シュードラ9





 色街で女を買わないまま原色の光の中で漂う。酒に酔いゲロを吐いて、その辺りに座り込み、騒いでいる中で。


「はいはい、おっさん!明るいの一発歌うからお金頂戴!」


「そんなん言わんとさあ。人生しらけたらお終いやでぇ?つか、金くれないと俺らが明日人生お終いやけど、ぎゃはははは!!」


「それ笑えねえ」


 弾けるような生気。


 闇街も、貴族の屋敷も、城も、色街も、俺が溶けて混じれるモノではなかった。結局の所、俺は奴隷でスラムが一番合っていた。そこを抜け出そうと無理をするから身に余らせた。


 スラムに帰れない奴隷か。


 最初はもっと世界は単純だと思っていた。生きて、食う、死があって、痛みがやってくる。スラムでは確かにそれしか無かった。もしかしたら、その中ではもっと身の丈にあった幸せというやつも手に入ったのかもしれない。だが世界には色鮮やかで華やかで綺麗なものがいた。そんなもの全て白と黒に塗りつぶして元の世界に還ればいい。意識すべきではなかった。感じたくなかった。知ってしまった。


 あれだけやり方が分からなかったというのに、なんだかな。


 笑えたんだな、俺も。


 城に行かなくてよくなった、というよりも閉め出されたというべきか。姫を救った功績への労いという形で特別な休暇を与えられた。北へ旅立つには準備も必要だろうと。親切なことだ。まとめる荷物など初めから無いというのに。あるのは少年騎士で稼いだ価値があるか分からない金、騎士として支給された剣。少年騎士の黒い制服が正規騎士の白に変化した。前よりも更に異質さが増す。


 笑いがこみ上げる。命じられる期限を自ら急き立て、出発を早めさせた。ディズの双子は何も言ってこなかった。もう何もかもがどうでもいい。


 







 屋根の上に立ち静かな朝を見上げる。


 息が微かに白い。すぐに消えてなくなる淡い靄。何も感じるものはない。出発の時間は告げてあるが俺が出て行く所は誰も確認しないらしい。俺はこの屋敷から放たれる。けして自由ではないが、無が広がっている。思えば俺は最初からがんじがらめに枷を持っていた。


 死という恐怖。


 女神を乞う欲望。


 奴隷の宿命。


 甘い光。


 空高く朝を告げる鳥の鳴き声が響く。屋根を跳んで庭に降りる。北の門に北方領土へ向かう一団がいるはずだ。迷うことも逸れることもなく行き着けるだろう。これからもっとも過酷らしい絶望の国境へ。


 闇街と色街の間の通りはまばらに人が通う。昼間には商家が市を出すが、今は裏町から何処かへ帰る連中を見かけるだけだ。色街で遊女を買って遊郭で泊まっては城へ直接行っていたが、今回は逆の方角へ向かう。裏町もスラムも越えて町の外の世界。まだ見ない場所。


 北に行く連中は一様に表情を暗くさせている。それに倣う気にもならずナイフと金と食い物を手で撫でる。城の石壁に腕をめり込ませて骨が砕けて皮膚を飛び出し、腕が千切れかけた。なのに腕はまだ添え木を巻いて繋がっている。痛みに弱い割りに俺というものは丈夫に出来ているものだ。


 町から一団が歩き出す。門をくぐり、その列が連なっていく。町を振り返って俺は最後に城を見上げた。


 最後の1人として列の最後尾が門をくぐる。新しい地獄に希望はいらない。執着し続けるというのは、体に傷が増える以上に何かがすり減っていく。


 町から目をはずし、もう振り返る気が消えて離れるために足を進めようとした。列からは結構な距離があいている。


「何処に行くの!?」


 心臓が、一瞬吐き気がする程に大きくうねる。


 甲高い声に、荒く息を切らせる空気に、振り返ってはいけないと思う間もなく反射的に目は向いていた。膝に手をついて、子供が1人で立っていた。裏町の間にある通りに不自然な質の良い服をまとう垂れ目の貴族。町の門を境に、そこだけが切り取られた絵がのように感じる。


「穢れたから逃げるの?奴隷のくせに騎士になろうなんてするから悪いんだよ!」


 共も連れず、馬車も無しに、何故こんな場所にいるのか。俺を睨み付けて泣く。顔を真っ赤にして怒っている。その膝と足は泥で汚れ、顔にまで擦り傷を負っている。


 タイセ。


「なんで今更どっかに行っちゃうの!?なんでそんな酷い怪我なんてするの!なんで姫様を泣かせるの!なんで怒らないの!!どうして僕をほっとくの?なんで謝れって言わないの?馬鹿!馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿ーーーーーー!」


 どうして絵画のように感じるのか分かった。門を境に立ち止まって、それ以上には近づいてこないからだ。平面で、遠い。髪を振り乱して理解を超えることを言っている。嫌悪する俺が消える前に、わざわざ罵るために来たのだろうか?


「なんだよ、その中途半端。何か喋りなよ。むかつくでしょ?何も感じてないわけないでしょう?僕に最低だ!って怒鳴ればいいじゃん」


「申し訳ありませんでした」


 謝れば呆然とした顔で涙を流したままタイセが顔をあげる。顔をグシャグシャに拭いていた手に力がこもり、拳に変わる。


「ナルナは、貴族の嗜虐心を満たすためだけに城へ来たの?」


 悪魔の遊びの狙いはそうだったのだろう。リリスの暇つぶしにしかならなかったろうが。


「どうして僕がここに来たかも分かってないんでしょう?」


 まったく分からない。


「貴族なんて本当はみんな嫌いなんでしょう。僕が泣いてても怒ってても理由なんてどうでもいいんだ。悪いことをしてもどうでも良いんだ」


「違う」


「ごめんなさい」


 静かな消えそうな声が不安げに漏れる。目が溶けてしまいそうだ。涙がああも止めどなく出るものなのだろうか。


「手を払ってごめんなさい」


 どうして今。


「馬鹿って言ってごめんなさい」


 胸を焼いて絞める。


「嫉妬して酷いこと言ってごめんなさい」


 忘れたいのに。


 離れていく一団の列がもう見えなくなった。だが、このままにしたくなくて、タイセに近づいて頭を撫でてやる。絵画なんかではなく、そこには柔らかな髪がある。暖かい涙に触れる。


「どうして、謝るのか、分かりません。貴族が奴隷を嫌うのは城中を見回しても当然のことだ。何も貴族から離れた行動ではなかった。別に何とも思っていません」


「嘘つき」


 そうだ。確かに犯されるよりも深い楔が刺さっている。


「僕のことは嫌いのままでもいいよ。嫌な子だもんね。でも、聞いて・・・このままじゃ殺されるんだ」


 服をつかんでタイセは俺を見上げ、震える手で手紙を持ち上げた。その手紙には銀の糸が一束添えられている。夜の光を集めたように輝く宝石のような、見覚えのある色と共に。


『我が愛しき姫に自由の創造を捧ぐ』


 血文字だった。 


「朝に城で騒ぎがあって、パパが呼び出されたの勝手についていってこっそり聞いてた。反逆者を処刑するって。屋敷にいたみんな使用人も含めて一族郎党だって言ってた。屋敷はもぬけのからだったんだ。城で顔を知られてるナルナは的になる」


 最後まで運命に絡め取られる。


 静かだと思っていた朝が、何処か血の臭いに変わっていく。


 手紙に手を伸ばして文字を1つずつ撫でていく。乾いた赤い粉がボロボロと落ちた。これは誰の血で書いた?ペンを体に刺して紙に線を引く。三日月の口を吊り上げて笑う悪魔・・・。


「姫様を攫ったディズ家の一味として」


 殺される。


「逃げても捕まっちゃう。だから、僕と話を合わせて。反逆者の1人に襲われた僕を助けてパパに届ければ、無関係だって証明出来るかもしれない。出来なかったとしてもパパが手を回してくれるようにするよ」


「殺されるかもしれない」


「そんなの僕がさせない!酷いことした僕が言っても信じてくれないかもしれないけど、だって、だって、ナル君が死んじゃうなんて僕」


「ミアは、何処へ攫われたのですか」


 目を腫らしたタイセは、呆然として俺を見上げる。それから顔を歪めて首をふり、下を向いて乱暴に目を拭う。攫われたというが屋敷以外に連中が行きそうな場所など知るわけがない。


「姫様は騎士が絶対に助けるよ。だって強いんだもの。強いから、ナルナも殺されちゃうんだよ?姫様のこと心配だけど簡単に殺したりするはずないもの、ナル君の方がもっと危ないんだ。だって、だって、処刑なんて」


 死ななければ無事だとは限らない。ディズの人間というものが、どれだけ嗜虐心に満ちているかこの身でそれを知っている。それに人間の死など一瞬でかたがつくものだ。強かろうが間に合わなければ殺される。ミアが死ぬ。


 グラリと頭が揺れて片手で押さえる。


 寂しそうに泣く。嬉しそうに笑う。苦しそうに歪めた顔。これからも綺麗な場所でミアは輝き続ける。それを穢し、血で染め、踏みにじる存在があっていいはずがない。


 許せるはずがない。


 ぶら下がる重く邪魔な折れた腕を口に咥え、タイセに無理矢理担ぎ上げる。


「な、何するの?」


 口が塞がった状態で思考だけをディズの屋敷へ向ける。俺が知っている世界などたかが知れている。貴族は屋敷か城にいる。その中で唯一全てを知っているのがディズの屋敷だ。隠し部屋も地下室への行き方もよく知っている。地獄のことなら端から端まで行ってきた。


 裏町のゴロツキ共がか弱い金づるに釣られて姿を見せ始める。


 道を塞ぐなら走りざまに踏み砕いてやる。










 貴族街に辿り着くためには闇街の前を通る。存外1人目を始末すると次々に見せしめを求める群れがわいてくる。両腕が塞がった状態でタイセを守るために背中で攻撃を凌ぎ、足で壁と地面に叩き付けてきた。ゴロツキ共はそれでいいが、貴族街に入れば次は騎士や兵士共が道を塞ぐ。


 タイセを担ぎながら勝てる相手でもない。見つからないよう回避し、柵を跳び越え、ひたすら逃げる。


「ナル君、背中に、ナイフが」


 いくらか刺さっている。片足でナイフをかわすよりかは、肉を切らせている間に敵を始末した方がタイセへの被害がない。タイセは斬られれば簡単に死ぬことだろう。少しも傷つけさせやしない。


「跳びます」


 見慣れた塀に足をかけて壁を蹴り登る。空中に飛び上がった場所には城の鎧をつけた兵士達が溢れていた。俺を見上げざわめき、一斉に騒がしくなる。庭に着地すると、鞘から剣を引き抜く音が次々に鳴った。


「これだけ兵士がいるんだから姫様がいるはずないよ!なんでこんな敵のまっただ中に行ったりするの!?ううん、今から僕が話を作るから予定通り話を合わせて」


 タイセが下に降りようとしたが、下ろす間もなく剣が振りかぶられ横に跳んで屋敷の中に駆ける。屋敷の中にも兵士はいた。そこかしこを調べているが、姫の姿は見当たらないらしい。いつもは冷たい目で控えている使用人もメイドも誰も彼もがいない。


「こんなの袋の鼠じゃないさ!どうするの?逃げたりしたら言い訳が通じなくなるじゃないさ!」


 でかい絵画の前で立ち止まり、それを足と肩で横にずらす。その裏には暗く開いた地下への通路があった。無駄に広く絵や置物の多い中で、ここだけ地下に通じている。そしてその地下には化粧の濃い奥様が人間をいたぶって遊ぶための懲罰室や、倉庫がある。階段を下りると首に震えたタイセが抱きつく力を強める。


「何、ここ」


 灯りがともっていた。城の地下とは違い絨毯を敷き、屋敷の主が出入りしているそれらしく調度品が並ぶ。最初の頃にはよく奥様に連れ込まれた懲罰室の扉を開く。


 タイセが小さく悲鳴を飲み込む。


 周りに音を消すためと厚く造られた石壁で囲み、異臭を放つ鎖や金棒、ムチ、杭。リリスはそこらにある物をなんでも調教の道具に使うが、奥様は調度品のように拷問道具を揃える。何に使うのか知らない物が無い。


 そして、その自分で集めた道具を床に転がし、身に突き刺して天井からぶら下がる奥様を見上げた。


「この人、ディズ伯爵の」


 口も聞けず意識があるのか分からないが、足がピクピク動いている。腕を結ばれ垂れ下がった姿は以前の自分と立場を逆転させている。ショックを受けているタイセから醜い物を隠すために扉から廊下に下がり、扉を閉めた。まるで何も感じなかった俺とは別に、口を押さえて顔を真っ青にしている。暗い廊下を照らす灯りだけでも分かる程にはっきりと。


「どうして?だって、ディズ伯爵が反逆者だってお城で言ってた、のに。みんな捕らえるって。あの人も反逆者の1人のはずじゃ」


 タイセを廊下に下ろして、別の扉を開ける。倉庫には何も無かった。ただ暗がりで死体がいくつか並んでいる。それは全て剣の痕で、広いその通路に赤い筋を引いていた。死体はディズの使用人であったり、城の兵士だった。


 城の兵士の死体がここにある。


 すぐに廊下に出てタイセを倉庫に引き入れる。


「い、嫌っ。なんで?嫌だ、死んでるの!?は、入りたくない」


 無理矢理押し込んで扉に手をかけて咥えていた腕を放すと腕が体の横にぶら下がり、肩に激痛が走る。自由になった口で大きく異臭を吸い込み、タイセに言い含める。


「ここが一番隠れる場所が多い。そこにはもう誰もいない。だけど、この屋敷の何処かにアレがいる」


 ディズの主人は拷問の趣味を持たない。


 血文字で書かれた手紙。


 反逆。


 城の連中は根本的に思い違いをしている。こんな事をしても、この屋敷の主人はなんの得にもならない。貴族は俺に理解出来ない事をやり、考えるから、もしかしたら何かあるのかもしれないが、それでもそちらでは無いと確信出来る。


「廊下に出ないで隠れていてください」


「嫌だよ、ナル君。ここは嫌だ!」


 アレなら気紛れに何をしてもおかしくなどない。面白うそうだと思えばなんでもするのだ。そこにためらいなど無い。


 扉を閉めて、最後の部屋の前に行く。倉庫の扉は開かない。混乱して怯えてもタイセは俺の言葉を守って扉を開かない。俺と違って馬鹿ではない。だから、俺は最後の扉に手をかけて開いた。


 俺の運命をねじ曲げて狂わせ、オモチャにする悪魔は、恐怖など持たない。


「おやぁ、出かけたんじゃなかったのかい。忘れ物でもあったのかねぇ」


「ナルナか」


 リリスは返り血で染めた髪を耳にかきあげて、いつも通り笑う。ゴセルバもいた。壁に背をつけ膝をついている。ゴセルバも返り血に染まってはいるが、顔を歪めて俺から目を別に向ける。


 その視線の先に床に銀の髪を広げ、修練の時に着ている身軽な服装をしたミアが転がっていた。目を虚ろにさせて虚空を見ている。リリスは剣を握っていて、その剣先を足下にいるミアの首筋の輪郭を撫でるように滑らせている。顔に殴られた痕がある。服に斬られた痕がある。血が滲んでいる肌がある。


「ミア?」


 死んだ?まさか、違う、そんなはずない。


 近づいていく足が震えて力が抜ける。床に膝をついて・・・足がうまく使えない。だったら腕を使えばいい。折れた腕を引きずって、片腕で少しの距離を詰めた。


 剣が首筋の上に定まる。


「動くと剣が謝って首を貫くかもしれない。ナルナはいつも不用意だねぇ。何も理解していない」


 分かるわけがない。ミアがこんな目に合う理由なんて分かるわけがない。


 いや、1つだけ分かる。楽しそうに笑うリリスを見上げて確信出来ることがある。やはりそうなのだ。これは、ディズ家が何か目的を持って反逆したのではなかった。それが何を引き起こすかぐらい奴隷にだって分かるというのに、ただ享楽のためにヤッたのだ。簡単に手に入るオモチャに興味を失せさせて。


「そんなすぐに潰れそうな小娘を貶めて何が楽しい。この喜劇の道化は俺。俺でいくらでも遊べばいい」


 声が掠れる。うまく口が動かない。


「あんたの嗜虐心を満たしたら、ご褒美、くれる約束だろう?」


「知能指数がずいぶんと成長したもんだねぇ」


 剣を首筋になでつけたまま、リリスはミアの腕を物のように持ち上げる。ぶらさがったミアの顔は地面に向いて、そうしていると本当の人形のようだった。生気など何処にも感じない。


「飽きたんだよねぇ」


 何故?


「淡々といたぶられている君なんて見ていてもねぇ。ナルナの喜劇とやらはシュール過ぎるせいかなぁ、とてつもなくつまらないのさ。君より余程可愛い子がいるのだから、乗り換えて当然だろう?」 


「簡単に潰れるものは遊びに向かない。それに城の連中がすぐに捕まえにくる。それこそ興ざめだろう」


「節穴の目を持つ奴隷。ミア姫は君なんかより余程逞しいさ。ここから逃げだそうとしたナルナを引き留めるために城を脱走してまで追ってきた」


 俺を・・・追ってきた?


「健気で行動的じゃぁないかい?あぁ、見つけられて良かった。周りに邪魔なものがない場所に、せっかく貴重な小鳥が舞い降りたのに見逃す道理は無い、だろぉう?あの大きな城を見てみるがいい。他国に比べれば城の造りはそれ程には良いと言い難いし、堅牢とはいかないのに人を縛り付けることには長けている。この国は病んでいる。そこから逃げたいと足掻く幼く幻想的なまでに美しい姫君」


 うっとりと溜息をついて、リリスはミアの頬を撫でる。その指が喉に食い込んだ。


「少しは見習うと良い。泣き叫び絶望に狂うなり、憎悪に猛り狂うなりね。静かに運命を受けいれるようなタイプは、僕の筋書きでは主役に向いていない。もっと惨めに、壮絶に、壊れてくれないようじゃ生きているんだと感じられない。感じさせないオモチャは失格だねぇ」


 そんな風に、傷つけたのか。


 ミアにそういう事をするつもりだと。


「使用人達の方がまだ少しは面白い反応をしたよ。朝方に一斉に実家に逃げ帰るように言ってあげたのさぁ。ここに現在いる人間は有無を言わさず騎士に反逆者として始末される。容易に想像出来たろうよ。なんせ鬼の形相をした騎士が剣を振り回して怒鳴り込んで来たんだ。ズタボロのお姫様が屋敷にいるんだ。実際、冷静に使用人達は無関係だと解放するはずがない。冤罪、極刑、見せしめ、うっかりと腕を切り落とされるか。ああ、つまらない事を言う奴らをちょっと斬って見せたら、はは、返り血で濡れて地獄絵図だったなぁ。素早く散っていった。まあ、腰を抜かした連中は」


 隣の部屋にいた死体は。


「忠告に反したからバラバラにして遊ばせてもらったけれど」


「もういいだろう、リリス」


 壁に背をつけていたゴセルバが体を浮かせる。


 そうだ。こいつはミアが好きだったんじゃなかったのか。こんな状態をどうして黙って見ている。いつもならリリスの行動に口を出しているのにミアがやられているのを見ていたのか。そのまま何もせず。


 静かにリリスは低い笑いを漏らす。俺を見ている。だが、俺ではない物に意識を向けている。そうだ、貴族は俺の事を話していてもけして俺に対して話しているわけではない。いつだって俺を通して別の人間に聞かせている。それは自分へ返すための独り言であったり、他人に聞かせるための嫌味であった。返事なんか求めちゃいない。俺の意志を必要としていない。


「君が悪かったんだ、僕を切り離そうだなんて考えるから」


「添える、はずがない」


「残念だったねぇ、ゴセルバの策は見事に空振り。君は、これでお姫様に取り入る隙が無くなったわけだ。苦労してお姫様の欲しがっている贈り物まで作ったのにデキが悪く、見事、無駄骨。僕のやることに巻き込まれても無事でいられるだけの後ろ盾、その目の付け所は良かったんだろうけども」


 ゴセルバの眉が寄り、目を瞑って唇を噛む。


「これで、僕と堕ちるしか無くなった。だけどねぇ、ゴセルバ、君が欲しくてたまらなかった物だって手に入れてあげたろう?どうせ騎士として側にいてもそうそう手に入る身分でもない」


「姫様を解放するなら、従うと言っている」


「どうして?せっかく飛び込んできたのに逃がすはずがない。ねぇ、愛しいお姫様」


 ミアの顎を剣で持ち上げ、リリスはつかんでいた片腕を更に高々と持ち上げた。その吊り下がった人形のようなミアの耳にリリスは口を寄せ、囁いた。


「狸寝入りしていても悪夢は覚めやしないよ」


 その目がパッチリと開いた。戸惑うことも揺らぐこともせずリリスを見返して。


「容赦なくやっといて、もう少しぐらい休ませてくれたっていいだろうに」


「いぃい根性だぁ。容赦ならしたさ。才能があっても訓練を始めたばかりのお姫様は耐久性がないから、殺さないように遊ぶ加減に気を使うんでねぇ」


「ああ、そういう時はなんて言えばいいんだったっけ、ナルナ」


 何も答えられずにミアを見返す。そんな事は俺の方が聞きたい。


「返り討ちだ、糞野郎」


 見た目を裏切る台詞に双子が呆気にとられる。いらない言葉を俺から吸収する。まったく、幻想的な綺麗な花かと思えば急にリアルな息づかいを感じる。


「は、は。虫の息で気丈なお姫様、ますます惚れるねぇ、やっぱり最高だよ。ねぇえ、ミア姫」


「ナルナ」


 目の前の出来事に置いていかれたまま膝をついていた俺をミアが呼ぶ。


「お前は、痛めつけられるために騎士になったのか」


 そういう事になるだろう。


 元から、リリスが面白がるならば何にだってなっただろう。例え、そう娼婦のようにふるまえというならそうしたように。


「今すぐ止めろ。そんな理由なら、ナルナは私が貰い受ける」


 ボロボロの姫が、剣を押し下げて真っ直ぐと俺を、見た。


 大きな瞳に目を見開いた俺が映る。


 俺を、映す。


 何か言い出した、この少女は。


「騎士として送り出したからには理由も目的も知ったことじゃない。私が城で拾って、ナルナは私に忠誠を誓った。勝手に私の前から連れて行くなんて許さない、お父様だろうと、元の主だろうと。だってもうナルナは」


 熱が溢れ出す。


「私のなんだから」


 静かになる。ただ、重く静かに久しぶりにミアを、しっかりと見た気がする。目をそらしていたのか、遠い存在だと線を引いて区別しようと。


 ミアも、飢えていると知っていたのに。


 それでも俺が関わって堕ちていくのは耐えられなかった。飢えは、確かに他の誰かがいつか埋めるだろう。


 それでも選ぶのか。


 だが、それは悪魔も、貴族も、誰も許さない。


 俺すら。


「ならばコレを引き渡す代わりに何を代償にするんだい?」


「リリス!もう止めてくれっ」


 ゴセルバが一歩前に出た途端にミアの体に一線が走る。流れるように、楽器でも弾きならすように、弦は首に戻る。服が赤に染まっていく。いや、俺が来た時から既に赤だったじゃないか。


「ぐぅっっっ!!姫様っ・・・!」


 赤、なのだ。


「・・・ミ、ア・・・?」


 一番初めは・・・・・何色だった?


「は・・う・・・・痛っ・・・・・」


 痛いだろう。斬られたのだから。痛いだろうに、どれほどの傷を負わされた。もう十分だ。もうたくさんだ。それを傷つけるな。


「ゴセルバ、ルールを忘れたのかい?駄目だねぇ、近づいたら、こう。壁際に戻って、君は、観客なんだから」


「俺とのゲームは終わってない」


 リリスはすっかり忘れていたとばかりに俺を見て、肩眉を上げた。


「何も持たない奴隷が、腐った頭でどんな手札が出せるんだい?」


 悪魔は鎖を解いて獣に言っただろう。


 俺がオモチャとして悪魔を最高に楽しませたら良いというゲームだ。


「代償は、俺の全て。だから褒美は高くしてもらう。ミアをそれ以上傷つけるな」


 例え肉の破片、血の一滴すら使ったところでリリスにとって価値は無いだろう。駄目だったなら、この血の宴を最後まで見続けなければならないのだろう。いや、逃げるべきか。隣にタイセがいる。怯えてるだろう、絶命した死体達と暗闇でいるのだから。泣かせたくないのに。だが、ここを動くことが出来るだろうか。


 まともに息も出来ないのに。


「考えてあげるよ。ついでに、隣にいる坊やも見逃すかもね。そのシュールな見せ物が面白ければだけれど」


 愕然としてリリスを見る。


 声が、聞こえた。当たり前だろう。死体の部屋に押し込んだ時にタイセは叫んでいたのだから。


 指先の冷たさが増す。


 軽く思案して、目を輝かせて声を出して笑った。


「ナイフで自分を切り刻んで、その恐怖で歪む様を見せて」


 驚愕の表情でミアが顔を跳ね上げる。


 ナイフを震える手で引き抜いた。刀身を目の前まで持ち上げる。


「止めろ!そんなことして欲しくない!して欲しくない、見せるな!!」


 ナイフの先には貴族がいる。王族も。俺だけが偽物の騎士。貴族のオモチャでゴミ屑の騎士。


 捕らえられた自分よりも弱く幼く暖かく小さな手が、目が暗く濁らされている。逃げるか、負けるか、俺に生殺与奪を委ねられている。だが、生き物は末路には壊れるのだ。これは覆らない。それでも今まで必死に生きようとしていた。だから死を目前にしても結局は生きていた。そして、きっと死を前にして別の物に意識をとられた時から命はもろく、取るに足らない。生きることを諦め、別の事に価値を見いだした瞬間に訪れる。


 命よりも求める何かを見つけた時に。


「そう、止めても良い。必死になる必要もない。やった所で気に入らなければ代償を渡す通りもないしねぇ。まあ、だけど」


 スルリと剣がミアの首を軽く撫でる。赤い血だけは俺と同じ色をしていた。


「ふっかけたからには、止める時は代わりに刻まれるのは誰だか、ねぇ?」


 狂っている。


 そして俺も、ようやく生きることを諦めたらしい。


 恐怖は消さない。


 ミアを視界から外す。


「ナルナァァ!!」


 痛みを見つめろ。


 ナイフを振りかぶってリリスだけを真っ直ぐ。



                                 前へ 目次 続きへ