<脱落者>


「そっちいったぞ、手負いだ!ノア、後一撃で仕留められる!!」


 一応逃げる意思が残っているだけで虫の息になっている有蹄類が角を振り回しながら千鳥足で向かってきている。これを仕留めてもノーディアの中では自分の功績には数えない。自分がマワラ族でなければとっくに狩りから外されるか役立たずとして蔑まれているだろう事も理解していた。だが同族はマワラ族だ。フラフラと走ってくる的の大きな獣を3m手前で射た。周りが「やったな!ノア」と囃し立てる。


 顔が引き攣るのを見られない様に「ああ」とか「うん」なんて返事をしながら誰もいない方を向く。なんとかノーディアにも手柄を立てさせてやろうとお膳立てをする仲間に胸が粟立つ。


「これで今日イレリアとの約束守れるな」


 唇を噛んだ。


 自分で仕留めたんじゃない。姉との約束はノーディア自身が狩り手として一人前を名乗れる証を持って帰るという事なのだ。


「お、珍しいの発見」


 少し小高い丘で馬首を返したサーフェスが明るい声を上げる。駆け下りながら弓を構えて突撃してくのに、馬に乗ったままの狩り手達が馬を走らせた。足元で仕留めた獣を縛る父を置いてノーディアも遅れて駆ける。


「あ、待てノーディア!お前はこいつの」


 声が後ろに流れる。馬を操るのもノーディアは苦手だ。獣の前に先回りして進路を変えさせ、追い詰めていく狩り手達の連携ですら足手まといになる。だからと言って止まった的にすら矢を当てられないノーディアでは、狙撃役にもなれない。


 一直線に獣に向かって走るノーディアの方へ向けて有蹄類が爆走してくる。ラオの「曲がれノア!!」と叫ぶ声に重なって昨日の記憶がパチンと頭に弾けた。


『もっと近くから』


 ノーディアにはあの有蹄類を向かえ撃つ技術など無い。ならばどうやって近づくか考えれば良い。


 有蹄類との距離は10m、単体のノーディアを包囲の穴だと真っ直ぐ走っている。馬の背を踏んでノーディアは跳んだ。周囲から驚愕の声が上がる。有蹄類の背に飛び降りたノーディアは奇跡的に背にしがみついていた。衝撃でよろけた有蹄類は速度を落とし、腹に脚で締めながら首後ろに弓を引いて矢で貫いた。喉から矢じりが飛び出し、有蹄類が横倒れになる。


 草原に投げ出されたノーディアは器用に受身を取り、急いで目の前の獲物の口を持ち上げて顔を凝視する。


 即死!


 正真正銘、自分で獲物を射止めた事実に喜びで周囲に顔を向ける。


「危ない!ノア!!!」


「え?」


 悲壮な声のすぐ後に鋭い矢がノーディアの耳の横をすり抜けた。すぐ真後ろで肉に矢が刺さる音と、短い断末魔が聞こえて振り返る。ノーディアがたった今、仕留めた獣の尾があるべき場所から大蛇が生えていた。呆然として目を滑らせた獣の背には、このヘビと獣が1つの生物ではないとばかりにヘビの噛み痕が多数残っている。


 座り込んでいるノーディアの周囲に狩り手が残らず集まった。


「なんてマネしてんだ!下手したら死んでたんだぞ!!」


 ケオンのいつにない怒鳴り声で首をすくめて舌を出す。咎められるのは承知の上だったが。


「大丈夫だって。俺、割と落馬するから受身には自信あったし」


 言い返したノーディアへ一斉に「そういう問題じゃないだろ!?」「走ってる獣に飛び乗るのと落馬じゃ危険度がまるで違うだろうが!」「そんな危ない方法があってたまるか!」と聞き取れない人数の言葉を浴びせかけられた。


 ノーディアは負けじと大声を張り上げる。


「だってこの方法じゃねえと俺は一人前に狩りの一つも出来ねえじゃねえか!!」


 周囲の声が弱まった隙に主張を吐き出す。


「下手くそで獲物がとれないんじゃ俺はいつまで経っても見習いのままじゃん!役目を果たすために工夫して狩りの手段を編み出しただけだろ!?今回は運悪くキメラが相手だっただけじゃねえか。普通の獣だったら絶対に上手くやれてたって!?」


 周囲を見回して「な!」と強引に賛同を募る。


 だがハシムは有蹄類と爬虫類が混ざったキメラを見下ろして表情を歪める。


「運が悪いつったって、この子がキメラで尾に大蛇がついてたのなんて見てすぐ分かってただろうに」


 胸を張ってノーディアは言い放つ。


「そんなもん、追いたてながら近くに寄って無かった俺が見えてたわけねえじゃん」


 これで論破出来るなんて思っていなかったが、周りは突然静まりかえった。


「・・・・・・なんだよ?」


 訳が分からず立ち尽くすノーディアに、少し遠い場所にいた父が手を向けて「ノア、これは何本だ?」と静かに言った。


 先程までとは違う緊張した空気に、一体どうしたのか戸惑いながらノーディアは父に向かって歩き出す。草を踏む音だけが聞こえ、呼吸さえ潜める同族の間を抜けたノーディアは父の手首を掴んで見下ろすと父は指など立てていなかった。不可解な空気に耐えられず、ヘラリと口を笑わせて答える。


「なんだよ、グーじゃん。それがどうしたんだ?」


「嘘だろ!!なんで今まで誰も気づかなかったんだ!?」


 ルペが悲痛な叫びを上げる。ハシムは馬を降りて呆然として「いつから見えてなかったんだ・・・?」と呟いた。ザワリザワリと周囲がさざめく尋常ではない様子に、ノーディアは自分の答えの何が間違っていたのかと父に顔を向けて助けを求める。


 だが、父は目を見開いて真っ青なまま口を押さえてしまっていた。










 生まれた頃から他人と見えている景色が違うだのと思ったことなど無かった。


 夜がこんなに深けても集会は終わらず、薪が炎を上げて夜の集落を照らしている。宴会などの楽しい雰囲気は子供にすらなく、まるで誰かが死んでしまった様な重い空気だ。もう何度目か、癒し手のゾポルがどうにもならないと口にしながらも、傷口の上を通る手つきでノーディアの目蓋をなぞる。


「どうにかならないのか族長!?他部族や外つ国の商人に交渉して、なんとか治療できないのか!」


「ノーディアはちゃんと私達が遠くにいても誰か見分けてたわ!あの子が見えていないなんて間違いよ!?」


 集会の少し外周、ノーディアの斜め後ろから無口なアツシが珍しく声を押し出した。


「色とシルエットだよ。まったく見えていないわけじゃないなら雰囲気で遠くからでも判別はできるから。少し離れてしまうと輪郭が滲んでハッキリしないって事だと思う」


「だったら、だったらどうすれば」


 母が泣く。


 もう引退も間近な族長トクはノーディアの前まできて頭に手の平を置いて告げた。長い話し合いの末に先延ばしていただけの分かりきった結論を。


「そう絶望するでもない。腕一本の距離なら支障なく作業出来るし、目の前に持ってくれば物だって滲まず見えているんじゃ。集落の中で皆で支えていけば良かろう。ただ新しい役目を考えねばならんな。少なくとも狩り手は危険だ、やらせられん」


 ノーディアは頭を伏せて顔を片手で覆い、ズボンを握り締めた。


「何も気負わず胸を張れ、ノーディア。矢が的に当たらなかったのは自分のせいではなかったんじゃ。あれだけ練習していたお前なら本来は誰よりも弓の腕が上達しておっただろうよ」


 吐きそうだった。





 




 狩り手として研鑽を詰んでいたノーディアに、突然一体何の役割を与えるのか?本人の意思や向き不向きもあるだろうと、特に決まらない状態で宙に浮いたまま日付だけが過ぎている。役割を与えられる前の幼い子供達と一緒に農作業をなんとなく手伝いながら。


 目標を失い、集落では役立たず。手元が見えるのならと女達に引っ張り込まれて織物をしてみれば、姉達に限らず織り女はこぞって技を丁寧に教えようとした。織り女と呼称される通り、危険が無いようにと昔から女に振り分けられている役割、これは女の仕事だ。もう子供ではなくなろうという男が姉達と並んで手を煩わせながら織り女として生きていけというのだろうか。


 話しかけられても上の空だったり、笑っていたかと思えば癇癪を起こす事が多くなれば周囲がより一層ノーディアを心配し始めた。同族が何より大事なマワラ族だ。不安定なノーディアにつられて同じ様に心を痛めてしまう。


「見えてない、かぁ」


 あれ以来、ノーディアは人をよくよく見るようになった。集落を行き来する同族や時々訪れる他部族に外つ国の商人、他人より見えていない分、少しの情報でも見落せば、あらゆる事に気づけないのだと。


 漠然と景色を睨んでいるだけの様なノーディアは、集落の端でアツシが商人に何か交渉しているのを見かけるようになった。「眼鏡、それか凸レンズみたいな物でも」と必死に何か説明して、それで彼は後に手に入れたガラス片を磨いては肩を落とすのだ。いつも不思議な物を作ろうとするが、最近作ろうとしている何かは上手くいかないらしい。


 視線を老いた同族に向ける。昔は狩りで獲った獲物をたくさんくれたバベル。彼の役割は現在は語り部だ。子供の相手だったり、単なる話し相手となってくれる。どちらかと言えば支えられるばかりで本当に何かの役に立つ事を期待されているわけではない役割とも言えるが、今まで充分に部族に貢献してきたバベルはそれで良いのだ。


 だがノーディアは何もしないままリタイアする。農作業はやっていけるだろう。それだって重要な役割だ。しかし子供と同じ仕事を一生やっていくのだ。狩り手に戻りたいなんて言えば困らせるだろう。もしかすれば思いつめているノーディアのために誰かがそう言い出さないとも限らない。心配させて気を使われながら狩りをしたって意味は無いどころか狩り手全体の危険な荷物になるだろう。


「そんなものは死んでも望んでない」


 ならば癇癪など押さえ込んで早く吹っ切るべきだとノーディアとて分かっていた。そんな無駄な考えを止めて農作を頑張ればいいのだ。子供と同じ仕事だろうと子供の何倍も働けばいい。


 夜になれば布団で泣く。


(やばい)


 隠し通すべき気持ち。それを処理しかねて夜を待って外で隠れて吐き出す。


「うぐっ。ふぅ・・・・」


 集落すら飛び越して柵の外で座り込めば、少しくらい声が漏れたって誰にも聞こえはしないから気づかれる心配も無い。闇はノーディアだけでなく誰の目からも平等に視界を奪って姿を隠してくれるのだから。

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