ライフオーバー 13
鼻と喉の激しい痛みで咳き込みながら目を開く。涙が止まらず上半身を起こせして目に入ったのは指を鳴らす様な手つきをした誰かの手だ。腕を辿って見たのはオトだった。牢の扉は開かれ、外では熊手のサッドが壁を背にして力なく倒れている。
ケオンも隣で嗚咽しながら四つん這いで咳き込んでいるが、この刺激的な状況でノーディアだけは一人歯軋りをして夢の中にいるらしい。
「ごめん、薬で深く眠らされているようだったから気付けになればと思ったんだけれど」
「催涙ガス、げほ!誤爆した時の、ヒュー、こと思い出し、げほげほげほ」
オトが手で周りの空気を払う。
「俺が振りまいておいて悪いんだけど、少し押さえて。見張りは気絶させているだけだから、いつ起きるか分からないんだ」
薄っすらとした明かりでアツシ達の周辺にだけキラキラした粉が舞っているのに気づく。
「あそこの、男に、何をしたんだ?」
涙目でケオンは問いながら服の裾で口元を押さえ、ノーディアの元まで這っていき、ノーディアの腕を持ち上げて同じように呼吸器を服で守らせる。アツシもよろよろと周りの空気を霧散させるために手を大きく振った。
オトは指を前に出す。
「眠らせたんだ。俺の、毒で」
フワリと軽く光が舞った。甘い匂いがする。
「キメラとして生まれた副産物って、色々あるんだよ。それより早く逃げないと。この洞窟の地図はだいたい把握したから」
ケオンがそれを止める。
「オト、いいのか?あいつらはオトを仲間として受け入れようとしてただろう?危ない橋を渡らなくても、俺達は別に危害を加えられているわけじゃないんだから」
「牢に入れられてその台詞が出るのは君達マワラ族に緊張感がないせいだと言わざるおえないよ。何故、敵とみなしている人間を生け捕りで無事にすませているか危ぶむべきなんだ」
アツシは腕をつかまれて立ち上がらせられた。オトに牢の外へ連れ出されるアツシに、ケオンも仕方なく覚醒しないノーディアを背負って立つ。
「ジン達への人質にでもされるっていうのか?それとも、オトが俺達を引き合いに出されて何か脅されたりしたとか」
ケオンの問いにオトは口元に指を当てて、忍んで先行して行く。アツシとケオンは顔を見合わせて表情を引き締めた。
「最近あっちでもこっちでも俺、こんなのばっかりだな」
小さく呟いて重い頭を横に振って雑念を払う。気持ちを切り替えられない時はいつも頭痛が襲う。キメラ、金森、オト、借金取り、ジン、異能者。頭を整理する暇も休息をとる間も無い。バルリングはアカリを病院に連れて行くだろうか?コマキに連絡をつけて、調整してくれているのを祈る他ないだろう。
金森の妹。
アパートの前にいたはずだ。少女の動向が不透明で、そういえば金森に昨日の事も知らせていない、など思考は混乱をていしていく。
「何処行く気だ、アツシ」
ケオンの押さえた声で呼び止められて、危うくオトと違う方向へ進みかけているのに気づく。町中じゃあるまいし迷子ですまないのだ。
もう一度頭を振って「ゴメン」と笑って誤魔化した。
目隠しされて分からなかった隠れ家は硬い土壁の洞窟だった。ほとんど明かりはなく夜目に慣れたマワラ族でも先行き遠くまでは分からない。この世界に街灯はない。町中でも月明かりが頼りだ。それでも人が起きている時間は家から漏れる火の光が道を薄く照らす。
だが、ここは完全に外からは遮断されているらしい。
オトを見失えば遭難するかもしれない。足音を注意深く追っていく。迷いなくオトは壁を伝っていく。彼には見えているのかもしれない。
1度立ち止まったオトは、ソッと先を覗き込む。
「ここを通った向こうに、多分だけどキメラを野生に落とす出口があるんだ」
ケオンが近くまで来てノーディアを背負い直し、声を潜めて問い返す。
「野生に、落とす?」
「何十メートルもある空に伸びた急勾配の洞穴で空を飛ぶキメラぐらいしか使えないんだよ。そこから人間が逃げるとは思っていないはずだ。俺が1人ずつ運ばないといけないけれど、追っ手を撒くための意表はつけると思う」
通路から広がりのある場所に進み出た。暗いものの物が大量に置いてあるのは分かる。アツシは歩きながら壁の代わりに触れたその感触に思わず手を離す。冷たい鉄の空っぽの檻から。そして部屋の真ん中に小さな灯りが燃やされていた。周囲を暖める意図もあるのだろう。その近くの檻に生き物が蠢いていたのだ。
アツシは檻から目を離さないまま心の中で『ああ、やっぱり』と言葉を浮かべだ。ケオンがノーディアを落とさない様に緩慢に膝をつき、片手を地面についてえずいた。
人間の女がいた。旅装束だからここらでキメラに襲われて行方不明になった人なのだろう。彼女の腹は緑に膨れ上がっている。裂かれた腹に何か別の生き物が張り付いているのか脈動して波打っている。<寄生された人>と表現する他ない女の姿は、まるで点滴でもされているようなコードに繋がれていた。意識も正気もない無機質な顔はすでに人間として何かが壊れてしまっている。
緑の膜の中に何かが泳いで、柔らかな軟体に小さな手形が浮き出る。人の手形の後に足型も浮かび上がったが、その足は異様に長く歪で、キメラ以外の何者でもないのだろう。
もっと、試験管とか、培養液を予測していた。白い部屋、ホルマリンの水槽の中を泳ぐキメラ。
アカリの世界にあった胚の混合、モザイク、遺伝子組み換え・・・それらを全て否定した緑の何か。コード。異様なファンタジーと科学の同舟に全身から冷や汗が浮かぶ。
「なん、だよ、これ。なんなんだよ」
ケオンの呟きに、オトが感情を含まない声で答えた。
「これがキメラの作り方だよ」
想像できるはずがない。この世界の人間に、見た事の無い人間に。キメラを作るという異能の意味を。ケオンが引きつった顔でアツシを振り返った。
「助けない、と?」
アツシは口を引き結んで顔をそらせる。
助からないと思う。そう、口にできなくて。
「なんだよ・・・」
ケオンはアツシの反応に納得できずにキメラの揺り篭に向かおうとした。それを肩口から伸びた腕が顔に巻きついて止める。今まで動かなかったノーディアがのそりと自分の足で立ち、億劫そうに頭を振って寝起きの声で断言する。
「もう死んでる」
頭が痛いのか、ノーディアは額に手をやって顔をしかめながらオトを睨む。
「人型キメラは自分で仲間を作ってたんだ。服を作るみたいに。あいつらは俺達を殺さないと約束した。でもあの女は生きてると言わない。種馬か何かにするつもりだったんじゃないのか。引越しの荷物の中に含めて」
「俺は、知らない・・・」
オトが後ずさる。そのオトの前にズカズカと距離を詰めたノーディアが腕を捕まえる。
「そんな事しなくたってマワラの集落なら生きられる。羽なんてマワラ族は誰も気にしないし、女なんかきっと妖精みたいだって喜んだりするんだ。オト、あいつらと行くな。お前は俺達と来い」
呆然としているオトの腕を離して、膝をついて座り込んだままのケオンの手を引いて立たせる。そして真っ直ぐにアツシを見た。
「アツシ、集落に帰ろう。これ以上はもう本当に駄目だ。草原の外は確かに面白いものもあったけど、こんなの全然凄くない。オトだけ連れてユクレイユに帰ろう」
心臓が跳ねる。
異世界の能力を持ち込む事に未練があるのを見透かされた様な、キメラを持ち込んだ異能者と同類であるのだと断罪される様な、そんな突き刺さる感覚を覚えて。
違うんだ、と、意味も通じない弁明を口にしかけた瞬間、ケオンがハッとして後ろを振り返る。
「走って来る」
全員が周りを見回す。
「あそこだ」
ケオンが天井近くのひび割れを指す。オトが「一人ずつ抱えて飛ぶ時間なんて」と言いかけるが、マワラ族は各自一斉に岩壁をつかんで登り出した。しばし唖然としたオトが苦笑いで羽ばたき、狭い隙間に身を捻じ込んだ。壁の隙間は自然にできた割れ目らしく、形は歪だが奥行きは深く空洞の膨らみを持っていた。
下を誰かが獣並みの速さで駆け抜けていく。数人と呼ぶべきか、数匹と表現すべきか。間を置いて再び駆け抜ける気配。アツシは通路を見張れる位置で下を確認する。幸い割れ目が垂直でもないので大した労力ではないが、こんな場所で足止めになってしまったらしい。
獣の呻き声が聞こえてくる。緑の軟体が腹に寄生している熊がアツシの位置からギリギリ見えた。檻の中で転がされ、身食いをしないよう四肢と頭を押さえつけられて・・・。
顔をそむけた。
また通る人影が突然、アツシ達の真下で立ち止まった。周囲を訝しげに見回す頭は犬だった。いや、頭だけではなく上半身からが獣で下半身が人間らしかった。匂いはどうにも出来ない。
緊張するアツシの横からオトが腕を伸ばして指を擦り合わせる。粉が犬に舞い落ちていく。オトは緊張して肩を強張らせながら息を潜めて犬キメラを見下ろす。
粉が薄っすらと犬キメラの辺りまで達すると、彼は鼻をわずらわしそうに振るって奥へ去った。騒然とした気配がいったんは遠ざかっていく。安堵の溜息が漏れる。
アツシは思案を巡らせる。
「ここの総勢って聞いた?オト」
オトは首を振る。
「牢にいないのがバレたのか。早かったな」
ケオンは苦りきった調子で呟く。脱走の情報が漏れる時間は最初から甘く計算できるものでもなかった。動揺してもたつき過ぎたのも失敗だ。ノーディアが呻く。
「頭がクラクラする・・・」
「どうする、アツシ」
ケオンの問いにアツシは緩く首を振る。
「弓も取り上げられてるし、手甲もないんだ。出入口を固められる前に強行突破するにしても分が悪いよ。どちらにせよ公守の襲撃で彼らはこの隠れ家を放棄するしかないんだ。ノアちゃんはその調子だし、ここでキメラさん達の方は乗り切った方がいい」
オズオズとオトが口を挟む。
「俺が武器だけでも取り戻していれば」
「ううん、オト。牢から逃げれたのは君のお陰だもの。さすがに見張りがいる前じゃ、鍵を破るのは難しいからね」
そもそもノーディアとケオンが戦えたところで安全の確保は不十分だ。狭い通路、前と後ろで挟み撃ちにされれば避ける隙が無いのだ。オブリやサッズの様なキメラに突撃されれば先刻の傭兵と同じ圧死は免れまい。
だが、この作戦もオトを公守から守るのには不十分だった。つまりキメラの気配が消えたと同時にアツシ達は公守から見つかる事無く逃げなくてはならない。
「少し、休もう」
こちらの時間は真夜中といったところだろう。
通路を犬キメラが引き返して通り過ぎて行く。別のキメラも。往来はやけに激しく慌しい。その顔つきがどうにも悲壮感を漂わせていた。この騒ぎはもしかすれば別件なのかもしれない。
そう例えば、公守が想像以上に素早くココを突き止めてしまったために引越しをする前に取り囲まれてしまった、などの。
耳を澄ませても会話は聞こえない。剣戟らしきものが届く気配もなく、ふと、また人通りが完全に途絶えた。
「ねえ」
一番近くにいるオトの小さな声で振り返る。暗闇に少し慣れた目は薄く輪郭をとらえられるが、表情までは見えない。それでも声だけで心が揺れている、そんな感触を感じる。
「マワラ族って、どんな部族なの?」
『来い』
強引なノーディアの言葉を思い出す。アツシは記憶に浮かぶ故郷にオトの姿を重ねてみた。そこにはアツシよりも余程上手くマワラ族に溶け込んで歌を奏でる姿が容易に想像できた。腕を引かれて火を囲む輪に加えられる。酒を飲まされ好意を受け取ってオトは穏やかに笑うだろう。
ジンを連れて行けばどうだろうか。
埒もあかない想像だが、きっとジンなら好意にどう返せばいいか戸惑うのだろう。あの生真面目な顔が困って立ち尽くしている姿は微笑ましいに違いない。
本当に、そんな風になればいいのに、と口角を上げてアツシは口を開く。
「ここより南東の高原で狩猟と牧畜をして暮しているんだ。他部族と比べれば中規模で旅に出る前には74人の同胞がいたかな。飢饉や狩りなんかで死ぬ事もあるけど、無駄に何かを傷つけるのを罪深いとしているから部族間争いには関わらない様にユクレイユ地帯の端に追いやられた土地に集落があるよ」
「ユクレイユ地帯は部族間争いで情勢が不安定な地だという噂を聞いた事はあるよ。旅には向かないと」
「そうだね。ユクレイユ地帯の西側だと、外国からの干渉と侵略を警戒しているケノモ族と、プライドが高いガザル族は接触しない方がいいかな。マワラ族はクォーレル国に近いのもあって友好的な方だよ。マワラの織物を求めて時々商人なんかが来たりするんだ。ケノモ族には物凄く批難されてたなあ」
「そんなことを言ってきてたのか?」
ケオンが口を挟んでくる。アツシは小さく笑う。
「俺は役割上、他部族と接する機会が多いから直接ね」
「帰ったら今度から俺が追い返す」
ノーディアが物騒な事を低い声でのたまう。これには乾いた笑いで「止めて」と答えて。ケオンが、ノーディアが故郷を語る。
既にうず高くにある高原では山の頂きは近く、何キロも先の人影すら分かる平面な草原が続いている。覆いかぶさる空は落ちてきそうな錯覚をもたらし、家畜と野生の獣が草を踏みしめて歩く。
夏は水が足らず川まで旅をし、冬は家畜とすら身を寄せ合って過ごす。
狩りで獲物を得れば祭りとなり、祭りでは夜をとして酒を飲み交わして踊る。旅人が訪れれば唄を贈って肩を組み、酒を振舞って歓迎する。部族で知らぬ者はおらず、生きるために互いの不足を補い合う。マワラ族はみなを家族のように愛し、別れを恐れ忌む。
だからこそ非道殺生を厭い、富と名声を求めて繰り返される部族間抗争を嫌い、集落から外の世界へ手を伸ばさない。
耳を傾けるオトは話に耳を傾け、しばし想像に意識を傾けていた。発展して法治された国とは違う真っ白な草原の国へ。マイペースで柔軟なのか頑ななのか分からないマワラ族の息遣いに。だがノーディアとケオンが同時に静かになる。容易に考えている事は想像がついた。
帰りたいのだ、あの緑の国へ。
「でも、そんなに良い環境ならどうして・・・」
小さなオトの呟きは近くのアツシに向けられていた。アツシは静かにオトの唇を人差し指で押さえる。仲間には内緒だと言った。一人で旅に出る予定だということを。
まだ時間は余っている。
「良い話ばかりじゃ嘘くさいから、少し有名なマワラ族の逸話でも1つしようか」
それは<マワラの激怒>と呼ばれる。
「同胞から離れたがらないマワラ族はね、他部族への嫁入りにもあまり積極的じゃなくて、そりゃもう行くな行きたくないの大恐慌。これはガザル族に嫁入りしたあるマワラ族の話」
「アツシ、その話はお前」
逸話の選択でケオンが怪訝な反応を示す。
「ガザル族は手が出やすい部族でね、勇猛を尊ぶ部族だから争いを避けるマワラ族を軽んじているところもあったんだ。花嫁は酷い扱いを受けたそうだよ。マワラ族は大層切れてしまってね」
臆病だとすら言われ続けていたのに。
「総出で花嫁を取り返すために殴りこんでしまったんだ。部族間抗争が珍しくないとは言っても、感情が高ぶったマワラ族の我が身を振り返らない戦いは相当派手なもので、マワラ族は無害という考えを他部族に改めさせるものにまでなった」
「強い部族だったんだね」
「狂ってたんだよ。戦況も作戦も関係なく特攻して、大勢死んだ。当事の3分の1もね」
特別強かったわけじゃない。許せなかったのだ。仲間を傷つける存在がただ憎くて、我慢できなくて。
「花嫁は集落に帰ってきたよ。親も兄も弟も、かつてないくらいの規模の同胞も戦死してしまった集落にね。自分のせいで戦が起きるのならと、花嫁は自害も考えた。だけど死ねなかった。マワラ族は子供をとても大事にするんだ」
「・・・子供を、孕んでいた?」
困惑して答えるオトにアツシは微笑む。
「そう。マワラ族を何十人も犠牲にして生まれたのが俺」
息をつめる気配。慌てたようにケオンが腕を伸ばしてアツシの腕を無理やりつかむ。
他部族から見ればあの戦で花嫁を取り戻したマワラ族は勝利したと言う。手を出すべきではない狂った部族だと。嫁入りした娘一人のために戦争を起こした。非道殺生というモラルなど全て捨て去って血に狂う。戦のために仲間が死ぬという理屈も楔にならず。
問いに対してアツシが再び語る前に下の通路に久しぶりに気配が近づいた。
今までの慌しいものではない。やけに重量感のある足音に、甲高い声は複数の子供のものだ。それに聞き覚えのある声も混じっている。
「ガキ共と一緒におめおめと逃げろってのか!オブリだって連中に捕まったままなんだぞっ。あいつを置いていけるか。あいつは俺の事しか記憶に残ってねえんだぞ!!」
「黙れ。大声を出すな。いいか、大人扱いして貰いたいなら大局を見ろ、ラーフ。いや、お前はこれから大局を見なきゃならねえんだ。ガキ共を連れて生き延びて仕切り直すのはお前の役目になったんだからな」
「お前が行くべきだろ、サフラン!キメラを作る知識を、まだ早ぇって俺に教えなかったくせに、俺だけが逃げてどうやって仲間増やせって言うんだよ!?」
大きな吼えるような欠伸が聞こえる。生臭い匂いがアツシ達の下まで届きオオトカゲを思い出す。まだ姿は確認できないが、これはドラゴンの様なキメラ再びというところか。
「ラーフ」
こちらに再び歩き始める足音がして、アツシは少し頭を引っ込める。
「離せ!あのしたり顔で俺らを追い詰めた気取りでいる人間共を残らずぶち殺してやるんだ!化物だと?だったらなんでそんなもの作りやがった!俺達を作った異能者こそが化物じゃねえのかよ!!」
「聞け!ラーフ」
重い足音が通路の下に姿を現す。町の空を飛んでいたオオトカゲなんかよりも空想に近いドラゴンがいた。その背に不安そうに身を寄せ合っているのはキメラだ。人の部分を留めている者から歪な獣にしか見えない者。そのキメラは一様に小さい。ラーフよりも更に。
「おやぶぅん・・・」
不安そうに歪な獣が口をつく。
泣き出しそうな、そう、このドラゴンの背に乗せられているのはキメラの子供だ。緑の腹から生まれて日が浅かろう無垢な子供。
サフランがラーフの腕を鷲づかみにして小柄な身を引きずっていた。
「お前の名前をつけたのは俺だった」
切なく響く声に、ラーフは押し黙って顔をしかめる。
「服さえ着てれば普通の子供が完成した。俺は思ったよ。何やってんだろうなって。キメラに作りかえられなけりゃ、お前だって普通の暮らしができるんじゃないのかって」
「なんだよ!今更なんなんだよ!!これからは普通の人間として生きてけってのか!?こんな、こんな体で」
腕を振り払ってラーフは立つ。サフランの腹を殴りつけて頭に血を上らせ、真っ赤になって地団駄を踏む。
「サフランだって人間の女の腹にキメラを植え付けた事があるだろ!そうだよ、お前だって異能者と一緒だ。オブリもピースもフラもみんなお前が作ったんだ。今更隠れて生きろってのか。違うだろうがよ。俺達を作ったのは、みんなみんな人間共をぶっ殺すためだ。外にいる人間に殺されに行く兵隊はお前じゃねえ。俺みたいな駒なんだよ。こいつらを連れて逃げろと言われたのはお前だろうが、サフラン!」
腹を押さえてうつむくサフランは緩く首を振る。
「お前はさ」
弱い声だ。アツシ達を追いかけてきた時とは、まるで印象の違う男だ。
「恨む相手間違えてんだよ。生きなきゃなんねえんだよ、ラーフ、お前が一番いいんだ。こいつらを預けるのには。仕切り直すっつうのは、違うんだよ」
ドラゴンの上で声も無く泣いている子供がいる。その子達を見るラーフの目が苦しげに歪む。
「俺達じゃ、そうだよ、駒しか育てられねえんだよ。あの羽虫のキメラは別の場所で生まれたんだ。仲間はきっと他にもいる。こんな殺し合いだけじゃなく、ちょっとでも」
「幸せになるキメラがいればとでも言いたいのか。それで送り出して、死んで、無責任なんだよ。逃げた先が地獄だったら?ここで死んだ奴の方がスッキリするなんて許せない」
子供達が不安げに声を上げる。
「おやびん」
「おやぶん死ぬの?ロストみたいにいなくなるの?」
「や!」
ドラゴンの背中から1人が降り始め、子供がラーフに飛びついた。他の子供達も降り始めるのをラーフがきつく睨む。
「降りるな!何も分かってないくせに!!」
ビクリとして子供達が固まる。
それを見てハッと傷ついたようにラーフは口を噤み、泣きそうな顔で首を振る。
「ごめん、お前らは悪くないよ。怒鳴って、ごめん、ごめん、違うんだ」
強く抱きついてくる小さな頭をラーフは撫でる。サフランは、その様子を寂しそうに眺めてから踵を返して元来た道へ戻り始めた。
「公守の行動を甘く見た俺の咎で仲間を大勢死なせる。ラーフ、罪子には必ず一矢報いてやる。一人でも多く殺して、無駄死にはしねえ。それで全部忘れろなんて都合がいいのは分かってる。スッキリ満足して死んだりなんて、絶対にしねえよ。無様な死に様晒してやるから、それを嘲笑って生きろ」
「サフラン」
足音は遠ざかっていく。
これでアツシ達とは別の騒ぎである事がハッキリした。もっとも、この騒ぎのついでに脱走もバレているのだろうがそれどころではないのだろう。
この洞窟はジン達に囲まれている。
そしてこのキメラの子供達は。
「おやびん」
ドラゴンの背に乗る子供が立ち尽くすラーフに声をかける。そして、突然アツシ達のいる方に顔を向け目が直接交わった。
「あそこに人がかくれんぼしてるよ」
小さな指で差された暗闇に、アツシは近くにいたオトを仲間に押しやって一人で真下に飛び降りた。着地して立ち上がるとラーフと子供達の間になる。人質にとったつもりはないがラーフは硬直してアツシを睨みつけた。
「てめえ」
アツシは口元に指を当てる。
「子供に何かするつもりはないよ。もちろん君にもね」
「にんげん」
ドラゴンの上で子供達が立ち上がる。
「にんげんだ」
「嘘付け。子供を人質にして外に逃げる気か。それとも内部から罪子に加戦するつもりだろう」
「夜目が効く子に見つかっちゃって降参しただけ。ここが戦場になるなら早く逃げた方がいい。俺を相手にしたって何の得もないだろう?」
「いいや、そうだ、お前を人質にして外の連中を引かせる。そうすれば」
「傭兵さん達が引き下がる?公守に潜入していたラーフがそれを有効だと思うと」
黙りこんだラーフにアツシは片膝をついて目線を合わせた。
「子供達を連れて包囲を突破するなら混乱に乗じるのが一番良い。目指すあてがないなら南東にある俺達の草原を目指しなよ。文明が未熟な分、君達を受け入れる人はクォーレルよりきっと多い」
腰元にいる子供がラーフから片手を離し首を傾げる。
「ころさないの?」
幼い子供の口から聞く単語に切なくなる。
「マワラ族は非道殺生を嫌う。力を振るうのは、守るためだ」
「むずかしい」
「良い子を殺したりなんてしないよって意味だよ」
笑ってみせるとラーフが苦い顔で唇を噛む。ノーディアも飛び降りてラーフを見下ろした。
「ここで争っても子供達に良いことはないだろう、ラーフ」
ケオンが続いて飛び降りてくる。
ラーフは拳を握り締めて涙を溜める。
「どいつもこいつも、俺に我慢しろって言うんだ。ガキのため、ガキのためって」
横にいる子供を抱き上げたラーフがドラゴンに近づいて背中に押し上げる。その鱗に手の平をあてて背中を向けたまま、決断は搾り出された。
「見逃してやる。だが、協力はしない」
最後に静かに羽ばたいてオトが地面に降り立つ。その光景をドラゴンはずっと静かな意思のある目で見ていた。もしかしたら彼も人の脳を持っているのかもしれない。静かにラーフは奥へ進み始めた。その後ろをアツシ達が続く。子供達は後ろを振り返って、それにアツシが控えめに手を振るとはにかみながら振り替えされる。
断崖絶壁の大きな筒状の空間で行き止まる。わずかに星の光が地面に届く。通路からこちらに何人か通っていたはずだが、そこには何のキメラの姿もなかった。
ラーフは子供達をドラゴンの背から降ろし、壁際にある気球の下にでも取り付けそうな籠と、それに繋がる縄をドラゴンの足元にくくりつける。子供達が籠の中に入れられていく。その内の一人の少女がアツシの手を恐る恐るつかんだ。
「おにいちゃん、いっしょに、いかないの?」
「ええっと」
ラーフがドラゴンの足元の縄を何度も確認しながら、目だけアツシに向ける。
「お前らのせいでオブリが捕まったんだ。忘れてねえからな」
「俺も忘れてないよ。ラーフがウィリアムを殺したことも、ね」
「乗れ。草原の方向を聞いて公守の囲いを突破するまでだ」
マワラ族達は顔を見合わせる。籠に近づいてはみるが、ラーフが入った後の籠は手狭すぎた。せいぜい男の仲でも小柄なノーディアくらいしか入れやしないだろう。
ケオンが唸って足でふくらはぎを掻き、余っている縄をつかんでドラゴンの鼻先に回った。
「馬みたいにやれたらいいんだが。悪いがクツワをしてもいいか?」
ドラゴンに問いかける奇妙な光景なのだが、少し不機嫌そうにドラゴンは尾を地面に叩きつけたものの、口を開いて待った。やはり彼も人間とのキメラなのだ。
背の上にまたがるケオンにラーフは鼻を鳴らして「吹き飛ばされて落ちてしまえ」とうそぶく。
残ったオトとアツシが顔を見合わせる。
「それじゃあ、君は俺がまた抱いて飛ぶよ」
「いや、俺よりケオンを後ろで支えてもらった方がいいかも。落ちないか心配だし」
「アツシ、俺はノアと違って暴れ馬からだって落ちたことねえんだ。上手く乗りこなしてみせる」
「なんで引き合いに俺を出すんだよ!狩りに出ないんだから俺が馬が不得手なのはしょうがないだろ!?」
オトは言い合いを始めそうなマワラ族を見回して間に入る。
「というか、君は放置されてどうするつもりなの?」
「んー。普通に壁をこう」
アツシがよじ登る動作をするとオトは顔を引きつらせる。先ほどのマワラ達の動きを見る限り誰の助けもなければ本気でやるだろう。この断崖絶壁に近い高い吹き抜けを。
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