シュードラ4





 例えば逆だったら何でもないことが、大罪を犯したように騒ぎ立てられる。それは俺が奴隷だからだ。奴隷は同じ人間ではない。


 奴隷を止めること。


 それは、奴隷に生まれてきた限りは不可能な言葉遊びじゃないのか。


 俺にはまだそれが分からなかった。奴隷本来の姿をたんなる飢えた連中だとしか捉えていなかった。あの頃はまだ純粋に何がいけなかったのか無い知識をフル回転して悩んだ。馬鹿らしい。


「僕は鎧だって身に着けていて身動きがしにくかったんだ!攻撃がヒットしないのは当然で、条件が同等ではなかったのだ!あんな卑怯な手段を使うなんて」


 少年騎士の懐に身を沈め、顎に頭突きをかましただけだ。それよりも俺を地面へと殴りとばし、押さえつけて横やりをいれた騎士の方が卑怯なんじゃないのか?顎と上半身が潰れそうに痛い。力が徐々に強く、息が詰まりだし頭の端から攻撃の意味を直感した。


 殺意。


 俺は騎士に目だけを向けて膝を立て、この騎士の下から力任せに飛び出す。たたらを踏んで尻をつく騎士から距離をとったところで中年の男の1人が叫んだ。ゴセルバが俺の前に飛び込んで駆けてくる。


 殴る気か。


 更にゴセルバも避けて走ると別の騎士に顔面を掴まれて視界が黒に染まる。


 体が浮いた。


 ガツン。


 音が頭の中に直接入った。ブレた意識と離れた手に、騎士の顔が揺らめく。後頭部に硬い石と交わるような錯覚。頭から何かが流れ出ている。血だ。あの匂いがきっとその内に鼻へ辿り着く。慣れた感覚が頭をかち割られたという記憶にぶち当たった。


 ザワザワと毒を垂れる敵と男達をブレる視界の中で確認した。腕をねじりあげて体を引っ繰り返され背に膝、後頭部に硬い掌が添えられて先ほどよりカチリと地面に固定された。血がやはり地面についている。耳の後ろを生暖かいものが流れた。


 苦い草が口に入り土が混じる。見下しながら少し離れた場所から鼻の上にしわを寄せた貴族達が一様に何か言っている。何故そんな目で見下ろしているのか。


 ゴセルバが俺の側にしゃがみ込もうとしたのを騎士の1人が腕をとって捕まえる。


「ナルナは暴れないよう言い聞かせれば何もいたしません!条件にはただ勝つことと。剣以外は使ってはいけないとは最初から聞いておりませんでした。それに実践を踏まえればけして卑怯という程では」


「頭突きなどで戦うのが騎士にふさわしいと申すか、ディズ。これは勝ちとは認められない。それに奴隷が騎士に勝つのは例え、少年騎士相手とはいえありえてはいけないのだ。そう、こいつは卑怯な手段をとった。野蛮な者を騎士として迎え入れることはやはり認められないという証明になったのだ」


「後から条件を増やし話を違えることこそ、示しがっ」


 顔が地面を潜り、石が顔を突き刺した。


「なんの騒ぎだ」


 突然に沈黙が落ち、耳鳴りが落ちる。


 体をまったく動かせないので目だけを廊下に向けて大勢の塊を見つける。誰もがその塊の一番目立つデブを見ていた。デブは俺を見つけると目を細めて顔全体をしかめさせた。


「城の庭にまで賊を侵入させたのか」


「いえ、これはディズの推薦で」


「例の奴隷か」


 尋ねておいて話の腰を折ると、デブは肉を震わせ廊下から庭に降り立つ。俺を抑える騎士以外は途端に膝を折って身を低くし頭を下げる。俺を見下ろすデブは皮を剥げば俺の服が5着はできそうだ。厚い肉は当分は食うに困らないだろう。スラムにいる時に獲物として出会いたかったものだ。


「これは勝ったのか」


 俺から目を離さずデブが口を開く。これという言葉は人を指す単語ではなかったはずだ。間違っていると家庭教師が俺の口を鞭で何度も叩いた記憶がある。


「は、大臣閣下。奴隷如きが勝ちようもございません」


「勝った」


 くぐもりながらも俺は反論した。


 俺には理由の分からない騎士としてふさわしくない『何か』があったとしても、勝負として確かに勝ったのだ。ここがスラムであれば死んだのはあちらだ。あの少年騎士だけなら俺はそのまま首に食らいつけた。


 他の連中はカウントしない。


 そういう条件だったはずだ。複数の敵には逃げるに限る。どうしても戦わねばならないなら、もっと俺は注意を分配した。だから始めにゴセルバに何度も確認した。俺の強さを示すための見届け人である周りの者は敵ではないから攻撃してはならないし、攻撃してこないと。


「敵は1人、殺さず、急所に触れず、噛みつかず、物を投げず、地面に伏した奴に剣先を鼻先にそえた。言われた通り約束した通りの勝負をした。奴は動けなくなった」


 デブは表情を一瞬消し、声を低めた。


「奴隷が騎士に。身の程を知らぬ。お前も我が娘を誑かした裏町の生意気な野犬の1人か」


 わけのわからないことを聞いてくる。何かの問題でも出しているのか。情報が少な過ぎるため、別のことを喋るのを待ったが、頭でも痛むように首を振って嫌なものを無理に見下ろすように目だけ残してデブが顔を横にそらした。


「騎士の位を求める奴隷よ、お前がこの国にどんな利益となる。騎士に勝ったか?知性も誇りも想いもなく、ただ貪欲に金を欲する者などこの国には不要。しからば答えよ。お前が国へ何をもたらせるというのか」


 ゴセルバが前に出る。


「恐れながら閣下、それは」


「黙れ。この奴隷への問いだ」


 再び、静かになった。


 顔を抑える兵士の手が緩む。俺は顔を軽く浮かせて開きやすくなった口でその問いに答えた。


「金は餓えない餌が手に入る分以外に欲しいと思わない。難しい言葉は分からない。何を聞いているのか理解できない」


 一斉に笑い声があふれる。


 デブが硬い表情を緩め、少しずつ笑いを大きくし、きびすを返して廊下へ戻っていく。


「やはり小賢しいか。このような喋る犬如きに騙されるとは娘を大事に育て過ぎた。素直で純情な我が娘をそそのかした憎らしい野犬など駆除せねばなるまい。奴隷を城から放り出すよう。戯れは終わりだ。すべからく職務へ戻るよう」


 デブが捨て台詞を残して去れば、慌てて大勢がワサワサと追いかけていく。


 騎士に地面から引っ張り上げられる。自分の足で立った途端に、騎士は俺の腕を背中に捻りあげて片手でまとめて首をつかみ直した。腕が、ミシミシと音を鳴らした。


「承知いたしました」


 サラリと黒髪が流れて俺を捕まえる男の顔が視界によぎる。連行される俺達を追ってゴセルバが並び俺の後ろの男に困り顔で訴えかける。


「レインシア准尉、待ってください。勝てば入団してもよいという約束があります。交渉をさせてください、ちゃんと話を。頭は奴隷ですから確かに足りませんが、ゆっくり学べばこいつだって十分騎士としてやっていけるはず。知能とて騎士の中には足りないものはいるではないですか」


 俺を捕えている男はクツクツ笑うが、歩みは止めない。ゴセルバよりも体はでかいが、あまり大人と呼べるような外見ではない。まだ成りたてなのかもしれない。


「ディズ君、君は頭が良いから何かしら国のためを憂いてるんだろうけれど、奴隷と僕らじゃ立場が違うんだ。騎士になったところで仲間だなんて誰も呼ばない。それから、ラマニマラ君に勝ってしまった奴隷だけど、早めに始末した方がいい」


 庭で一度立ち止まり、騎士の自由な片手が頭上にきたと認識した瞬間に視界が空をめい一杯に移して頭に激痛が走る。髪を鷲掴みにして笑って見下ろす男の顔があった。


「賊に戻られて騒ぎでも起こせば、ディズ伯爵の責任問われるから。君、有望なんだから余計な泥水を城に持ち込まないで立派な騎士になりたまえよ。順当にいけばお父上と同じ将軍職につけるだけの地位があるんだからね」


 髪が離される。痛む場所を抑え込みたいが腕は一向に自由にならない。いい加減に腹がたってきた。


 なぜ勝ったのに罰を受ける。


「教えられていないことに答えろという。それに間違うのは奴隷だからと。ならば騎士とは教わらぬことを知る者か。運命に逆らえと、騎士になれという。奴隷を止めろという。勝っても騎士にはふさわしくないのだという。俺にもっと何を頑張れと求めているのか!」


 言葉はかなり喋られるようになったはずだ。よく分からない法律や文字の書き方だって覚えこまされた。頭の下げ方や食器の使い方、食べ方、歩き方、道具の使い方、全て苦痛の上で命令通りの手順と方法をこなしている。間違っているというなら正解を示せば明日までに何度も繰り返しやり直してやろう。


 俺を取り押さえる騎士は、どうやっても俺にはできない微笑みの形を作って見せた。


 騎士の目は俺を見ていなかった。言葉を向けているのはゴセルバに対してだ。連中の会話はそのまま続いたが、ここまでくれば馬鹿な俺でも口を開くことの無意味さには気づく。こいつは声に反応はする。声が聞こえなかったわけじゃない。屋敷でも俺に対する時だけこういう態度がよく返ってきたから分かる。


 奴隷が伝える意思を拒絶しているのだ。


「腕を放せ、騎士」


「余計なことをせず精進に心を砕きたまえ。君には多くの重臣の方々も期待してくださっているのだからね。だがこれは町のゴミだ。盗賊になる者も多いし裏町には犯罪が横行している。いっそ、これも帰ったら処分してしまうといい。何かある前に」


 殺すと?


 屑を燃やすように、食べるためでも迎え撃つためでもなく、俺が貴族のルールに間違うかもしれないから。


 こいつらが貴族で、俺が奴隷だから。


 リリスはいつの間にか姿をくらましている。


 ここにいて本当に何か得られるか?


 闇町に、スラムに帰れ。


 今、逃げなければ鎖に繋がれる。そうなれば俺は屋敷から二度と出られない。だが屋敷から離れれば契約を違える。いや、契約を守れば本当に女神に会えるのだろうか。


 貴族は約束を守らないのに?


 目の前が暗くなる。会えないのかもしれない。歩く気が失せた。腕の骨が張りつめ騎士が歩けと声を低めて命じた。


 そこで再び、別の声が割り込んだ。


「なんて怖い声を出しているの、レインシア」


 詰まっていた耳が通るような高く澄んだ声が。


 メイドと、少年騎士を従わせた花を服にしたように賑やかな姿が庭から進み出た。銀の細い糸が空中に波打ち白い陶器が銀を束ねて肩の後ろに流す。大きな2つの猫目が青銀の光を散らす。


「これは姫様。庭を散策されていたとは、御膳に見苦しいものを横切らせてしまいました」


 膝を力任せに地面につかされ頭を土にこすりつけられる。騎士もゴセルバも膝をついた。


「別に構わない。准尉に昇進したばかりで仕事が忙しいのでしょ。久しぶりに元気そうな顔が見れて嬉しいわ」


 声が頭に近づく。


「賊を捕まえたの?子供なのに凶悪な顔なのね。スラムの区域にいたのでしょう?初めてみたけどスラムの人間は顔が怖いと聞いたもの」


「汚らわしい身です。そのように無邪気に近づかれにてはいけません」


 またなじられるのか。放りだすなら早く城の外へやればいい。一目散に逃げよう。賊として火炙りにされるのも、懲罰を受けるのも、無意味な調教を受けるのもたくさんだ。どうせ俺の声などここでは誰にも届きやしないのだ。


「レインシアが捕まえてくれているのだから、何も怖くなんかないわ」


「賊じゃないです、姫様!」


 そこで更に別の声が割り込んだ。甘ったるい、こちらも相当甲高いが少年の声らしい。


「ナルナは騎士の試験を受けに来たんですもん。今日が試験なんだよね?確かに顔はとっても怖いけれど」


 少女の不思議そうな声と俺を取り押さえる騎士の呆れた声の否定が重なる。


「騎士?」


「ピューツ様、奴隷は騎士にはなりえません。試験はもちろん落ちたのです」


 声だけが俺の頭上で繰り広げられる。


「そんなはずないよ。だってラスちゃんが、あの凶暴偏屈怪力のイケズが『十分使えそう』って褒めてたもん。喧嘩でボロボロになったラスちゃんなんて久しぶりに見たよ?試験の相手って、よく知らないけど、きっとナルナの方が強いよ。ゴセルバ君が一生懸命お願いしてたから、僕もパパにお願いしたんだよ?ねー?勝ったら騎士にしてもいいって言ったもん」


 柔らかな手が俺の頭を挟んで持ち上げる。騎士の頭を押さえる手が緩む。首だけが無理な角度で上を向き息が詰まった。銀色の目が間近にいた。止める声が周りで合唱した。意に解さず目の前の少女は首を傾げた。


「勝ったの?」


 詰まる喉から声を絞り出す。拒絶に対して生まれるのは拒絶。傷つけたいだけなんだろう。闇町の連中と何が違う。


「この無意味なやりとりは何度繰り返せばいい。奴隷の言葉は貴族にとって意味をなさないのに」


「奴隷如きが無礼な口を!」


 少女の後ろから数人の動く気配を感じたが、目の前の顔は眉をひそめはしたが声を荒げはしなかった。


「私は初めて貴方と喋るよ。繰り返しじゃないわ。貴族、っていう誰かと一緒にくくらず試せばいいよ。相手とちゃんと向き合わないことは礼儀作法よりも失礼だよ。喋るのをためらわれるのは寂しいね」


 顔から手を離し、少女は俺を捕えている騎士に目を向けて解放せよと命じた。また口々に反対の声があがった。噛みつかれるだろうと。ああ、確かに噛みつくのもいいだろうよ。だがそれより死に物狂いで逃げてやる。こんな場所に二度と近付かない。


「噛まないよ、ナル君は。ねえ、僕と遊んでくれる約束もあるもの。苛めたりしないよねぇ?」


 少女の横に満面の笑顔で割り込んだ場のテンポとは違う少年。この顔に見覚えがある。そうだ、ラキタスと共に、あの夜に一度会っている。


「ピューツ様!いかに外交長のご子息とはいえ、姫様の前であまりにも身をわきまえない態度は咎められましょうぞ」


「タイセが大丈夫だって。レインシア、早く離して」


 手がゆっくり腕の拘束を解いた。走り出せばまた捕らえるだろう警戒を残して。


 だが自由となった腕を少年、そうタイセと名乗った奴に腕を両手でつかまれてビクリと体を震わせてしまう。


「泣き落としまでしてナル君の推薦状をパパに口添えさせたのに、肝心のテストが見れなかったなんて残念。平民に興味のあるミア姫様にせっかく喜んでもらおうと思ったのにな。ねえ、ゴセルバ君、ナル君勝ったんでしょ?」


「一応、勝ちはしたかと」


 ためらいがちにゴセルバが答えた。


 腕で体を起こすと、サラリという音を鳴らして銀の髪の少女は立ち上がり腰に片手をあてた。


 周りの誰もがひざまずいていた。


 この小さな少女に。


「才能の芽を階級で枯らせるのは愚かだ。奴隷が騎士になりえないのか、私が試してあげる」


 誰の反論も全て打ち消した。


 貴族をひざまずかせ道を強制させる。


「私は現国王第2子ミア。貴方は今日から私に仕える剣だ」


 この少女こそが頂点。何も教えられずともそれだけは感じ取った。


 俺と真逆に位置し、誰もが無視しえない光り輝く者。










 体のサイズを測られ、剣を腰に取り付けられ、紙に名を書かされる。1年ぐらい前につけられた呼称。それを綴れば隣からミアが見本のような歪みのない文字で文字を書き足した。


 ナルナ・コルコット。


「『奴隷のナルナ』より響きがいいでしょう」


 3つめの名。


 書類を苦い顔で拾い上げる男はその名を呟いた。


「お前に本日をもって、少年騎士への任を命じられる。忠誠の誓いを」


 ミアに目をやれば手を差し出してきた。その白い掌に軽く触れる。


「誓って」


 それがどういう物か、やはり俺は理解しないまま。


 命令に従うことを契約した。










 結局、自分で『運命に抗う』ことはできなかった。屋敷に戻るため馬車の前まで戻ると、リリスは笑って判決をくだした。


「不合格」


 ゴセルバが嘆息をついて俺を馬車に押しやって、騎士試験は合格になったので不合格ではないと訂正した。だが、リリスの顔に変化はなく、言葉なくいつもの不気味な笑みのままゴセルバの言葉に反応しない。


 つまりリリスの中で俺は不合格なのだ。


 馬車に押し込まれて、まだ外にいるリリスに確かめるべく窓へ手をかける。


「騎士になった」


「奴隷としての運命に抗えたとは言い難い。でも確かめてみるがいいさ、奴隷を本当に止められたのか。もっと激しく無様に滑稽に走り続けないと、僕を面白がらせられやしないよ」


 しょせん、この試験も運命の見世物。










 包帯をほどけば体中から血が滲み、流れ出す。


 庭の片隅からでも城が見える。


 あの双子に捕えられる前には、この町でどこにいても目につくあそこへ忍び込もうと漠然と思っていたのを思い出した。


 何故だった?


 しばらく目を瞑って頭をさぐる作業に没頭した。ジクジクと痛みが記憶を蝕む。おぼろげな顔、腐った肉の感触、泥水の味、夜を駆ける暗闇の香り。


 目を開き、庭の池の水を桶ですくって頭上でひっくり返す。濡れた髪の水を振るい落して横に脱ぎ捨てた服をはおり、高い塀を駆け上がって屋敷の外へ着地した。そのままフラリと裏町に向かって歩き出した。まるで知らない場所にいるように、今までと違った景色を。


 広い道が段々と薄汚く、酷く濁っていく。


 宵闇から始まる悲鳴と怒号が耳に届きだせば、ここが悪意と暴力の闇町だ。










 建物の壁にもたれてしばらく人間を眺める。視線を悟られないよう顔を伏せて目元を前髪で隠しながら。膝に乗せた腕のもっと先、指には肩からつたった血の雫を地面に還して赤い血溜まりを作っている。


 少し離れた窓からガラスを割って男が血まみれで外に投げ飛ばされる。扉から現れた男達に引きずられて再び家の中に引っ張り込まれた。死体が建物の隙間にゴミのようにバラバラにされて捨てられている。ああ、昔ならあれは俺の食糧だった。黒く汚れきったボサボサ髪の骨を浮かせた奴がそれに食らいつく。


 口に手をくわえて、足と腕を抱え、胴体を引きずって家の隙間に隠れ去った。


「誰かと思えば狂犬じゃん。生きてたし」


 声に顔を傾けて目をやる。そこには俺より背の高い少年が数人いた。口々にそういえば姿がなかったやら、しぶといだの言い合って、どうやらリーダー格の少年が腰を曲げて俺の顔を覗き込む。


「良い服着てんねぇ。貴族の屋敷で盗みやってるし当然ってか。腐った肉が恋しくて住処をスラムに戻したのかと思ってたぜ」


「血まみれだな。盗みの後か?なら金持ってんじゃん?」


「聞いても無駄だぜ。こいつ喋れん系。殴らんと分からねえし。かなり怪力だから気ぃつけんと反撃すんぜ」


 狂犬。


 闇街の連中はいつの間にか俺をそう呼ぶようになった。スラムの奴隷ではなく確かに俺を指してそう呼んだ。貴族を専門に盗みをやる狂った子供。そういう意味だとわざわざ教えた婆もいた。


 俺の1つ目の『名』だ。


「服を脱げ。有り金全部置いてきな」


 襟首をつかんで持ち上げられナイフを目の前に取り出してちらつかせられる。










 
 ビルの上に座って、壁に血を落とせば壁が赤い模様を地上に向かって伸ばしていく。地面にはさっきの連中が倒れたまま動かずにいる。誰かが指を突き上げがなっている。


 空が白み出せば朝は近い。


 赤い手で空を阻めば血の雨が顔を濡らす。


 いつものように雨に舌を出せば舌に痺れる味がする。


 生きることは悪夢。死ぬことは恐怖。肉は厭わしい。血に飢える。感じることの地獄。生まれた事こそおぞましい。


 この世の地獄をさまよいグズグズと崩れていく俺が辿り着く何かは報いか?




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