ライフ オーバー 3




 脱兎走り出したノーディアとケオンに、ジンと傭兵達は身構えた。すわ襲撃か!?と緊迫した姿にアツシは苦笑いになる。急に立ち止まり振り返るノーディアは飛び上がって笑顔で手を振った。


「アツシ、ザハの町だ。やっと着いた!」


 それからケオンと顔を見合わせ、零れ落ちる笑みを耐え切れず2人は両手を合わせて喜び合う。唖然とした傭兵達の空気に耐え切れず、アツシは両手を挙げて「わーい」と棒読みで混ざりに行った。


「なんとか無事に到着したようだな」


 ジンが深く息をつく。なにせ、出会いがしらに身元が確かでもない旅人をとっ捕まえて護衛に勧誘するぐらいだ。相当せっぱづまっていたのだろう。実際、帰り道にキメラや獣に遭遇したのだ。ノーディアとケオンによって追い払われて事なきを得てはいるが、もしも護衛の依頼が破算していれば無事だったとは考えがたい。


 足取り軽く先行していくマワラ族2人から離れてアツシはジンの隣に戻ってきた。


 いぶかしげにジンはノーディアとケオンから聞こえる単語を拾って口を開く。


「あの町の名はザハではないのだが・・・」


 やや気まずそうなのは、会話の中に出てくる<ザハ>という町に向かっていない事を分かっていながら黙っていた罪悪感なのだろう。目的地が違えば護衛を断られると思ってか、黙っていればいいものを口にしてしまうジンに「ああ」とアツシは笑って肩を持ち上げた。


 その気持ちを払拭するために「ザハって俺達の言葉で市場みたいな意味なんだ」と間違った町に迷い込んでるんじゃないか?こいつら説を否定する。街道を選んで旅をしていない時点で遭難していると思われて当然ではあるが。


 アツシは伸び上がり、もっとよく町を見ようと太陽の光を手でさえぎって目を凝らす。


「俺達は大層な使命があるわけじゃないからね。ちょっとした、観光と買い物をしに来たんだよ。あそこに街道が見えるね。あそこまで行ったらもう獣類は心配なさそうだ。でも怪我人がいるし病院まで送っていこうか?」


 軽い申し出にジンは首をユルリと振る。


「いや必要ない。先に寄る場所もある。報酬はこの辺りの相場でいいだろうか」


「怪我が酷いのに仕事熱心だねえ。ジンはあれだね。まさにワーカーホリックって感じ」


「ワーカー?」


「使命感に溢れて」


 喋りかけたアツシの背が体重をかけて突き飛ばされる。振り返ると、名前は確かチャンドラと呼ばれていた当たりのキツイ傭兵が鼻を鳴らして親指を町に向けた。


「とっとと報酬貰って消えやがれ。あっちの2人はともかく、てめえは糞の役にも立たねえくせに夜営の見張りもサボりやがったんだ。チョロイ仕事でご苦労さん」


「了解、別に2人分で構わないよ」


 アッサリ報酬を放棄したアツシだが、チャンドラの考えなどには反してジンは懐のベルトから袋を1つはずしてアツシに突き出す。


「あの2人を説得したのは君だったな。夜営の周りの仕掛けで何匹か獣が逃げてもいた。君も十分護衛として評価できる」


 受け取った袋は、それなりの重量の金の感触がした。


「それから、奇襲とはいえ、あそこまで見事にキメラを複数瞬殺した腕を買いたい。特に旅に目的がないのならば正式にこのまま雇いたく思っている。どうだ」


 真っ直ぐな目に、困ってアツシは肩を落として首を振る。


「お褒めいただき光栄だけど、マワラは非道殺生をしないんだ」


 街道に辿り着く。町の入口がしっかりと視界に入り、周囲には馬車を連ねた商団がいくつも流れていく。賑やかで華やかな気配で心が躍る。


「ジンは戦士の腕を買いたい、つまり血生臭い能力が必要なんだ。でも食べるためと守るため以外の血生臭い事をマワラはしない。それに悪いけど稼ぐ手段はいくらか持ってるから仕事に傭兵は選ばない。今回はともかく、正式に雇われると嫌な事を嫌って言えないだろ?」


「それは残念だ。また機会があれば断らずに受けて欲しいものだ。内容も今の矜持を考慮して交渉しよう」


「その機会があれば、できたら短期バイトでよろしく。後、これあげる」


 ジンの手の平をつかみ、彼の手の平に草を丸めたゴミくずのような粒を何個も乗せた。ツンと鼻に刺激的な香りが漂う。


「臭いはきついし味も苦いけど傷の治癒を助ける薬草なんだ。ばつぐんに効くよ。その傷、膿みそうだなあって思ってさ」


 この世界には民間療法しか存在しない。抗生物質なんて概念からして無い。ただ、薬草の知恵は各地方々で生み出されている。旅をしていれば、そんな知識も1つずつ手に入った。


 受け取った物を見下ろすジンに、アツシは「それじゃあね」と仲間の元に向かってジン達からは離れていった。ノンビリと去っていくマワラ族の後ろ、立ち止まっている傭兵達を振り返って、ジンは丸められた薬草を差し出した。


「使う者は?」


 ウィリアムが1粒手を伸ばした。だが口にしてすぐ顔を歪め地面に吐き捨てる。


 ジンはそれを無表情に見下ろしたまま、別の傭兵に向かって手の平を向けた。小柄な傭兵が乱暴に叩き払った。


「死ね」


 ジンを通り過ぎて行く傭兵達の後ろ、ジンは指の間に残ったひと粒をつまんだ。見つめた後にジンはそれを口に放り込んで味わわずに飲み込んだ。顔を歪める事もなく、そのまま足を町に向けて傭兵達の後に続く。










 ここは何でも手に入ると言われる商人の町ファシャバ。世界の流通拠点とすら呼ばれる。


 商品を納入する倉庫がそこかしこに立ち並び、道には屋根を広げて壁という壁から突き出したテーブルに商品を広げている。道には行きかう買い物客や、納入交渉をしている商人と活気。人の気を引く華やかな飾りが目を誘い、香ばしい匂いを振りまいて煩悩を引き起こす。着飾った少女や籠を腕にさげた女性も、花から花へ渡る移り気な蝶のように右へ左へ飛び移っていく。


 辺りを見回しながらノーディアは歓喜に震えて両拳を振るわせる。屋台に目を輝かせるケオンは何処に視線を定めればいいのか分からずにキョロキョロと落ち着かない。いつもなら、とりあえず店を流し見てから買い物するというところ。しかし、ここは町全体に店が続いているような雰囲気でとても先が見えやしない。


 ノーディアが近くの店の品を手に取り物珍しさで溜息をつく。


「なあ、本当にでっけえザハだよな。集落じゃ、きっとこんなの一生見ることなんてないぜ」


「そりゃ、大体ユクレイユ地帯に金で物を売買するルールなんて無いんだから当然だろ。ザハだって外から来る商人が開くか、国境沿いの町がザハの日な時に出かけるしかないわけで」


「うっさい。だから一生見れない規模だって言ったんだろ。それより人が密集してるからハグレると面倒だ。先に集合場所決めとかねえと迷子の常習犯が」


 そこまで言ってケオンと見詰め合って沈黙した。ザワザワと人が2人を避けて流れていく。


 いつからだ。


「ノア」


 いつからいなかったのか。


「最後、いつ見た?」


 恐る恐るケオンは聞いたが、ゆっくりと2人はお互いのマネをするように片手で額を押さえて来た道を振り返った。その何処にもアツシらしき人影はない。見知らぬ顔ばかりと、忙しない人の往来があるばかりだ。


「初っ端からはぐれたのか、あの男は」


 ケオンは浮かれて油断した我が身を呪った。ついでに注意力散漫な仲間を呪った。










 ファシャバの門をくぐると開けた場所に出た。さながら大手スーパーの駐車場か、馬車の展示場の風体か。世界最高峰と言われる市場の玄関と呼ぶに相応しいのかもしれない。馬車の駐車や入口で立ちすくむ馬で巻き起こる渋滞などを整理しようと叫ぶ声。


 だが、その中に不自然な馬車がある。盛大に半壊した馬車と運ばれていく怪我人。公守らしき役人が比較的無事な商人に話を聞いている。馬車の引き裂かれた車体には大型の獣が引き裂いた爪痕が生々しく残っている。


 キメラ、という単語が頭に浮かぶ。


 広場というには落ち着きのない空間の端には、それでもポツリと開いた空間があった。やっとの思いで到着した旅人を癒し歓迎するかの如く、そこには『歌謡い』がいた。弦楽器を弾き流しながら、声すら楽器にして歌詞無き発声で音楽を奏でている。その魅力的な旋律に耳をすませてアツシはたたずんだ。


「路上ライブかあ。こっちの世界のはいつ見てもファンタジックだけど、あの人のは殊更だね。うっとり」


 白い装束で頭から足まで包み顔も見えないが、メッシュになっている目元は柔らかそうな眼差しが透けて見える。


 気持ちよく聞き入りながらアツシは腕を組む。


「しかし、人込みが凄いなあ。どうやって見つけてもらおう」


 迷子、自覚しても後悔先に立たず。人にぶつからないように壁に寄り添って歌を聞きながら目を瞑る。


 迷った時の集合場所など決める間もなく先に進む仲間の姿は見えなくなってしまった。のんびりと人の流れを目で追って酔ったいたのが悪かった。この事態は珍しくもなかったが最短記録も甚だしく、呆れられることは必至だろう。


 前回アツシが迷子の時には同じく迷子の幼い少女が一緒だった。泣きじゃくる少女を見つけて気を取られている間に仲間を見失ったとも言う。とにかく高い場所にいれば見つけてもらえるだろうと少女をあやしながら肩車をして同じ辺りをグルグルグルグル回った。デパートやテーマパークじゃあるまいし放送施設も無いこの世界、手段はひたすら肉声での迷子アピールだ。人でごった返す中「この愛らしい少女のお母様はいらっしゃいませんか」をおよそ15分おきに何度もやって、先にケオンに見つけられて叱られて、ノーディアも合流して3人がかりで保護者を捜して。


 買い物をする時間を潰してしまう、あんなに喜んでいたのに。目を開いて空を見上げた瞬間、怒鳴る声で地上に視線を引っ張られる。


 傭兵がいた。今しがたまで歌っていた歌謡いを4・5人で取り囲んでいる彼らが発信源らしい。歌に聞き惚れていた人間がちらほらと距離をあけて散っていく。何か傭兵が一方的に言い放って歌謡いを突き飛ばした。その歌謡いを別の傭兵が受け止めて乱暴に白いフードに手をかけた。


「獣の頭をしたキメラだから顔を晒せないんじゃねえのか!?」


 足は動いていた。


 アツシは人の波を切って真っ直ぐと歌謡いと乱暴を働く男の間に割り込んだ。


「なんだ、お前っ」


 傭兵がアツシを睨みつけるが、応えもせずに歌謡いに向かい合って気の抜けた笑顔で握り締めた手を差し出した。


「綺麗な歌を謡うんだね。はい、拝聴料。凄く気に入ったよ」


 白いフードの彼は小さく口を開けて首を傾げて呆けたままアツシを見返した。渡すようにアツシが目線と手を動かすと、受け取る手を出した。その手の平に硬貨が乗ると同時に怒鳴り声があがる。


「貴様、空気が読めないらいしいな!公守が詰問してるところに邪魔してくるとは、公務執行妨害だぞ!!」


 思わず両目をつぶって肩を縮めて舌を軽く出して振り返る。


 割って押しのけた傭兵が顔を真っ赤にして口を横と下に吊り下げてへの字を作っていた。眉と鼻の間にはきっと何かを挟む事ができるしわが4本。


 アツシは肩をつかまれ身体を方向転換させられ後ろへ突き飛ばされるが、白いフードの歌謡いが両肩を受け止めて転ばずにすんだ。代わりにアツシの渡した硬貨が地面に転がって回転する。


「一体どこの原住民だ?よくもそんな格好でこんな文明的なところまで旅してきたものだ。法律も公守も知らないという素振りだな」


 町中では森以上にいっそう目立つ衣装を足から頭の先までジロジロと値踏みされて男達は一斉に笑い出したのだが、アツシも一緒になって笑い出すのでアツシの肩を支える歌謡いの手が思わずビクリと震えた。ただ、傭兵ではなく役人であったらしき男達はしらけた様子でアツシの足元に唾を吐き捨てる。


 横にいた役人が歌謡いの白いフードをはたき下ろすと、短い太陽色の金髪が揺れてソバカスのある青い目をした青年の顔が露わになった。公守は舌打ちする。


「時間とらせやがって、馬鹿の相手なんてしてられるか。行くぞ」


 離れていく公守をしばらく見送っていたが、両肩を支えていた歌謡いの手が離れた機会にアツシは振り返る。歌謡いは膝をかがめて地面に手を伸ばしていたので眩しい金髪がアツシの目に入った。


「王子配色」


 若干嬉しそうに呟いたアツシに上目遣いでよく分からないという顔をして立ち直す。その手には1枚きりの硬貨があって、小さく笑うのでアツシは両手を合わせて更に1人盛り上がる。


「おー、王子スマイル」


 の背景に口を引き結んで薄目で腕を組む男と、口を尖らせて険しい顔をして腰に手を当てる男が立っていた。一気にアツシの顔が哀しげに眉尻を下げる。


「いいか、アツシ。お前に選択権は無い」


 戻ってきてアツシを見つけたケオンが言い放つ厳しい声で、歌謡いは後ろに新たな人がいる事に気づいて振り返る。


「なんの選択権が無いの?」


 まだ何も言い渡されていないのにアツシはとても切なそうに首を傾げて問う。


 ノーディアはアツシを真っ直ぐと指差した。


「厳選な話し合いの結果、アツシは今日の昼飯で何を食べるか決められないんだ」


「なんてムゴイ罰を」


 両拳を握るアツシに、歌謡いは困ったように両者を見比べた。










 白い装束の歌謡いはよく噛んでよく食べるマワラ民族達とテーブルを共にしていた。ケオンは近くを通りかかった店員の腕をつかんで引き止める。驚いて目を見開く女に、悪気も無いケオンは「なあなあ、この店で一番珍しい物を作ってきてくれ」と注文する。


「へ?ええっ?」


 戸惑っている店員にいたたまれず、アツシは椅子の背をつかんで後ろ振り返り付け加える。


「すみません、お勧めってありますか?何系でも食べるし値段は気にしないので2皿くらいお願いします」


「ああ、それなら。はい、ちょっと待っててください」


 キッチンに注文を届けに店員が場から消える。ケオンが口を尖らせてメニュー表でテーブルの角をパタパタ叩く。


「今回は注文で口出さない約束だろ。口出すなよぉ」


「う、うん。でも店員さんを呼ぶ役だけはどうか俺に任せてくれる?」


 ノーディアは腕を伸ばして歌謡いの近くにある魚にフォークを突き立てて、横目で彼を見る。たじろぐ歌謡いなどなんのそのでノーディアは彼をジーッと見つめたまま、なんとも豪快な事に魚を頭から丸ごとかぶりついてしまった。ビクリと歌謡いは肩を震わせる。


 奇妙にも見詰め合ったまま、ハラハラと魚が気になってしょうがない歌謡いをよそにノーディアはそのままバリバリと骨ごと魚を噛み砕き始めた。


 そのまま歯ですりこぐように噛み続け、でも視線ははずれない。しばらくして歌謡いの方がソッと視線をはずして顔を強張らせるので、アツシは申し訳なくなってきた。


「ノアちゃん・・・そんなに熱く見つめたらオトが溶けるよ」


「熱で溶けるのか、この男」


「え、えーっと、多分溶けないとは思うけれど」


 歌謡いが苦笑いで口を開く。言葉を濁したが居たたまれないのは明白だ。


 ケオンが手をつけていない皿を彼に差し出した。


「歌なんて謡ってたら常に見られ慣れてるだろ?いや、ああ、だから顔を隠すのか」


 白い装束のフードを軽く握って、歌謡いのオトは肩をすくめてみせた。そうだ、とも違うとも取れる。彼が渡された皿には山菜サラダが盛ってあった。


 アツシはふと思い出して話を変える。


「その恥ずかしがりやさんのオトの覆面をはいでった乱暴な公守のことなんだけど」


「覆面と言われるのはちょっと・・・」


「ああうん、ごめん」


 はたき下ろされただけかと思えば白いフードは破れてしまっていた。布の端が擦り切れいるのを見れば長く使っていたことで劣化はしていたのだろう。今ではクタびれたを超えてどうにもみすぼらしくなってしまった。


「ずいぶん態度が酷いんだね。急に来て袋叩きにでもしかねない雰囲気でさ。役人とは思えないチンピラみたいなイデタチだったし」


 椅子に積み上げた荷物をノーディアが探って袋をかきまわし始めた。結構な量だがほとんどは食料だ。何が何処で売られてるのか見当をつけるのも大変な中、騒ぎのついでに付き合わされたオトの案内で急ぐ買い物は程なく手に入ったというわけだ。


 ケオンが眉を寄せて揚げ物から口を離す。


「なあ、アツシ。公守は人を守る事を仕事にしているんじゃなかったのか?規則にはずれた事をする連中を注意するか力ずくで止めるかする役割なんだろ。なんで歌謡いに乱暴するんだ?何か悪い事でもしたのか、オトは」


「遠くから聞こえた感じでは、顔を隠しているからキメラなんだろって言ってたよね?ここに来る途中でも会ったけど、オトみたいな服を着て町に買い物に来たりしそうな感じじゃなかったんだよね。よその地域と違って、この辺りではそういう種族でもいるの?」


 だとすればアツシが想像していた以上にこの世はファンタジーだったらしい。ならばアカリの世界はSFだろうか。


「キメラに遭遇したの?よく無事で・・・」


 驚いてオトは3人を見回した。改めて見ても大怪我を負った様子もない。


 ケオンが自分の矢筒を指で小突く。


「獣の相手は本業だ」


 人型キメラの話は何処にでもある噂みたいなものらしい。ただ、最近ファシャバの周辺でキメラがやたら人を襲う事件が頻発しており、不自然なくらいにキメラの数が多いから何か獣ではない思惑が感じられると言うわけだ。


「都市伝説のノリなのかな」


「口が裂けてる女とか、馬車を追い抜かして走っていく婆とかのやつか」


 感想を述べるアツシに、まだ何か探しながらノーディアが答える。オトは正体不明のネタに引っ張られて顔を引きつらせる。


「何それ怖い」


 アカリの世界の小話が物珍しいらしくてウケルもので、怪談シリーズで披露した分だ。そんなものを説明できるはずもなく、無理やり話を戻すとオトは素直にファシャバの時勢を詳しく説明してくれた。


 クォーレル国にとってファシャバは重要な流通拠点になる。そこで公守はにわか役人を雇ってでも町の守りを固める構えをとったのだ。ただし、目撃した先程の通り町の中まで治安は悪化、傭兵役人のやりたい放題となってしまった。役人として動いてるから逆えば下手に逆らえばマズイ。あまり関わりにならないに越した事はないというわけだ。


 実際、町の入口で壊れた馬車を見かけている上にジン達が襲われている姿も目撃している。不自然に色んな動物を縫い合わせた造りはキメラだと判別がつく程だ。獣が巣作ってテリトリーを築き、近くに住む住人が襲われるケースはいくらでもある。だが、注目すべきはキメラが、という部分だろう。キメラは本来、違う種類の獣同士が結ばれて生まれる稀なハーフなのだ。もしくは科学が発達した世界では人工的に造られたりもするが、どちらにせよ自然に群れたりはしないだろう。


 この食堂の中でもいくらか怪我人が見受けられる。酷い者もいれば、無傷だが沈痛な面持ちの者も。


 人型キメラは突飛だが、そもそもこの科学もへったくれも無い世界でキメラが存在する自体が不自然でもある。奇跡的に存在するハーフは珍しい容姿はしていても普通の獣と区別がつかない外見をしている。だが、どう考えても縫い合わせているようにしか見えないキメラもいる。鷲の頭、ライオンの体、ヘビの尾。そんな部分的な生き物が自然に生まれたりするものか?


 山の中でキメラを調べていたというジンは、キメラの一体何を調べていたのだろうか。今更になってアツシの頭の中によぎって「あっ」と突然アツシは声を上げる。


「どうした?」


「ね、ねえ今何時!?」


 探し物が見つからずに諦めたらしいノーディアが顔を振り上げて溜息をつく。


「は?ナンジ?いつもの頃合いの事か?昼飯食べてるんだから昼時だろう」


 こちらの世界に時間の概念や時計など存在しない。


「それより糸の袋何処だっけ。オトの擦り切れてるかぶりの端処理するために白いの買ったのに!」


 思ってもないノーディアの意図にオトが目を見開く。


「え?いや、そんな事をしてもらう理由が」


 だがケオンが「ああ」と納得したそぶりで買い物袋を手元に引っ張り探し始めてしまった。


「買い物に付き合ってもらったし、案内してくれた礼しないとな。宿をとって荷物ひっくり返してみようぜ。このまま探すの手間だぞ」


「え?あの」


 戸惑ってオトがアツシに目をやれば、アツシはアツシでテーブルの上の皿を自分の前から除け始めていた。


「また何してんだ、お前は」


 ケオンも気づいてアツシの行動に眉を寄せる。皿はテーブル一杯に並べられていたのだ。理由は分からないものの、マワラ族はあいた皿を重ねて残り少ない物を自分の口に片付けてテーブルを整理する。


「うっかりしてた。ちょっと悪いんだけ・・・うっ・・・」


 アツシが頭を揺らしてふらつくのを慌ててノーディアが横から支える。


「おい、どうした?大丈夫か?」


 ケオンが立ち上がってノーディアと反対側から肩に手をやって顔を覗きこんだ。焦点が合わずにフラフラしているアツシにオトも席を立って焦る。


「彼は何か病気が?」


「大、丈、夫。ちょっとだけ、寝かせて・・・」


 なんとかテーブルの面にゆっくり顔をつけたアツシは、そこから重力が消えた浮遊感に包まれた。


「くれ・・・れ・・・ば・・・・・・」


 世界の跳躍だ。










 強く呼びかける声がする。


「アカリ!アカリ、目を開けて!!」


「ふ、あ」


 優しく頬を包む大きな手の平と、寒いと感じる背中から尻、足。背中には腕がある。目を開けると真っ青なコマキがホッとして息をつく。夏とはいえ濡れて乾いた後の冷えた身体で風呂場にいれば、暖かいコマキの手や胸の中は心地よく感じる。


 すっかり乾いた状態で、コマキはそのままアカリを横抱きにして持ち上げた。


「コマキちゃん?歩けるよ、私」


 寝起きの乾いた声で口を利いたアカリだが、コマキはそのまま体を運ぶ。


「風呂場で素っ裸で倒れてるなんて信じられない。4時間近くでしょ?こんなに身体が冷えきってるじゃない!」


「大丈夫だよ、急にあっちの世界に呼ばれて抗えなくてさ。こっちで何かあって気を失ってたわけじゃないし、ゆっくり座ったからブツけたりしなかったよ。それに、湯が出しっぱなしにならないように閉めてから行ったし」


「このお馬鹿!心配するところが違うでしょうが」


 ベッドの上に下ろされて、コマキは風呂場に取って返し、服を持ってきて頭から豪快にかぶせられた。続けざまにドライヤーを持ってきたコマキはアカリの髪と言わず身体全体に気持ち良い熱風を吹き付ける。その間にアカリはもそもそとパンツを履いた。


 ドライヤーを持つコマキの手にアカリが手を伸ばし受け取る。


「いいよ、コマキちゃんはまだ風呂も入ってないでしょ?風呂で寝るなんてよくある話だし、あっちの食堂でいきなりこっちに来たから周り驚かしちゃったんだ。戻んなきゃ」


「よくあるのは浴槽の温もりでうたたねするパターンだけよ。あちらさんには後で理由でも言っておけばいいでしょう。こっちは病院に連れて行こうか迷ってるぐらいだわ」


 怒っていらっしゃる、と思いながらドライヤーを服の下から当てて顎まで熱風を通す。髪がフワフワ舞い上がっている。


「ノアちゃんとケオンだけならともかく、さっき知り合った歌謡い君が同席してるから今回は勘弁してよ。心配させてゴメン。この事態は想定して然るべきでした。全面的に私が悪かったです」


「もう・・・」


 額に手を当てて頭でも痛そうな仕草をしたコマキは結っていた髪を開放すると掻き回し、怖い顔ですごんできた。


「だいたいこっちは女の子なのよ。準備とか状況ってもんがあるんだから、そもそも急に呼び出すとかちょっと遠慮してもらったらどうなの。出来ないなら次は病院に連れて行くからね」


「えー。いやあ、まあ気をつけるけどね?」


 ドライヤーのスイッチを消すと、コマキはあまり信用していない表情で自分の風呂の準備を始めた。アカリはホッと息を吐いてベッドの端にいそいそと横たわろうとする。だが、まだ言い残しがあったコマキは振り返ってアカリを睨みつける。


「カナと接近したでしょう。部屋に連れ込まれてコレだったらと思うとゾッとするわ」


 言い捨てて頬を指差し風呂に入っていくコマキ。何故ばれたとアカリが鏡を見ると謎が解ける。


「あっちゃー」


 部屋に入る前に頬にやられた口紅のキスマークだ。




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