ライフオーバー 19




 そう遠くない場所から山狩りの火がいくつも垣間見ながら進む獣道で、まずはアカリが限界を迎える。震える足を踏み出した瞬間にバランスを崩して坂道を転がり落ちそうになった瞬間、気づけば誰かに抱き止められていた。顔を上げればノーディアの残っている左目と視線が合う。


 堪え切れず顔を背けて両腕で彼の腕を押し返して、そのまま座り込んだ。


 銃弾が切れた今、限界など既に振り切ってしまった体力の無いアカリは誰より足手まといだった。重症を負っていながら治療も出来ずに逃走を余儀なくされているノーディアとケオンだとて余裕などあるはずがない。手甲も弓も持たず、ケオンの背には首の無い死体がいまだに背負われている。逃げるという一点に置けばマワラ族は愚図そのものだ。


 戦闘向きではなないオトは偵察に行ったっきり合流も出来ない。


「いつまで付いて来る気なの。公守の一番の狙いは私の身柄だ。形振り構ってないで全力で逃げたらどうかな。その方が生き残る確率はまだ高い。それとも私とここで心中でもするつもりなの?悩むまでもないわ」


 隣で立ち止まったケオンがふらつきながらも腕に力を篭めた。


「逃げるなら全員一緒だ。仲間を置いてはいけない」


 ふふ、と笑ってアカリは目を細める。


「君達はお互いに生き残った同胞を失っても構わないの?可哀想に、勘違いしてるんだわ。私はアツシという青年の目を通して夢を見ていただけの他人に過ぎない縁もゆかりもない他人よ。蘇ったなんて公守を煽り立てるための嘘。面影も無い女にどんな幻想を描いてるのか知らないけど、私は君達の仲間なんかじゃないわ」


 ノーディアは忌避された腕をアカリの横の地面について距離を詰めた。


「あいつは目を離したらすぐにフラフラ姿を消す奴だった。集落にいた時からそうだ。同胞がいなくても平然としている変わり者。こっちは頼って欲しくて戦える様に必死に鍛えまでしたのに、結局危険な厄介ごとは自分が引き受けて守ってりゃいいと思ってる。そのせいで捕まって殺されたんじゃねえのかよ」


「・・・そんなの私に言われても」


「仇を討つ相手まで勝手に決めて先回りして始末して、今度は囮になって時間稼ぎでもしようってんだろ?アツシは俺を安い言葉で思い通り動く馬鹿だと思ってるもんな」


 思わず絶句して硬直するアカリに、隻眼が隙を与えず癇癪球が破裂した。


「俺はいつまで気づかないフリしてりゃいいんだよ!!」


 怯んで表情を崩すアカリの隣にケオンが膝をつく。


「次は集落に帰るって言ったじゃねえか。ちょっと旅に出るだけだからって。心配ないって。涼しい顔して嘘ばっかりじゃねえか。お前は一体いつ約束守るんだよ」


 なんとか絞り出した声は震えていた。


「死んだんだ」


「じゃあ、お前は誰なんだよ!!」


 ケオンがアカリの襟首をつかんで、アツシの死体が中途半端に傾いた。


「待ってたって約束を守んねえんなら、引きずってでもお前を連れて帰ってやる!逃げるなら追うだけだ!心中?マワラ族舐めてんじゃねえぞ!!」


 その直後、アツシの千切れかけていた腕が跳ね上がって弓矢で木に縫いつけられた。衝撃で死体は地面に転がる。


「いたぞおおおお!!」


 公守がハッキリと姿を現しこちらを目指して走ってるくる。


 アカリの小柄な体をノーディアが抱え上げて駆け出す。死体を背負いなおそうとするケオンに、アカリは必死に叫ぶ。


「お願い、もう止めて!!!」


 ケオンの横を剣が振りぬかれる。それを体を捻って避けたケオンが苦痛に表情を歪め、死体を置いて走り出す。駆け抜けざまに木に縫いとめられた腕だけ取り戻して。


 背後に迫る公守は数多。


 軽くとも人を抱えるノーディアの背に剣が向けられる。アカリは大切な仲間の体を少ない面積でなんとか覆い隠そうと強く抱きしめる。柔らかい女の細い腕だけでは足りない。また大事な者を奪われる。


 その瞬間、背後から気配が生まれた。ノーディアも気づいてアカリに覆いかぶさって地面に伏せる。アカリが見上げた真上を馬が跳び越えて公守を蹴り飛ばした。馬上の男と一瞬だけ視線が交わる。クォーレル人ではない民族衣装と呼ぶに足るいでたちが強く記憶を揺さぶる。


「なんだ、貴様!マワラ族の仲間かっ!?」


 切りかかる周囲の公守を乱入者は竜巻の如き回し蹴りで吹き飛ばした。巻き込まれるのを敬遠してケオンが後退しながら眉を寄せて呟く。


「あいつはトワトワ族の・・・・・・」


 日に焼けた逞しい肌色に骨ばって引き締まった体躯、折れる事を知らない真っ直ぐな目。鼻の上に1つ、両耳に6つもあるピアスをつけた男は馬から飛び降りて公守の前に立ちはだかって吼えた。


「引け、クォーレル!ここのマワラ族は俺が貰い受ける。否らば討つ!!」


 その脇腹に傭兵が剣を振りかぶり、アカリは目を見開いて叫ぶ。


「エルドラ!」


 乱入者の目がアカリへと向く。だが手は正確に襲ってきた傭兵の首を平手で突いていた。人の体が容赦なく真横に飛んで木に激突して地面に落ちる。


「おい!高みの見物を決めこんでいないで手を貸せ、ティマ!!」


 怒鳴り上げながら襲い掛かってくる公守を瞬殺していく。でたらめな力で吹き飛ばし、それに巻き込まれた男達が軒並みドミノ倒しになる。向かって行かずとも近くにいるだけで叩き伏せる猛攻を見せる乱入者に囲いを広げて距離を置き始めるクォーレル側。


「くっ、埒があかない!」


 敵方も焦れてくる。その目がアカリに定められた。


「アレだ!異能者を狙え!!」


 いくつかの目がアカリに向けられた。ケオンが前に躍り出る。その瞬間、囲いを吹き飛ばして3頭の馬が現れた。目元しか見えない肌を覆い隠す長い衣装の謎の男達の出現に敵方は驚愕する。アカリはとっさにノーディアを渾身の力で馬に向かって突き飛ばした。驚きに目を見開きながらバランスを崩すノーディアを、馬上の新手が片手で馬の背に引きずり上げた。


「なんだ!?その格好、ケノモ族の」


 ノーディアの声はそのまま連れ去られた。馬は合計4頭。謎の男の一人が仲間の馬に飛び乗ったかと思うと、空になった馬の背に乱入者がアカリの腰を掴んで飛び乗った。


「ケオン!!」


 呼ばれたケオンは唖然としたのが一瞬、すぐにこの騒ぎの中でも豪胆に待っていた乱入者の馬に飛び乗って駆け出した。


 馬の足を前に人垣は割れる。


「う、馬だ!仲間がいたぞ!?追えーーーーー!!」


 後ろに声が響く。


 アカリは前に乗せられた身を捩って後ろを覗き込む。「おい!」という乱入者の抗議に耳を塞いで見えたケオンの追ってくる姿に安堵を漏らした。


 獣道も無造作に伸びる枝をも物ともせず、追いかける手段を持たない公守は後ろに消えていく。


 クォーレルの馬は足が長く早い。相乗りもあって隣に並ばれる。ケオンは細く枝の低い木を造作も無くすり抜けて追撃をかわして先頭に踊り出ていく。ケオンがアカリを振り返ったが、アカリは「行って!」と急き立てた。


 その間にアカリの乗る馬はもう片方も追撃者の馬に挟まれた。エルドラは馬の上に片手をついて背に立って足で馬上の兵を蹴り落とす。垂れ下がった手綱をアカリがつかんで操り反対側に寄せれば、すぐさま走る馬の上で反対側の兵も弾丸の様な力と速さでもって蹴り落とした。謎の男達も長い裾から敵の馬を突き殺して落馬させていく。


 元々、唐突な乱入に馬での逃走だ。対応して馬で追いかけてこれた人数はかなり絞られる。仲間の数が減ると馬の速度を落として戦況を見極めて引き下がっていく。アカリは手綱を握って急激な崖を速度を落とさずに馬で駆け下りた。ケオンも他の男達も躊躇わずにそれに続き、敵方は躊躇して崖の上に取り残される。馬に慣れないノーディアが悲鳴を上げたが、平面につくと再び東へと駆け抜け追撃は突破していた。










 ユクレイユ地帯から遠く離れたクォーレル内に現れたトワトワ族とケノモ族に先導されて馬で樹海と呼ばれる領域を進んだ。夜になってようやく馬を休ませるために立ち止まり、転がり落ちる様にノーディアとケオンが重なり合って地面に倒れた。ケオンの手にはどんな執念か、アツシの腕がつかまれている。


 以前より高く感じる馬の高さと脱力する足に降りられずにいるアカリはトワトワ族の青年に軽く抱き下ろされて複雑な表情になり顔を伏せて座り込んだ。3年ぶりに会った他部族の戦士は以前より逞しく見えた。恐らく弛まぬ鍛錬を続けていたのだと思えば取り残された感覚が強まってしまう。


 這いずる様にノーディアがアカリの元まで辿り着き、頭を抱きかかえた。周りを囲むケノモ族を見回しながら、ケオンもわずかに警戒の色を浮かべた。


「助けてもらった礼がまだだったな。代表して感謝する。だが何故こんな場所にユクレイユの部族がいる。偶然とは思えないんだがな」


 黙って上から見下ろすエルドラが、顔をしかめて目を瞑る。


「必然に決まってるだろう。マワラ族がクォーレルで大立ち回りをしたという噂を聞いた。集落から出るのを意地でも拒絶する連中だ。ユクレイユ地帯の外でデマかせに出る固有部族名ではない。話を聞いて即座に馬を走らせた」


「そんな不確かな情報で?」


 アカリが思わず口を挟んで鋭い視線を向けられる。


「黙って姿を消した馬鹿マワラ族の一人に、捕まえて殴らねば気がすまない用がある。だが山の麓で酷い与太話を聞かされた。マワラ族の一人を処刑したそうだ。旅に出たのは奴をいれて3人。そんな事態をあの過保護な守護者が黙って享受したはずがない。どちらにせよ死ぬならまず奴からだ」


 ケオンが苦い顔になり顔を背けてしまう。ケノモ族の一人が口を開く。


「空を飛ぶクォーレル人がワレらの服装でユクレイユの人間と判断して接触を図ってきた」


 木から突然人が降ってわいたかと思えば、地面に着地したのはオトだった。


「ワレらケノモ族は以前よりクォーレルの動きを監視してきた。愚直にクォーレルを探るトワトワ族を見咎めたワレは真相の混乱を防ぐため、諜報に同行させた。途中、クォーレル人は処刑したマワラ族が蘇って巨大な町を一つ血祭りにあげたと新たに噂を始めた」


「理由はお前達の姿を見れば想像がつく。マワラ族は仲間を傷つけられれば理性を失う。馬鹿馬鹿しい連中だ。単に生きていたアツシがマワラ族らしい切れ方をしたに決まっていると俺は答えた」


 エルドラは吐き捨てた。だが、ここにアツシは現実にいない。アカリは失望されるのを恐れて言葉が出なかった。


 ケノモ族はあくまで淡々とアカリに視線を向けて告げた。


「この男から異能者というものの話を聞いた。クォーレルはそれである蘇ったと宣言する者に焦り、捕縛してその能力を封じる手立てを渇望している。そして、異能者から強く影響を受けているであろう者も放置しないと断言した」


 アカリはケノモ族ではなく、オトに視線を向けた。口を噤んだままのオトはアカリと目を合わせない。


「国境が正確に存在しないユクレイユ地帯に対し、クォーレルの領域侵犯はたびたび行われている。マワラ族の異能者を脅威とみなしたクォーレルは、マワラ族を駆逐対象として定めれば簡単に踏み込んでくるだろう」


「そんな!?それは、俺がユクレイユに近づきさえしなければ」


「現にそこの2人が追従しているのは誰の目から見ても明らかだったと聞いた。その上、お前はクォーレルの将を一人討ったそうだな。戦場の者ならば体面を保つためにハッキリとした制裁結果を持ち帰るために多くの血を求める。これはマワラ族だけの問題にあらず、ユクレイユ全体の憂慮になろう。クォーレルはユクレイユに自由に蹂躙できると宣言した事になるのだからな。そして確かにクォーレルはお前達の動きに関わらずユクレイユの方面に兵を差し向けていたのをワレは見た。クォーレルがユクレイユを攻めるはもはや疑いようも無い」


 昔からか隣国がユクレイユ地帯を飲み込んで領土侵略するのではないかという憂慮は存在していた。多かれ少なかれどの部族にもある不安ではあったが、特にケノモ族は草原の外からの侵略者を警戒し、部族間抗争に沸くべきではなく連合敷くべし、と説いていた。部族同士で争っている時代の中で先見の明を持っていたと言って良い。誰でもなんでも受け入れがちなマワラ族とはある意味対極にある。


 様々な国を実際に回ってユクレイユ地帯に感じたのは確かに焦りだった。ほぼ未開であるユクレイユには部族同士で団結し指揮する者もルールも存在しない。平定されたことも統一されたこともなく、自由で個性的で色とりどりな草原は国とすら呼ばれないのだ。他国から攻められれば各個撃破されればひとたまりもなかろう。


 だが、マワラ族達は呆然とした。それは今ではないつもりだった。


 この展開についていけないのが明らかなマワラ族に対し、目元しか見えない表情を厳しくしてケノモ族は命じた。


「あの男の情報では足らん。クォーレル人は容易に意味無く嘘をつく。マワラ族の口から語れ。何が、あったのかを」


 最悪の中で唯一救いがあるとすれば、ケノモ族がこの事態を当然の如く憂慮し、接触してきた事。ユクレイユ地帯で飛び抜けて強く誇り高い戦士達が目の前にいる。ユクレイユに戻るまで死せるアツシの不在を埋めるに足る。


 そして戻ればマワラ族達はクォーレルが仲間を傷つけ、処刑し、今また集落へ襲いかからんとしているのを知るのだ。日常を突然奪われ平和から完全に逸脱する。


 守るどころか、アカリは破滅へと導いた。蘇った事で、危険は更に増した。


 乾いた笑いが漏れて不審な目がアカリに集まる。


「これが俺の為したことか。生まれて死んで蘇ってもまだ疫病神だ。やること為すこと最悪じゃないか。その上、もう戦えもしないなんて。守護者じゃない俺には何の価値も無いのに」


「アツシ・・・・・・」


 顔を片手で隠す。


「ごめん。本当にごめん、今の忘れて。多分眠りから切り離されたから頭がおかしくなってるんだ。こんなの口に出すはず」


「アツシ!」


 今度は強く呼ばれて顔を跳ね上げる。


「ノアもそうだけど、お前もそうだ。役割がそいつの価値なわけじゃねえんだぞ。俺達にとって仲間は温もりだったはずだ。言葉を交わして一緒にいたい。手を伸ばせば握り返されたい。そのために側にいる存在だろ。役に立つとか立たねえとかじゃねえだろ?」


 手が掴み上げられてケオンの引き攣れた頬に押し当てられる。手が震えて拒否反応が出た。表情を強張らせるアカリをケオンが真っ直ぐに見返す。


「あそこまで強いアツシは確かに凄いと素直に思ったよ。正直凄ぇ頼りにしてたし、誇らしくすらあった。でも俺にとってアツシの価値は強いことじゃなかった。お前はマワラ族の中でも人一倍の過保護でノアの我がままだって甘やかしまくりで、協調性なくってフラフラしてて心配ばっかりかけて不思議なことばっかやらかすんだけど、俺達はそういうお前がどうしようもなく好きなんだよ」


 戸惑うアカリにケオンは泣き笑いの表情で告げる。


「お前の価値ってそういうことだ」


「ケオン・・・」


「目的は変わりない。集落に帰るんだ。族長に知らせ、これからどうするのかを全員で決める。報復か、迎え撃つか、ただ待つか。マワラ族は独断で行く末を決めたりしない。ケノモ族の戦士、誓って全て真実を語ろう。ただしユクレイユに戻る協力をすることが条件だ」


 黙っていた他部族達は地面に腰をつけて耳を傾ける体勢になる。


 話が終盤になれば語れるのはアカリだけだ。


 経過だけを話せば、なんとも呆気ない話である。それを同胞、他部族共に口を挟まず黙って聞いていた。ただしエルドラだけは黙ったまま焚き火に太い枝を投げつけて突き立てる威圧的な態度はとっている。アカリが普通の女性なら怯えて黙り込んでしまうだろうと考えて、コレはそういうつもりかもしれないと思い当たった。


 ノーディアとケオンをソッとうかがい見る。かなり苛立っている。特にノーディアなど既にエルドラを睨みつけて口を開く機会を計っていた。


「これで話せることは終わり」


 最悪な空気だ。己に対する感情の爆発ならアカリであればひたすら謝り倒すが、仲裁の立場では口癖のゴメンが通用するはずはない。癇癪持ちと負けず嫌いの相性は推して知るべしだ。


「エルドラ」


 立ち上がったアカリは火の届かない方を親指で指す。


「言いたい事があるなら聞くよ。場所を移そう」


「駄目だ、ここで」


「いいんだ、ケオン。この2人のことならよく知ってる」


 止めようとする同胞を抑えて森の中に足を進める。エルドラは黙ってついてきた。その後をティマが。


 ここら辺りでいいかと振り返れば、眼鏡などなくともよく見える程に無造作とエルドラがアカリと距離を詰めていた。下を向いていた顎を無理やり上向かせられ、同じ高さであった目線をこうして振り仰がねばならないことに男であった部分の矜持が多少傷つけられた。それがなんだかおかしい。そんなプライドもあったのかと。


「言いたい事なら地平線の彼方まである。だがお前が本当にそうであると俺には確信できない。異能者とやらの話には何の証拠も無い。どいつもこいつも正気を疑う」


 口を開いた途端の否定に、アカリは薄っすらと笑みを浮かべる。これが当然の反応だろう。本当は誰もが思っていて口に出来ないのかもしれない。集落に戻ったところで同胞が信じる道理はない。夢の世界から現れたなどと。


 心から同意だ。


「理知的な見解だね。人は死ねば土に還る。けして蘇ったりはしない。ましてや別の姿でもう一つの体を構築するなど異形の所業だ。どちらにせよ、もう俺はマワラ族のアツシではなくなってしまったんだから」


 エルドラは歯を噛み締めて顔を歪めて吼えた。


「とうのお前がそんな風だからだ!!3年経っても何も変わっちゃいねえ、お前はすぐに自分から諦める。何故信じろと言えない!」


 強く圧倒されてアカリは怯む。


「言いたい事があるかだと?ああ、言ってやる!火祭りに行くと言った。冬の前にお前に勝ちに行くとも言った。無様に俺以外の人間に負けてきたのか。何故死んだりした。旅に出るというのなら何故まず俺に言わなかった!!」


「だからそれは」


「隣にいたのがマワラ族ではなく俺であったならば死ぬこともなかった!」


 予想外の内容にアカリは呆然としてエルドラを見上げる。


 旅に出ると言えば、エルドラはついて来てくれていたのだろうか。彼にだってトワトワ族の戦士として部族を守る使命があるというのに。手合せをするために会いにきていた他部族のアツシのために草原を離れたと。マワラ族程ではないにしても、他部族だってそう滅多な事では草原から外に出たりなどしないというのに。


「語るに落ちたな。もはや有益な情報も出尽くしたか。無駄口で時間を浪費する間に出発する」


「挑発なら買うぞ、ケノモ族。ちょうどこの鬱憤をどこにぶつけるべきか持て余していたところだ」


「悪戯に身を削る行動に付き合う義理は無い。ワレはそこの女がアツシであるかどうかも重要としない。この話はすぐさま集落に報告を持ち帰らねばならぬ」


 ケノモ族に急きたてられて短い休息が終わらせられて帰路は強行軍となった。










 ユクレイユの頑丈な馬でもって駆けること数日、その甲斐あって追撃者の追随は許さず草原は見えた。懐かしい草の香りは長い旅の末にもう踏むことは無いかと諦めかけた地、大陸の東にある大草原ユクレイユ地帯。


 草原の中にぼやけてよく見えない目にも集落が見えた。近づく故郷に躊躇う間もなく囲いの前に馬が止まる。急に訪れた余所者にマワラ族は物珍しそうな目を向ける。だが立ち止まったままのアカリの横に更に馬が止まって降り立ったノーディアとケオンに、一気に色めきだつ。


「あんた、ケオン!!」


「ノーディア、まあ、本当にやっと帰ってきたのね!?」


 一斉に集落の囲いからマワラ族が飛び出してくる。思わず後ずさって人を避けるアカリは背後のエルドラの胸にぶつかって止まった。同行者を降ろしたケノモ族は、用は果たしたとばかりに声もかけずに全力で走り去る。


 オトは離れた場所で立ち止まったまま光景を眺めていた。


「一体何処に行っていたんだい、3年も!!急にいなくなるから」


 喜びだった迎えの歓声が突如一気に悲鳴と驚愕に変わる。


「おい!?なんなんだ、お前らその傷は・・・・・・」


「いや、そんな・・・・・・酷い」


「ああ、ああ!!なんて姿になって、こんな事って」


 声を失っていくマワラ族達に、ケオンが近くにいた狩り手エペの腕を強く握り締めて肩に額を押し付けて泣く。望んでいた故郷に帰ってきたノーディアが集落を見回して声も無く涙を零す。


 痛い程の沈黙の中で、少し遠い場所から織り女のチュチエが手を上げて声をかける。


「ね、ねえ・・・・・・アツシは何処?貴方達、一緒に、旅に出てたのよねぇ?」


 旅に出る前、唯一出奔理由が分かる手紙を家に残していたのはアツシだ。そこから同時に消えた3人は一緒にいるのだと思っていたマワラ族達は足りない帰郷者に誰もが表情を消した。口を開けずアカリは苦い表情で冷や汗を浮かべる。誰かが耐え切れずに口を開くより先に、アカリは隣から強引に腕を引かれた。エルドラはマワラ族の集落の前にアカリを連れて行くと立ち止まってマワラ族達を振り返った。


「アツシならココにいる」


 集まっている者達は再び見知らぬ女に無言で注目した。エルドラは目を細めてアカリを見下ろし、厳しく課した。


「全て話せ」


 意味が分からないという視線を受けながら、アカリは居並ぶ人の顔を眺めていく。










 すすり泣く声があちらこちらから聞こえてくる。集落の中心は広く場所を取られた広場だ。ここでいつだって集会を開き、祭りを行い、円を描いて座るのだ。


 マワラ族の治療を役目としている癒し手は涙を流しながらノーディアとケオンの傷を丁寧に触れていく。部族集会の端に無断で混ざる他部族のエルドラも、白装束のオトも、集会の中心で語り手となっているアカリも、全てがひたすらに異様だった。


 乾いて変色した1本の腕をゆっくりと撫でる最前線に座るアツシの母ヘムナは泣く事も怒る事もなく静かに目を瞑っていた。


 族長が胡坐をかいた膝に肘を置いて体を折り顔を伏せ、抑揚のない静かな声で労った。


「まずは、よく帰ってきた。遠い地からここまでの帰路、辛くなかったはずはないだろう。皆、こちらを。悲報を抱えて戻った同胞は意見を求めている。これは、全ての者に聞かねばならない。我が、同胞はクォーレルの理解し難い規律の元で」


「考えるまでも無い。そのファシャバという集落の者共を皆殺しにすべきだ」


 冷たい怒りに燃えた声が飛んだ。すぐさまそれに呼応して同意が短く、長く燃え上がりだす。


「そうよ・・・」


「こんな事を許せるものか」


「待て。そもそもアツシに手を下した者、ノアやケオンへの非道はクォーレルの公守とかいう規律を管理する集団の仕掛けたものなのだろう?ならばこの非道はクォーレル人である全ての者の総意ではないのか」


「来るというのなら歓迎しようじゃないかい。わしが手づから首を刈り、片目を引き抜いて、半身を焼いてくれようや!」


 アカリは目を背ける。


 分かっていたのだ。真実を話せばこうなる事くらい。


 そこに無言を貫いていたオトが口を開く。


「報復は終わってる」


 彼の近くにいた織り女のユユが立ち上がってオトを見下ろし怒鳴りつける。


「何が終わったっていうの!?同族を残酷な方法で殺されて、それをやった奴らが生きてるのよ。足を切り落として火を撒いて炙り殺してやるわ!異能者って何!?アツシは確かに変わり者だったけど、そんなの私達から奪われる理由にならない!!来るっていうなら来ればいいのよ。あたしの命を引き換えにしてでも」


「終わ、ったんだ!」


 アカリは溜まらず勢いよく立ち上がって小柄で年若い目の大きな娘に向けて叫ぶ。目に闇を燃やしたユユに胸が締め付けられる。こんな目をする娘ではないのだ。


「俺を殺したルーエンは俺が殺したよ!ノーディアの目が奪われたのも、ケオンの体が焼かれたのも、元はと言えば俺が集落から連れ出したせいだ。他の誰でもない、報復が必要だというのなら俺じゃないか!!目でも腕でも首でもなんでも焼いてくれて構わないから死ぬなんて言わないでくれ」


 このままでは、マワラ族は最後まで報復のために修羅道を選んでしまう。アツシの母ヘムナの時とは違い、関係が拮抗した相手ではない。滅びるのだ。マワラ族は滅びる。


「万が一、勝ったとしても、この中の誰かが傷を負うんじゃないのか。立ち向かえば必ず戦で人は死ぬじゃないのか。それだってマワラ族が嫌う別れだって」


 言葉に詰まる。


 怒りと憎しみ、そしてアカリという存在への戸惑いがマワラ族の中に渦を巻いて沈黙を招いた。マワラ族から向けられる視線を集めながら、アカリも言うべき言葉がまとまらずに立ち尽くした。


「私の息子アツシは変な子だった」


 そこにヘムナが初めて口を開いた。


「皆が知っていると思うけれど、アツシは半分ガザル族の血を受け継いでいるわ。そして多くの仲間の死を糧にしてマワラの集落で生を受けるに至った。よく覚えているでしょう。私を集落に連れ帰るために同胞が47人も死んだ。今でもよく思うのよ。仲間が死んだのに生きている自分が疎ましいと。嫁入りしたガザル族に痛めつけられる私を哀れみ、怒り、同胞が死をも恐れず私を取り戻そうと戦っているのを知った時は自刃すら考えたわ。でも出来なかった。この腹にはアツシがいたもの。最初から血塗られた息子が」


 乳飲み子を抱えた狩り手のサーフェスが呻きながら周りを代弁する。


「・・・なんという事を言うんだ、ヘムナ」


「単純な事をよ、サーフェス。この集落に生まれつくために多くの同胞が死に、深い悲しみがもたらされた。アツシは己がマワラ族なのか物心がつく頃から悩み恐れていたわ。マワラ族が安定し穏やかであるのを好んだのよ。そこに災いを思い起こす己の姿を排除したいと思う位にね。不和をもたらす自分はマワラ族と名乗るに相応しくないって」


 周囲が絶句した。


「ならば守りなさいと私は言った。守護者としてマワラ族より与えられた役割を果たす事こそ、全ての答えになりうる」


 ヘムナがアカリを見る。


「それがまさか旅に出るなんてね。あんたは目の前にいる同胞を守るだけでは不安だった。危険を払う方法をあらゆる形で作ろうとした」


「守る事が、マワラ族として与えられた役目だった」


 アカリが呟く。あの母の言葉を支えにしていた。それ以外に、見つけられる道はなかった。何より、あまりにもカッチリと胸にはまってしまった。


「それを失えばマワラ族だという自信が持てない。仲間に混じって馴染めない。価値が無い。そういう臆病で馬鹿な息子だったわね。誰の死も受け入れられぬ。仲間に焦がれる。それこそどうしようもなくマワラ族らしい話なのにね」


 ケオンが身を乗り出す。


「だからそれは!!」


 よぼよぼの老人が族長の肩を支えに急に立ち上がる。アツシが旅に出る少し前に高齢とボケが酷くなり代替わりした元族長のトクだった。彼がおぼつかない足取りでアカリに向かって歩き出すので、アカリは慌ててトクの両手をつかんだ。トクはアカリと目線を合わせると見透かす様に覗き込んだ。


「悪ぃが、マワラ族にとって仲間のために死ぬのは幸せの1つでなあ。アツシ、お前もその自己満足で死んどるんだろ。それをわしらには止めろっちゅうのは身勝手な話じゃねえか」


 アカリは目を見開いてトクを見返す。


「しかし、この子はヘムナより心が弱い。同胞の強い想いに耐え切れずおる。仕方なかろう。わしが折れてやろうじゃねえか。クォーレルの連中は迎え撃たぬ」


 涙がアカリの目から溢れた。それをシワだらけの両手が優しく包んで触れる。


「きっとマワラ族にとっちゃあ、その方が残酷な選択になるかもしれん。集落を捨て、逃げ隠れるんだ。もちろん全員で動く事は出来ん。バラバラになるじゃろう。ここに戻る事は叶わんかもしれん。再び会えない者も出てくるかもしれん。じゃが、全員が戦いを避けて生き残ろうとするならば、そうなる」


 両手を離して周囲を見回す元族長の言葉に、マワラ族は顔を引きつらせてざわめき出す。


「そ、そんな。無理だよ、トク!そんなの、きっと別の方法が他に」


 動揺して立ち上がる者、身を寄せ合って呆然とする者、誰もが報復のために戦うより恐れを示した。マワラ族が何よりも厭うのは仲間との別れだ。集落から離れられない部族なのだ。何処かに行く時には集団で動き、他部族に嫁ぐことを死の別離が如く騒ぎ立てる程の。


 沈黙の中でも仲間と握り合う手が離れたく無いという心の叫びを如実に語っている。


 族長が立ち上がった。


「皆、すぐには決められまい。決断も割れるだろうが猶予は無い。明日の朝に決を採る。解散だ」


 そう言われても即座に動き出せる者はいなかった。だが徐々に動き始めた人につられてぎこちなく人が散っていく。アカリは立ち尽くしたままボンヤリとその光景を眺めた。隣からトクが歩き始め、「はて、今回はなんの集まりだったけな。ところでお前さん、誰んとこの子じゃったっけ?」と族長に話しかけて「あんたの息子だよ!」というやりとりを繰り広げた。それに目をとられていたのだが、気配を感じて前に向き直った。


 ヘムナが立ち上がり、真っ直ぐにアカリを見ていた。手に持ったアツシの腕に目が行く。


「手紙残して黙って出て行ったかと思えば娘になって帰ってくるなんてね。あちらの父母にもどうせ何も言わずに出てきたんでしょう。帰るあてはあるの?」


「駆け落ちした事にしてもらった」


 噴出される。


「あんたが駆け落ち!それはなんとも説得力の無い。まったく、どうしてこうも親不孝な子に育ったのかしらね。私のせい?それともあちら?なんにせよ、可愛い娘を奪われてさぞや嘆きは深かろう」


 腕だけになって帰ってきた息子を持ち上げて口元につける。


「いつか帰ってくる事だけが支えだろうに」


 胸を押さえて服を握り締める。その願いは叶わない。この母の元に戻す体も、あちらの世界に戻り父と母に謝る体も存在しないのだ。行動を起こすためだけのライフゲージすら残り少ない。


 もう一つの体が死んだアカリに眠りは訪れなかった。


 人は眠らなければ死ぬ。


 既に正常な感覚はなく、平衡感覚も現実感も薄らいできていた。


 マワラ族がどんな答えを出そうと、アカリはもうすぐ2度目の死を迎える。


 溜息をつかれた。


 ヘムナは静かにアカリに歩み寄って距離を詰めると、その胸に力強く抱きこんだ。


「身を引き裂かれる想いで3年も待たせたっていうのに、ただいまぐらい言えないのかね、この馬鹿息子は」


 距離が詰まってヘムナは静かにアカリを抱き込んだ。熱い涙が目から止まらなくなる。死に掛けている体は壊れてしまったのかもしれない。眠らない心身は正常には保てない。剥き出しの心には歯止めは見当たらない。


 アカリは震える手で母の背に手を回した。


「ごめん、ただいま。・・・ただいま、母」


「おかえり、アカリ」




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