」


「旅になれない仲間が迷わない様に手を引く役割は間違いなく君達だ。馬に慣れない娘達は特に不確定要素を引き起こさない内に出発させるべきじゃないのかい?」


 母を除いてマワラ族で圧倒的に一番長く身近にいた仲間。この3年の旅で他のマワラ族よりも広く多くを見知り、彼らがこれからのマワラ族を中心となって導いていくだろう。本質を正しく見出し判断をくだすと努めたノーディア。草原の外でも楽しみを見出しながらマワラ族をらしくおくだろうケオン。


 これからだ。居並んでいるのは、これからのマワラ族達。


「俺にもまだやれることが残ってるんだ。役目を果たさせてくれ」


 表情を硬くして口を開きかけていた2人に信頼を盾にとって言い含めた。アカリは目にこの光景を焼き付けて踵を返す。


 最後の嘘だ。誠意のない謝罪は口にすらせず。










 まだ辛うじて集落の近くにいた他部族の戦士達に、アカリはなんとか話を持ちかけた。先に行かせるだけの時間稼ぎに付き合ってもらわねばならない。少し往生際悪く様子を見ていたノーディア達は仕方なく出発をした。もうそれなりに距離は開いただろう。これで鉢合わせることはあるまい。


 計画通りというわけだ。


「クォーレルは軍という数で攻めて来るよ。単純な計算をして部族単位の戦士が4つ集まった程度じゃ比率が波状するよね。断言してもいいけどサシでやってクォーレル側で君らに勝てる戦士はいない。つまりこの戦線で問題になるのは物理的にどうにもならない数字なんだよ。長引けば疲弊する」


「ガザル族はそんな軟弱な」


「そうだろうな」


 反論にかぶせてケノモ族が頷く。


「あっちはマワラ族だけを相手にするつもりで、ユクレイユ攻略のための編成は組んでいない。それに他国との緊張した情勢で、ユクレイユと完全な交戦状態をとりたくはないだろう。それにこのユクレイユ地帯はクォーレルにとって未開で未知の領域だから積極的な戦意が雑兵にないはずなんだ。利益よりも損失の方が大きければ組織や国は消極派を増やす」


「何が言いたいのかサッパリだ。クドイ。何が言いてえ」


「情報が無い状態を利用したらどうかなと。野蛮だ未開だという偏見を利用して、こちらの戦力を伏せたまま交渉を受け入れる隙は見せずに交戦。あいまいだったユクレイユの国境を宣言して、それを越えたら容赦しないで」


「おおむね今からやることと変わらんぞ」


「そうだね。でもマワラ族はみんな散り散りに逃げたって教えてあげてよ。目的を見失えば戦意を更に失う。君達がどれだけ強いのか見せ付ければ、ユクレイユに簡単に手を出そうなんて思わない」


「口先で戦やるなんざガザルのやり方じゃねえ。小賢しいだけだな。戦えないからって口を挟みたいだけだろうが。引っ込んでろ、女」


「君は猛獣に生まれながら、牙と爪を失えば猫になるの?守護者は力だけでこなしてたわけじゃないよ。君達がマワラに手を出す気にならなかったのは、そもそもこういう小賢しい計略に君達のプライドが引っ掛けられたからじゃないの?」


 顔を近づけてガザル族は歯を剥き出し大きな口を歪めた。アカリもそれに小さく微笑み返す。


 以前より高く感じる馬にまたがる。


 エルドラが目を細める。


「いってこい。クォーレルを沈めたら迎えに行ってやる」


「もうその話はいいって」


「うるせぇ、ボケ」


 馬の腹を蹴る。


「どうか、ユクレイユの草原がマワラ族の故郷たらんことを」


 マワラ族の向かった方角に向けて駆け出す。










 草原の最中、馬を止めて半ば転がり落ちる様に草原にアカリは転がった。マワラ族が向かった方角とは軌道をずらしたユクレイユ地帯の北方だ。西方部族や万が一マワラ族が戻ってきたとしても発見される前に朽ちることは出来るだろう。


 馬がアカリの顔に鼻先を当てる。空と馬の顔をと草が視界を埋めた。


「終わったよ、コマキちゃん」


『馬鹿、嘘つき、性悪』


「あはは、ごめんー」


 霞んでいく意識。


『眠っても身体が世界の向こう側になくなってしまったのなら、今度は何処に行くんでしょうね』


「残念、ここで終わりなんだ」


 時間などもう感覚はなく、アカリは声を出しているのかどうかも分からないまま口を開いていた。


「おやすみ」


 安堵した穏やかな気持ちと、これからを望まれた希望への残念な気持ちで微笑んでいたはずだ。眼鏡の無いアカリのぼやけた視界を覗き込む影が立った。


「ゆっくり眠りなよ。もっと静かな所まで飛んで、君が目覚めるまで子守唄を歌うから。君が好きだと言ってくれた歌を」


 目を瞑り、意識が少しずつ薄れていく。


 それなのに鮮やかな世界が風にでもなったように広がっていく。知っている歌声が響いた。天使の歌声が。


 草原に埋まるアカリを、ずいっと顔を出して覗き込むバンダナを顔の半分まで覆った青年が腕を引いて体を起こした。


「ここまで来ると嘘つきの病気かって言いたくなってくるな」


「なあ、よく分からねえけど、卵っていうか、ソレが孵れば本当にアカリは死なずにすむんだよな?」


 歌が止んで、歌声の主はその手にある何かを大事そうに撫でる。


「眠りを得れば人は生きられる。もう一人の異能者は彼女の夢を繋ぐ対を作れば生かせると言っていた。精神感応は他人の細胞では生み出せない。だけど、本人の細胞から構築したキメラならば肉体構造の制限はあっても」


 半身が火傷で引き攣れた青年はアカリの髪をかいて耳にかけて頬を撫でる。


「難しい理屈は分かんねえよ。もう一人の異能者とか知識の出所も興味ねえけどさ、腕一本で上手く生きてるキメラが作れるのか?」


「・・・・・・キメラ研究は近くで見てきた。これくらいは、やってみせるよ」


 馬がいななく。


「ああ、行かなきゃな!」


 マワラ族の行く末に、草原の風が背を押していく。ユクレイユ地帯にある最強と呼ばれた男がいた。彼は深い眠りにつき、その目覚めを激しい苦難と共に仲間が待つ。残された命はいくつもの結び目を作り世界すら交錯させ、また灯をともして。


 そしてマワラは新たな罪の象徴として名を残す。永遠に追われ続けたアカリの辿った道は、まるで鮮やかな伝説の中へ。




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