ライフオーバー 14




 ドラゴンの巨体が硬そうな翼を羽ばたかせて上昇し始める。そろそろ夜明け前に差し掛かろうとしていた。あちらの世界ではもう陽は落ちただろうか。


「きゃあ」


 籠の中は子供達の悲鳴で騒然となる。その背でケオンは思いの他慣れた調子でバランスを取った。まだ馬と同じ要領なのか。


 ドラゴンが飛び上がるのを見届けた後にオトはアツシの腰に腕を回す。まるで抱きすくめられるような形でオトがゆっくりと飛び上がる。首に回した腕でぶらさがるようにアツシの体も浮いた。


「アツシ」


「ん?」


 見上げると、空を見上げるオトの顎が見える。ドラゴンの分厚い翼と違って薄い羽のオトは、必死にアツシを引っ張り上げる様に飛んでいた。アツシの血の気が少し引く。


「重くて無理そうなら壁を登りますが・・・。た、た、確かに最近ちょっと俺も運動不足かなとは思ってたんだ。いやお願い、壁に飛びつくから、ちょっと壁に寄ってくれないかな」


「いや、なんとかなる、けど」


「ちょっと、その、そういえば食べ過ぎてるかなって思わなくもなかったんだ。だって町にいるとケオンが大量に買い込むから、いつもつい釣られて。ああこの間、夜にお菓子も食べてしまいました。ポテトチップス2袋目を開けた時にヤバイかなとチラッとは思ったんだ。でも最近体重計も横目で見るだけで、なんとなく測る怖くて」


「あの、本当にそれは・・・。その、さ、アツシは、キメラを生み出すアレを見て、どう思ったのかな、って」


 ハタリとアツシは口を噤んでオトを見つめる。言わないほうが良かったかもしれないという苦悩が浮かぶ顔に、アツシは先程までいたキメラの生まれる処を思い浮かべた。


 どう?


 よぎる言葉を箇条書きにすれば、気味が悪い。悲しい。腹立たしい。驚き。だが総じて表現するのならばどれも当てはまるようで違う気もする。ああ、下の洞窟にいたキメラを孕んだ女は、一応まだ生きていたんだろう。魂を失った肉の揺り篭としてだとしても。傭兵が乗り込めば彼女に恐らくトドメを刺すだろう。腹の子もろとも。檻の中の生物も。


 脱線しかけた思考回路に蓋をする。深く考えてはいけない。考えれば、狂ってしまいそうになる。


「どうして、異能者がキメラを作ったのか考えてる」


「悪魔の思考回路なんて、悪魔に聞いてみないと分からない。どうしてだと思う?」


「そうだな」


 オトの穏やかでいて憎悪を含んだ言葉に、アツシは苦笑する。


 理由は、あるはずだ。


 正当か不当か正気か狂気か、答えは見つからずとも始まりがなければ生まれなかった。アカリはこちらの世界に科学を持ち込みたくて学科を選択していき、アツシが旅をする事で実行できる範囲を調べてきた。アツシは元より、アカリの人生もほとんどこちらの世界を中心に生きていたわけだ。


 贖罪のために、アツシは同胞を殺してまで生まれた意味を、意義を、見つけようとしていた。死なせてしまった同胞よりも多く救う事ができたら許されるかもしれないと。


 そして、キメラの創造主は逆だったのかもしれない。


「かの人は、あちらの世界で研究成果を何かに使いたかったのかもしれない」


 生物学の江崎は何と言っていただろうか。『医学』『移植』『人口臓器』。確かにこちらの世界ではまったく想像もできない悪魔の企みにしか見えない、想像のつかない話なのかもしれない。


 ドラゴンが洞窟の吹き抜けを越えて夜空に飛び上がる。


「そう。やっぱり、こんな存在、モルモットか生物兵器でしか」


 オトの声が悲鳴に塗りつぶされた。


 ドラゴンの側で爆発が起きて空中で大きく横に傾いた。「うおお!」とケオンは縄を引きながらバランスを取るが、再び黒い玉が投げつけられるのを籠から伸び上がったノーディアが叩き落す。その間近で爆発が起きた。


「ノアちゃん!!」


「大丈夫だ!子供は怪我してない!」


 籠が煽られて真横にまで揺れる中、黒煙に巻かれながらノーディアが体を張って一人も零れ落ちないように塞ぐ。不安定な背に跨っているケオンは手綱を持ちながら体を傾ける。


「畜生!弓があれば」


 空中に出たアツシとオトの周囲は森だった。木が途絶えた位置に大勢の傭兵と、何匹も倒れるキメラの遺体があった。そして中心には。


「投石器!?こんな森深くにあんな物をどうやって」


「まずい」


 空高く舞い上がろうとしたオトの腕をアツシはつかむ。


「何を!?」


「アレを壊してくる。オト、君は逃げて」


 身をよじって飛び降りたアツシが真下に落下して行く。腕を伸ばしかけたオトは地上から飛んできた矢に掠められた。ノーディアとケオンも目を剥いて叫ぼうとして、またドラゴンの側で爆発が起きた。


 斜面に辿り着いたアツシがそのまま勢い良く森の中に飛び込んで傭兵の間を駆け抜ける。


「なんだ!」


「キメラか!?」


 木の間から飛んできた矢をアツシは走り抜けざまに手で叩き落とした。止めようと迎え撃つ傭兵達をすり抜けて開けた場所に躍り出た。そこに件の投石器が目に入る。そこに爆弾をセットするチャンドラが。


「マワラ族?」


「やめてくれ、チャンドラ。あそこに乗ってるのは子供だけだ!」


 進行方向にいる傭兵が同時にアツシに剣で切りかかってくる。それを伏せて滑り込み、跳びあがって蹴りが決まる。


「お前」


 空中で爆発が起きる。狙いは正確で、それを叩き返すノーディアが身を乗り出して「アツシ、何処だ!」と叫ぶ。


「あそこに」


 ケオンがアツシを見つけた様子で、安定感のない体勢でドラゴンから覗き込んでいる。


 そこにまた弓を引く傭兵を見て、アツシは足払いの後に弓を叩き折っていく。流れる動きで周囲を瞬く間に地に伏せさせ、投石器の元まで辿り付いた。


 チャンドラが剣を引き抜いて切りかかってくる。


「てめぇ、どっちの味方だ!キメラを庇うったぁ、脳みそでも吸い出されたか!」


 その剣を手で横に振り払い、剣を勢いよく投石器に突き立てさせる。


「なん!?」


 アツシはその剣を足がかりにして投石器に飛び乗る。鹿か猿か、組み合わさる投石器を難なく昇って行くアツシに矢がいくつも射掛けられるが、それをつかんでは真下に落とし、はねつけて周囲にバラバラと野草のように矢が生えただけで。


 傭兵達はうろたえる。


「あいつ戦えたのかよ!」


「嘘だろ、矢を全部手で・・・」


 一番高い位置まで昇ったアツシは、シーソー状の爆弾を乗せる底の浅い籠がついた木材に向かって足を振り上げ、それを叩き付けた。その勢いにまかせて頑強に見えた骨格が激しい音を立ててくず折れる。


 地面に戻ったアツシをザワリとした傭兵が距離を置いて剣で迎えた。


 引きつった表情でチャンドラが剣を低く構える。


「格闘家と弓使いの後ろに引っ込んでるから戦えねえのかと思ったら、なんだその身のこなしは。化物か」


「俺の役目は守護者だと言ったつもりだったけど。仲間を守り、戦闘を担うのは俺の役目だ」


「おいラーフ、頼む下に・・・俺も降りる!!」


 ノーディアの声を耳に捕らえたアツシは大声で威嚇した。


「降りてきちゃ駄目だ!!」


 視線を向けずに、アツシは繰り返した。


「駄目だよ、ノアちゃん。力量を超えると俺が判断した時には素直に守られるって、約束だ」


 元よりラーフは高度を下げはしないだろう。ドラゴンも爆弾が飛んでこなくなった好機を逃さず大きく羽ばたき、矢の届かないよう高度をあげて飛び去っていく。ケオンの声が荒い風に巻かれて聞き取れなかった。


「おい、追いかけろ!」


 叫んだ傭兵達の進行方向へ駆け抜けたアツシは片腕を広げて地面に片手をついて滑り込む。突撃してくる傭兵を張り倒し、更に襲い掛かる傭兵を投げ飛ばし、先に進もうとする傭兵達をたじろがせる。


 素手で人を殴りつけ、ジワリと痛む腕をアツシは大きく振るって誤魔化す。


「機織りだけが有名なマワラ族が、よもやこんな強烈な戦闘部族だとはな」


「能天気な土着民だと思ってりゃ」


 アツシの背にジワリと嫌な汗が浮かぶ。ファシャバに集めていたであろう兵力の半分も当てられているのではないかと思える。この裏口を見つけるのは空を飛べない人間には大層困難だっただろうに、こんな大掛かりな仕掛けを組んで奇襲ができた。捕まったキメラの誰かが口を割ったのだろうか。


「能天気な土着民だよ。あの2人はそもそも正規の戦闘要員じゃない。旅に出てから守られるのを厭うノアちゃんに乞われてね、護身術のつもりが熱心に鍛えてあの通りなんだ。けど俺からすればノアちゃんは付け焼刃でまだ危ういし、ケオンは狩り手だ。人を射らせたりしない」


 チャンドラが前に出て、肘から上を挙げる。ちょうど降参でもするように。


 それが鋭く振り下ろされた。


「散らばって行け!脳みそ使えねえのか、グズ共が!!」


 会話で引き伸ばすのも限界らしい、とアツシは顔を歪める。一瞬後に森へ向かって一斉に傭兵が走り出すと共にチャンドラが剣を垂直に向けて駆けて来る。


「おらあ!裏切り者は剣でも咥えてやがれってな!!」


 横をすり抜けようとした傭兵を3人投げ倒し、向かってきた剣を横に流して肩を強く殴打しながら顎へ降りぬいた。


 グラグラとよろめいたチャンドラが剣を取り落として頭に片手を当てて膝を落とす。


 その後を見届けずにアツシは駆ける傭兵を捕まえ、木にぶつけ、張り倒し。


 ドラゴンの姿は見えなくなった。だがあんな目立つ巨体だ。少しでも追っ手を減らさねばならない。


 少しでも。


 1人でもと。


 背中に感じた矢を寸前で避ける。反対から跳びかかってきた傭兵が剣を振り上げている。逆側から同時に横一線に剣を振り抜こうとする傭兵。


 避ければ、傭兵が同士討ちで致命傷になる。


 傭兵の仲間の剣の軌道が見えていない連携に、思わず剣を素手で受け止めてしまう。


 手に熱い電流が走る。


 そのまま剣を両脇にはねつけて胸を蹴り飛ばし、もう一人の腹に肘をいれる。そのタイミングで降って湧いた背後の剣戟が肩から肉を裂いた。それが深く入り込んでくる前にアツシは前の木を蹴って駆け上り、宙で回転して背後の襲撃者を上から踏み潰し、弓の照準からはずれるよう動きを大きくして駆ける。


 傭兵の囲いは分厚く増え、逃げ場が狭まっていく。それでも追う傭兵の背中を捕らえては張り倒し、分散して木を縫って行く傭兵を捕まえては。どちらが追っているのか、逃げているのか。


 雪崩のように積み重なって倒れる傭兵に、まだ立っている傭兵が顔を引きつらせ「化物」と呟く声が届いた。


 そこで急にアツシの頭の中に軽快な電子音が響く。脳内を殴りつけるような衝撃でよろめき、急に様子を変えたアツシに傭兵がいぶかしげになる。


 遠くなり、近くなる電子音はテレビでよく聞く、ランキングで上位になっていた着メロ。何の曲だったかアツシは思い出せないが、携帯の着信音が段々と明確になっていく。


 薄っすらと性急な声がする。


『起きろ』


「ここでっ・・・!?」


「おい、有川」


 耳元で聞こえて視界がぶれる。その瞬間に、目の前に殴りかかる傭兵の拳が迫り、両手で受ける。


 視界が反転する!


 体が押される感覚と浮遊感。掠める草の匂いと、よく知る市販の芳香剤の香り。口に土の味を感じる。罵倒する傭兵の声が遠くに切り替わる。


『こいつ本当はキメラなんじゃ』


『一応脱がせて確認しとけ』


 激しく首を引かれる感覚と、ブツリと切れるチャンネル。こんな事の繰り返しでは、そろそろ脳に障害でもきたしそうだという、とてつもなく暢気な考えと、危険を訴える本能が激しく重なった。




 





 瞬きをして、眩しい電球の煌々とした光に目をそばめる。感じるはずのない痛みが体に走った気がして頬に手を当てる。いや、頬は腫れていた。他にも痛みが走る部分はある。


 電話を切るピコ音に視線をやると、携帯を持って有川の首根っこをつかんでいたバルリングと視線が合う。


「ああ、クロガネの方が目を覚ましたじゃないか。起きろ、有川!」


 頭の下にゴリっとした硬い感触を感じて横を向くと、有川の腕枕で寝ていたらしく、至近距離に顔が出現してビクリと体を揺らす。上半身を起こすと掛け物が膝に落ちた。バルリングも寝ていたらしく髪を掻きながら携帯を投げてキャッチする。


 有川が低く唸って壁を向いた。


 アカリは掛け物を横に放り出して「ここは・・・」と見慣れない部屋を見回して、グラリと揺れてベッドに倒れた。


「無理をするなFraulein。病院は嫌だと言うから警察署の医務室で休ませてもらってる。大丈夫だろうとの事だが、やはり明日にでも病院は行った方がいいと言っていたぞ」


 そういえば、こっちでも暴力を受けた後だったのを思い出す。こうも別件でトラブルが重なると訳がわからなくなってくる。


「それにしてもしぶとい。有川、お前の電話が鳴りっぱなしだから出たぞ。なんで代わりに俺が怒鳴られねばならん。起きろ!」


 バルリングが靴のまま有川を踏みつけると、呻いて凶悪な形相で有川が起き上がる。


「てめぇ、なんのつもりだ」


 険悪な雰囲気にアカリは慌てて間に入る。


「電話が鳴りっぱなしで、こんな緊急事態だからバルリング君が電話に出てくれたんだよ!えーっと、そういうことだよね?それで何か怒られたとか」


「はああ?電話とかどうでもいいんだよ。俺は寝る。絶対に起こすな」


「させるか!」


 バルリングが有川の掛け物を取ろうとした瞬間、勢い良く医務室の扉が開けられた。そこに立っていたのは顔を引き攣らせたコマキで、部屋に入ってくるなりアカリと有川が横になっているベッドに蹴りを入れた。


「よくも病院だなんてニセ情報を抜けぬけと言ってくれたもんね。やっていいことと悪い事の区別もつかないのかしら。いくら性悪のあんたでもそういう事をやるとは思わなかったわ」


 上半身を捻り起こした有川がボンヤリコマキを見返して鼻で笑う。


「アカリちゃんは気絶してるって一番大事な情報は教えてやっただろうが。末代まで感謝しろよ、ノブジ君。つってもお前で末代か」


「トラブルに首を突っ込んでかき回すのを趣味にしてる男に?冗談でしょう」


「別にカナちゃんと殴りあったんじゃないよ、コマキちゃん。相手は女の子に乱暴を働いた借金取り2人で」


「あんたも女でしょうが!!自分の華奢な体の耐久力くらい、いい加減に学習してよ。そんな風だからカナみたいな男に目をつけられるのよ」


 早口に捲くしたてるコマキに圧倒されて、アカリは息を呑む。


「ゴンンなさい。あの、怒って当然だとは思いますが、その・・・ええっと、ごめんなさい」


「あんたのゴメンなさいにはいつも誠意が無い!」


 アカリは硬直する。


 今までにないレベルで、怒らせてしまったらしい。


「ちっ、完全に目が冴えちまった。糞オカマのがなり声でー」


 有川の神経を逆撫でる台詞に言葉を返したのはバルリングだった。


「眠らなければならない理由でもあるのか?この非常事態で、怪我人のクロガネはともかくだ」


「眠るのに理由がいるのかよ。お前も寝てたくせに。ち、江崎の奴はとっととずらかりやがったし」


「俺もクロガネと同じで寝不足だったんでね。わざとじゃない。横になったらつい舟を漕いでしまっただけだ」


 医務室の扉がまた開いて警察官が現れる。金森が連れ添われていて、医務室に入ってきた。警察官はまだ顔色が悪くふらついているアカリの顔を見て「君はもう少し後にしようか。男性諸君来てくれるかな」と有川とバルリングが呼ばれた。


 寝ている間に金森が事情聴取をされていたらしい。


 有川ではないが完全に目が冴えた。事情聴取の順番もすぐに回ってくるだろう。


 あちらの世界の事を考えて溜息をついた。今更焦ってもアツシは完全に捕縛されただろう。すぐに世界を反転させて拘束から抜け出したとしても、ここで眠りを確保するのは難しいだろう。先程の二の舞になりかねない。第一、眠るというのは案外簡単でもない。特にあちらで手酷く滅多打ちにされていれば、しばらくアツシは目覚められないだろう。


 コマキの方に顔を上げて口を開きかけた。そのアカリの前に金森が立つ。窓の外は雨と夜のせいで灰色を呈していた。


 黙っている金森の顔色は酷く、病み上がりだという大事な事を思い出した。そんな時に暴行を受け、複雑な感情を持っているらしい有川に突き放されたのなら、それは限りなく神経をすり減らしたことだろう。


「酷いこと言ったわ。私ちょっと、おかしかったの。ごめんなさい」


 隣に座る金森は両腕を抱いてうつむいた。


 アカリが大丈夫か問えば首を振って「いいの」とか細く答えた。コマキは黙って椅子に腰掛けた。


「クロガネさん、昨日も襲われたんだって?」


 うつむいたまま金森が問う。


「金森さんの妹ちゃんがアパートの前にいて、借金取りの人と争ってたんだ」


 金森に苦しそうな哀愁のある笑みが浮かぶ。


「腹違いなのよ。他人だって言いたいけど、どうしてかしら、時々視界の中にいるのよね。疫病神みたいな子で、親が借金で遠くに飛ばされたせいで当たる相手がいないからかしら、私に毎日みたいに嫌がらせしに来るのよ」


 独り言か、うわ言のように吐き出される憎悪。


「素行も悪くて、施設に引き取られてるくせに苦情は私に来るの。保護者として私の名前をわざと出すみたい。こっちは水商売で必死に親の借金返してるっていうのに、あいつは遊び金欲しさに援助交際ゴッコ。しかも、こっちが必死に返してる借金先のヤクザとよ。やってられないわよ」


 初めて金森の妹を見かけた時の事を思い出す。


「私、一人っ子で」


 アカリにも、アツシにも兄弟はいない。


「きっとよく分かってないと思うけど、あれ位の年に何を考えていたかなら少し、想像できる。妹ちゃんの真実や、金森さんの想いからハズれた空気の読めない考えかもしれないけど」


「いいよ、言って」


 金森も、ラーフも、金森の妹も、ジンも、言葉にしているのは求めている事そのものだろうか?少なくともアツシは違った。口に出来ないし、求める事を自分に許したくないと思っていたから。それなのに誰かに気づいて欲しいとも思ってた。気づいて、他人が許してくれたとしたら、あるいは。


「私は実は人付き合いがとてつもなく苦手で、特に女の人と子供を相手にしていると凄く緊張するんだ。人とどうやって距離を詰めればいいのか分からなくて、逃げてばかり。本当に今までコマキちゃん以外に友達できたこと無いんだ」


「ふふふ、駄目人間じゃない」


「ぐ、ぐうの音も出ないよ。でもまあ、そんな私でも、仲良くというか、関わりたい人というのもおりまして。まあなんていうか、敵対部族というかライバルみたいな男の子がいるんだけど」


 ちょっと、「ん?」と笑顔のまま金森は首を傾げたが黙って聞いてくれる。


「物凄く負けず嫌いだから、週に1回は勝負しろって訪ねてくるんだ。もちろんこっちも与えられた役割上負けちゃいけないんだけど、それとは別に負けちゃったら次は来てくれなくなるかもって考えもあって、思い返してみると必要以上に力が入っていたかもしれない。だから最後にはプリプリ怒らせちゃうんだけど、それでも構ってくれるのが嬉しくて、うわ、捻くれてるな、自分って」


 金森は少し頭の中で整理して、難しい顔になる。


「そいつ、クロガネさんの事、好きなんじゃない?」


「それは無いかな」


 何せ、あちらの世界での男同士の話だ。


 アツシはユクレイユ地帯のプライドが高い戦士達を思い出す。


「好きなのよ」


 金森が言い切る。


「勝負のためだけに訪ねて来るなんて建前。私には愛してくれる人が誰もいないから妬ましい」


 沈んだ声音で呟く金森へ、アカリは返した。


「妹ちゃんもそうかもって思ったんだよ」


「え?」


 金森が瞬きをする。


「妹ちゃんも私と同じで捻くれてるのかもって。お金をね、稼ごうとしてるのを見かけたよ。あまり良くないバイトだけど実入りがいいのかな?その割には妹ちゃんアクセサリーも服も地味だよね」


 周囲にいた少女の方が余程お洒落に金をかけていた様にも思う。手を染めている主導者が金森の妹なら、これは何かがおかしい。金森の妹は金が欲しい理由を、もしかするとアカリは聞いていたのかもしれない。


 初めて会った時、あの少女は親が力尽きて施設に行かねばならない兄弟のために金を稼いでいると言い訳していた。施設に行くことになれば哀れだと。あれは、そのまま少女と金森の事を指していたのではないか?


 だとしたら、その稼いだ金を届ける先は何処だっただろうか。


「嫌われてるかもしれない相手の気を引くのって、相手の土俵に乗るしかないんだよ。凄く寂しいとさ、憎まれてもいいから見て欲しいって、たった一人しか残っていない家族なら余計に強く思うかもね」


 アツシのガザル族だった父はマワラ族との抗争で死んだ。母は死んだ親兄弟の役割を継いで守護者として名乗りをあげた。普通は部族の中にいくらか戦士の役割を持つ者がいるものだ。それをはねつけて守護者は一人で十分だと言ったのは母だと聞いた。もう戦いで同胞を失いたくないという想いであったろうし、マワラの激怒に責任を感じた母が己に課した贖罪だったのだ。


 母が贖罪をするのならば、アツシが生まれた事はやはり罪であったのだ。ならば、アツシがすべき贖罪とは母の役割をただ同じ様に継ぐだけかと考えた。


 考えて、考えて、考えて、そしてやはり捻くれているだろう答えで旅立ったのだ。


 憎まれてもいいから見て欲しいなんていうのとは真逆だった。アツシは寂しくてもいいから許されたいと願ったのだから。


「愛されるとさ、愛し返したくなるんだ。憎しみを受けると憎しみが返ってくるけど、愛されたい人からだったら、どうしても諦め切れなくて会いに行っちゃったりなんかして、でもきっと複雑な気持ちになって素直にはなれないのかも。そういう矛盾した感情の迷子なら、よく分かるからさ」


 金森はジッと黙る。


 付き合いの深くない、ただ愚痴を零しただけの相手が何を見当違いな事を言っているのかと思われただろうか?聞き役に徹すればいいものを空気が読めない変人だと。


 なんの足しにもならない、つまらない慰めだっただろうか。


「クロガネさんの考える世界って凄くおめでたいのね」


「・・・賢くないよね」


「でも」


 涙が金森の頬を伝う。


「ちょっと綺麗な世界で憧れる。私、キリと寂しさを分かち合えるかな?あの子も、寂しかったのかな?」


 アカリは手を伸ばして金森の涙を指で拭う。


 金森の妹はここにいない。正解など分からない。それでも、人は少しでも救いを探したがるものだから。


 続く言葉もない中で、空気を換える来訪者が扉を開いた。


「あー、うざ」


 有川、そして後ろから現れたバルリングが疲れた様に言った。


「次はお前に話を聞くそうだ、アツシ。もう大丈夫か?」


「え、ああ、うん」


 気が抜けて振り返ったアカリは、部屋の入口に立つバルリングに視線を向けて、同時に目を見開いてお互いを見詰め合った。


 今、おかしい部分があった。


 バルリングは丸くした目を細め、どこか見覚えのある歪な笑みを浮かべて呟いた。


「違っていればと思っていたんだがな」


 バルリングの後ろから警察官が「君で最後だ」とアカリを呼びに来て、その隣を自然にバルリングがすり抜けて部屋の外に消える。


「なんだ、あいつ?」


 有川の怪訝な顔と、金森のどうでもよさそうな顔の中、コマキは無表情で立ち上がってアカリを振り返っていた。この世界でアカリのもう一つの名を知っているのはコマキだけだ。まだ幼い頃に周りに言っていたものも、今や妄想遊びとして誰の記憶にも残っていない。


 なのに、バルリングは呼んだ。


 あの世界の男の名を、アカリを見てアツシだと。


 体を浮かしてコマキの服の裾をつかむ。


「嫌な予感がする」


 警察官は呆然としたアカリに困った顔で立ち尽くす。


「君、本当に大丈夫かね?やっぱり病院に行った方がいいよ」


 上手く笑えなかった。




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