ライフオーバー 11




 呆然としてオトを見ているのはアツシだけではなかった。


「おい、なんで人間側についてるキメラがいるんだ。ラーフ!?」


「俺が知るか!そういうのはてめえの役目だろ!」


「それに、なんだ。何故こんなにも戦力が拮抗するなんて事態が起きた?こっちは殺傷力が売りのキメラなんだぞ。あんな規格外の人間がいて良いと思ってんのか!オブリは最強の猛獣共と掛け合わせてある最高のキメラなんだぞ!!」


 オブリに足をつかまれたノーディアが空中に投げ出され、木に激突する前にケオンが横から体当たりをかまして地面に転がる。それを好機と3人のキメラがノーディアとケオンに襲いかかる。それをケオンが地面に転がった状態で足を連続で正確に撃ち抜いた。その隙で手をついて駆け出したノーディアが地面に縫い付けられたキメラを軽やかに跳び越え、憤然と傭兵を叩き殺したオブリの膝裏に蹴りを入れて体制を崩させる。


 地形の悪い森の中でキメラの奇襲は成功していたはずだ。予想外の待ち伏せで傭兵側は混乱もしていた。だが、マワラ族が攻撃を削いでいってしまう。そうなってくると傭兵も職業戦士だ。数で勝っている強みを思い出して結束してキメラの攻撃を押し返し始めた。形勢が反対に傾いていく。


 非常識なオブリの怪力で木が叩き折られる。


「うわああああ!!」


 木の下敷きになった傭兵が肉の潰れる生々しい音を立てて絶命した。だが、そのオブリも人海戦術によって段々と劣勢になっていくのが見られ始める。何よりノーディアが「こっちだ、オブリ」と攻撃をほとんど誘導して囮になってしまっている。少年キメラに加勢しようとするキメラはケオンが矢で邪魔をする。ならばとケオンを直接襲いにきたキメラはノーディアが。


 ジンがアツシの傍らに立つオトに剣を構えて振りかぶる。


「キメラ、憎き罪子はこちらだぞ!」


 アツシは知り合い同士の斬り合いに冷や汗が全身から吹き出した。「ま、待って、彼は!」としか口が回らず剣の前に身を投げ出した。ジンが顔を引き攣らせてなんとか剣筋をそらす。オトの方も剣を避けようと目の前に立つアツシの体を引いて勢いこんで後退して木にぶつかる。


「「アツシ!?」」


 その騒ぎにマワラ族2人が反応して襲撃者から気をそらせ、完全に手を止めた。唇を噛んでいたラーフがそれを見て目を光らせる。


「サフラン、そいつだ!マワラ族の仲間を盾にとればあいつら止まるんだ!!」


「マワラ族?」


 ラーフの指摘で猛禽類の足を持つキメラがアツシを見たが、アツシはノーディアとケオンを見た。そして叫んだ。


「乱戦中に俺を見ちゃ駄目だ!」


「それは」


 キメラが目を細めてアツシめがけて弾丸の如く跳んだ。


「お前にも言えたな」


 アツシは彼を見据えて無造作に前へ踏み出した。衝突する、となる前にアツシの二の腕は背後からオトにつかまれ腰に腕を回されて人形を抱きしめる様にオトに持ち上げられていた。


「んわ!?」


 空中にぶらさがったアツシの体は浮いている。まさか、オトはそんな大男ではないと身をよじって目視すれば透明なあの薄い4枚の羽で顔を真っ赤にして必死に空を飛んでいたのだ。人間の体積で、それも他人と一緒に飛び上がれる強度などありそうにない羽でだ。


 空中でよろけるオトにヒヤリとする高さまで来て、唖然としたアツシが地面に目を戻せば同じ様に目を見開いている猛禽類のキメラと目が合った。


 焦ったアツシはオトにつかまれた腕を反対の手で突っ張った。既に前に飛び降りた木よりも高く上昇している。ジンもアツシを見上げて「待て!」と叫ぶがラーフに襲いかかられて剣で受けるのが見えた。


「うわぁぁ、高い高い高い、これは無理。下ろして、下ろしてオト」


「あ、暴れないでっ。空飛ぶの得意なわけじゃないんだ!君、今あの人型キメラに狙われたんだよ?」


 辛そうに声を詰めるオトはなんとか以前の様に答えてくれた。


 わずかに見える木の隙間でジンが切り結んでいるのが目に入った。「アツシー!?」と動揺したノーディアが叫んで、「こら、何飛んでんだ、アツシー!?」というケオンの声もくる。


「ええっと、つまりオトは彼らの仲間じゃないってことでいいんだよね?それ前提で聞くけど、君、だいたいなんでこんな危ない所にいるの?結構ここ森の奥深くだよ。たまたまじゃないよね。町で見送ってくれた後に、まさかつけたの?」


「君が心配だったって言えば、信じてくれるかい?もう、こんな姿を見られたら無理かもしれないけれど」


 飛ぶ軌道が安定してオトがアツシの腰を持ち直した時、下から何かが飛んで来る。


「「!?」」


 フラリと横に揺れてオトが除けると、その横を猛禽類のキメラが通り過ぎた。アツシ達よりも上空に行った鷲男は、一瞬スピードが落ちたかと思うと口角を上げた。


「飛べるのはお前だけだと思ったのか?」


 上まで行ったキメラが重力に従ってオトへ向け滑空してくる。「くっ」と、息を呑んだオトがアツシを抱えたまま背中から落下しながら逃げる。


 木の枝や葉が耳の横で凄い音を立ててかき分けられていき、地面に到達するとさっきまでの場所がどちらだったかも分からなくなる。地面に着地したアツシが今度は逆にオトへ体当たりをして突き飛ばす。そして元いた地面を真上から鉤爪が盛大に抉った。


 呼吸を乱して必死にオトはアツシの腕をつかんで「こっちに!」と走り出せば、その頭上を跳んだキメラが目の前を塞いでアツシの顔面に手を伸ばした。


「邪魔するな、ラーフ!おい、アツシに手を出すな離れろ、この野郎!」


 ケオンの声と同時にキメラの手に横から矢が刺さった。呻いてキメラがよろけた続けざまに木の間から飛び出してきたノーディアが小脇に抱えていたラーフをそのままキメラに投げ飛ばす。


「なん!?」


「うわあああああ!」


 キメラは投げられたラーフに驚愕して反応するも逃げられずに折り重なって潰されて倒れこむ。異形の襲撃者達を前にノーディアが拳を固め、ケオンは鋭く弓の弦を引いてオトに狙いを定めた。


「は・な・れ・ろ・よ!」


「どういうことだ、オト。お前もただの歌謡いじゃなかったのか!?」


 詰問にオトが顔をそらせて言葉を詰まらせる。その会話をアツシが妨げて囚われた形を許したまま質問を投げ返した。


「待ってケオン。ジンは?まさか放棄してきたんじゃ」


「オブリがなんとか気絶してくれたら他の奴らはさっさと逃げた。機動力を奪って戦闘不能にした奴らも傭兵達が拘束してる。ジンはちゃんと無事だ。無事ですまなかった奴らもいたけど」


「・・・ウィリアム・・・」


 顔を歪めてアツシはラーフ達に目をやる。キメラ達は体勢を持ち直して立ち上がっていた。ラーフが怒りに震えながら絶叫する。


「なんでだよ。せっかくファシャバを順調に削り取って、傭兵共だって少しずつ始末していって、なんでこんな反撃くらったりするんだよ!!!」


 それを意外に落ち着いた声で猛禽類のキメラが答えた。手に刺さった矢を抜きながら。


「計画ではオブリと渡り合えるような奴がいなかったからだよ。それにトカゲで町は少なくとも半壊して戦力は激減する予定だった。あれでほとんど計画は倒れたも同然だったんだよ」


 さっきまでの喧騒が嘘のように周りはとても静かになっていた。


「なんなんだ?お前ら。公守が精鋭部隊を送り込んでくるにしちゃ気が早いだろう。まだ町の1つも拠点にとれてねえってのによう。せめて仕切り直しを考えるまで時間が欲しかったんだが?」


 アツシの耳元にオトが口を寄せる。


「推測でいいかな。キメラは物資が豊富なファシャバをくだして人間に戦争をけしかけるつもり。この国は今他国と紛争の前触れで緊迫しているから、便乗すれば国を荒廃させられるかもしれない。国の生命線の1つであるファシャバが壊滅すれば少なくとも飢える地域は出る。ついでにキメラにとっても憎しみの対象らしい罪子への復讐心が先走って計画が実行された」


 オトの推測は的を得ている気がする。だが、それでは穴だらけに感じた。アツシは背後のオトの肩に後頭部を乗せて小声で返す。


「とてもじゃないけど大国を相手に戦争する人員には足りてないんじゃないかな。今まで人型キメラは存在を隠して襲撃していたくらいだし、姿を見せたからには勝負に出たってところだろう?こんな大事な場面で戦力を出し惜しみしたなんて思えないんだけど」


「昨日の町を壊したキメラみたいなのをたくさん飼ってるんじゃないのかな。今回の襲撃には向いていないけど、あれが何匹もいると考えれば脅威的な戦力だ」


「確かに脅威かもしれないけど、何度か衝突すれば他のキメラと同じ様に対策を練られるんじゃないかな。大抵の戦では純粋に数が物を言うから」


 ケオンが唸る。


「アツシ、遊んでないで逃げてこれないのか」


 まだ緊迫した空気は続いているのだ。


 アツシは一息をついてまず片付けるべきキメラの襲撃者へ意識を向けた。


「撤退してくれるなら追わないから解散しようよ。俺達は無作為に人を襲ってる猛獣を狩るつもりだったのであって、話が通じる相手と争う気はないんだ」


「ただで返せるもんか。オブリが捕まったんだぞ!仲間だって殺されて」


「おい」


 ノーディアが低い声で口を挟む。


「仕掛けてきたのはそっちだろ。殺されそうになったらウサギにだって反撃される。ラーフ、お前はそんな当たり前の事も分からないくらい子供だったのか」


 顔を真っ赤にして息を吸い込んだラーフの口を猛禽類のキメラが塞ぐ。


「撤退しても、雇われているならどうせまたやり合わないといけないんだろ?仲間を呼んで袋叩きにした方が賢明だ。とはいえ」


 猛禽類のキメラがチラリとオトを見る。


「驚いたな。お前はキメラだろ。仲間になる気はないか。俺に良い蹴りをいれたことなら一切忘れてやる」


「悪いけど事なかれ主義なんだ。殺しはしたくない」


「腰抜けめ」


 唾を吐き捨てるラーフの言葉にもオトは表情を動かさない。ただ猛禽類のキメラはまだ交渉するつもりらしかった。


「俺達はこういう体の奴らで寄り添って生きてる組織だ。さっきのアレにびびったんなら気にすんな。向き不向きもあるから別に殺しは強制しねえ。元々うちはあの忌々しい公安のキメラ狩りから仲間を守るために結束してるわけだ。ちょっと話を聞いていけよ」


 オトは顎を引いてアツシの頭で顔を隠した。


「なら同類の頼みだ。彼らを見逃せないか?マワラ族は急所を狙わず誰も殺していなかった」


 キメラが怪しむ目でノーディアとケオンを値踏みする。ラーフが「殺すべきだ、人間なんだぞ!」と怒鳴ったが、彼は眉を左右互い違いに上下させた。


 辺りの森がザワリと騒ぐ。


「その連中が大人しくアジトで捕まるって納得するんならな。それにこうなったら急いで引越しもしなきゃならねえ。公守は体勢を整えれば明日にでもここを襲撃してくるだろうからな。作成はパーだ」


 周りが人型のキメラで取り囲まれる。ゆっくりと話し過ぎたようだ。ここらは元々彼らのテリトリーを探って訪れているのである。










 武器を取り上げられたマワラ族は牢屋で思い思いにくつろいでいた。あまりのくつろぎ様に鉄格子の向こうにいる見張りが呆れた顔になるぐらいにだ。目隠しをされて連れてこられた場所へは無駄に曲がりくねって歩かされたため方向音痴のアツシでは方角すら分からなくなってしまった。争わない心積もりで大人しくついてきたからには、キメラ側が方針を固めない限りはやる事もない。


 アツシは人型キメラの観察に徹する。腕は熊か何かで、人の体に大き過ぎたそれは持て余されて床に垂れてしまっている。


 腕以外は人の姿をしているとはいえ、あれではオトやラーフの様に町で姿を隠す事は出来ないだろう。ラーフの体を思い出す。人と爬虫類の体が繋がれた境目で明らかな腐食がみとめられた。組織同士が排除し合っているのだろう。こちらの世界のキメラもあちらの世界と同じで、キメラを完全に生物として完成させているわけではないのだ。異物を移植したり無理に掛け合わせてもすげ替えたりはできない。


 獣のキメラでは問えなかった製作ラインの謎を彼らは知っているはずだ。


 通路から足音がして見張りとマワラ族が各々で目を向けた。オトの憂い顔へ。サフランと名乗った猛禽類のキメラに連れて行かれて初めて無事な姿を確認し、大丈夫だとは思っていたもののアツシは安堵する。牢の前に近寄ったオトがアツシの前に膝をつき、鉄格子を握って熊手の男を振り返った。


「俺も中に入れてくれないか」


「自分から牢屋に入る奴があるか。お前さんは客人だってサフランから聞いてる。別にここで喋れるだろう。あんまり牢にも近づくなよ。オブリを相手にできちまう怖ーい連中だからな」


 オトは困ったようにアツシに目を向けて、もう一度熊手の男に懇願した。


「彼らはとても温厚な部族なんだ。乱暴さえしなければ何もしたりしないさ」


「噛むかもしんねーぜ」


 熊手の男の言葉に、アツシは鉄格子をつかむオトの手をゆっくりつかんで指先をパクリと口に含む。ビクリと体を揺らして手を引っ込めたオトと、呆気にとられた熊手の男に笑ってみせる。熊手の男は口を開けて肩を落とす。


「アホか」


「期待に沿おうかと思って」


 とうのアツシはすました顔で鉄格子を両手でつかんでオトの方へ顔を近づける。


「オトは妖精だったんだね」


「え?」


 オトは甘噛みされた指を自分の手で包んだまま不思議発言に困惑する。アツシの指がオトの背を真っ直ぐに示した。露わになったままの羽の話であることに気づいたオトは目を泳がせ、下を向いて自嘲を漏らす。


「これはただの羽虫なんだ」


「通りで弱虫のはずだ!」


 入口にラーフが現れる。熊手の男は眉をしかめた。


「ラーフ、お前さんはサフランにココに来るなと言われなかったか?」


「そこの弱虫に見張りをつけないって言うから自主的に引き受けてやってるんだ。こんな奴、キメラってだけで懐に入れるなんてどうかしてる!こんな胡散臭い、優男の、偽善者の、ハグレ者の」


 熊手の男は大きな手で己の頭をガシガシと傷つけることなく掻いた。


「悪いな、お客人。こいつ相棒を殺られて気が立ってるんだ。無視してくれ」


「オブリはまだ死んでねえ!!」


 今まで黙っていたケオンが立ち上がり、ゆっくり鉄格子に近づいて来る。ラーフは身構えてそちらを睨みつけたが、ケオンはラーフに目もくれずオトの前に片膝をついて真っ直ぐに見つめていた。


「アツシを助けようとしてくれたのにキツくあたって悪かったな。オトの勇敢な行動に感謝を」


 ノーディアが「あっ」と己の額を叩いて鉄格子をつかんでオトを見上げる。


「俺もだ。ごめんな。ありがとう」


 息を詰めたオトが、目をそらして自嘲して首を振る。


「牢の中でよくそういう言葉をかけられるよね。しかも、こんな得たいの知れないキメラ相手に」


「知ってるよ」


 まるでペットショップのガラスケースから客を物珍しそうに見上げる子犬の様に、アツシはオトを見上げた。


「歌が綺麗で楽器が上手。恥ずかしがり屋さんで心配性。笑う時はちょっと控えめで困ったみたいになるんだ」


 ケオンもこめかみに指をやって眉を寄せる。


「寝起きが悪くて酒は嗜む程度。食い物は菜の物ばっかりで肉はあんまり」


「オトって結構モノグサでお洒落に無頓着だろ。上着の裾とか破れまくってんじゃん。直させろ」


 ノーディアまで付け加えてくる。言葉につまったオトは目を地面に揺らして「もう・・・」と小さく苦笑する。ラーフが大きく舌打ちした。


「馬鹿会話は終わりだ。なんでその人間と接触したのか本題に入れ。俺は暇じゃない」


 熊手の男が頭を落とす。


「ラーフ、お前さんが勝手にお客人に制限をつける権限なんてないだろうが。自分で勝手についてきたんだろ」


「煩い!こいつら腑抜けた面してもキメラと互角にやり合うんだぞ。甘い言葉に釣られた弱虫が下手な真似でもしてみろ。最初にやられるのはお前だぜ、サッド。長話はさせないべきだ」


「ま、いいや。なあ、お客人、サフランはそこの人間どうするって言ってた?」


 小さく頷いたオトは熊手の男にもマワラ族にも目を合わせない中途半端な空間に答える。


「殺さないと約束してくれた。逆に言えばそれしか取り付けられなくて・・・こんな報告になって申し訳ない」


 牢からは出られない、という事だろう。


 それはそうだ。サフランというキメラは公守に隠れ家を特定される前に『引っ越し』するつもりなのだ。姿を消すまで密告する恐れのある人間は閉じ込めておきたいだろう。マワラ族だけで戦力になることも知られているのだから、鉄格子が無い状態で相対はしたくないはず。そうなると公守がここを見つけて救助に来るまで牢の中で待てというところか。


 アツシは鉄格子を軽く手の平で叩いて感触を確かめる。


「それはまあいいよ。それでオトはなんて言われたの?」


「俺?」


「この抗争に加わる条件なんて出されたりしなかったかなって」


「ああ・・・俺は傭兵から顔を隠さなかったし、今更町を偵察にも行けない。戦うのに特化した能力もないから熱心に勧誘はされなかったんだ。明日まで考えてみればいいってさ」


 つまり、明日には出発するつもりなのか。


 見た目よりもずっと幼いオブリ。何が起きているのか分からない顔で周囲を見ていた。混乱と怒りで拳を振るう姿はラーフの様な明確な殺意も感じられなかった。ただ、ラーフを慕っていたというだけで。


「捕まったオブリ達は見捨てるの?」


 ラーフが鉄格子まで走り寄ってきて格子の間に顔面を押し込んで怒鳴る。


「お前らがオブリをぶっ飛ばしたせいだろうが!!」


 熊手の男は溜息をつく。


 目を大きく開いたノーディアが立ち上がってラーフに額をつき合わす程の距離で怒鳴り返した。


「殺し合いになって口で言って収まらない奴を押さえ込む方法なんざアレ以外知らねえよ!!ガキを戦いの場に出すマネするのがそもそもオカシイだろ!?」


「ガキだからってキメラが安穏に生きられる場所があるってのかよ!待ってたって誰も助けちゃくれねえ。だから自分で人間共を殺して勝ち取るんだろうが!」


 拳を振りかぶったラーフがノーディアを格子の間から殴り飛ばす。肩を打たれて半身さがったノーディアは体を折って口を押さえる。


「なんなんだよ、なんでこんなもん許されんだ。ガキにあんな乱暴な事をするはめになるなんて」


 えずき出すノーディアにアツシが手を伸ばして背を撫でる。腹が立ち過ぎたらしい。子供の知り合いを叩きのめしたのだ。ストレスが限界にきたのだろう。


 熊手の男は壁から離れて大きな腕を引きずりながらオトの傍らに片膝をつく。


「悪いなお客人。また改めて来てくれていいから、1回ラーフに付き合って部屋に帰ってくんねえか?この兄ちゃんとラーフは相性悪そうだ」


 熊手の男を見上げたオトはもう一度懇願する。


「俺も牢で」


「お客人、子供じゃないんだから頼むよ。俺を見張らなくても別にお友達を痛めつけたりしないさ。こう見えても平和主義でね」


「そういうつもりでは、ないんだけれど」


 まだオトは迷っている。


 アツシも熊手の男の言葉を押した。


「1人で心細いかもしれないけど1度休息しておいでよ。もう夕暮れになる頃だろ?」


 キメラ達の仲間になるにしろ、ならないにしろ、オトも公守から身を隠さねばならないのだ。体力を温存するに越したことはない。


 牢に手をやろうとしたオトは、手を迷わせて自分の二の腕を握って耐える。不安そうに戸惑う様に指先をわずかに震わせながら、アツシを見下ろして。


「また、来てもいいかな」


「うん。待ってる」


 ラーフは歯噛みして「ヘラヘラしてんじゃねえよ」と吐き捨てて廊下に出て、オトもその後に続いて最後に少し振り返り「ごめん」と言葉を残して暗闇に消えた。


「さあて」


 鉄格子の向こうの熊手の男が床に座って瓶を持ち上げた。


「喉かわいてねえか?酒じゃねえがよく冷えた岩清水だ」


 ノーディアはアツシの隣に座って、後ろに引いていたケオンはアツシをはさんで鉄格子の前に来て手を伸ばす。


「くれくれ、酒のせいで喉乾いてたんだ」


「俺、荷物の中にジュース入ってたんだ。なあ、腐っちまうから取ってきてくれよ。わけてやるから」


 熊手の男は大きな手が間に合わずに口元を隠しそこね「ぶふぉ」と盛大に噴出してから口元を軽く覆った。


「お兄ちゃん達、そんな見世物小屋の動物じゃないんだから並ばないでくれよ。男にそんな可愛らしさアピールされても嬉しくねえよ。ウケルけど」


 ノーディアがムッとなる。


「クォーレル人はすぐそれだ。畜生、土着民、未文明人。そうやって笑われたり馬鹿にされたら気分が悪いって分からねえの?習慣が違うだけでマワラ族が人として劣ってるなんて考えのが馬鹿げてるじゃん」


 口を開けて熊手の男は瞬きをして、ノーディアに聞き返す。


「・・・俺はクォーレル人か?」


「違うのかよ」


 再び熊手の男は噴き出した。今度は少し柔らかい表情で。


「はっはっは!悪かったよ。クォーレルに住んでると傲慢な大国気質がつくのかもしれねえな。そういう短所だと思って聞き流してやってくれ、マワラ族。別にさっきのは悪気があったわけでもねえんだけどな?」


 遠くから瓶を転がして鉄格子にコツンと当てる。それをケオンが鉄格子の間から拾って蓋をあけて口をつけた。


 アツシは熊手の男に目を合わせた。


「ありがとう。ラーフの言ってたサッドが名前でいいのかな」


「覚えなくていいぜ。囚われ人と見張り番で役者は十分だ」


 重そうな両手を持ち上げて肩をすくませて見せるサッドに、ラーフとの温度差を感じる。横目でケオンがノーディアに水を渡すのをアツシは確認してサッドに目を戻した。隣でノーディアが喉をならして水を飲み、その反対側でケオンが口元を拭う。


「黙って座っているのも苦痛じゃない?ちょっと話に付き合って欲しいんだけど」


「好奇心に従ってるとろくなことがないぞ」


 片眉を上げてサッドは口角をあげて顎で促す。


「お兄ちゃんも飲める時に水でも飲みなよ」


「話をするならアツシは止めとけ。眠り粉が入ってるみたいだからな」


 ケオンがサラリと暴露してノーディアから瓶を受け取って蓋をしてしまう。


「いつもの薬じゃねえし、こんなゴツゴツした岩床じゃ眠れるか不安だけどな」


 そう言ってケオンはアツシの背中にもたれかかって「おやすみ」と。サッドは少し顔を引き攣らせる。ノーディアは憮然として「薬使うと寝過ごすのに」とケオンの足を勝手に枕にする。


 しばらく沈黙が落ちて、アツシはゆっくりと喋り始める。


「薬は舐めて加減を調節するんだ。ケオンはよく使うから詳しくてね」


「おみそれしました。一体どこの国から来たんだ?」


「南東の端にある大高原だから同じ地続きなんだ。そこにもキメラはいたよ。君達みたいな会話が成り立つタイプじゃなかったけど」


「だろうな。人型は他と比べて作っても失敗する確立の方が高い」


 一度口を強く結んで言葉を反芻する。『作る』と言ったか。口にしてからサッドも余計な情報を洩らしたのに気づいたらしい。


「俺はあんまり頭がいいわけじゃないから、上手くタブーを省いて会話できねえ。変な質問をして地雷を踏むなよ?お兄ちゃん達の処遇がどうなるか知らないが、立場を悪くする条件は少ない方が良いだろ」


 人型が存在している時点で頭によぎった考えではあった。


 キメラを作っているのは人間に限らない。己がその遺産の産物であれば生まれながらに否応なく遺産を使った者とも関係する。身近にあった知識を身につけたキメラはどう考えるだろうか。己以外に存在しない立場を呪っていれば、孤独を分かち合う相手が安易に作り出せるのであれば。


 その仲間は多ければ多い程いい。


 アツシはこめかみに指を一本たててグリグリ押さえる。


 彼らだけではない。オトは彼らと出自を別にしているのだ。遺産から何十年も経っているのだから増えた人型キメラが袂を別けていても不思議ではない。知識という抽象的な物は追いようがないのだ。


「俺と違って頭が良いんだろうな、あんた」


 サッドは静かにアツシを見ていた。


「そっちの兄ちゃんは怒るかもしれんがよ、難しい事は何も分からない馬鹿な辺境民族ですって顔してなよお兄ちゃん。俺達の喧嘩に巻き込まれて死ぬのはつまらんだろ?俺はラーフみたいに人間全てを憎んでるわけじゃねえんだ。人間にも良い奴はいる。お兄ちゃん達みたいにキメラを人として扱う奴は、あの人肌に飢えていそうなお客人の救いなはずだ。こんな所まで心配してつけて来ちまうくらいなんだからな」


 鉄格子に頭を寄せてアツシは思考に伏せる。


 処刑された異能者。かの人が何を思ってキメラを生み出したのかは知る術がない。だが、製作者の意図など分からずとも技術はこうして継承されている。アツシのやろうとしていた機械の製作は危険な物ではないはずだ。それではキメラはどういうつもりだったのか。こんな乱暴で面白半分にファンタジーな世界を作るつもりだっただろうか。


 アツシが目指したのは原始的なマワラ族の生活を安定させられれば、事故で、食料不足で、寒さで、部族間抗争で危険に晒される状態を救えるかもしれないというものだ。それはアカリというもう一人の自分を持つアツシにしか出来ない偉業となるだろう。


 ハグレ者の自分がこの世に生み出された意味を作るにはコレしかないと思った。


 単なる異物でなくなるためには、このどうしようもない孤独に理由を持たせるためには、何よりアツシが生きている贖罪に見合うものが。やっと見つけた生きる目的のはずだった。


 だが、結果的に仲間が傷つき不幸が生まれるのならば、この旅は本末転倒なのだ。何を選ぶべきかなど解りきっている。


「複雑な問題からは手を引いて全部忘れちまいな。そんで、どっか遠くの草原に帰っちまうのさ」


 サッドの言葉に薄っすら苦笑いを返した。思考回路が自由になるなら悩みなどそもそも生まれやしない。悩みなど何もない顔はできても。




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