ライフオーバー 15




 目を開いたが、身動きは出来なかった。視線だけを動かして体を見ると上半身が何故か裸だった。全身が酷く痛めつけられている。ズボンもいい加減な履かされ方をしていてズリ落ちそうだ。本気で傭兵達に服を剥がれたらしい。パンツだけは最後の良心で自重してくれていた事を祈る。


 頭を石床に力なく落とす。後ろ手に縛られた手に力を込めてみると、ヌルヌルとした液体があふれた。熱を持った痛みを手の平に感じる。素手で刃物を握ったのだったと思い返す。


 有川に聞いたバルリングの電話は通じなかった。しばらく探し回ったが虚しい結果に終わっている。嫌な予感しか残らない。とにかく脱出を急がなければ。


 警察署で母からかかってきた電話に手間取って時間をかなりロスをした。『本当に友達の家なの!?』と疑う母にまさかコマキを友達だと電話に出すわけにいかず焦っていると、金森がアカリから電話を受け取って対応してくれたのだ。


 電話を切った後に金森は『一人娘っていうのも大変そうね』と薄っすら笑っていた。そして理由も聞かずに本当に金森は部屋に泊めてくれている。これで嘘をついた事にならないし、コマキの部屋よりも近いだろうと『心配ならコマキさんもどうぞ。でも、カナは帰って』と。


 金森は、今日眠れないでいるかもしれない。出来ることなら、ゆっくりと話を聞いてやりたいところだが。


 鉄格子のはまった小さな部屋は頑丈な牢屋だ。周りは石壁ではなく木で出来ている分キメラ達に押し込められた物より温かみがあった。ただし意識が無い間にボロ雑巾にされている肉体と、独りである事が全てを台無しにしているわけだが。


 腹ばいになると腹部にも鈍い痛みが広がってくる。これは意識がない間に相当仕返しされたようだ。やられた覚えのない打撲を庇って楽な体勢を探す。


 ここはファシャバの町だろう。


 わざわざアツシを連れ帰ったのならキメラとの交戦は終わったのだろう。それとも長期戦にもつれこんでの交代か、はたまた休戦、硬直、撤退。


「キメラの子達、ちゃんと逃げれたかなあ」


 洞窟の中の女性、その腹の子、サフラン、サッド、彼らはまだ生きているだろうか。もうこの世から去ってしまったのだろうか。ラーフは、あの子供達を連れて草原に向かっただろうか。


 ノーディアやケオンが戻ってくる前に脱走せねばなるまい。こんな姿を見られたら大層衝撃を受けて暴れ出してしまうだろう。もしくはユクレイユに戻ってマワラ族中に助けを求めてしまい、母と2代続きでマワラの激怒再来か。それはちょっと笑えない。


 かといって後ろ手に縛られた縄と足を一本化する縄を外すアテはない。貧血を訴える体のダルさに腹ばいで目を閉じる。


 どうしようか。


 一度眠ってコマキに相談したところで仕方の無い話だ。問いたげにしているコマキには何も相談しなかった。あちらの世界ですでに十分コマキに心配をかけ過ぎてしまったのだ。こんな状態を報告できるわけがない。


 そんなタイミングで扉が開放された。起きた事を気配で感じたか、現れたのはジンだった。静かに扉が閉じられ、牢の前に膝をついてアツシを見下ろしてきた。


「爽やかな朝、とは言い難いだろう。こんな再会になろうとはな。キメラにまで同情したか?マワラ族の性もまた哀れに出来ている」


「戦に介入してまでマワラの道理を押し通したりはしないさ。だが咎無き子供への暴力は目に余る。ジン、キメラの子達は逃げ切れただろうか?」


 悲しげに目を細めてジンは首を振る。


「飛翔していたキメラを追跡隊が追っている。今は子供でも数年後には大人になる。同じ、脅威なんだ」


「キメラの人達、どうなったの」


「多くは生き残っていない。こちらも相応の犠牲は強いられたがな。町にまで損害がでた」


「町に?」


「敵の数は多かった。夜戦は獣の方が有利でもあるな。君達が味方でなかったのを口惜しく思う。だが戦ったとしても被害は免れなかっただろう。これほどの規模でキメラが襲ってきた事件は世界中で初めてとなる。キメラは今まで以上に脅威として恐れられるだろうな」


 そして、ジンはキメラが恐れられる程に憎悪される。


 口をつぐんで目を閉じたジンは、ふ、と口角を上げた。


「それにしても、なんだな。君は大丈夫なのか?随分と恐れられたものだ。それでは身動き一つできまい。それこそ猛獣でも捕らえたようだ」


 再び目を開くと、確かに少し視界が霞んでいた。アツシは微笑む。


「がおー」


 ジンは無表情になる。


「不思議な男だ」


「親にも変な息子って言われてるよ」


 変な娘とも。


 腰を床につけたジンが膝に腕を置く。


「被害は免れなかったが、勝利は得られた。こちら側から先制せねば結果は逆になっていたかもしれん。少年傭兵として紛れていたオブリというキメラは正直、マワラ族がいなければ勝てなかっただろうな。それを考えればこの防衛線は上々だった。だが、やはり死人が多過ぎた。町の人間はお前がキメラに味方したとして怒りを向けている。よって、お前は俺と共に公守に裁かれるだろう」


「俺は解るけど・・・なんでジンが」


「罪子ジンの使命は民衆の怒りを受けるものだ。お前を不問にするのは難しいが、出来る限り尽力を尽くそう。マワラ族を巻き込んだ責は負おう」


「待ってよ、ジン。依頼を受けたのは俺で、傭兵の前に立ちはだかったのは君に関係がない」


 幾度かの瞬きをして、尚、口を閉ざしたままジンを見つめる。2人して黙れば、牢屋は他に気配を感じぬ静まった空気を流す。


 唇を舐めると血の味がした。


 一泊置いてジンは喉を鳴らして一笑し、腰を上げた。


「その状態では強靭な戦士でも辛かろう。鍵を持つ者に治療を頼んでこよう。少しでも休むといい」


「勝手な企みは止めろ、罪子」


 突然威圧的な低い声と共に扉が開かれた。


 華美な鎧を鳴らしながら牢の前に現れたのは、一時的に雇われた傭兵や、役所にいる公守とは空気を違えていた。恐らく、公守の中でも高い地位にあるのだろう。


 横柄な視線でジンを公守は見下した。


「国へ楯突くか。その男を呼び寄せたのも罪深き性か。やはり罪子の管理を怠るべきではない。キメラ対策研究のみに目を向けるのであれば牢に繋げば良きことを、議会の考えは浅く吐き気がする」


 彼はジンの襟首をつかんで壁へ突き飛ばした。そのままジンは抗うことなく壁にぶつかり、そのまま黙って目を伏せる。


 無抵抗を確認すると、公守は次にアツシを見下した。


「罪子を己が眷属と篭絡して手駒にせんとしたか。嘆きに満ちた乱世を望む忌み人よ」


 鉄でできた靴が鉄格子を蹴り、心臓に衝撃を与えそうな金属音が立てられる。アツシは少し顔をしかめてから、横たわりながら彼を見上げた。目が合うと公守の表情が憎悪に染まる。


「罪が確定した。明日、お前を公開処刑する」


 壁に黙って立っていたジンが息を呑んで一歩前に出る。


「何故です、ルーエン高官。この者はキメラに捕らえられ、幼き者を見つけたため情から公守に反抗し、残党を追う傭兵を妨害したのみ。しかも彼の姿を見れば法も理解せぬ出身であるのは明白」


 ルーエンと呼ばれた公守はアツシの企みを見透かそうとするように睨み付けていた。表情1つ逃さないと。


「キメラ研究部署からマワラ族のアツシは異能者であるという報告があった。確かな筋からの情報だと」


 バルリングの顔が浮かんだ。


 最悪のタイミングでやってくれたものだ。この、異能者を憎むクォーレルで。これで確定した。バルリングはこの世界でアツシと会っている。しかも、どうしてか公守に所属をしている。


 ジンが驚愕で声をあげてアツシを凝視する。


「どういう、ことだ・・・」


「俺はマワラ族のアツシだ。異能者だと処刑されるような物は何も作っていない」


「悲劇を生む毒虫の戯言を受けて判断を遅らせるは、新たな悲劇を容認するのと同じ怠惰よ。その手でキメラを生かしたのだろう。毒を振りまく虫を解き放ち、混沌の火種を絶やさぬように導いた。暗黒を招き守護する者よ。災いの種は間違いなく潰してやろう。我が偉大なるクォーレルの正義の下に」


 踵を返して牢屋を出て行く公守に、呆然としていたジンがハッとしてルーエンを追いかけて出て行った。外で何かを訴えるジンの声が離れていく。


 腕を縛る縄に力を込めて身をよじってみた。縄は緩まる気配もなく、止まりそうで止まらない血が傷から流れていく。


 息が、止まりそうだった。










 目を開くとコマキがいた。


 携帯を開いてバルリングに電話をかける。出ないだろう。そうだろう。まだあちらの世界で役人として活動中なのだろうから。


「畜生!」


 混乱しているらしい。


 公開処刑だと?せめて秘密裏に殺せばいいものを、わざわざ最悪の選択をしてくれたものだ。そんなことをすれば、マワラ族は間違いなく知るだろう。そうなればノーディアが、ケオンが、母が同胞が、何を考えるか?


「駄目だ。それだけは、絶対に」


 横になっていた金森が起き上がる。


「クロガネさん?」


 コマキが寝返りを打ち、そのまま髪を掻きあげて腕をついて顔を上げる。


「どうしたの、アカリ」


「コマキちゃん」


 声を低める。


「どうしよう、俺、明日処刑されるらしい」


 小雨がまだ降っているらしい窓に寄って、手の平を当てる。冷たく湿った感触を撫でると水滴が手に移った。


「実はあっちの世界でもトラブルが重なっててさ、俺がこっちの世界と通じてるって気づいた人間が役人に密告したらしいんだ。俺みたいに世界を重複して生きてる奴を異能者と呼ぶらしくて、魔女狩りみたいな感じで弁明の余地がない。牢屋で縛られて身動きは取れないし」


「何・・・?牢屋?ちょっとパニックにならないでよ。あんた金森さんもいるのに」


 少し息を吸ってコマキは完全に身を起こした。


「処刑ってどういうことよ。待って、もしもあっちのあんたが殺されたりしたら、アカリはどうなるの?」


 顔に片手を当てて壁にもたれかかる。


「死んだ事がないから分からないな。映画なんかだと一緒に死んじゃいそうだけど。今度から眠ったら普通の人みたいに夢を見るようになるとか?でも問題はあっちの世界だ。同胞が知ったらマワラ族は報復を仕掛ける。最悪だ。最悪だ。最悪だ」


 唇を噛んで玄関に向かう。


「バルリング君を捜す。申し訳ないけど有川君に協力してもらって、彼の住んでる場所に直接乗り込むしかない。ああ、でも有川君って寝てると電話出ないんだっけ?直接有川君を訪ねるしかないか。こうなったら有川君がカナちゃんだったてのは好都合」


「ねえ」


 金森が声をかける。


「あの外国人の借りてる部屋知りたいの?大体でいいなら、多分私分かるわよ」


 玄関で振り返る。


「近くにあるマンションが留学生用の宿舎なのよ。あの外国人が出入りしてたの見覚えがあるわ」


 バルリングの家に辿り着き、髪飾りを外して捻じ曲げる。それを扉に張り付いて鍵穴に入れて解錠にかかる。カチカチとしばらくしてはずれる音で勢い込んで開け中へ転がり込む。


「ちょ、やるわね、クロガネさん」


 靴を脱ぎ捨てて手探りで電気をつけても人の気配は無い。


 テーブルや教科書をなぎ倒し、クローゼットも台所も全て荒らしていく。


「・・・もはや何も言わないけど、あんたもうちょっと静かにやりなさいよ」


 コマキと金森は玄関を見張ったり気が気ではないというのに、アカリは何も聞こえていないらしかった。


 パソコンをたちあげて片手で操作し、反対の手でノートも手紙も何もかもに目を走らせてベッドの下から布団、枕のカバーまではがしていく。全てに目を通していけば、いつの間にかカーテンの隙間から明るみが出てくる。


 レポートと学生証がアカリの横に置かれ、ゴミ箱が逆さにひっくり返される。散らかったゴミを全て広げて確認しながら、丸められた紙を1つずつ開いて透かし、チェックしていく。レシートも箸袋も没にされたレポートの文字も全て目を通して不要なゴミを箱に戻していく。全て片付くと、ゴミ箱から広げたいくつかの紙と、横に置いた2つの物をキープする。


「こうなったら、警察にでも届けてみたらどうかしら。昨日の騒ぎで逃亡した男で、実は強姦されそうになったんだとかなんとか言って」


「そんな冤罪かけたら国際問題にならないの?」


「どうかしら。せいぜい恋情のもつれで片付くんじゃないの。ねえ、ここまで手伝ってるんだから、教えてよ。一体、なんなの、これ」


 コマキが沈黙した代わりにアカリが答えた。


「異世界で問題があったんだ。冤罪に当たるのかは分からないけど俺は摘発されて、明日には処刑される」


「え、何?」


 しばらく間を置いて、コマキが問う。


「今日、夜に眠らないようにしてみたら処刑されなくて済むって事にならないかしら。もしくは、アカリが起きている間に仲間が助けに来てくれるっていう流れに変わったり」


「本当は、アツシなんて男はいなくて」


 夢の世界か、狂ったアカリの妄想で。


「こっちの世界での出来事が反映された深層心理の世界だというのなら、気分を変えたり引き伸ばせばいい。こっちでトラブルが起きたからストレスで悪夢を見ている。そういう意味?」


「・・・私は」


 以前、『精神病院』で言われた事だ。よく解ってる。


「解ってる。コマキちゃんはアツシの世界が無いとは言わない。けど、完全に信じてもいない。私はそれで十分嬉しくて、否定せずに聞いてくれるコマキちゃんが大好きで」


 切なくて。


「いつも迷惑しかかけてないけど、トラブルに巻き込んでばかりだけど、本当に君が大好きで」


「・・・私だって」


 アカリが手にしていた本を取り落とす。


「アカリ?」


『起きろ』


 二重に重なる声だ。近くでコマキの呼ぶ声がする。それ以上に、<向こう>で耳障りで乱暴な呼び声が強く体を揺さぶっている。


「明日って言ったくせに、予定を早めたね。もうあっちは夕方だろうに」


「待って、ちょっと、アカリ―――」


 視界が白に変わり、黒く薄い闇をくぐるように体が下に落ちる。










 薄暗い中を縛られたまま引きずられていた。2人がかりで荷物のように持ち運ばれた場所は、闘牛でも始めそうな広さの高く木で組まれた柵の中だった。


 ファシャバの崩れた建物が夕日と松明によって赤く照らされている。


 潰された建物、破壊された何か、それらを押しのけて作ったらしい闘技場の様な中に、首輪と鎖で地面に繋がれたキメラ達がいた。壁に沿った異形は、まるでガーゴイルの像でも配置する様に飾られている。中にはほぼ人型の者もいた。


 そして、その闘技場の中心に目を疑う人物を見た。


 巨大な2本の柱に、意識があるか怪しい人間が縛り付けられていた。よく見えるようにという配慮のつもりだろうか?柱の下には松明が設置されている。あれでは張り付けられている人間の足を炙っているだろう。なのに重力に従って揺れるだけの足は抵抗もしない。意識が無いのだ。見間違えようがない。ノーディアとケオンなのだ。


 足の縄が切られて急に自由となった。もつれかけながらアツシは真っ直ぐに2人の方に駆ける。


「ノア、ケオン!?」


 少し顔がずれて、2人がそれぞれ頭を上げた。


 柵が勢いよく重い音を立てて閉じる音が響き、頑丈な鍵が解錠する音が鳴った。アツシは柱の下の松明を火傷にも構わず素手で殴り倒す。焼けて爛れた足に吐き気を覚えた。


 大鐘が町中に響く。


「これより、異能者とキメラの処刑を始める」


 何処にいたのだろうか。柵の外に大勢の人間が近づいて中を覗き込む。松明の火が一気に増やされ、周りを明らかにした。


 憎悪と恐怖にざわめく人、人、人、人、人、人。


 ノーディアの縄に手をかけたアツシに石が飛んでくる。いくつも飛んでくる石に、ノーディアとケオンが呻くのに血の気が引いて叩き落した。


「息子が死んで、なんでお前らみたいな化物が」


「どうして、あんな酷い物を作ったりできる」


「悪魔」


「この苦しみを」


 その民衆の声を凌駕した良く通る声が響く。


「キメラ共にチャンスをやろう」


 牢屋で会ったルーエンが半壊した建物の2階に立っていた。舞台の主演男優でも気取ってるつもりか。片腕を横に開き、剣に片腕を置いた姿で宣言する役人に、キメラ達は人間とまったく同じ動きで見上げた。言葉を解している。全員、人とのキメラなのだ。


「お前達とて異能者は憎かろう。異形として生まれた運命は誰の導きぞ?そこにいる男は異界から訪れた悪しき異能者だ。奴を処刑すれば生き残る機会を与えてやる」


「なんだと」


 キメラの1人が聞き返した。


「公守は研究のためにキメラを飼う事もある。お前達の様なケースを生み出さないよう、公守は悪しき悲劇への防衛のみに徹する無能ではないという事だ。ただし、こたびの襲撃による罪無き民衆への暴虐は許しがたい。よって、異能者、キメラ両側には殺しあってもらう」


 いちいち芝居掛かったルーエンの台詞に苛立ちが募る。観衆からの石投げは止まずに飛んできた。たまらずアツシは公守を振り仰いで叫ぶ。


「俺はキメラを作ったりなんてしていない!非道殺生に関わる様な事は誓ってしないし、俺は異世界から来たんじゃない!!」


「アツシ」


 ケオンが声を絞り出す。


 泣きそうになりながらアツシは2人の姿を振り返った。投石が止んだ。キメラ達の目が選別に光る。何故、処刑が早まったのか?ノーディアとケオンが助けに来たのだ。アツシを、助けようと。


 マワラ族は仲間を失う事を何よりも恐れる。保身にすら目もくれず姿を追い求めてしまう。危惧していた事だ。


 公守にすがる目を向ける。


「殺し合いなんてしたくない!第一、この2人は関係が無いだろう!?」


「外道に堕ちた異能者の手駒が無害である保障が何処にある。異能者でないと証明できる者は?手駒であるそちらの2人、大層腕が立つようだな。異能者を奪いに襲撃しただけでも十分な罪にある」


「頼む、俺はどうなってもいい!!」


「そうだな、一方的にお前が殺されてキメラの数が多く残るのも迷惑だ。モルモットは必要量生きていればいい。そう、せいぜい2匹でいいか。3匹残っていれば代わりに異能者、お前の手駒を1匹殺そう。4匹残せば両方殺す。せいぜい、もがくんだな」


 キメラと視線が交錯した。


 眠れば覚めるというのなら、今、この世界を夢に出来たのなら。


「生き残るなんてどうでもいい。命を賭けて戦い、捕まった果てに生き延びようなど」


 キメラが呟いた。だがそれはアツシにとって都合の良い物ではないだろう。キメラの目にも、ルーエンと同じ憎悪が灯っているのだから。


「それでも異能者の首に、せめて牙を突きたてられるというのなら」


 8つの影が松明の光で揺らぐ。


 異能者を殺せるなら、見世物になっても構わないと。


「殺せ」


「コロセ」


「殺せ!」


 柵の周りの声が段々と大きくなっていく。


 オブリが涙を浮かべて怯えながら辺りを見回す。


「おやびん、おやびん!?」


 厳重に鎖に繋がれた巨体に気づいて、アツシは「ああ」と絶望の声を漏らした。手を貸した時点では想像もしなかった。公守がやろうとしていたキメラ退治とは、こういう結末だったのだ。最初から計画していたわけではなかっただろう。人型は予想外だったのだから。


 それでも、なんという光景だろう。


「オブリ!こいつを殺さないとラーフは迎えに来てくれないぞ!!」


 全身を厚い毛に覆われた狼が、そこからは想像できない程、人間らしい声で叫んだ。オブリは泣き腫らした顔でアツシを見た。


「なんで?」


 何も分かっていないオブリを置いて、キメラ達の鎖が解かれて地面に落ちた。


 跳びかかってくる。アツシは腕が縛られたままなのを思い出し、なんとか自由な足で攻撃を蹴り上げてかわした。痛みが走るが構っていられない。反対から襲い掛かってきたキメラにのけぞって、転がって避ける。


「待ってくれ!俺は」


 避けてばかりのアツシに、蹴り飛ばされたキメラがケオンへ目を向けた。アツシはゾッとして走る。ケオンに向けられたキメラの爪よりも早く、アツシは跳躍して頭を蹴り潰して防いでいた。


 ぐしゃりと血が土に散った。


 それに間を置かずに襲いかかる狼大男に押し倒され、アツシは狼の胸に膝を打ち込み、逆の足で蹴り上げる。それでも足に喰らい付こうとした狼にバランスを崩しかけながら横へ蹴り払った。


 人型の体当たりにその場で踏み耐えようとしたが、想像以上の力に柵へ叩きつけられた。観衆は悲鳴をあげて軋む柵から散っていった。


 だが、たった一人、残った女が石でアツシの背を殴りつけた。


「お前のせいで、お前のせいでキメラに殺されたんだ!私の可愛い娘はキメラに!!」


 人型はアツシの首に手を回して怪力で絞め始めた。


「う、ぐ」


 アツシは腕の縄を柵の木にきつく擦り付けて、一気に引き千切った。そして首を絞める腕の間から拳を振りぬいて人型の顎を砕いた。


「うあっ、つ」


 ふらついて目を振動させる人型の緩んだ肘を打って跳ね除けると、横からオブリの拳が殴りこんできた。柵を蹴ってアツシは避けたが残った人型キメラがオブリの拳で地面に叩きつけられ、頭蓋を粉砕されて土にぶちまけられた。


 柱の間に走ったアツシは仲間の縄だけでも開放しようとするが、絶え間ないキメラの追撃が繰り返された。


 血が飛び散った。


 新しく作られたのであろう柵にも、民衆の顔衣服にも、返り血を浴びたアツシにも、己が流した血で服の中も。


「恐ろしい」


 殺せコールはいつの間にか潜んで小さくなり、ざわめきが取って代わっていた。


 捨て身で襲い掛かってくるキメラを地面に押し倒して、そのまま喉に肘を叩き付けてしまう。潰れて一気に押し出されたう浮きと血が耳と方を汚した。


 余裕なんて無い。残ったのはオブリだけだった。オブリは涙を流しながらアツシに殴りかかった。


 これは受けれない。避けようとしたアツシの両足に、先程殺してしまったと思っていたキメラがしがみついた。


「やれ!オブリ!!俺達の、キメラの悲願を」


 腕でなんとか軌道をずらせば、そのまま勢いを乗っ取って頭から落として首をへし折れば・・・この少年キメラを殺せる。その後に足にしがみついているキメラを振り払って終わり。


『おいらも血生臭い事は嫌だなあ』


 アツシは腕を垂れる。


 息をついて無抵抗な状態で涙を流す。


「できないよ・・・オブリ」


 ノーディアとケオンの振り絞った悲壮な叫びが耳を貫く。


 マワラの集落が脳裏に浮かぶ。もう3年も帰っていない、故郷だ。




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