ライフオーバー 17




 フワフワ頼りない感覚がして体中が麻痺している。


 聞こえるはずのないノーディアの切ない叫び声が頭上からした。


 喉が引き千切れそうな苦しいケオンの呼び声がする。


 涙が頬を伝う。


 囁く声に比例するように、呼ぶ声が段々小さくなっていく。


 消えていく。


 冷たく何かほっそりとした物がグズグズと崩れていく喪失感、なのに、ラジオの電波が合った様に低い声が耳元にハッキリと届いた。


「殺してやる」


 それを最後に突然糸を切るようにプツリと声が途絶えた。


「アカリ、起きたの?どうしたの?どうなったの?」


 呼吸が速くなる。全身の血が引いて冷たく痺れていく。心臓が潰れそうで胸を押さえた。


「駄目だ。そんな事をすれば」


「大丈夫なの?クロガネさん、顔真っ青なんだけど。朝になっちゃったし、待ち伏せは一回諦めて私の部屋で休んだ方がいいんじゃ」


「こっち見なさい!アカリ!?」


 それでノーディアとケオンが助かるならと非道殺生の業を犯してまでキメラを殺した。別の手段を考える隙もなく、迷い、それでも出された条件をアツシはクリアーしている。だが、そもそも約束が守られるかどうかの保障は確認できておらず、ましてや生かしてやると言っていただけで釈放するとは明言していなかった。キメラになどモルモットとして生かす事をほのめかしていたぐらいだ。仮に開放されたとしてもマワラ族が大人しく集落に帰るとでも?仲間が目の前で殺されたマワラ族が?


 耳を塞いで頭を振るう。


 アツシの母が絶望した光景を、アツシもまた全身全霊で嫌悪し恐れていたものを引き起こしたのだ。仲間が傷ついていく。死んでいく。無邪気に笑って、怒って、素朴な事で幸せそうにする大事に大事にしていた同胞を残して戦う体を失った。


 いや、まだだ。


 こちらの世界にはバルリングがいる。










 突然帰ってきた娘が玄関から飛び込んできて母は目を丸くする。


「やっと帰ってきた、この朝帰り娘。よくも昨日はママを撒いてくれたわね。夕食だって好物作ってあげてたのよ」


 ハタリと動きを止めたアカリは気まずそうに複雑な顔で、なんとか笑みの体裁をとった。


「・・・そう、食べたかったな」


「寝てないんだからね、ママもパパも」


 ソファにはテレビをつけたままアルバムのページを黙々と開く父が見える。最後のページになるとテーブルに置かれた次の一冊に手を伸ばしていた。母が手を拭いて父の元に後ろから近寄る。


「あ、ちょっと。そのアルバムは古いやつで表面が保護されてないんだから汚さないようにしてね」


「お前、若いな」


「アカリちゃんが幼稚園に入りたてなんだから当たり前でしょう。やだわ、そこの入園式の写真とれかかってるじゃない。あなた張りなおしてちょうだい」


 話に取り合わず次のページをめくる父に「もう!いい加減なんだから」と言いながら母もアルバムの罠にはまって「可愛いわー」と嬉しそうに横へ座った。


 息を詰めてアカリは部屋に向かって歩き出す。その背中に父がポツリと呟いた。


「アカリ、大学の卒業式はいつだ」


 口を一度引き結んで振り返り、早口に返した。


「いつだったかな。まだもうちょっと先だから覚えてないや」


「分かったら教えなさい。早めの方が、休みを取りやすい」


 母が機嫌良く頷く。


「そうね。学生最後なんだもの。入園式の時みたいに家族全員で写真ぐらい残さなきゃ」


「そうだな」


 テーブルについてしまった母は父と一緒になって、一人娘が占めているアルバムを優しく開いていく。そのまま顔を見られないよう自室に滑り込んだ。


 昔はスカートを履くのを嫌がった。


 アカリは自分が誰なのか分からずにいた。どちらの世界でもお互いを『夢の話だ』と否定され、アツシが夢なのか、アカリが夢なのか、マワラ族なのか、何者でもないのか。2つの人生で、2つの環境で、まったく違う生活と文化で、真逆の性を司る体を持って、返される答えの違う人の中で。どちらも夢か?どちらかの世界が虚構で、頭の中だけにある幻なのか?今いる自分はどっちだ。眠りについたと思って、現実に戻っていくのはどっちだ?生まれながらにあった当たり前が、誰にとってもそうではなかった。


 狂いそうだった。


 いつからだったろうか。アカリがスカートを進んで選ぶようになったのは。世界を超えるたびに己を切り替えなくてはならなくて、そのためにハッキリと違う物に囲まれていた方がやりやすいのだと教えてくれたのは立川信路だった。少しずつ2人の自分を使い分けれるようになった。


 それでも己が異質である事は変わらない。夢も、生まれも、なにもかも。


 部屋から出ると、父と母はまだアルバムの虜になっていた。楽しそうに笑っている父が、母が幻なのだろうか。それとも処刑されたマワラ族の青年こそが長い夢の住人だったのだろうか。


 部屋から持ち出してきた物が入っている場所を押さえて、平静を心掛ける。


「ママ、パパ」


 視線が集まった。写真ではなくココにいる娘へ。


「ごめん、もう学校の時間なんだ。友達が外で待ってるから行くね」


「え!?ああ、そうね・・・。せっかくパパが珍しく有給とってきてくれたんだけど」


 母が呆れた顔で笑った。


「今日は早く帰ってくるのよ。特別にもう一度好物を作って待っててあげるわ」


「気をつけてな」


 胸が締め付けられる。


「いって、きます」


 成人式のアカリの大きな写真を撫でる父を横目で通り過ぎて、愛する両親を残して家を出た。










 まだ早朝のビジネスホテルの入口を颯爽と抜けると、受付にいる中年の男がチラリと目を向けた。アカリは彼に近づいた。


「すいません、人を迎えに来たんですけど、部屋は分かっているので行っていいですか?長居はしません」


 肩をすくめるだけの愛想の無い男の態度を、許可と取る。2つあるエレベータは止まっている。これを無視して階段を選ぶ。後から追いかけてきたコマキと金森が辺りを見回しながらアカリに駆け寄った。


「一体どうする気よ」


 肩をつかんでコマキが小声で呼び止める。金森は「何階か知らないけどエレベータ使わないの?」とボタンに指をやった。その手首をつかんでアカリは止める。


「入れ違う経路を断つためだよ。エレベータなら作動音が階段からでも分かる。でも保険のために金森さんはコマキちゃんとここで待っててくれないかな」


「アカリ」


 コマキの批難を込めた呼び声に、アカリは素知らぬ顔で階段の壁に手をかける。


「顔は金森さんが知ってるよ。お願い、コマキちゃん。絶対に逃がせないんだ」


「あっちに力任せで抵抗されたら不味いのはアカリなのよ。エレベータで私が上にあがればいいだけのものを、下で待たせる意味がどこにあるって言うつもり」


「・・・男同士、女には聞かせられない部分もあるんだよね」


「じゃあ問題ないわね。私、男だもの」


「言い方を変えるよ。失敗したくないから邪魔なんだ。帰ってくれた方が助かるよ」


 強く見詰め合って、苦虫を噛み潰した顔でコマキは唇を噛んだ。元よりエレベータで鉢合わせさせる気すら毛頭無い。作動音が聞こえれば途中の階で止めるつもりだった。ここに連れてくるのすら拒みたかった位だ。金森が控えめに横から口を出す。


「友達なんでしょ。ここまで利用しておいて切り捨てるのは、あんまりじゃない?」


 だがアカリは応える事無く背中を向けて階段を駆け上がった。コマキは、アカリを止めなかった。


 9階まで。


 息が切れて苦しさのあまり心臓が破裂しそうでも立ち止まらなかった。勉強ばかりのアカリはアツシと正反対だ。まるで肉体的に優れていない。階段を登りきれば非常用として閉じられている鉄扉が阻む。それに手をついて膝をつきながら自室から持ち出した物で装備を整える。


 鉄扉を開いてフロアーに出れば部屋の番号を辿って立ち止まる。静かに扉に手をあて、耳を当てた。単純で古い鍵が不正に解除される音がいとも簡単に鳴る。


 薄暗い部屋の電気をつける。


 鍵を施錠し直して奥へ進むとベッドで跳ね起きる男が前髪をかきあげた。アカリと視線が合うと目を丸くして、口を歪めて笑った。


「どうやってここが分かったわけ?しかも、どうやって入ったんだ?」


「君の部屋のパソコンからログを探索して。履歴を消しても復活させられるんだよ。部屋の特定も。鍵のカラクリは分かってればどうとでも。証拠隠滅する気がないみたいだね。罠なのかと思った」


「まず自宅に突入される自体が想定外だったんだよ、Fraulein」


 バルリングが片足をベッドの端に下ろしたのを、アカリは片手で制する。その手に持っているのはボールペンだった。


「動かないで」


「何?」


「改造銃だよ。大怪我するくらいの威力は持ってるよ。下手をすれば死ぬかもね」


 動きを止めてバルリングは薄笑いを浮かべる。


「包丁の方がまだ説得力があったかな。ファンタジックな脅し文句だ。俺は何かしたかい、クロガネ」


「今更とぼける?まいったよ、マワラ族のアツシは異能者として摘発されて処刑された。密告したのは君。それが出来た理由は簡単だ。君も俺と同じ異能者ならば」


「仮説とは可能性や確率を否定して目を曇らせ真実から遠ざける時がある。単に連絡手段を持っている、という可能性だってあるだろう?」


 ボールペンを構えたまま、バルリングの部屋から持ってきた紙を数枚目の前に見せた。握り潰されたメモとレポート用紙の登場にバルリングは半笑いになる。


 それらにはつたない日本語が書き連ねてあったが、途中で明らかに違う種類の文字を並べるミスが現れ、続きを書くのを断念して破棄されていた。それはアルファベットでもなく、キリル文字でもなく、ドイツ語でもない。


「日本のFrauleinはゴミ箱まで漁るかね。もしくはマワラ族の習性?」


「あちらの文字をうっかり使うくらい生活に根ざしているのなら、連絡だけって事はないよね。それに文字だけでの連絡なら、君がそもそも文字を覚えた拠り所がいるはずだ。時間をかけている暇はない。ノーディアとケオンはどうした」


 肩をすくめてバルリングは両足をベッドの外について膝に腕をついた。ふてぶてしく余裕のある顔で溜息までついて。


「故郷に帰っていったけど?」


「嘘だよね。マワラ族の特徴は異常なまでの仲間への執着心だ。視界の中に同胞がいないだけでも泣いて探し回るんだよ。同胞との離別にどれ程の執着を見せるか想像できる?仲間が殺されたマワラ族は狂うんだ。非道殺生なんて、どうでもよくなるくらいにね。公開処刑をする前に君にこれを伝えたかったよ」


 バルリングは黙って目を瞑った。


「ああ、そうだな。せっかく死刑だけは免除されたというのに呪詛を吐いて暴れたせいで奴らはまだ処刑場にいる。牢にも移せやしない。おまけに町民は減刑に大反対で苦情殺到」


「君が異能者なら2人を助けられるよね。開放してくれないかな」


「おいおい、マワラ族は町民の前に晒されっぱなしなんだぜ?しかも役所の前に処刑場が作られてんだ。逃がせる状況かよ。俺が危ない橋を渡る利害がどこにある」


「悪いけど頼んでるんじゃないんだ。あちらの世界との繋がりを手放すわけにはいかないし、やってくれるまで外には出せないよ?」


「法的に許される行いをしているのかどうか振り返ってみればいい。この世界でそんなことできるわけがない。それに女の君を捻じ伏せて通報する方がどれだけ簡単か」


「無駄な脅しだよ。俺はここで失敗するくらいなら死んで良いと思ってる。君を道連れに」


「マワラ族のアツシであればともかく、クロガネ、ボールペンなんかで一体どうやって・・・・っ!!?」


 アカリはポケットに手を入れてボールペンのボタンを押していた。バルリングのズボンに血がブワリと滲む。銃創にきつく押さえてバルリングはボールペンを信じられない様で凝視している。アカリがポケットから手を出すと、その指の間にはボールペンが何本も挟まってバルリングへ向けられていた。


「何故、異能者だと密告したの?罪子や異能者について知る機会が今までなくて今回の事で初めて知ったけど、まるで中世の魔女裁判みたいだと俺は思ったよ。君が俺と同じ異能者だというのなら、なおさら売るなんておかしいよね。それとも俺がキメラを生み出す様な悪道に走ると判断したの?」


「正直、今はそう受け取らざるおえないかな」


 冷や汗を浮かべながらバルリングの視線に鋭い緊張が走る。


「これ?趣味なんだ。有川君に借りた雑誌に載ってたやつ。作ってみたら壊すつもりだったんだけど、手遊びにしてたら量産しちゃったんだ。課題なんかもあったから処分を後回しにしててね」


「異能者だと意識してなかったからだろうが君は無防備過ぎたんだよ。すぐにアツシが大学の同じ学科にいるかもしれないと気づいた。探った結果、俺は君をベースにマネた有川かとも思っていた。あいつが妙なレポートを出していたから思い込みだな。既に報告しちまってたんだ。後は裏をとる作業だけだった。公守には異能者を研究するマッドサイエンティストが存在しててな、俺はそいつに心臓をつかまれている。君をモルモットに欲しがっていたから、捕まえる機会を狙っていたわけだ」


「モルモットを殺すだなんて、死体でも検分したかったの?」


「公守が一枚岩じゃないもんでね。処刑はあの舞台で大手を振って高みの見物決め込んでたルーエンの一存だ。あいつは異能関連者を駆逐しないと気がすまない奴だからな。君を殺すつもりはなかったんだよ、俺はね」


 友好的な顔で、それでも口を歪めた笑みで手を挙げる。


 アカリはボールペンを両手に分け、片手でそれを誇示するように振る。


「君が自由の身ではないというのはよく分かったよ。こっちでも不自由になりたくなかったら俺の命令も聞いて欲しいな。2人を逃がして。人をいたぶるのに慣れていないから、焦れてきたら答えを聞く前に撃ち殺してしまいそうなんだけど」


 バルリングは撃たれた足から手を離し、両腕を大きく広げた。苦悩するように天を仰ぎながら。


「協力するさ、Fraulein!俺はとても君に罪悪感を持っている。ただ、そう、賢い君なら簡単にいかない事ぐらいは分かるだろう?・・・時間をくれないか」


 アカリは微笑んだ。


「信用できないや、ごめんね」


 その返事に、あっさり態度を変えて嘲笑じみた笑いを漏らしてバルリングは口を覆う。


「そうだろうな。ああ、俺はあの格闘家と弓使いを助けない。文明人らしく言い方を変えよう。助けられるはずがない。俺もしょせん見張られている。それに君は最初から俺があちらの世界について告げた事を信用していないんだ。どう答えても無駄なんだろ」


「だから折衷案を考えてきたんだ。結構イライラも限界だし反論なんてしないでね」


 バックから古い本を片手で探り当てて床に投げる。それに視線を向けたバルリングは肩を揺らして顔を引きつらせた。表紙には何も書かれていないが、それが『クレーメンスの日記』だと分かっただろう。見覚えがあるのは当然で、彼の部屋から持ち出した物だ。


「そんなに簡単に見つかるような場所になかったはずだ」


「あちらでキメラを生み出した異能者のこの世界での名はクレーメンス。内容、知らないわけないよね」


 人は眠らずに何日も生きれない。眠ることができなければ幻覚と酷いストレスに狂っていき、いずれ体が正常に活動せず死に至る。そんな中で異能者は眠った状態とは言い難いながら生きている。異能者ゆえの精神構造が存在するのか、それとも数ある異能者の中でこの異常に適応して生き残っただけなのかは分からない。


 生物は脳と体を交互に休ませる。少なくともあちらの世界にいる間は、こちらの脳も体も使っていない状態になる。やはり異能者も一応は休んでいるのだ。


 ならば。


「クレーメンスはあちらの世界で病を得ていた。半身を失えば残った体も生き伸びれないことを仮説立て、彼は考えたんだね、生まれながらの半身を失うのならば人工的に作り直せばいいと。あちらの世界の体と精神を繋ぐのに適した体を作るために研究は重ねられ、その被験者はキメラと呼ばれる第三次副産物として世に捨て置かれた」


 それが答え。なんという事は無い。目的は化物を量産することでも、こちらの世界での研究実験でもない。キメラを作ろうとなんてしていなかったのだ。なんの価値も意味も無く、悲劇は投下されていた。


「実験は成功しなかった。する前に処刑され、難攻したっていうのが正しい?クレーメンスは完成させられなかった」


 あちらの世界で死んだクレーメンスは数日かけて衰弱していった。そして、日記は途中でパタリと終わっている。


 死んだのだろう。


「そもそも機械じゃあるまいし」


 バルリングはくぐもった笑いをもらす。


「体を作りました、魂を移しますなんて上手くいくわけがない」


「でも異能者は2つの体で精神を当然の様に行き来しているよね。世界なんて分厚くてよく分からない物を当然の様に挟んでいるのに。クレーメンスは最後の回顧でこう残している。適合体が偶然出来上がるまで作り続けるよりも合理的な方法があった。元から精神回路が繋がった核を持つ存在。異能者である自分自身」


 体の生命活動は思考回路に至るまで電気信号だ。現代にはその電気を受信して機械で読み取っていってしまうような、規則正しい配列をした意味のある信号だと解明されている。


「俺の死体とキメラの死体、とってあるよね?」


「・・・頭だけなら。いや、待てクロガネ。日記を読んだなら知ってるだろう。細胞の電子を読み取るグリーンシースラッグがこっちの世界には生息していないんだ。本物の機械で代用はできるが細胞の構築データを電子記号に変換するためには、細胞1つ1つに負荷がかかり過ぎて腐食を」


 キメラの揺り篭である緑色の寄生物。女の腹に取り付いた生物は、遺伝子を読み取って取り込む特異な生き物。クレーメンスの日記に記されていたのはアレの事だろうと予測できた。


「だからクレーメンスにとっては意味が無かった。でも、俺にとっては機械が代用できれば十分だ。あっちの世界に行ける確証までは君に求めない」


 口を閉ざしてバルリングは一呼吸を置いた。アカリは揺ぎ無い視線でその彼を射抜く。


「おいおい、どれだけ大掛かりな装置だと思ってるんだ。材料だって簡単に手に入る類じゃないし、あんな機械すぐには」


「クレーメンスがこっちの世界で1つ作ってる。そしてそれを君は持ってきているよね、この国に」


 バルリングがついに頭を両手で支えて身を折った。


「君はどこまで調べ上げてるんだよ。スパイか捜査機関にでもなったらどうだ」


「以前、日記の作図と同じ物を学校に持ってきていただろう。中山先生に見せて何か話してた」


「だいぶ以前の話なんだが」


「俺は機械に関して、つい詳細が気になってしまう性質でね。興味を引かれていた存在なら覚えていても不思議じゃないだろう?バルリング君の部屋では見つけられなかったんだ。何処にあるの?」


 黙って考え込むバルリングに、アカリはボールペン銃を布団のわきに向かって撃ち込んだ。小さな羽根がベッドから跳ね上がって周囲に散る。


「時間が惜しいって言ったよね」


 彼は舌打ちをする。










 生徒に混じりながらバルリングのすぐ後ろを歩く。ボールペンを3本も突きつけて歩くアカリの姿は、彼にじゃれている彼女に見えるかもしれないし、殺伐とした表情を見れば彼に怒った彼女のつまらない仕返しを甘受している状態にも見えるだろう。


 足を引きずりながら歩くバルリングに合わせ、速度は比較的遅かった。ゆったりと進む中を人が抜かして行く。


「わ、わー、学校なんて中学ぶりー。中学も私あんまり行ってなかったけど。あは、あは、あはははは」


 後ろから付いて行くコマキより更に後ろで、ほぼ部外者の金森は殺伐とした緊張感に耐え切れずに営業時モードで喋り倒していた。


「ね、ねえ、皆どこ中だったの?私、翼ノ草中学だったんだー。カナも一緒よぉ」


 金森に多少同情してコマキだけが「一尾中学よ」と言葉少なに答えた。貼り付けた笑顔のまま金森は構内に入ると喋るのを諦めた。人の流れに逆らいながらも特別に注目される事なく構内を進み、バルリングは与えられているロッカーの鍵を開けてゴチャゴチャとした機械を取り出す。コードなどが長ったらしく腕に巻き取りながら、時折り古く年月を感じる異様な部品が中から零れ落ちてくる。


 アカリはザッと資料の内容を思い出しながら目算をつける。


「日記の奴とちょっと違うね。改良したの?」


 古いパーツがあるのは当然として、新しい部品に付け替えられたりしているのはどう考えても使用を前提にして見えた。


「俺が日本に来た理由は、何もクロガネを狙っての事じゃない。あっちでアツシを見なきゃ余計な仕事は増えなかったんだよ」


「君が使う予定だった、ってことはないよね。俺に使う予定でもなかったとなると、誰に使うつもりだったのかな」


 ロッカーを閉めて鍵をかけずにバルリングは再び歩き出す。


「そんな事より、俺がどうしてクレーメンスの日記や遺物を持っているか気にならない?後、もう逃げたりしないから、その危険物片付けてくれないか」


「誤射したらゴメンね。急所ははずしてあるから重症ですむよ。後、足痛いよね?よろけたりしないでね。誤射の確率上がるから」


「少しくらい俺の言い分を聞く気は持たない?」


「大体2通りの予測はつけてある。君がクレーメンスのこちら側の罪子つまり血縁者か、こちらでの君の任務がクレーメンスの調査なんだろう。長々と遠まわしな身の上話で時間稼ぎをしようとされると、反抗の意思があるんだって穿った疑いをかけられるよ、バルリング君」


 バルリングは顔を引き攣らせ、コマキは眉根を寄せてアカリの横顔を物言いたげに見た。その視線に気づきながらもアカリはコマキと目をけして合わせない。


 第3技術室に辿り着き、バルリングの後ろからアカリは扉を勢い良く蹴る。そして横に足をスライドすると扉が安易に横へ開いた。


「有川君の真似」


「あの男、ろくな影響を与えないな」


 吐き捨てるようにバルリングが顔をそらしながら技術室に入る。工具が散らかっているのは自習で技術室を使った生徒が片付けていかなかったのだろう。中に入ったアカリは後ろ手に扉を閉めて鍵をかける。


 背中から少し離れて前を行くバルリングが、持ち込んだクレーメンスの遺物をテーブルに置いて学校の巨大な設備に繋いでいく。


 鉄くずの匂いが鼻につく。


「俺の死体と使わせてもらうキメラの死体、何処にあるの」


「ろくな場所じゃない事は確か」


「ああ、異能者の死体を解剖したがってる人がいるんだっけ」


「機械のスイッチを入れてくれないか、クロガネ」


 ボールペンを向けたままアカリは機械に近寄って電源を入れていく。モーター音が低く唸り始め、癖のある匂いが鉄くずに混じった。


「後は完全に機械がたちあがればクロガネの体に電極をつけて、こっちの世界は準備完了」


「早いね。本当に、誰に使うつもりだったのやらだ」


「異能者の苦しみってやつを味わわせたいマッドサイエンティストの、この世界での存在にだよ」


 機械から手を離し、バルリングは床に座って片膝を立てて頭を伏せる。伸ばした足から血が滲んでいる。


「あっちの死体も準備してくる。細胞を再構築するにしても基礎になる物質はそろってた方が成功するはずだ」


「協力的で何よりだけど、あっちで待ち伏せとか考えないでね」


 彼は下を向いたまま噴出した。


「しないって言った所で信用できないくせに」


「そうだね」


「それでもやるわけだ」


 目覚めた瞬間に公守に囲まれているかもしれない。もう一度処刑されるだけなのかもしれない。成功なんてしないかもしれない。それでなくとも、処刑場から負傷している仲間を2人助けなければならない。


 周囲が敵だらけの国を脱出して懐かしい草原まで。


 静かな寝息がバルリングから聞こえる。寝たふりかもしれない、眠りに落ちるのが得意な性質なのかもしれない。申し訳程度にボールペンに手を添えたまま、機械の電極を手に取る。


 髪をかきあげて額へ。手の先から肩にかけて。上のボタンをはずして体へ。足へ。


 髪に手をやって髪飾りをはずして手の平で転がす。余計な電気が集まってもマズイだろう。コレをくれた友人が目の前に立って髪飾りを攫う。自然と視線が上がって、ようやくコマキと目を合わせた。


 しばらく声は発せられることなく、沈黙の後に低い声で告げられた。


「あんたなんか嫌いよ」


 苦笑してアカリは返事する。


「失望した?」


 だから帰って欲しかった。


 非道外道の所業を見られたくなかったのだ。それにバルリングにハッキリと会わせる事も不安を残す。犯罪に加担させたくもなかったし、コマキに止められれば心に迷いが生じるのもある。


「謝りなさいよ」


「ゴメン」


「あんたのゴメンにはいつも誠意が無いのよ」


 無下に切り返される声を耳に焼き付ける。


「あんた、今、一体どっちのあんたなのっ・・・・・・」


 ボールペンの1本を指で回す。


「・・・・・・俺はね、男か女かで言えば男だったんだと思う。あっちの世界が中心でさ、いつでも母や同胞に罪悪感を感じて生きてきた。そのせいでアツシとはまったく違う世界の幻覚を見ているのかもしれないと思ったぐらい」


「だからこの世界の事はどうでもいいって言うの?」


「でも確かにアカリとしても生きていたんだよ。どっちだとか関係なく私の友達はコマキちゃんしかいなかったし、バイクオタクだったし、モデルガン大好きだったし、コマキちゃんには悪いけどママの作る料理が一番だと思ってるし、私はパパに似て朴念仁だってよく叱られる」


 大事だったんだと、今更思い知る。それと同時に、あちらも同じくらい大事で選びようなどないのだ。


「俺はもうアツシでもマワラ族の守護者でも無くなってしまった。なのにあっちの世界で仲間が呼ぶんだ。どうして大事な人って、みんな同じ世界にいてくれないんだろうね」


「どうしてそんな事を言うの。今度は世界を超える方法でも見つけたなんて言い出すの?まるで、あっちの世界を選ぶみたいじゃない」


「ノアとケオンは未だ処刑場で囚われの身にある。俺は処刑され、助けられるあても無い。2人は開放されても報復のために命を投げ出してしまうんだ。最後まで我が儘ばかりで申し訳ないんだけど」


「最後ってなんなのよ」


「ママやパパにドイツへ駆け落ちしますってメールを送ってあるんだ。もし聞かれるような事があったら話を合わせてくれる?金森さんもここで見聞きしなかった事にして欲しいんだ」


 話についていけずに戸惑いながら、金森は躊躇いつつ頷いた。コマキは電極が繋がったコードを指にかけて滑らせていく。


「あっちの世界に行くつもりなのね?」


「うん」


「私が止めてって頼んでも、あっちの世界を選ぶの?」


「うん」


「一緒について来てって頼まないんだ?」


「駄目」


 少し間を置いてコマキは首を傾けて笑みを浮かべる。


「戻ってくるのよね?」


「なんだか拒絶ばっかりしてるみたいで胸が痛くなってきたよ」


 コマキの笑みが歪む。


 アカリが座っている機械に覆いかぶさるように手をついて見下ろしてくる影に、ハッとする。バルリングは覚醒して小さなレバーに指をかけていた。


 パチンと音が鳴って、フラフラと後退したバルリングはテーブルにぶつかって座り込む。


「あっちで少しでも邪魔が入れば確実に失敗のスプラッタだ。時の神に祈れ」


 今までよりも強いモーター音と火花が電極と体に走る。突き刺すような痛みで足の爪先から頭にまで炎の熱が回った。


 その瞬間、後ろの窓が開いて機械の上に小さな影が飛び乗った。少し見慣れた小学生、金森の妹がそこにいた。狂気じみた目がアカリを真上から見下ろす。


「キリ!?なんでここに・・・・・・!!」


「邪魔ばかりする女。あいつに近づく目障りな女。あたしが不幸なのに、あいつが救われるなんてありえない」


 金森の妹が機械を繋ぐ部品を両手で乱暴に揺らす。


 妨害される!


 慌てて手を伸ばそうとしてアカリは激しい痛みに歯を食いしばった。


 肌がはじける。肉が、骨が崩れていくイメージ。指先から崩れていくようで、肩をわしづかみにしようとして、感じない感覚に視線をやる。


 電極が地面に落ちた。


 そこにあった肉はなく、チリチリと紙が炎に燃やされて消滅するように、体がプツプツと消えていた。


 2度目の死。


「壊れちゃえ!!大事な物を壊して、あたしの邪魔をした報いを思い知らせてやる!?」


 アカリの状態はおろか電流が周りに走っている姿も目に入れずに、金森の妹は高笑いを響かせた。部品がはずれて配線が伸びるのを見る。


 失敗する!?


 体の感覚がほとんど無くなった状態で見上げた金森の妹の姿に、コマキの姿が重なる。


「あっちの世界の私を見つけて、アカリ!!」


 視界が赤く染まる。


『ああ、そんな事がありえたなら』


 声になりはしない声で呟く。


『コマキちゃん、私に都合が良すぎるよ』


 だが、人は眠れなければ生きられないのだ。クレーメンスという異能者は半身を失って死んだ。


 残されたライフはあまりに儚い。




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