ライフオーバー 18




 扉が静かに開かれた。


 その部屋で激しく電流が目に見える光となって幾筋もほとばしっていた。目に眩しく死体を取り巻く白い光の渦。圧倒されて立ち尽くす背後に、人が立つ。


「これは」


 呟いた女の声にも振り返れず、魅入った先で死んだ肉体が別の形に変わっていく。緑のゼリー、グリーンシースラッグがビチビチとのた打ち回りながら死体の上からずり落ちて煙を上げている。変質していく肉は白く細い足に変わり床に伸びる。そこから連続して出来上がっていく膝に、太ももに腰に、シーツをはがしていくように肉体が現れる。


 床に座り込んだ形から身をそらして細い腰がそれ、乳房が震え腕が伸び肩ができ、折れそうな首から顎が天井を向いて口が大きく開いて。


「あああああああああああああああ!!!」


 悲鳴を上げて頭が出来上がり、黒い髪がパサリと肩下を撫でた。グリーンシースラッグはもはや消し炭となって波を打った。水槽から出た様に死体の体液にまみれて何かが生まれた。


 光が止む。


 声が止まり、空中にたまに爆ぜる残り火だけが部屋に鳴った。一部始終を見ていた手が震え、手に持ったカバンを取り落としそうになった。


 しばらく放心した様に天井を見つめていた顔が、ぼんやりと扉に目を向けて目に手を当てる。その手はあまり上手く操れないのか指をぶらさげたまま顔に勢い良く当たってしまい、まるで顔があるのを確かめる様に肌を撫でる。


「どういうこと?」


 面白がるような声を上げたのは背後に立っていた女で、元からいた男をすり抜けて部屋に入った。死肉と血にまみれた裸の異生物に近寄り、不用意に顔を近づけて顎に指を当てて顔を上げさせる。金髪の青白い肌をした女は好奇心を隠しもせずに彼女にそそいだ。


「死骸の中のどの顔でもないわね。キメラの細胞を使って生まれたのね?貴女は誰?」


 アカリは膝を立て、立ち上がろうとして上手くバランスがとれずに壁までよたつき、ぶつかった壁に手をついた。


 部屋の入口で立ち尽くしてる男の持っているカバンに目を向ける。焦点は合わなくても分かった。


「それ、俺のカバン」


 ビクリと男の影が揺れる。


 金髪の女の方が顎をそらした。


「驚いたわ。貴女、あの異能者なのね」


 理解の早い女に視線を向ける。なんとなく、彼女がバルリングの言ったマッドサイエンティストなのだろうと察しがついた。


 壁から手だけをついて、部屋の入口に向かって行く。入口の男が後退りをして廊下に出て行くが、それを追ってアカリは廊下の壁に追い詰めた。足をもつれさせて倒れるアカリは、カバンに抱きつくように膝の上に抱き込んで取り返した。


「ルーエンに殺されたと聞いた時には腹が立ったものだけれど、まさか蘇るなんて。しかも、異なる世界の姿で、死体を素材に出来るだなんて」


 カバンを開けて中を探るアカリは、中に女物の服を見つけて微笑む。ファシャバでノーディアが買った物だ。それを頭からかぶって着替えていても側で立ち尽くす男は微動だにせず硬直している。


「自分を複製したの?でもあの子からは男だって聞いていたはずだけど、貴女はどう見ても」


 カバンから不要な物を外に出していき、壁に背を預けて物を床に並べていく。


「ここ何処?まだファシャバだよね」


 自分の荷物を整理しながらアカリが質問を返す。それに気を悪くした様子もなく彼女は頷いて胸に手を当てる。


「ええ。そして公守の役場で、私がここで陣取ったアトリエね。だからルーエンや他の連中は滅多な事じゃ来ないわ。安心してくれたかしら」


「そちらが平然としているから何か対抗手段を持っているんだろうと思っている」


「あら、私は頭の悪い武力主義者と違って理解のある研究者なのよ?貴女が無駄な争いを好まないっていう事は息子から聞いてるわ。私の名はランドーナ。異能者である貴女みたいなオーバーテクノロジーをロストさせるためにいるの」


 隣に立つ男へようやく視線を向ける。


 アカリを視線だけで見下ろす男は強張ったまま見つめ返していた。ぼんやりと、引きつって震えている。眼鏡の無いアカリにハッキリとした像は結ばない。それでも、身近に感じた事がある匂いで、シルエットで、色合いで、誰なのか分かってしまった。


 ランドーナと同じ髪、瞳の色。まるで童話の王子の様な配色だと思った。服の裾から見える透明の羽。


「君がファシャバに戻らなければならなかった仕事は、俺の監視?」


 オトは返事をする事無く、棒の様に動かない足の代わりに顔を大きく背けた。アカリは再びランドーナに視線を向けて「息子?」と首を傾げた。


 ランドーナは服を軽くめくって大きな縫い目を見せた。


「異能を消すには、それをよく知らなければ対処しようがないでしょう?実験で作ってみたのよ。まあ、息子と呼ぶのには語弊があるわね。人体実験の許可が下りなくて自分を使うしかなかったの」


「ふーん」


 それと分かる程にオトの体が大きく揺れた。


 靴の代わりに布を足に巻きつけて立ち上がったアカリに、ランドーナが廊下から出てきて扉に手を置いて微笑む。


「ここにいれば守ってあげるわよ。私はルーエンと違って契約は破らないわ。貴女、ここで私の研究を手伝わない?貴女の他にも異能者がいてね、私は別に異能者がどうしようもなく危険だなんて思ってないのよ。でも、他の連中の態度は見て分かるでしょう?もちろん仕事はしてもらうわ。世界の平和のために異能者の遺術と痕跡を消す術を一緒に探すの。悪くないでしょ?」


 歩き出そうとしたアカリは立ち止まって振り返る。


「ランドーナさんなら、あの人が契約を破って外に繋げたままのマワラ族を助けられる?」


「無理ね。助けられるものなら真っ先に貴女だけでも保護したわ。あくまで私ができるのは隠してあげる所までよ。でも今の貴女にだって無理でしょう?それを為そうとして蘇ったというのなら、諦めなさいな。そんな華奢な身で何ができるの?外には大量の役人や雇われ者がいるのよ」


「そう、どうでもいいよ」


 歩き出そうとしたアカリの背後でランドーナが声をあげた。


「止めなさい、オト」


 再び振り返ったアカリは手に持っている物をランドーナに向け、指を引く。


 鈍い爆音と、甲高く鉄を打つ音が響いた。アカリの手の中の物から煙が上がり、ランドーナとオトの間から壁に穴を開けた何かが通り過ぎていた。


「加工技術が未熟だから、銃弾が何処に当たるか分からないんだ。それでも威力は十分あるし、この世界には抗生剤も無いから怪我から体が腐食して死を得る事も珍しくない」


 銃を手遊びで作っていたのは何もあちらの世界だけの話ではない。ランドーナは表情を硬くし、銃を凝視した。


「その武器を世に出されると困るわね。貴女は災厄として後世に名前を残したいのかしら」


「この国の道徳は不明瞭だよね。キメラや罪子への非道は何を持って許されているのか、俺には分からない」


「正義よ」


「勝利を収めた強者の正義だね。母が言っていたよ。いつだって弱者の立場は踏みにじられている」


「それは『どちら』の母かしら」


「・・・私のママはあいにく、難しい理屈を好まない素直な人でね」


 銃声で遠くから足音が慌しく近づいてくる。


 アカリは処刑場に向けて走り出した。










 ヒラヒラとスカートを舞わせてながら凶悪な短径銃を撃つ。


 鋼の剣を折り壁に穴をあける魔法に公守の兵は混乱を高めていった。深夜に突然現れた襲撃者は男達をかわして廊下を走り抜けていく。


「この!」


 不意に飛び込んでくる剣が光源を跳ね返して煌いた。剣筋をかわすためにアカリは銃を何も無い所に向けて撃つと、軽いアカリの体が横に吹っ飛んだ。


 そのままアカリは奇襲の主の頭に銃口を突きつけた。


「ひっ!」


 彼の顔が恐怖に引きつった瞬間、アカリは銃口を誰もいない方向に向けて撃った。だが銃を握る手が反動で勇敢な傭兵の横面に叩きつけられた。倒れる男の横でカバンから銃弾を篭めなおしながら、誰もいない部屋に滑り込んで鍵を閉める。


 窓を開いて下を見る。下に人の気配が無いのを確認したアカリは窓枠に足をかけると、暗い夜空の中をたえらいなく飛び降りた。


 アカリは勢い良くベシャリと草むらに潰れたが、伸びた草のお加減で大した怪我をする事もなく起き上がる。


 窓から見えない低い姿勢で走りながら役場の入口を目指し、門番を見つけて茂みに身を隠す。何の騒ぎか気にして建物を見上げいるが門番は状況を把握していない。銃を構えて飛び出そうとしたアカリは、後ろから腕を捕まえられて銃口を迷わず背後の人物に突きつけた。


 オトが胸元に突きつけられた銃に息をのむ。


「鉄の精製が古典的だからすぐに歪むし照準精度も悪くて実用的じゃないんだけど、至近距離で撃つ分には外さないよ」


「アツシ、俺は・・・」


「悪いけど、その男は死んだよ。君は、私と、まったく関係がない。だから、手加減しない」


 手を離さないまま、オトは顔を伏せて辛そうに眉を歪める。


「君と違って空が飛べないんだ。門を固められる前に突破する。離して」


 オトは口を閉ざしたが、腕を握る手は少し強まった。アカリは語調を強める。


「君のママとは手を組まない」


 銃口をオトの口に捻じ込んで無理やりオトの顔は上げさせられた。苦しそうに、オトは目を閉じた。涙を溢れさせて。それでも手を離さずに、片腕は横に力なく垂らす。


 門には人が固められようとしている。


 身動きをしない2つの影は、誰にも見咎められずに、喧騒から切り取られていた。


 オトの片腕が慎重に持ち上がり、口に突っ込まれている筒をつかんで静かに抜いていく。急所からそれずに、ゆっくりと銃口が喉元に移動させられる。目を瞑ったまま、オトは口を開いた。


「どうして、罪子や、キメラを助けたりしたのか」


 涙を流しながら、囁く声で糾弾した。


「あのまま、真っ直ぐに集落に帰ってさえくれれば、異能者を見失ったと、言えたのに。せめて、キメラを見捨ててさえくれれば」


「・・・それは、君から受けるべき責めじゃない。それを言うべき相手は、今、処刑場にいる」


 銃から手が離れ、急に腰に両腕が回されて抱きしめられる。


「!?」


 アカリの腕が横にズレ、見当違いの方向に銃弾が向かって窓が割れた。


「どうせなら、最初からこの位細い女性だったなら、君の意思なんて無視して飛べたのに」


「こっちにいたぞ!!」


 見えない方角から発見されて怒号と駆け足を聞いて、オトの肩を肘で無理やり押して身を捻ると、剣を持った男達が迫る光景があった。それが、軽い浮遊感で夜空に変わる。


「キメラが!」


 柵に一度足をついたオトが、アカリを抱いたまま思い切りよく跳び上がる。そのまま風に乗って高く高く、処刑場が見下ろせる場所まで飛んでいた。


 落下していく感覚と腰に回った強い拘束の中で、地面が迫ってくる。


 こんなに夜遅いというのに処刑場の周りには人がいた。オトがそのただ中に舞い降りてくるのを、ざわめきで迎えて。血と火傷した時に鼻をつく匂いを感じながら地面に深くしゃがみ込みながら衝撃も無く着地した。


 膝をついたままうつむくオトを背後に残して、アカリは立ち上がって歩き出した。ケオンが地面に這いつくばって誰かを抱きかかえている。顔を上げたノーディアの強い憎悪の目でアカリは立ち止まった。


 ノーディアの目から一筋の血が流れていた。涙を流している様なのに、右に、あるはずの眼光が無い。肉がえぐれ、矢傷でこめかみから目を突き抜けて鼻の上部まで直線に奪い取られている。残された片目は怒りで燃え上がっているのに。


 ケオンは泣きながら何かをずっと呟き続けていた。それが、ようやく聞き取れる。


「憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い」


 頭を上げないケオンの左腕は赤黒く爛れていた。左の耳の辺りから首に、胸にわき腹に太ももに、生きた体にあってはならない火で焼いて放置された匂いが、血の存在よりも色濃く漂っている。横に火炎瓶を投げられたのだと分かる残骸があった。ケオンは何かを必死に腕の中に抱き込んで守っていた。


 アツシの、首の無い体を。


「なんだ、これ」


 見下ろす形でアカリは放心する。


 2人は磔からは開放されていたが足と腕を鎖で繋がれたままだった。酷く傷つけられた肉体に気をとられる様子も無く、ノーディアは腕を鎖が許す限り力任せにアカリへ伸ばした。残酷に壊してしまおうと。


 重い木が無理やり引きずられる音が響いた。処刑場の重い扉が縄で上に引き上げられ、バラバラと傭兵達が入ってきていた。その後ろにはルーエンがいた。


「キメラの残党か。わざわざ処刑されに現れるとは愚の骨頂だな。貴様の仲間は既に別の場所へ移送した。そこにあるのは異能者に組する残り屑だ」


「オト、2人を解放してくれるかな」


 残った理性で呟いて、アカリはカバンから弾丸を装填する。更に銃をもう一丁取り出して両手で構えた。アカリは公守と正面から向き合って名乗り上げた。


「初めまして、私は異能者の鉄アカリ。公守に処刑された半身が遣り残した事を成すために蘇った」


 撃鉄が空気を裂く。


 傭兵の1人が踊るように空中に腕を投げ出して後ろに倒れた。


「でもちょうど、その方法は皆殺しがいいんじゃないかと思っていたところなんだ。この町の全てを真っ赤な」


 リズムを刻んで撃鉄が落ちる。アカリは歩を進めて処刑場の出入り口を固めている集団に向かって行く。後退して、未知の武器で倒れていく仲間を慌しく見回しながら引きつっていく傭兵、役人達。


「地獄に変えてあげる。死んでしまえ。苦しめばいい。さあ・・・」


 硝煙が上がり、弾を手品師の様に器用で細い指先が素早く篭める。その動作の意味も、彼らには解らない。ただ闇の中に立つ女が、異様な光景を作っているという事しか理解しなかった。


「血の宴がしたいんでしょう?」


 無表情で両手の引き金が引かれ、ルーエンの横と後ろに立った男に血の孤円を描かせた。舌打ちをしたルーエンは身を低めて散開を命じた。処刑場から人が飛び出していき、周囲から逃げ惑う人の声がする。その背中に走りながら銃弾を打ち込んだ。


 剣を振るう傭兵の脳天に一発。


 同時にアカリを囲んで剣を振り下ろす傭兵の首に一発。もう一人の心臓に一発。


 建物に逃げこもうとしている背中に一発。


 弾を篭める。残数など数えない。ただ、実際に使う予定もなかったのに、こんなにも準備していたアツシをおかしく思って薄っすらと笑みを浮かべていた。そんなつもりなど無くとも、人を助ける機械ではなく凶器ばかりが出来上がっていたのだと思い知らされたのだから。










 身体能力の低いアカリを相手にしてなお、戦況は一方的になっていた。


 ただの娘なら、銃を持っていようと殺し合いを得意とする傭兵が数を持ってして抑えきれただろう。だが、アカリはアツシであり、アツシは戦いを心得ていた。武器で力を補えば、後はどうすればいいのか記憶が体を補った。


 屍しか残らない廊下の中で、顎を銃口で押し当てながら引き金を引いた。目の前にいる男は「ひっ!」と覚悟して硬直する。


 だが、その後には衝撃も爆音もなかった。


 男は片目をソッと開けた。アカリは静かに弾切れの銃で彼の顎を横に振りぬく。


「がっ、は・・・」


 軽くふらついた男は何がなんだか分からないという顔でアカリを見ながら、卒倒した。弾が切れても、鈍器程度の役には立つ。


 カバンを下に取り落とす。


 廊下を真っ直ぐと向かってくる男が現れる。アカリは目を向けた。男は立ち止まると、銃を見下ろした。


「う」


 別の場所から剣を振り上げた傭兵が躍り出る。


「うわああああ!!」


 横に体をずらして銃で鼻先を殴りつけようとするが、回避されて腕を捕まれる。戦い方を知っていても、アカリの体は弱く正直だった。痺れきった手から銃が落ちる。傭兵の目が鋭く光りアカリは壁に叩きつけられる。


 剣が振り上げられた。アカリは男の股間に足を振り上げる。


 息を呑んだ傭兵が膝をつく。その横から首を真横に一線する殺気を感じてアカリは身を落として座り込んだ。


 壁を引っかいた剣の持ち主はルーエンだった。剣をアカリの胸に向けて突き立てようとしたルーエンに、アカリは腰に差した銃を震える指で構えた。ルーエンはそれで動きを止めた。


 だが、ルーエンは恐れる事無く冷たく笑った。


「もう石が切れたのだろう」


 弾を篭めている姿を見て、おおよその見当をつけていたか。冷静に判断し、ここ一番の瞬間を狙う。上に立つ者として必要な能力というわけか。さっきの傭兵はそれを確かめるために前に出したのだろう。アカリは2度続けて銃を使わなかった。さっきまでずっと銃で戦っていたのにだ。


「貴様があの異能者だと?異世界から来たというわけか。口先だけなら怪しんだものだが、どうやらその武具は確かに異能の醜悪さを持っている。貴様が真実あの異能者かどうかはともかくとして、その意思を継ぐ者に相当するのは確かなようだ」


「君はこの世で一番大事な約束を破った」


「何をもって破ったと言う!キメラも土着民の屑2匹もまだ息をして心臓を動かしている。研究所に運んで実験の糧になれば良し、勝手に下賤の輩に嬲られて死んでいく分には俺の関知するところではない」


 息が整ったアカリは肩で息をするのを止めた。ルーエンは剣を構え直し、剣先を急所から肩に動かした。


「だが、貴様が真実蘇りの異能を持つというなら貴様を生かさねばなるまい。忌々しいが、その手足を潰し、研究所に送り込む必要が出来た!この俺が憎き異能者の処刑を考え直さねばならないとはな!」


「私は考え直さない」


 引き金を引いて撃鉄が弾丸を押し出した。


 目を見開いたルーエンの心臓が潰れ、新しい血がアカリを塗り替える。無表情でアカリはルーエンを見上げた。


「君のために最後を残しておいたんだから」


「こ、の」


 最後の力を振り絞って振り上げられた剣が、ルーエンの手から零れ落ちる。ルーエンはそのまま壁に向かって倒れこみ、壁に血の筋を塗りつけて床に崩れていく。


 座り込んだまま銃を持つ手を足に下ろし、ノロノロと取り落とした銃を拾って腰に差す。


 廊下の向こうから、新手が現れた。だがゆっくりと歩いてくる男はアカリの前に立ち止まると一度だけルーエンを見下ろしてから、アカリの真正面で立ち塞がって静かに見返した。


「お前がマワラ族のアツシであるというのは真実か」


 ジンは剣を抜かずに問う。


 アカリも手をぶら下げたまま、だが立ち止まらずにジンに向かって歩き始めた。


 唇を噛んで苦悩を浮かべたジンは剣を抜いた。


「罪子の使命はこの命尽きるまで贖罪をまっとうする事だ。これ以上、殺戮に手を染めるというのならば討たねばならん。目を覚ませ、誇り高きマワラ族の守護者よ!!」


 足を止める。


 眼鏡がなくとも姿が見える位置まできて、アカリは口を開いた。その後ろからジンの首に手刀が叩き込まれた。倒れるジンの後ろから剣をぶら下げたチャンドラが現れる。包帯だのガーゼだのが邪魔になるのか、そこら中に放り捨てた。


「そこまでにしとけよ、マワラ族。てめぇらがいくら強いからって、キメラ共が成し遂げられなかったファシャバ攻略をマワラ族3人でやろうってのか?逃げるのが専決だと俺は思うがね」


 後ろからも気配が増える。


 横を向いて見れば、肉の焼けた匂いをさせながらケオンが息を切らせて立っていた。その後ろから低く身をかがめて拳を握る片目のノーディアも。


 アカリはチャンドラに銃を向けて引き金を引いた。


 静けさが降りた。外ではまだ混乱と怒号が聞こえる。そんな中で、アカリもチャンドラも、ケオンもノーディアも誰も動かなかった。


 そしてチャンドラが口を開いた。


「満足か、Fraulein」


「言ったね。皆殺しが最低基準だ」


「普通に返すわけだ。俺だって見当ついてたの?」


「有川君のレポートの内容で疑いを持ったのなら、アツシが異能者だと目星をつけたのはファシャバに到着する前だ。その後、アツシがよく接触していた公守はジンかウィリアムか君だ。ジンの性質は演技で作れるものじゃない。それに君が私に気づいた様に、注意すれば私も君に気づく。顔を歪めるその笑い方は、私をフロイラインと呼ぶ時にいつも苦い気分になる印象的な癖だった」


「君がいちいち反応するのが意外に好きでね」


 剣で肩を叩いて、チャンドラは倒れているジンを爪先で軽く蹴る。


「キメラ野郎は役に立っただろう?君にお熱だったみたいだから唆しておいてやったのに、どこに捨ててきたんだか。せっかく蘇ったんだ。目的を忘れて殺戮に酔ってないで、後ろのお仲間さんを連れて逃げたらどうかな」


 銃口を下ろした。


 アカリはチャンドラから目を離さないまま、ノーディアとケオンに言葉を向けた。


「アツシを殺した男はそこに死体になって転がっている。報復は終わった。もう集落に帰るといい。マワラ族のアツシは、そもそも己のための報復を何より恐れたはずだ。他人の命を犠牲にしてでも、君達に生きて欲しいと願っていたのだから」


 死にきれず、悪魔に魂を売り渡してまで戻ってくるぐらいに。


 チャンドラが肩をすくめる。


「アツシ・・・なのか?」


 ケオンの声に、僅かに反応しそうになる体を片腕で腕をつかんで押さえる。


 なんと答えろと言うのか。


「人違いだよ。私の名は」


 早口にノーディアが言葉をかぶせる。


「アカリという名はアツシが向こうの世界で自分の名だと言ったものだ」


 割れた窓が開いて、そこにオトが足をかける。生きている人間を見回し、ためらいながらオトはアカリに手を差し出した。


 アカリは窓に向かって歩き、オトの手を取って2人を振り返った。


「彼を知っているよ。確かによく夢で見ていた。だから君達がどれだけ草原を懐かしんでいるかも知っている。帰りなよ。ずっと楽しみにしていたじゃないか」


 アカリはチャンドラにも目を向ける。


「悪い事、しないでね」


 チャンドラは横目で呆然としているノーディアとケオンを見てから、アカリに向けてうやうやしく腰を折った。


「Frauleinの仰せのままに」


 あの口を歪めた笑みを浮かべて。


 オトはアカリの腰に腕を回して窓を蹴った。風に紛れて地上から空に向けて呪詛が聞こえてくる。罵詈雑言が重なって、何一つ意味のある言葉としては拾えない。空飛ぶキメラと殺戮者に誰もが注目していた。きっと逃げ出したマワラ族になど気づきもしないぐらいに。


「良かったの?私に加担なんてして」


 空を飛びながらアカリは訊ねた。


 オトはゆっくりと空を飛びながら、アカリを抱きしめる。


「君が誘ったんだよ。2人で旅をしてみないかと」


 まるで遠い過去の様な誘い。


「でも」


 オトが少し下に顎を引く。


「2人は最初から無理だったよ。彼らは君を追う。マワラ族は、仲間と離れる事をこそ厭うから」


 アカリは上半身を捻って地上を見下ろした。


 暗い夜の空を見上げながら町の中を疾走して追ってくる2つの影は、眼鏡の無いアカリにはシルエットですら線を結ばない。


 ノーディアとケオンは追ってしまった。アツシのなんの面影も無い、このアカリを。




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