シュードラ7
気づけば表情豊かで笑顔が多い。拗ねていたり嫉妬したりでけして負の感情を見せなかったわけでもない。それでも敵意ではなかった。
1歩近寄ればタイセは後ろに逃げる。怯えてるわけじゃない。
目を細めて、そのまま俺と逆の方へ体ごと捻って走り出す。
「タイセ様?」
思ったよりも声は小さかった。追いかけなければいけない。どうしてうまくバランスがとれないのか、壁に手をついたまま後を追う。周りを見回してみても影は無い。
伝えることがある。
「はっ・・・はっ・・・」
息が切れる。足が冷たく力が抜けていく。それでもこれだけ伝えなくてはならない。
もう一度呼ぶ。
そういえば、名前を呼ぶのは始めてな気がする。声に出して呼んだことがあっただろうか。俺から声をかけたことは?いつも何処からか現れる。だが会いに行ったことはない。だから何処にいるのか分からない。
「タイセ」
グラリと傾く視界の中で、いくつかの人影が見えた。
大きな人影が像を結ぶ。少年騎士と、正規騎士が複数。俺よりもがたいの良い全て年上の連中だ。俺の年が分からない以上、多分、だがな。少なくともチビのタイセは見当たらない。
「中央棟の通路で奴隷と出くわすとはな。前代未聞だ」
「随分ふらついていることだ。ミア姫の側にいたが、病を得て追い出されたというところか。忌々しい」
「こんなのに失神させられるなんて騎士の家系として辱めを受けたものだな、ローレス」
「私はロアン流剣術を収めています。けして騎士として怠っていたわけではっ!?・・・この奴隷、まるで獣なのです。少々腕が立ち過ぎる。正直少年騎士の中で試合の腕は上位に・・・・・こんなものを騎士になどディズ公は何を考えていらっしゃるのやら」
取り囲んで、壁際に追いつめられる。背に体重を任せ、息を整えるために吸い込むが、思うようにはいかない。頭が鈍い。襟元を捕まれても踏ん張るだけの力が入らない。
「脅威、か」
「けほ、ぐ」
持ち上げる腕を突っぱねようとすれば顔が横にはたき飛ばされる。体は吊られたまま、視界は紅い絨毯と銀の鎧兜を映し出している。ゆらりと絞め上がる首もとが呼吸を完全に止めていた。頭が白く濁っていく。揺られて周りが暗い倉庫に連れ込まれ、そこで地面に叩き付けられた。
そこはデッドスペースというもので、屋敷でもただ扉を作り物置として使われている石造りの場所だ。廊下と違い固く冷たい床で、ガクガクと震える腕を使って立ち上がろうとして肩を踏みつけられる。
「奴隷如きに騎士たる者を穢されて、このまま表に立たせていられまい」
ブツリという布が裂ける音。
「ここにいる事を耐えられなくしてやろう。戦って散るよりも辛い辱めを受け、姫の側にいられなくしてやる」
お綺麗な顔で爛れた思考回路。
その意味が分からない程、闇街での知識は薄くない。
口にねじ込まれたら噛みきってやろうと思ったが、腕をねじり上げられケツを抱え上げられ汚い物が晒される。
見たくもない。
俺の股間をまさぐり馬鹿らしい言葉を耳に入れてくる。腕も足もまともな抵抗にはならなかった。
服を脱がされ、周りの連中は一様に引いた。お前達には傷一つない、あっても剣で傷ついた程度の綺麗なものなんだろう。だが、この体にはありえない傷が俺には無数に刻まれ、抉られ、焼き付けられている。
それがどうした?
一度は引いたものの、晒したモノをしまうことはできないらしい。その内に気にもせず、力が入らない体を好き勝手に荒らしたあげくに本来は入れる場所でも無い穴に異物をねじ込みだした。
熱い。
焼け爛れそうな感覚で痛みに声が出る。すぐに雑巾を口にねじ込まれた。
何度も。
何度も。
記憶が途切れるまで長く。
犯された。
白く臭い水たまりの中に放り出され、痛みと血が流れる感覚が身動きすらウザクさせる。
「早くスラムに帰るか、山にでも帰依するんだな。いつまでもここに居着くというのなら、今度は発情した獣の群れに犯させてやる」
「私ならこんな辱めを受けて生きてはいられませんがね」
「近いうちに他に気を晴らしたいという者にも声をかけてみましょうか?」
「それは良い!はっはっは」
楽しそうな屑共の声が遠ざかっていく。服は軽く破けてはいるが、完全に剥かれ投げ捨てられていた。何も聞こえなくなってから、這いずって服の所まで行く。寒気が一層きつい。うまく動かない指で服をさぐりホッと息をついた。
ミアの手紙は無事だった。
少しシワのついた封が俺にまとわりつく体液で汚れないように手をズボンで拭って服を着直す。手紙をまた大事に隠して、またフラフラと外に出た。角を曲がると、見覚えのある西棟の廊下が見えた。
その壁に、俯いたタイセがいた。
そういえば、伝えたい事があった。
「探す、手間が、省けました」
逃がさないように腕を捕まえるつもりだった。それは激しい音でやはりはねつけられた。
顔を歪めるタイセは俺に触れた手を服で拭って後ずさった。
「気持ち悪い」
初めはなんのことか分からなかった。弾かれた手は痛くもかゆくもない。ただ、騎士共に捻り絞められた腕よりも、痺れた。言葉に、その拒絶に?
「汚らわしい奴隷、触らないでよ。寄らないでよ。気持ち悪い・・・気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!!」
飛び退くように後ろに下がる。今度は距離を詰めずに俺はその場でだらりと立ってその様子を見ていた。ただ、また逃げそうだ。伝えないと次はない気がする。いつも俺を見つけるのがタイセで、俺はタイセを見つけられない。たまたま見つけられた、これが最後。
その場で俺は喉が潰れそうな苦しさを無視して声を押し出した。
そう、ミアを心配しているタイセが少し安心出来るように伝えてやらなくてはならないから。
「手の平に傷があって、そこから熱が出た。医者が、体が弱ったところを風邪にも狙われたのだろうと。それでも、意識がよく戻るようになった。最初はずっと泣いていたが、手紙で笑って元気になっていた。多分、もう少しすれば治るだろうと」
「・・・ミア姫様?」
「食べさえすれば、笑っていられる奴は大抵生きる」
死ぬはずがない。
そうだ、ミアは守られている。その価値を求められ、大事な宝石か、花のように丁寧に手入れされる。俺が関与するから乱れる。ミアの求めているものを、タイセならきっと与えることだろう。同じように太陽と輝く者だ。
暗い闇を血と汚水で線引く奴隷とは無縁の綺麗な者。
壁に身を預けて眩しい姿を見つめると、タイセは無言で去った。
振り返らずに行けば良い。
俺はよくよく人を見つけるよりも見つけられる質らしい。
いや、今は余計に鈍くなっている。
ダンドロが姫様はどうしたのかと聞いてくるから、黙って手紙を渡す。誰に宛てたものかも知らないが大事なものだろう。もう一言も声は出そうにない。無理に絞り出されたせいで意識は途切れかけている。
このまま城から出て身を隠して気絶してしまえばいい。少しは休める。
「やけにボンヤリしていると思えば体調が悪かったのか。俺が行った時に相談でもすればよかったものを」
黙っている俺に溜息をついて呆れたと呟く。どうでもいい。ミアが寂しがって泣く前に部屋に戻らなければならない。
「待つんだ」
ダンドロは他の奴に何か言い渡すと着いてくるよう命じる。それに付き合う体力は無い。その場で立ち尽くしていると、腕をとられた。不愉快な感覚がする。吐き気を感じる。
連れてこられたのは厩だった。馬に乗れるか問われるが、答える前にすぐさま1人で乗るのは危ういかと自分で呟き直す。馬に乗るのは容易い、普段なら。それが出来るようになるまで馬ではなく俺に鞭が打ち据えられていたのだから。
召使いが走り寄り、ダンドロの前に跪く。
「キリニング王室棟管理より伝言をお預かりしてまいりました。姫に奴隷は不要、と申されておられます」
「ご苦労、ではナルナ・コルコットは下城させる。馬に乗れコルコット」
付き合う義理は無い。
「手紙を届ける。少し休みが必要だ、お前には」
動かない俺を先に優雅に馬へ飛び乗ったダンドロに引きずり上げられる。乱暴に馬首に転がった俺を片手で押さえ、手綱が引かれた。目が重い。体から全ての力が抜けていく。もう、どうにでもなればいい。
目が覚めた時には女の声が微かに聞こえた。
「いつも迷惑をおかけします。手紙をありがとうございました。今日はどうか、そちらの方の顔色が悪い様子ですし、早く休ませてあげて下さい」
「申し訳ありません、お言葉に甘えさせて頂きます」
馬に再びダンドロの気配がまたがる。手綱が引かれ、馬が足踏みする。目をうっすら開けるとぼけた視界につぎはぎの服を着た女が馬を見上げている。貴族を見慣れたせいか、どこか見劣りする地味な女だ。
ただ、優しそうだ。
「姫様はそれは楽しみにしておられます。貴方と会えないことに深く失望され、手紙で少なからず癒されておられる様子」
「ゴキ様には手を煩わせます。では姫様には許しが得られた時にまた御前に、とお伝え下さい」
「隠れてのやりとり、せずにすむよう私もお祈り申し上げています。失礼致します」
何処か知らない町が馬の速度で流れる。女の姿はすぐに見えなくなった。体を馬の首に寄りかからせたまま、また眠りについた。女の声が耳に残る。ただ甘く、優しく、花の香りすらする。
大きな手の平が額を覆う。
誰かに命じる声は堅苦しく鋭いが真っ直ぐ伸びる。
声は俺にも降ってきた。
「少し休めば良い、連絡はとってやる」
目を開ければ、また背中だ。何か棒でも入れたように真っ直ぐとした誰よりも綺麗に立つ男だ。揺らぎもせずしなやかに。
扉で消えるダンドロを目にして、いつの間にか運ばれた部屋を見回す。綺麗に整えられた調度品と、柔らかなベッドはディズの屋敷で使っている俺の部屋とは比べものにならない。姫の部屋ほどでは無いにせよ、双子の部屋程度にはご立派だ。生活している気配は無いので客室というやつだろう。
ベッドの真横には吸い飲みがあった。手を伸ばすと屈む女がいた。
「失礼致します」
肩に手をそえ、水差しを俺の口元に持ってきた。まるで貴族を相手にするように丁寧に。俺が奴隷であることを知らないのか、そういう命令なのか。ここは、恐らくダンドロの屋敷だろうな。
とことん他人の屋敷で顔を合わせる奴だ。
庭で軽く跳んで肩をほぐし、こちらに目を向けるといぶかしげにする。
「何、あんた。いっつも他人の屋敷で出くわすわね」
まだダルい体のままだが動くのに支障なくなり、誰もいない部屋で窓の外を見たら見覚えのある赤毛がいた。今日はタイセもダンドロもゴセルバも連れていない。ただ1人で、やはりドレスを着ず拳を握り汗をかいている。軽く息を吐いて、ニヤリと笑いこの女は指を空に向けて自分の方に引き寄せて見せる。
「丁度良いわ。幽霊野郎、ちょっと相手しなさいよ」
身動きせずにその姿に見とれる。窓枠に収まる強い光。窓枠に詰め寄っていた紅い女。腕を下ろし、腰に手を当て顔をいぶかしげにして記憶をぶれさせる。暗い月夜でもそうしたように女は走り、壁を蹴って窓枠に手をかけた。絵画から身を乗りして俺の胸倉をつかむ。
「惚けてんじゃないわよ」
「ラキタス」
長く見なかったが名は覚えていた。誘われるままに窓の枠を越える。足をあげると付け根が傷んで胸まで走ったが、何より今は何も考えず拳を構えた。痛みのせいで思うように体は動かない。ただ、今は痛いぐらいで丁度良い。
「そうね、ダンドロに見つかるかって時間切れになるか、あんたが負けるまでやろうかしら。少しは腕をあげたのか見てあげるわ」
剣は庭に捨てた。
ラキタスは剣を使わないから。
ボロリとなった俺達が壁にもたれてグッタリとしているのを頬を引きつらせてダンドロが見下ろす。また気分が悪くなっていた俺は面倒なので膝に腕を預けて地面に顔を向けて聞き流す態勢に入る。ラキタスは気軽に手をあげて対応しやがった。
「あら、怖い顔して悩み事爆発中?あんまり怒ってると血管切れるわよ」
「む・し・ろ・泣・き・そ・う・だ・よ」
一言ずつに何かしらの感情が詰まっていそうな声が絞り出される。顔を合わせないようにしていた顔を無理矢理あげられ、手の甲を額に押しつけられる。
「馬鹿が。熱がぶりかえしてるじゃないか。せっかく今朝下がったっていうのに」
「病み上がりなの?こいつ常に顔色悪いからわかりにくいったら、あははははってぁ、痛たたっ!はにふんのひょ!!」
ラキタスの頬をつねり上げるダンドロはすぐに手を離して、反撃に殴りかかるラキタスの手を絡めて地面に縫いつける。
「そういう乱暴な所を治さなければ本当に修道院にいれられるぞ。とにかく派手にやり過ぎだ。2人とも見れたものじゃない。とにかく部屋に戻るんだ。いいな、戻れ。命令が聞けないならラキタスは屋敷に送り返すし、ナルナはベッドに縛り付ける。いいか、問題児2人。俺は次に本気で怒る」
別に反論もなく、大人しく付き従うが、同じく別段反論もないが無性に反抗したいらしいラキタスが言いがかりをつけながらダンドロに食ってかかる。部屋に入れられて暴れないように念を押して廊下でゴセルバは手当ての指示を出している。
椅子に座らせられたラキタスは俺の耳を引っ張って自分の方に向ける。
「ふん、熱が出てるのは運動したからよ。汗をかいてるからその内に下がるわ。ぶり返してもダウンする程でもないでしょ、あんたは。怪我も適当にほっといても治るわね。あたしとやりあってもその程度ってんならかんり頑丈なもんね。あたしも風呂入って服整えたらちょっと腫れてるぐらいでしょ」
ついた汚れを簡単に拭ってそっぽを向くラキタスを黙って横目で見ると、睨まれる。
「何よ」
「騎士ではない」
「何ですって?」
「他の騎士より強いのに騎士ではない、ですね。ラキタス、様、は、一体何なのかと」
貴族には敬語。
身分、というものを思い出して敬語に直していく。ただ、頭に浮かんだだけの疑問で、別にそれは答えがなくとも是非にと求めるわけでもない。一体何なのかと、思っただけだ。少年騎士と共にいて、少年騎士ではなく、少年騎士より強くあり、少年騎士とはならない。その存在は奴隷ではないが、貴族の振るまいと一線を越える。
「あたしはラキタス」
鼻に指を突きつけてくる。
「医者になる女よ。女は騎士になれないし、男に従順に屋敷にこもるお飾りはお断り。だから、あたしは自分の力で認めさせてやるために異能を身につけるのよ。それも騎士より強い医者。つまんないくくりで否定する古くさい連中が、泣いて乞うぐらいね!」
胸を張るラキタスは指を一度引っ込めて、拳に変えて鼻先で止める。風が髪をなびかせる。
「家の階級で、男だというだけで、てめぇの力は大した事がないのに偉そうにしてる連中は反吐が出るわ。思い知らせてやろうじゃない。
面白そうでしょうが」
「それが、目的?」
鼻で笑ってラキタスは髪を弾く。
「自分が自分であるために戦うのなんて当たり前でしょ」
変わるために得るために戦う俺に対して、真逆に位置しながら当たり前と断言するのか。
熱が下がったのを確認したダンドロは俺の体をもう一度全て治療しておくように屋敷付きの医者に命じた。端から全て足先まで。終わった後にベッドに座らせられた俺を立って眺めていたダンドロは目の前まで歩いてくると片膝をついた。
「ディズの屋敷に連絡した。体調が悪いからと無理に引き留めている形をとったがゴセルバが心配している。2つ聞きたい事がある。あいつは何故、奴隷であるナルナをわざわざ手間をかけて騎士にしたのか。確かに他の者より熱心に修練を積むだけお前は強い。この国の無くてはならない剣となり盾となるだろう。だが、目をつけた理由は?そこまで突飛な才能が見抜ける程に何か持っていたのだろうか」
深くまで覗き込んでくる。全て見通そうとするように。
「他の方達が思うように俺も不思議に思う。お前を何故、是非騎士にと推し進めるのか。何を企んでいるのか」
「思惑は恐らく2つある」
そう、今なら分かる。
「ゴセルバはミア姫を慰めるための駒として、リリスは暇を潰すオモチャとして俺を飼う。見返りに俺は金と情報を得る。企むという言葉に届かない存在」
双子はけして俺に情を持って騎士にさせたわけではない。その運命を操るだけで、都合が良いように導いただけだ。時には大事に、そして乱暴に。
顔を歪めて口元を抑えてしばらくして、ダンドロは俺の手を持ち上げて俺に見せる。
「2つめだ。ナルナ、あの屋敷に帰りたくなければここでお前を雇う事が出来る。騎士として働き続けるよりお前にとって条件は確実によくなるだろう。そうでなければ近衛として働けるように父に俺が推薦し直しても良い。俺の父は厳格だが公正にお前の実力を認めて下さるだろう。まだ若過ぎるが、城から離れて城下にいた方が守ってやることができる」
俺の手は切り刻まれ、針で刺し貫き皮膚を裂かれている。以前の物はだいぶ目立たなくなっている。新しい物が上から新しい傷を作るからだ。
「酷すぎる。人間にやっていい限度を超えている」
奴隷はもとより貴族にとって人間ではないだろうに。
痛みと飢えを凌ぐためだけに双子に従っているのなら、この男につくのもいいだろう。闇で包まれたディズよりも、恐らくどの貴族に身を寄せるよりも良い扱いをする。メイドも、召使いも、兵士もほとんどが俺をあからさまに見下す様を見せなかった。城よりも厳格に教育されている。
窓の外に目をやると城が見えた。新たにつけられた傷が、誰によってどのようにつけられたのか、この清廉な少年騎士は分かったのだろうか?戻ればまた犯してやると言っていたな。
暗く闇が近づいてくる夕日が部屋に入ってくる。
白い手を取ったのは、パンを受け取るためじゃない。体を八つ裂きにされても、死の恐怖も、あの不愉快な異物感も、全ては俺を生かしたあの女神を見つける目的に勝る不幸か?
馬車が辿り着く音が響く。
ミアの相手をするのも、半殺しの目に合うのも、全て目的のために必要なことだ。余計な事を考えて見失うわけにはいかない。帰らなくてはならない。オモチャはオモチャらしく、オモチャ箱に。
馬車から始終無言でゴセルバは屋敷に入った。どうせミアの側にいたことに対する嫉妬が大半で、後は真っ直ぐに屋敷に戻らずにいたことに対する苛つきか。屋敷に戻る前にダンドロが引き留めて何か言い争ったな。
「余計な事を外で喋るな」
顎を力任せに握りしめられる。普段はすましていてもリリスと同じ顔を見せる。こいつも、けして、安全ではない。
「姫様は狙い通りお前を気に入った。光栄だろう。あの方は外に興味を持っている、どの奴隷でも構わなかった。いつか城の外に飛び去ってしまうかもしれないというなら、欲しがっている物を城の中に引き込めばいい。余計な事をするな。奴隷の身で飢えずにすむ保障が得られるなら十分だろう」
自分で、姫君のペットに俺を仕立てたくせに。ペットにまで焼き餅を焼く嫉妬深い貴族。これに従うのは騎士であるため。騎士であるのは道化として滑稽な姿を見せるため。それによって俺はあの女を迎えに行く。飢える地獄から、暴力の町から、毒を放つ城から、全てから区切られた場所に綺麗な状態で飾っておこう。
温もりだけ与えてくれれば、後は全ての苦痛から目隠しして大事に、大事に、閉じこめておく。
そのためには、この運命の双子に従い、反感を避ける。
思う通りに。
命令に従うために、邪魔な物は全て捨てて。
いくらか夜が明けて、久しぶりに城へとあがる。
前と同じ1日が始まり、絡みつく視線を撒いて、息を吸うたびに胸が腐りおちていく感覚を宿しながら。
「ナルナ!」
城に着ていくばくもしない内にやけに懐かしく感じる声がして、腕にミアが飛びついた。顔色は輝くばかりのピンクで染めて、けして以前の死にそうな様子は滲んでいない。嬉しそうに目を輝かして病気となる前ならば人目を避けていたものを隠すことも忘れている。
「病気治ったのか?私のものが移ったんだな。ごめん、大丈夫?もう、何処も苦しく無い?」
休み過ぎたくらいだ。
病気が理由というよりは、病休を多めにとっていたダンドロの仕業に過ぎない。あれから何度か俺を見舞うという理由でディズの屋敷に現れたらしいが、顔を見ることは無かった。言い争う声だけを聞いた。誰かまでは特定していなかったが、恐らくあれがそうだったんだろう。
俺は学んだ通りの動きを改めてやり直すことにした。
頭を下げ、捕まれた腕だけを残して身を低くめる。
「騎士としての責務を果たしたまでのこと。我が主の命じられるままに動くに過ぎぬ奴隷の身に過ぎたお言葉痛み入ります」
「え?」
手が離れ、残りの腕も礼の態勢をとる。
小さな沈黙と戸惑う気配に、顔は上げない。
声が小さくなる。
「どうしたの?何か、怒ってる?」
何を怒ることがあるのか。騎士共が嫉妬することに対してか?お前が原因でいたぶられ、オモチャにされ、犯されることにか?
「我が儘言って、ずっと一緒にいさせたから?」
もっと小さくなっていく声は、怯えている。俺が態度を変えないから。寂しさで弱っているから甘えたかったんだろう。俺が城に現れたらいの一番に確かめたかったんだろう。すがれる場所を、人を。可哀想に。ミアはどこか留め金をかけ間違えて俺を自分と同じ場所にたつものだと認識している。それにいつか気づくだろう。もし、気づけずにいれば周りから断絶させられる。
ラキタス程に強くあれるか?
関わり過ぎれば俺は敵を増やすだけだ。目的の邪魔になる。関わりを絶てば存在する意義を失う。だが、出来るだけギリギリのラインまで遠ざかってやらなければならない。俺から。
元々、ミアが俺に関わる必要が何処にある。こいつは愛されている。あらゆる貴族から。それに気づけないだけだ。いつか遠巻きに牽制し合っている連中がミアの周りに溢れるだろう。きっとタイセがそのきっかけになれる。2人並んで笑っていればいい。俺はゴセルバにとっての存在意義を失うだろう。
従うべきがリリスのみとなった時、後はオモチャとして何者にも煩わされずに目的とために進んでいけばいい。あの悪魔の嗜虐心が満たされるまで。
「私が姫だから駄目なの?」
可哀想なミア。
だが俺だって可哀想だ。
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