<歪む夜>


 先に畑から帰っていた子供らが土で汚れたノーディアを見つけて突撃して服を掴む。


「ねえ、ノーディア!ゲテルテがそろそろ火祭りだって!!」


「明日は収穫していい!?今年はいっぱい実がなったよね」


「狩り手も今日は大成功だったんだよ。凄かったよー。見に行こうよ!」


 血の匂いがして、ノーディアは土のついた手で鼻を擦る。


「あーあー、お前らは元気だなあ。俺は頑張り過ぎて疲れたの。飯の前に服も着替えてえし、泥を落としたいからゲルに戻る。悪いな」


「えー」


「手伝うー?」


「お前ら、俺が自分の体位拭けないと思ってんのー?」


「違うよぉ、でも手伝う?」


 ノーディアは笑って手を振る。


「いいから狩り手に凄ぇ獲物を仕留めた武勇伝でも聞いてこい。何かすんげぇ話でも聞けるかもしれねえぜ?」


「わあああ」


 手を振って「終わったら来てねー!」と子供らは満面の笑顔で駆けていく。それに笑顔でノーディアは手を振り替えしてやる。作業道具を置いてノーディアは集落の中心と逆に向かって早足で離れる。口と鼻を塞いで人気の無い方、無い方へと。幸い、今は集落の広場に誰もが集まっている。視線は皆無だった。


 柵を跳び越えて小さく体を曲げ、影になった途端に穴を掘って中に嘔吐する。


 しばらくえづき、全身で大きく深呼吸をすると口元を拭って穴を埋め直し大き目の石を乗せて誤魔化す。柵に背を預けて夕日が落ちていく地平線に視線をさ迷わせた。


 火祭りをやるという事は、狩り手のお陰で冬に備えられたという事を示している。それが無意識に胸を抉る。もう狩り手を外されて4年も経った。子供らと農作業をやりながら、織り女と織物をやる日々が4年だ。


「いい加減に慣れろよ」


 情けなさに額を手で押さえる。


 どれくらいそうしていたか、そこそこ暗くなってきた時にイレリアの呼ぶ声がしてくる。


「ノアー!もう食事なんだけど、何処にいるのよー!!」


 息を吐き、ツンとした生意気な弟の顔を作り上げ「はーい!分かってるってー」柵を跳び越え、もう一度口元を拭って向かう。すぐに走ってかち合ったイレリアはノーディアの顔を両手で挟み潰す。


「捜したでしょ!?本当にあんたって子はフラフラフラフラ、行き先はちゃんと告げなさいって昨日も言ったばっかりじゃない!」


「しょうがねえだろ。畑だよ、畑!」


「皆、ほとんど昼には帰ってきてずっと遊んでたわよ。実りきった収穫の時期にやる事はほとんど無いはずでしょうが、まったく」


 忌々しそうにノーディアの泥だらけの腕をつかんでイレリアは帰路につく。


「もうすぐ火祭りね。そろそろ族長と収穫について相談しなきゃいけないわね。今年も畑の範囲を広げたんですって?ノアのお陰でなんだか年々収穫量が増えてるみたい」


「それくらいやらなきゃ、本当にチビと同じになっちまうからな」


 立ち止まってイレリアはノーディアを見上げる。


「ほら、ペリエってそろそろ役割を決める年頃でしょ。本人にどうしたいか族長が聞いたら、ペリエが自分もノアみたいに成人しても畑に残るって言ったんだって。収穫量を安定させるためには子供だけじゃなくてノアみたいな大人の労力が必要だとか熱弁したって。それってノアがそれだけ」


「ペリエも色々難しい事を言うような年頃になったんだな」


 耐えろ。


『俺は好きで選んだんじゃない!!』


 絶対口を滑らせるな。


『外で駆け回って獣が相手でも怖くねえ!俺はマワラの男だ!!』


 弓も使えないのに、これしか道なんて無いんだよ。


『違う!弓が駄目でも』


 そんなもの。










 我慢出来ずにこの夜も集落の柵の外の定位置を感情の捌け口にしていた。


 真夜中に集落の外だ。誰も現れるはずがなかった。だから火の灯りが見えたと思った次の瞬間に、もたれていた柵を跳び越えた人影に思わず声を出してしまったのだ。


「誰だ?・・・・・・アツシ?」


 後ろからでも同族を見間違えるはずがない。振り返ったのはノーディアの1つ年上で変わり者の男だった。マワラ族は基本的に1人でいる事は無い。他部族からは寂しくて死ぬと揶揄されるが、マワラ族はそれを誰も否定しないだろう。実際問題、同族の気配が側に無い空間には耐えられない。だがアツシは守護者という役割のためとはいえ、平気な顔で集落から離れた。集落の外に出たっきり、暗くなるまで戻らない事すらある。


 そしてしばらく顔を見ないと思えば、集落の端で誰とも会話せずに物陰で土を固めたり石を削って何か得体の知れない物を作っていたりもした。話しかけても区切りがつけば即座に姿を消した。


 だからなんとなくアツシはそのまま用事をしに行って、ノーディアの様子を追求しないのではないかと期待した。だがアツシは足を止めた。それもノーディアの目の前に膝をついて真正面から顔を見合わせてきた。


「どうしたの、ノーディア」


「そっちこそなんだ、その荷物。こんな時間に何かするのか」


 泣き顔を誤魔化そうと腕を上げるより早く、アツシに服の袖を伸ばして両頬を拭われた。


「まあ、ちょっと」


「逢引とかじゃないだろ。守護者の仕事か?」


「ええっと、俺のは大した事じゃないから置いといて、ノーディアの方がどうしたの?」


 顔を背けていつまでたっても喋りそうにないアツシ。そもそも普段から会話に参加せず人と距離を置いている男を相手にどう接すればいいのか分からない。何かを誤魔化したいのはアツシも同じらしかった。黙っていれば変に部族中に話が回る可能性が高い。


 もう喋って口止めしてしまうしかない。


「こんな時間じゃないと泣いてるのがバレるからな。考え事してたんだよ」


「誰にも相談できないんだ・・・?」


「どうにもなんねえもん。こんな目じゃ」


「君はよく働いてくれるから助かるって聞くけど」


「子供と同じ仕事でな」


「織物も手伝ってるって。凄く上達したんだってイレリアが褒めてた」


「女の仕事だけどな」


 珍しくアツシが会話を繋げてきたが、顔を強張らせてついに黙り込んで手元の火を泳がせる。


「狩り手になれないなんて・・・」


 顔を埋めて膝で泣き顔を隠すとアツシはおずおずと頭を撫でてきた。


「分かってるんだ。他の連中に気を使われながら狩りをしたって結局こんな気分になるって事くらい。気持ち切り替えて畑に力を入れるべきなんだって。あれも重要な役割だよ。俺にはこれしかできないって納得しなきゃ。だからこんなの知られるわけにはいかなかった」


 こうしてまともに会話したのはいつぶりだったか思い出せない。じっくり顔を見たのすら久しぶりなぐらいだ。アツシは同族より他部族とばかりいる。もしかすればマワラ族が嫌いなのではないかと思うぐらいに。だがここまで話せば口止めくらい応じてくれるだろうと一度唇を噛んだ。誰にも話せなかった鬱屈した感情を零したせいで必要以上に口を滑らせているかもしれない。


 そんなノーディアの気持ちを知らずにアツシは答えていた。


「悩みに対して正しいからって出した答えに気持ちが納得できない時はさ、本当は選びたい答えが他に隠れていて、ノーディアはそれを井戸から引っ張り出している最中なんだよ」


 何を言い出すんだろうかとアツシの顔を見た。そこにはもう突然の暴露話で当惑した顔もなかった。


「だから、すぐに決めようとしないでもう少し悩んでみなよ。他にどんな答えがあるんだろうって。選びたい物を思い切ってやってみた方が、きっと良いはずだから。狩り手を見てると辛くて考えられないなら」


 何を言い出したのかすぐに受け入れられなくて、アツシが少し持ち上げた荷物が目に入る。そうだった。ノーディアは隠れて感情を吐露するためにココにいたが、ならばアツシは大荷物を抱えて何をするつもりだったのか。


「それが目に入らない、まったく関係の無いところで一度考える旅に出てみるかい?俺と一緒に集落の外へ」


 耳にして頭が真っ白になった。涙も引っ込んだ。何か言わなければもう行ってしまうだろうか?アツシが集落から出て行く?冷や水を背中にかぶった心地で声が詰まり先に手が出た。アツシの腕をつかんで、今聞いた事を問い詰めるべきだと大きく息を吸い込んで前のめりになる。


「あ、その、騒ぐのは無しで頼みたいんだけど」


 また困り顔になって目を泳がせるアツシに集中していて、背後に気配が生まれたのに気づくのが遅れた。草を踏む音がその背後で鳴った。驚きでアツシとノーディアは上を振り仰ぐと、囲いの中から人影が1つ見下ろしていた。


「なんだ。獣でも入り込んだのかと思えばノアに、アツシか?えらく珍しい組み合わせだなあ。こんな時間に何してんだ?」


 慌てて上を向くと囲いの中からケオンが弓を手にして疑問げに見下ろしていた。直後にアツシが急に走り出した。


『旅に出てみるかい?俺と一緒に』


「あっ、待って・・・」


 止められる前に闇の中に逃げたのだ、ノーディアを置いて。集落から出て同族から離れる。それは死より目が見えない事より恐ろしい行動だ。だが、アツシを見送ればあの同族が一人になる。そして残ったノーディアはこれからもずっと井戸の前に立って登って来る想いに隠れていろと沈めて生きていく。すり抜けてしまう。いつだってすぐに姿を消してしまう不思議な同族が。


「俺も行く!!」


 何も持たずにアツシの背を追って全力で駆け出す。その後ろから「は!?行くってこの時間に何処へ?おいアツシ、その荷物はなんなんだ!ちょ」とケオンが慌てて柵を跳び越えて追って来る声がする。


 集落を振り返り迷う暇など無い。


 闇に消えて簡単に見失いそうな背中は、ノーディアにとっておそらく最初で最後の運命の選択肢なのだから。










 その夜、ノーディアはマワラ族の集落から姿を消した。少々口煩い狩り手のケオンと、強烈に不思議君な守護者アツシと同時に。

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