シュードラ6





 ふと振り返れば窓際に花が咲いている。


 愛しの姫君の前では誰もが虚勢を張り、自分をたてるために真面目に訓練へ励みだす。


 これは便利だ。


 窓から見下ろし声援を送る無邪気な生き物が、剣を振るう誰かを応援する。前まではチラリと見かける程度だったが熱心に通うので少年騎士共は腹黒い毒が元から無かったように爽やかに汗を流す。俺は私刑も受けずにすむしハンデの酷い試合も免除できる。


 あぁ。


 反吐が出る。


 殴り回され、いたぶられていた分だけ俺は実践向きの受け身が既に出来るようになっている。今更慣れた頃にこんな寸止めの生温い試合をさせられるのはストレスだ。もちろん自分がやられなくなったのは歓迎するが、こっちも相手に一撃くれてやることができなくなった。










 仕事を時間労してこなしている俺に構ってくるのは姫だけ、でもない。クソ騎士共でもなく。


「まだ仕事終わらないの?ミア姫様のお勉強の時間は退屈。ねえ、ナル君遊んで」


 この、隣にちょこちょこ付いてくるチビ2号。零れそうな大きな目をキラキラ光らせて腕に抱きついてくる。これも一応、ゴセルバより上位階級の大貴族らしい。タイセ・ピューツ。あの姫の遊び相手として最近は一番呼び出されているとかで、こうして待ち時間には好き勝手に、とはいっても俺が出入りするような、さして通行基準の厳しくない自由回廊をウロチョロしている。政治の重要な場所は大貴族とはいえ子供の出入りは出来ないらしい。


 ついでに俺もかなり通っても良い通路や部屋、場所を限定されている。それに比べればある程度は貴族のタイセの方がまだ行ける範囲は広いだろう。南棟の使用人区画は実際に足を運ぶかどうかはともかくとして。


 西棟も騎士や兵士でなければ基本的に使用人すら出入りを阻まれ、代わりに給仕や雑用を少年騎士か兵士が請け負っている。軍の性質ゆえらしい。詳しくは難しいので考えたくもないが、城の中でも人間を区別しているということだ。姫の遊び相手という人間は少し特殊だ。子供ということもあり、姫の共として入れたり、入れなかったりする。


 ミアはまだ聞き分けがいいが、仕事だと言ってもタイセは意見を曲げない。


「寂しくて死ぬ。遊んで、甘やかして、可愛がって」


「仕事が終わらないと叱られますので、勝手に休憩することは出来ません」


「早くお仕事終わらせればいいじゃん。なんのために騎士に推薦したのか、わーからなーい」


 口を尖らせてブーブー言い出す。なんなんだ。俺といて何が楽しいんだ、この貴族。早く終わらせたいなら手伝えばいいだろう。この山のような仕事を手伝えばそれなりに早めに仕事は肩がつく。


「だいたい馬鹿正直に仕事し過ぎぃ。どーせ元々どうでもいいこと言い付けて仕事を増やすのが目的じゃん、騎士のお兄さん達。何を命じたか忘れてるよ。そういう類は適当に処分して本来の仕事したら?折り合いつけて誤魔化さないからいつまでたっても終わらないんだよ」


 ノリで固められている俺の服裾をグシャグシャにして遊んでいるタイセ、立ち止まる俺。


 なんだろう、この衝撃。


 目の前にある書類を全て細かく裂く処理を続けながら思う。だいたい重要なことは俺に任せるはずがないし、文字が一応読めるのも知っているはずだ。これほど細かく切り裂きながら処分しなくてはならない情報なのか。なるほど、書類に目をやってから更に考えた。


「ナルナって頭悪いでしょ?」


 そもそもこの書類というやつはほとんど白紙なものがほとんどだった。


 それからは紙を裂くという手順を省いて消却。時間が半分ですむようになった。報告せずに姿を消して時間を潰す。タイセの相手が出来るようになった。適当に取り巻きを撒いて現れるミアを構えるようになった。体を鍛える時間が出来た。


「残業はしないと仕事を増やすために何か見つけてこられるから、余裕あるの感づかれないようにしなきゃ駄目ぇ」


 悪戯で無邪気な顔をして、タイセは両手を伸ばして耳に口を寄せ囁く。


「虐められてる暇があったら、僕と遊んでくれなきゃ」


 笑う、笑う、苦行を知らぬ賢く無邪気な天使達が、笑う。


 ミアとタイセが同時期に俺を訪ねてきた場合には、タイセは俺に目を向けずミアの気を引きたがる。好きなのだそうだ。戯れている様子をなんとなく眺めている。時々はタイセを押しのけて俺の膝に乗ってミアが体を預けてくることがある。それは俺に何か聞かせたいことがあったり、居眠りをするための寝床代わりであったり、甘えたくなった時らしい。


 そういう時はタイセがムッとする。


 ミアがいない時にはタイセも似たようなことをするのにおかしなことだ。ただ、それがゴセルバがたまに見せる嫉妬という感情らしいのは見て取れる。機嫌が悪くてぐずつかれると気が重くなるが、それを推してミアの行動を拒絶すればまたミアの方がムッとする。涙を溜めて唸り出せば俺に為す術はない。










 奴隷とみれば召使い、メイド、文官、騎士、全て人間を見る目ではなくなる。そこらの屑か汚れだ。捨てることも磨くことも出来ないだけ余計に厄介で嫌悪感が強い。その中で最初から奴隷と分かっていて近づいてくる奴。それは運命を操作左右するリリス、ゴセルバであったり、飢えと寂しさを持つミアであったり、力を求めるラキタス、実力を重視するダンドロがいる。


 小狡い甘えた顔をして寄ってくるタイセは周りに、タイセ自身が求める我が儘を叶える存在がいくらでもいる。それもミアとは違いそれなりに寂しさを埋めるだけの近しい者もいる。俺に近づき求めるものが分からない。わざわざ奴隷の俺に求める物。他の連中と同じようにタイセを扱えという。一見すればミアと同じように甘えたいだけなのか、リリスのように奴隷の俺が騎士を演じる道化を面白がっているようにも感じる。


 だが城では、双子の屋敷でもだ。たくさんの貴族とそれに仕える平民がいる。わざわざたくさんの中に埋もれている飾りの中からゴミ屑を選ぶだけの理由を感じない。


 タイセだけじゃない。


 多くが嫌悪する中でどうして奴隷に名前をつけて呼ぶ?


「何か難しいこと考えてる?」


 無表情と呼ばれる俺の顔をたまに読んで、下から俺の顔を覗き込むタイセ。


「頭悪いんだから使うだけ無駄だと思うよ?そんな事より僕のお話聞いて」


「どうして」


 疑問が口をつく。だが、確かに考えるだけ無駄なものは多い。考えた結果で良いものは滅多に無い。それでも考えねばならない義務がある。道化とはそういうものだ。リリスの求めている奴隷は考え悩み、足掻くこと。


 急に顔を手で挟み込まれる。


「何にでも理由をつければいいってもんじゃないでしょ。単純に人と何も考えず話せない?」


「奴隷と話して何か得るものがあるのか」


 他にもいるだろう。貴族でも、騎士でも、召使いでも、愛想を振りまくタイセはけして周りから嫌悪されていない。いうなればミアと同類の愛される花。


 笑顔で俺から手を離したタイセはクルリとその場で回転して首を傾げる。


「得るものならあるけど、それ以上に奴隷とかそんなの関係無くない?だってナル君は僕のこと可愛いと思うでしょ?」


 訳が分からないが、楽しそうにしているタイセの言葉が1つ胸に落ちる。


 奴隷であることは関係が無い・・・。










 仕事の手抜きをするコツを覚えてからは、チビ達が来ない間に仕事をしているフリと体術の修練に時間を使う。たまに俺が体を鍛えている様をミアは何をするでもなく眺めていることもある。それから隣でチラチラと俺を見ながらものまねをし始める。


 それはいい。


 ただ、少し気になることがある。こっそりミアが訪れるのは大抵が倉庫と定着し出したある日、気になっていることを口にした。


「お前、俺の口マネ止めろ」


「なんでだよ」


 これだ。


 いつの間にか俺の口調をまね始め、時々外でも使っているのを聞く。他の連中は唖然とし、教育係りとかいう連中は必死に元に戻そうとする。俺もこいつのこれに違和感がある。


「ナルナのマネなんかしてないぞ。気のせいだ」


「それはうつったということか」


 余計に質が悪い。自覚が無いのか、とぼけているのか知らないがジッと俺を見るミアに好きでやってるなら言っても無駄だと諦める。気にはなるが、しょせん慣れてくるだろう。


 時間が気になり、部屋の扉を小さく開けて時計に目をやる。


「逢い引きは終わりだ。修練所に集合する時間が近い」


 倉庫にあるサビついた斧を振り回して遊んでいるミアがよろけて壁に激突する。斧の刃を床に落として柄を持ったまま変な顔で顔を赤くして振り返るミアは俺を指さす。


「言葉の使い方を間違っている。逢い引きは内緒の恋人がすることだぞ」


「じゃあ、なんて言うのが正しいんだ」


 最近の言葉の教師はもっぱらミアだ。反対にミアも俺に求めている。


『騎士にも負けないぐらい強くなりたいの』


 他の連中には断られたんだろう。俺は教えるに向かない。そこに目をつぶってこんな風にこそこそ頼む。だから俺は特に何を教えるでもなく、ミアは俺がやっている鍛え方をマネしている。ジッと見つめて側で同じように修練するのだ。


『でも女はね、男よりも筋肉が3倍付きにくいんだって。男と同じ鍛え方をしても3倍も弱いんだって。女はか弱いのだから守られていればいいんだ。強くなんてなれないって。私はこのまま泣き寝入りするしかないのかな』


 何に対して泣き寝入りするのかは分からない。だけど、俺よりも頭がいいはずのミアなのになんて頭が悪いのかと感じた。だから教えてやった。


 女が3倍強くなりにくいのなら、男の3倍鍛えればいいだけだろ。


 それ以後だった。以前より熱心に騎士の訓練を見るようになったのは。次の日からだった。白く滑らかだった手が常にマメだらけの皮がずるむけになっていたのは。俺といない時にも何かを学び修練を積んでいる。


 訓練しているのを見て、戦いを教授する指南役の騎士の声に耳を傾け、ミアは1人私室で、もしくは俺を相手に剣を合わす。華奢なミアを怪我させないように手加減するのは難しい。ただでさえ俺は力が強く技で戦う騎士じゃない。他の連中が相手なら後で殴られまくっても負けてやるのも、一撃くらうのもゴメンだが、危うい瞬間にはミアを傷つけないように体が勝手に止まる。武器を振り回しなれないミアに手酷い一撃を喰らうたびにもう相手はしないと思うものの、結局は構うはめになる。


 強くなりたいという。


 お前を守ることで城に存在する許可を得ている俺よりもだろうか。










 珍しく訓練中にミアが現れなかった日、周りの連中はやる気が失せたらしく俺を私刑にかけてうさを晴らして修練所から去っていった。何人かは返り討ちにしてやったから今頃プライドが邪魔してやせ我慢をしながらも、痛みに内心のたうち回っていることだろう。急所に一撃いれてやった2人ぐらいの図体でかい年上少年騎士、そろそろ正規の騎士になるらしいが、連中はてこずった代わりに失神までさせてやった。


 城に来てから、あの双子に飼われるようになってから、女神に会ってから、いや・・・産まれ堕ちてからただ強さを求め這い上がり続けてどれくらいの時が経っただろうか。敵わなかった連中に勝つようになり、生きることが当たり前の貴族の城で剣を持つようになった。未だに俺は痛みに怯え、死を恐れ、女神を求める。


 顔の無い白い手を伸ばす女。記憶に微かに残る花の匂い。お前はまだあの裏町にいるのだろうか。血と腐臭が漂い、飢えて死ぬような場所で。苦痛はないだろうか。寒さに震えてはいないのだろうか。早く見つけて俺は・・・。


 城を見上げる。


「ミアの奴、今日は何故いなかった」


 意識がそれ、俺はなんとなく雑用をこなすフリをしてサボるのに使っている倉庫へ向かう。ミアはそこで俺を待つか?それとも貴族の気紛れえで鍛えるのを止めたか。


 廊下を歩いていると、俺の脇を召使いと騎士が走り抜けていく。行く先に人だかりが広い廊下を埋めていた。怒号が走り、立ち止まれば誰かに突き飛ばされ壁に体を叩き付けられる。


「邪魔だ!!」


「けほっ」


 騒ぎ立てるウルサい中で、か弱く小さな声が耳についた。何故こんな小さい音を俺の耳が拾ったのか分からない。ただ、俺は周りから無礼な、下がれという声を無視して人垣をかきわけて中心にいるミアを見つけた。俺を輪の外へ出そうとした厳めしい騎士の腕に捕まりながらもミアと目が合う。


 真っ青な顔で浅い息をしながらグッタリとしている。汗で厚いドレスを滲ませ虚ろな目でもって俺に手を伸ばして震える指をかく。いつもはピンク色をした小さくふくよかな唇が紫になっていた。その顔は苦悶に歪んでいる。


「ナルナ、ナルナ」


 俺をミアから引き離そうとしていた騎士も動きを止め、周りが俺から離れていく。ミアの身を支えているメイド達が止める声も届かないのか俺の方へ。


「抱っこ」


「失礼ながら私が」


 抱えようとする騎士の手を首を振って俺に両手を伸ばす。


「ナルナ、抱っこ」


 膝をついて、俺はミアの脇に手をやると首に腕を回してミアがしがみついてくる。尻と背中に手を回して抱えて持ち上げるとミアは更に力を込めて空気に消えそうな声で部屋へと呟く。


「医者はまだか!」


「部屋へ・・・仕方あるまい、コルコット丁重にお連れするのだ」


 体の中で炎でも燃やす熱さで息絶え絶えにミアは震えている。ぐったりしているミアに誰しもが顔色を変え、廊下で医者がかけつけミアに触れようとするが俺にへばりついてどうにもならず、結局部屋まで急いで連れて行くことになる。腕の中の重みを感じながら通ったことのない中央棟、王室棟の北西にある扉の前まで駆けた。扉を開けば動物を象った布が異常に並んでいた。その中で俺が屋敷で使ってる10倍はあるベットに寝かせるように指示される。


 これがベッドかと思うような小さな体にそぐわない広過ぎるクッションのようなマットにミアが沈み込んでいく。ミアの手が首から離れない。溺れるのを嫌がっている。これなら小さなクッションを抱えて床で寝た方が落ち着くかもしれない。


「離さないか、仕事へ戻れ」


「ミア姫様、お部屋でございます。御手を離し下さいませ」


 目を開いたミアが泣き出す。


「嫌だ、行かないで。ナルナここにいて!どうして置いて行くの?私からカクウを取り上げたくせに、誰も本当に友達なんてなってくれないのに私の、私のだもっ・・・けほけほ、けほっ!」


 意識が朦朧としている。流れている涙が伝う頬を拭ってやるが、またすぐに濡れる。体に抱え直すと周りは怒ったが、背を撫でてからまる髪をすいてやれば泣き声が小さくなっていく。ぐずぐずと声がもれてくるが次第に眠りに陥っていくのを感じる。医者は少し落ち着いたらしいのを感じると、抱えられたままのミアを調べだした。


 完全に眠ったらしいミアを確認して、俺から引きはがそうとメイドが動くもののミアも頑固に俺をつかみ直しうっすらと意識を戻す。これでは休めないだろうに。


 しばらく格闘しながら医者だけは着々と仕事をこなした。


 そして医者は腕の脈をとると言って白いミアの手袋を外し、不器用な包帯を発見して不思議そうに取り外して手の平を見た。騎士やメイド達は息をのむ。ある者は口元を抑え真っ青に、別の者は目を丸くして。斧を振り回していた努力の跡だ。マメが潰れ手の皮がいくぶん以前より厚くなっている。手が荒れるのを隠すために最近では手袋をはめているようだった。包帯は慣れていない巻き方だ。確かにあれは難しい。


「どうやら熱の原因はこれにあります。傷が適切な処置をされないまま放置して菌が入ったのでしょう」


「なんという・・・皮が一枚剥がれて、なんと酷い」


 剣を手が狂れるまで振り回せばこのくらいにはなる。隠れて修練をつむミアは治療を自己流でやっていたんだろう。だが、それにしてもこんな小さな傷でどうしてミアは死にそうになっている?早く治療してやればいい。姫は大事な王族なんだろう。だったらこんな傷は金に物を言わせて早く治せ。小さな傷でもこんなに苦しそうにしている。


 こんなに弱そうだ。


「どこまで体に毒が回っているか。薬と安静を。何よりまずは傷の処置が必要です」


「何故、この様に気づかなかった!」


「申し訳ございませんっ」


「両陛下へ報告を。姫君の美しき御手に傷跡が残るようなことがあれば」


 バタバタと騒ぎ立て、医者が手当てをして薬を飲ませるがミアは苦しそうにするままだった。いつまでも俺を手放したがらず熱に浮かされるミアのために、俺を引き離すことを諦めて常に見守り世話をするように命じられる。


 ミアの眠るベッドの端で手を握りながら俺は側についた。


 暗くなり、朝を迎え、それでもミアはうなされ続ける。額に手をやればまだ燃えるように熱い。


「冷たくて気持ちいい」


 目をつぶったままミアは口を動かす。剣呑な目で俺を見張る騎士にチラリと目をやり、水差しから冷えた水を飲ませようとミアの体を軽く起こす。何かするたびに騎士やメイドが釘を刺す。触れるな、悪さをするな、無礼なマネは許さない、奴隷の分際で。そんなどうでもいい事のために自由に動けないミアに何もするなと言うのだろうか。










 身動き出来ないで床を這って水を舐め啜っていた記憶。苦痛に意識を奪われ、恐怖を覚える。


 どうして医者は早く治してやらない?


 薬を飲んでいるのに元気にならない?


 ぐったりしたままのミア、眠ったまま泣く。死ぬのか?


 まさか治さないのではなく・・・治らない?


 体中が冷たくなる。こんな小さな傷でこの華奢なチビは死んでしまう。


 日付が変わる。ミアは何も食わない。メイド、医者、乳母、色んな連中が代わる代わるミアに話しかける。俺は側でそれをジッと見ている。すがりつく手を見下ろす。


「ミア、食え」


 耳元で囁いてパンを口元にやるが、またぐずつく。他の連中は言い合って俺に目を向けていないから誰も見咎めない。すがりつくなら俺の声を聞け。死の淵からでも引きずり上げてやる。


「食えないと死ぬぞ」


 シットリとした柔らかなパン。カサカサした冷たく固いパンの記憶。小さなミアの口。人間の肉でも喰った俺の口。なんて弱い。強くなるんじゃなかったのか、騎士より俺より強く強く強く強く強く!


 パンを水につけてグチャグチャにして小さくする。それを無理矢理口にねじ込むと、咳き込みながらミアは口を呻かせながらも噛み始めた。目がうっすらと涙を浮かべながら開かれる。拒否は許さない。全部食いきるまで口の中に指で押し込み続けた。


 そしてまた日付が変わる。


 部屋から出ない俺に眠ることは許されなかった。意識が霞む。3日、何も食わないでいるのはなんてことはない。ミアの口に無理矢理飯をねじ込む俺を誰も咎めはしなかった。食べないというのは困るから。ただ、後で罰せば良いという廊下の声がやけにはっきり耳に聞こえた。どうでもいい。


 なんでこの部屋はこんなに寒い。


 吐息だけは熱くなる。ミアの口元と自分の口元に手をやると同じくらい熱い。頬を撫でてやれば熱を感じなくなった。こいつが良くなったんじゃない。喉に痛みがある、息が苦しい。


 瞼が落ちそうになる。


「汚らわしい身で姫君の隣に床を得る気か。姿勢を正すが良い」


 鞘で背を殴られて目が開く。眠ることは許されなかった。


 次に日付が変わる頃には背の感覚がなくなっていた。










 入れ替わり誰かが覗きにくる音が扉の外で聞こえる。静かにしてやらないとまた泣くかもしれない。苛立ちが募る。何人かの内の誰かは側まで見舞いというのに現れた。その中に1人だけ少年騎士が通された。見覚えがあると霞む視界でボンヤリと考えていて気づいた。ダンドロだ。


 生真面目らしい礼儀の良さで、目を覚ましていないミアを目にして顔を歪めベットの前で跪く。


「我が姫、微かなりとも貴方の気を和らげられようと思い・・・病床を前に失礼ながら意識も無い時に参じました無礼をお許し下さい」


 その手にロウで封をした手紙を迷った末に俺に差し出す。


「ミア姫様の大事な物だ。必ず姫様にお渡しせよ。ナルナを信頼して渡す。他の者にはけして目に触れさせるな、いいな」


 周りの騎士が怪しげに見ている。ダンドロが手紙の事について聞き咎められるが断固として黙秘して部屋を出て行った。ただ、姫様のご命令に背くわけにはいかないとだけ言って。それなりに地位が高いらしい貴族のダンドロはともかく、奴が部屋から出れば見張りが俺から手紙を奪いにかかるだろう。ソッとミアを揺り起こす。


「手紙がきた、手紙だ。奪われる」


 俺の声は出ているか?それすら分からない。ひそめようともしていないのに声がかすれる。だがしばらくしてミアは虚ろな目でその封を見て笑みを浮かべた。


「カクウ」


 俺にしか聞こえない微かな声で、その封を受け取ったミアは荒い息をしたまま手紙を開けて読み始める。霞んだ目には読み辛いらしく目をこすりながら眉をしかめて、それでも嬉しそうだ。この時、手紙を見るために俺からミアは手を離した。倒れてから初めて。


「手紙、返事。紙を」


 メイドが持って行くと寝たまま何かを書き出した。メイドを側から離し、俺にも離れるように言って。しばらくして、封まですると虚ろな目のまま俺を見つけて手紙を差し出してきた。


「ダンドロに、渡して」


 側に寄って手紙を受け取ると力尽きたらしい。また眠り始める。俺の手ではなく手紙を抱きしめて。その顔に苦痛はない。まだ体は病魔に蝕まれているが少しは気が晴れたんだろう。


 ダンドロはさっき部屋から出て行ってしまった。手紙を服にしまって俺は、俺も部屋から出る。










 久しぶりに出た外。今日は曇りでダンドロはまだ騎士の根城西棟にいるだろう。歩けば体の一部が落ちて消えたようにフワフワと浮く感じと落下感がする。足はやたら重い。やけにバランスが取りにくい、壁に手をつくと多少はマシな気がする。普段は入り込めない城の中心部だが、見張りの騎士共の声に追い立てられて自然と足が進む。ここがどこだか分からなくなっているのに進むべき道だけは示されているように。


 ふと、声が途切れたのに気づいて、壁に寄りかかって立ち止まる。


 周りを見回せばまだ見慣れない場所にいる。中央棟の辺りだろうと予測がついた。


「ナルナが側につけて、どうして僕がミア姫様の所に行けないの?待ってよ、パパ!」


 聞き慣れた声に釣られて曲がり角に足を進める。


 怒りで震える肩が揺れていた。大きな文官と、その後ろ姿を見送る小さなタイセ。文官が消えていなくなると勢いよくタイセは怒りの形相で振り返って俺と顔を合わせた。大きな目を更に大きくしてタイセが立ち止まり、いつもなら笑顔で駆け寄ってくるところを口を閉じ後ろに一歩下がった。


 嫉妬。


 今までだってそういう拗ねた様子はあった。だが、それはいつもより静かで冷たい目をしていた。俺に向けていた目とは違う。それは俺が他の騎士に向けている目だ。


『奴隷とかそんなの関係無くない?』


 敵に向ける目だ。




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