ライフ オーバー 4




 優しい歌声が耳から溶けてきて、暖かい手の平が額を撫でる感触がする。背中を包んでいる柔らかいベッドで、側に誰かが座っている微かに窪みができていた。目を開けば見慣れない青い瞳が見下ろしていた。あちらの世界で目を閉じて簡単かつ緩やかに意識を失った要因を知って、アツシから笑みが零れる。


 心地の良い目覚めをくれた白装束の歌謡いは心配そうに笑みを返す。


「気分はどうだい?」


「天使が起こしてくれたのかと思ったよ」


 どうやら宿に運ばれたらしい。上半身を起こせば買い貯めた荷物が部屋の中に積み上げられている。ただし何処にも仲間の姿は無く、代わりにオトが側にいた。


「よくある事なんだって?医者にみてもらった方がいいんじゃないかな」


 こちらでも病院を進められてしまった。アツシは頭を掻いて笑って誤魔化した。確かにアツシとてこんな風に倒れる他人を見れば同じアドバイスをするだろう。ただ、己の場合には理由がはっきりとしている。


 それに倒れたのではなく、強い眠気に抵抗できなかっただけだ。


「病気じゃないから気を使わないで。ところで俺の仲間は?」


「それが・・・」


 言葉を選んでいる様子のオトに小首を傾げたが、バックが無いのに気づいて察する。


「ああ、買い出しに行ったのか。簡単な生活用品しかまだ買ってなかったもんな」


「どちらか残った方が良いんじゃないかって言ってみたんだけど」


 言葉を濁すオトにアツシは手を振る。


「うん、俺が寝こけてる時はソッとしてくれるように頼んでるんだ。心配かけたんだろうね。それでオトが付き添ってくれてたの?なんだか本当にごめんね?ちゃんとご飯食べれた?」


「適当にね」


 そうして微笑む。


 アツシはそれに笑顔を返してベッドから降りる。なにせこちらの世界をベッドで過ごす時間には少々早過ぎるというものだ。


 最初はノーディアやケオンだって慌てふためいていた。だが、ただの昼夜問わない眠りたがりだと言って所構わず寝るを数回繰り返せば慣れてしまった。急に叩き起こされるなんてアカリ側ではそうそう無い。失神するようなマネさえしなければ改めて追求されることもないだろう。人より少し寝汚いだけだと思ってくれればいい。もしくは、夢を楽しみにしている変人だとでも。


 ベッドの横で座っていたオトの手を取って立ち上がらせ、扉の外に親指を差し向ける。


「迷惑かけたからお礼にマワラ式の感謝を示すよ。糸や布を売ってる服飾系の店を知らない?多分、そこ辺りにノアちゃんとケオンがいると思うんだ」


「いや、そろそろ俺は」


 手を繋いだまま話を聞かずに部屋から引っ張り出された。公守を回避したかと思えば次はマワラ族に振り回されている。オトは断る事を諦めてフードを目深にかぶり直した。

 








 ファシャバの店は同じ物を売っている同業が多い。ひとくちに服飾の店と言っても5軒どころではない上に一箇所に固まったりしていない。世界最大と謡われる市場を舐めていた。具体的に言うとせいぜい大型ショッピングモールレベルを想像していた。


 ちょっと開けた広場で、木を囲った大きな石に座りながら頬杖をついて溜息をつく。


「何をするつもりか分からないけれど、宿で待っていた方が早く会えると思うよ」


「国の三大都市だもんね。あらゆるチェーン店の本店がそろい踏み、ここでなら全てがそろうの謡い文句まであるんだ。服飾系の店の数を聞いた時点でゾッとした」


 オトは隣に座りながら手にした弦楽器を軽く鳴らす。


「君達はこの町に何を求めて来たんだい?」


「俺?」


「町の治安は悪くなっていく一方だし、せっかく来たところかもしれないけれど脱出した方がいい。目的の物があるならソレだけ手に入れてさ。大抵のものならここじゃなくても買えるんだろう?町中で誰もが嫌な予感を囁いてる。これからもっと酷い事が起きると」


 フードをかぶっているオトの表情は見えないが弦の音は静かで物悲しい。


「迷惑な話だよ。公守の連中も、キメラの連中も」


 顎をつまんでアツシは空を見上げ唸る。


「うーん、すぐに済ませられるかどうか分からないな。俺はここでは何が売ってるのかなあって見に来たかっただけだから」


 オトが首を傾げるので説明を追加する。


「どうしても欲しい物があって入手できないか探してるんだ。でも難しいんだよね、これが。協力さえ取り付けれたら造れそうな職人がいくらでもいるんだけど、金にならないってアテにさせてくれなくてさ。正直、行き詰っちゃって」


「そう。そんなに希少な物なんだ」


「時間はかかっちゃうけど、結局自分で部品から造る他ないのかもしれないなぁ。それでもさ」


 手の平を太陽にかざして伸ばす。


「それぐらい成し遂げられないと俺に意味を見出せないんだ」


 オトは手の平の逆光に目を細めながら見上げる。


「随分、大事な物を探してるんだね」


 作ろうと思い立ったのは少年の頃だった。文明から閉ざされた草原地帯で、材料も十分な知識もなく作り上げられるものではない。大学に進んで知識を積み重ねてもまだ不足だった。なにせこの世界とあちらの世界の歩みは違う。分野によっては技術の落差は数百年だ。ネジもコイルもバネも何も無い。


 集落では不可能だ。


 そう考えて旅を始めたのが3年前。車も電車も無いアナログな環境で世界中を調べられたわけがないのだが、大陸を一回りした限りでは目的に叶う部品は何処にも無い。この先も探すか、諦めて造るか。


 フッ、と息を噴いて口の端を上げる。


「仕方無いか。ノアちゃん達見つからないし、俺あんまり演奏得意じゃないんだけど」


 アツシはカバンから板に金属の板が並べて打ち付けられている物を取り出した。板は長さが全て違い、それをつたない親指で弾いていけば音楽とは評し難いが楽器なのだと分かる。気難しい顔で途切れながら弾く演奏は、あんまり得意かどうかのレベルでもない。通行人が横目に苦笑し、あるいは眉をしかめて片耳を塞いで通り過ぎて行く。


「歌を贈る事ができれば、歌謡いの君に良いお礼になるかと思ったんだけど、小学校のオルガンの授業でも俺、全然駄目だったもんなあ。中学のアルトも散々だったし。これ、本当は凄い綺麗な音楽なんだけど」


 黙って耳を傾けるオトに段々物悲しくなってくる。こういう色艶のある嗜みにはとことん疎い。繊細さに欠ける指はアカリの物より太く細かい作業に何気なく向かない。


 演奏が止まると、オトはアツシの手元にある楽器へ手の平を置いた。


「これはカリンバだね」


 アツシが持ったカリンバを指で弾く。しかも先程のメロディも何もあったものではない物が音楽として紡ぎだされた。目を輝かせてアツシは演奏に合わせて歌った。失敗だらけの旋律は整ったアレンジに昇華されていく。


 音が止むと、いつの間にか足を止めていた通行人が拍手を贈る。「別の歌も」とコインがいくつか手元に投げられればオトは慣れた調子で全てキャッチしていった。公守に絡まれマワラ族に連れまわされた歌謡いのオトに本日の収入は無いに等しいだろう。贈り物のついでに物珍しさで客寄せにでもなればと思っていたが、結果的に本職の演奏で助けられた。


 アツシはカリンバを軽く弾き、オトにウインクして見せる。


「お礼にならなかったな」


 静かにオトは首を振って微笑み、今度はアツシを目覚めさせたあの歌を紡ぎ始めた。










 宿に戻ると部屋のベッドに座ってコップに口をつけたままケオンがアツシを指差した。


「勝手が過ぎるのでアツシは晩飯の決定権も無し」


「酷い。オトとデートしてただけなのに」


 部屋はアツシが出て行った時と様変わりしていた。まず買い物の山が一角に出現していたし、先の長い草が床に敷き詰められていた。山小屋か馬小屋的な状態になっている。


 草をできるだけ蹴り入れて廊下に出さないよう扉を閉めると故郷の匂いが充満した。歩けばサラサラと新鮮な草同士が擦れ合う音が立つ。それをせっせと束ねて巨大な壺に詰めていくノーディアは手を止めて振り返る。


 ベッドの島に批難したアツシも靴を脱いで寝転がって手を伸ばし、草を束ねて草で結ぶ。


「そのオトは?いないじゃん。白糸、せっかく買い直してきたのに」


「もう遅いからって宿に帰っちゃった。晩飯もって誘ってはみたんだけど」


「今までずっと一緒だったのか?」


 あの1曲後、歌に合わせてかくし芸を披露したところ大変盛り上がり過ぎて引き際が見えなくなってしまったのだ。大道芸はともかく手品は物珍しさもあっただろうが、誰もが娯楽に飢えていたのかもしれない。この物騒な治安では人の足も遠のいて久しいのだろう。


 結構な収入になったし、かねての予定通りアツシは『お礼だから』と全てオトに渡そうとしたのだが、『あの歌をくれただけで十分だよ』とこれは至極丁寧に分けられてしまった。


 そうしてたった今宿屋の前で食事の誘いも断られてきたのだが、わざわざ宿まで送られた理由を問うたところ暗くなったからだと答えたからには嫌われているのではないと思われる。それにしても、あの短い期間でアツシはオトに相当方向音痴だと認識されてしまったらしい。


 男として送り迎えに複雑な気持ちを湛えていると、草まみれのノーディアが手を払って身を捻る。


「じゃあ、そろそろ晩飯にしようぜ。アツシは早く寝なきゃならないんだろ?」


 ここ最近ずっとアツシがそう言っていたわけだ。先回りで気を利かせようとしてくれる仲間に苦笑してアツシは首を振る。


「課題は無事提出してきたよ。今まで協力してくれてありがとう。しばらくはゆっくり出来るから尾草の処理もちゃんと手伝うよ。水処理が完了しない事には糸紡ぎの作業も始められないし、せっかくザハの町なんだからノアちゃんの機織りの腕でたっぶり稼がせてもらわなきゃね」


「前の村では未開の怪しい行商とか言われて1枚も売れなかったもんな」


 プライドが傷ついたというシかめ面から一転、ノーディアは笑顔で「でも今日はその分も全部高額で売っぱらってきた」とご機嫌良くのたまった。


 それでアツシは買い物の山に目をやる。


「うん。もしかして売り上げ全部使い切っちゃったの?」


 圧倒されそうな物量は、何処のセレブの棚買いだよとツッコミたくなるレベルだった。それをケオンは平然と見やる。


「だって約束だったろ。手持ちの生地の売り上げは俺とノーディアで好きに使ってもいいって。でも少しは残ってる」


 口角と片眉を上げてアツシは溜息をつく。例の護衛を承諾する代わりにした約束だ。


 しばらく宿と食事がまかなえるだけの生活費は確保していたし、ジンからも3日は遊んで暮せる報酬を受け取っている。大きな市場であればマワラの織物が希少で高額取り引きをされている理解もあるだろうから稼ぐのに困らないのを前提に考えた取り引きをしたわけだ。それに張り切っているノーディアはそうこうしている内に次の一巻き織り上げるだろう。


 旅に出ないマワラ族だが、実はとても旅費に困らない特質を持っていたりする。それは母や姉達の機織りの仕事を見知って覚えていたノーディアあってこそのものだったが。


 しかし、高級な生地の売り上げを少し残して使い切るのは尋常な使い方をしていない。結構な金額だったはずなのだ。


「何を買ったの?」


「新しい頭飾りと弓飾りだ。後、ここのザハは色んな食い物が売ってたから旨そうなやつは片っ端から。後はまあ諸々」


「俺ね!俺、織り機のソウコウ新しいの買った。ソウコウの目が凄ぇ細かいの売ってたんだ。綺麗な石もたくさん買ったから結わいて足環作るんだ。俺も後は諸々」


「その諸々の部分の方が気になるなあ。まあ2人が満足してるなら別に構わないんだけどね。・・・しかし、たまに財布を握らせると本当に金使いがエグいよ、マワラ族」


 懐の財布に手を当てる。生活費に影響がないとはいえアツシは苦笑いを禁じえない。下手をすれば金のいらない自給自足文化のため財布の紐は果てしなく緩い。金に頓着しない同胞が無造作に桁外れの収入を使うのを見ていると、アカリの懐具合を考えて涙も浮かぶ。どうにかあちらの世界に分配できたなら。


 虚しい妄想に乾いた笑いを漏らすアカリ、もといアツシは隣のベッドから漂ってくるアルコール臭に目をやる。ケオンはコップを口にくわえたまま弓を立てて切れた紐を取り除いていた。既製品らしい袋から器用に紐の束を取り出して弓へ繋ぎ、せっせと調整しているらしい。そこで思い出す。


「そうだ、ノアちゃんの篭手の歪みを調整しておかないといけなかったんだ。物を預かるよ。もしかすると使う機会が近いかもしれないし」


「ああ、キメラでか?」


 水に腕をつけているので袖をまくっているノーディアがベッドに目線をやる。そこに腕につけている金属の篭手が乗せられていた。指が出るオープンフィンガーと呼ばれる型で、肘の近くまでゴツイ金属を腕の形に曲げただけの単純な造りだ。素材としても設計状としても簡単に歪む。


 素材はともかく設計となればアカリの専門分野だ。改善点は分かっているし、理想的な設計図は描ける。だがこの世界では材料の加工が追いつかない。道具もなければ環境も無い。


「生地を売りに行った店で俺も変な話を聞いた。キメラが誘い合ってザハに買い物に来るわけもねえのに、町を襲うためにキメラが集まってきてるんじゃないかってさ。他にもなんか呼び寄せてるかもしれない奴がいるらしいぞ」


「それでただの傭兵みたいなのを公守として雇って町の中と外を調査しているんだってさ。あのジンとかいう奴らもそうなんだろうな。で、外はともかくなんで町を探すんだ?もし入ってきたらすぐ大騒ぎになって分かんじゃん」


 短弓を膝の上で弄んでいたケオンが定位置の腰に戻して「俺が知るかよ。相変わらずブンメイジンの言う事はよく分からんってだけだ」と立ち上がって伸びをする。


「とりあえず飯にしようぜ、飯に。すきっ腹に酒ばっかりで内臓が痛くなってきた」


「だから最初からそういう酒の呑み方すんなって言ってんのに」


 水壺から手を抜いたノーディアが顔をしかめる。ケオンが扉に向かって行くので手を拭きながら彼も追いかけて行く。


 アツシは手にしたやりかけの束ねた尾草を結び、房から香る草の匂いを深く吸い込んで房の柔らかな部分に顔を摺り寄せる。糸に変わる前の素材の感触も嫌いではない。


「キメラを調べるジン、被り物のせいでキメラかと疑われたオト、ザハで買い物をするキメラか」


 できあがった束を水壺に落とし沈める。


「科学の進んでいない世界での人工生物なんてファンタジーは一体いつ何処から発祥したんだろう。継ぎ接ぎされた生物なんて自然には生まれない」


 アカリの世界でならばともかく、この世界では急に現れたと見える歴史のない技術。時としてアツシの世界の方が優れて進んでいる技術だって見かけたりもする。


 だが、時々見かける調べきれない起源を持つ物。


「町にいる限りはお役人さんの方が厄介そうだけれど」


 宿屋の鍵をとって、草を踏み越えアツシも部屋を出る。


 世界の全ては把握できない。謎は思い浮かべてもすぐに何処かへ去っていく。何故なら考え事というものは刻々と現れるものだ。そもそも謎解くにはアカリの専門分野とキメラはかけ離れている。










 アツシは顔面を覆った。


 カウンターの受付嬢にケオンが飴を待つ子供の瞳で「これ全部コインに替えてくれ」とのたまった。ノーディアは「後、カジノの案内図もくれ」と付け足す。露出度の高い華やかな受付嬢はたおやかに微笑んで応対してくれる。


「かしこまりました。武器の類はあちらでお預かり致しますので、こちらにお越しください」


 非現実的な空間は宝石を散りばめた如く光り輝き、生演奏の小規模なオーケストラが軽快な演奏で場を盛り上げる。テーブルを囲いコインを積み上げ「スッた」「儲かった」の声が響き、サイコロが投げられるたびに罵声は投げられる。スロットのようなカラクリめいた物こそ存在しないが、ルーレットを大男が勢いよく回すルーレットを興奮した客が囲っていた。


 広々とした空間の見える範囲ではそういう情景が見えている。


 ファシャバでは多額の金がやりとりされ、この町を経由して世界中の商人に品物が届けられる。あるいは金持ちや旅人が他では手に入らない珍しい物を求めて訪れて金を落していく。金が動く町には大抵カジノが建てられる。そう、草原にあるマワラ族にはあまり馴染みの無い娯楽施設というものが。


 大きめのコイン容れを1つずつ持った仲間達は周りを懸命に見回して案内図と照らし合わせている。彼らの背後でアツシは遠い目になった。


「ノアちゃん、ケオン、君達のお嫁さんになる人に是非とも最初に伝えたいことがあるんだ。お小遣いのあげかたって大切だよって。家計に響くような財布は絶対に握らせちゃ駄目だよって。でもよく考えたらマワラ族ではお金って生活に関係ないんだけど」


 その上、マワラ族の嫁はおおかたマワラ族だ。財形管理に意味を見出すはずもない。


 外食の帰りで見つけた派手な看板が宵闇で視線を奪った。好きに使っても良いと言われた小遣いが手元にある2人は、集落を出てから覚えた遊び場を見つけて指差しアツシを引きずって扉をくぐった。


「賭け事に狂ってるわけでもなし、余計な思考はよせばいいのにな」


 あちらの世界でなら、もしくはクォーレル人であるのなら必要な心配だろう。だが、彼らはマワラ族だ。いつか集落に帰る狩猟民族。他国の金銭感覚を身につける必要は無い。アツシが最低限管理すればいい話だ。必要以上に締め付けたくもない。


「何しよっかなあ。やったことないやつもあるもんなあ」


 無粋な金の心配は頭を振って押しやり、はしゃぐ仲間の後を苦笑して追って行く。それにしても最初にカジノが存在する事を知った時はアツシも驚いたものだった。ユクレイユ地帯が他国よりも発達・開拓されていないのは理解していた。クォーレル国にとっては辺境になる国境沿いの村には時々出かけていたし、マワラ族の集落にはさまざまな国からマワラ生地を求めて商人が訪ねてくる。それでもどこか、この世界はもっとストイックな物だと思っていた。


 だから、まだ行ったことのない国の中には科学が発達していたり発明家なる人がいたりするのではないかと期待してしまうのだ。時々、驚く物を見せる世界に。


 そんな考えの折りに背後で気配がして振り返った。思ったよりも近くで静電気に弾かれる様に視線が合った。知った顔がタバコをくわえ、目を丸くして立ち止まり凶悪な顔で舌打ちをした。そのまま彼は横を大股で通り過ぎてカードのテーブルに乱暴につく。急な再会に言葉が浮かばず立ち止まっていると、振り返って顔を歪ませて睨みつけられる。


「何を見てやがんだ、あ?土着民がカジノなんざ来てんじゃねえよ」


「大怪我してたのに元気そうだね。えーっと、傭兵の」


 名前が思い出せない。


「猿は大自然に還って交尾でも楽しんでろ」


「アツシー!」


 呼ばれて振り返ると、ちょっと遠くのゲームテーブルでノーディアに「これどういうルールだっけえ!」と手招きされていた。傭兵に視線を戻すとカードを受け取り片手で追い払うジェスチャーをされたので、肩をすくめてノーディアの元へ向かった。


 大変、嫌われているらしい。


 仲間の座る椅子の背に手を置いて覗き込むと、ルーレットを担当しているディーラーが困り顔をしていた。あらゆる国から客が訪れはしても、見た目からして特異な客にどう応対しようか迷っていたらしい。ディーラーは一瞬アツシの登場に助かったという表情をしたが、同じ民族とみると困惑顔をまともに前面へ出してしまった。


 ルーレットは戦略を立てなくても運任せで遊べるためノーディアもケオンも毎回カジノで遊んでいるジャンルだ。ルールが単純で、何より素人でも適当に勝てる。よく知っているはずなので呼ばれた意味が分からず「えーっと、ボールがどの溝に入るか当てるゲームだよ?」と戸惑いながら説明すると「覚えてる」と事も無げにケオンが大量のコインをディーラーに差し出した。


 呆気に取られるアツシの横でノーディアもコインを無造作に鷲づかみでバラバラと出したので、苦笑いでディーラーがコインを積み重ねながら「何処に賭けるつもりなんでしょうか?」と誘導する。ゲームセットが終わると大男がルーレットの盤面をつかんで力任せに回す。盤面の中心に立つ棒で位置を固定された丸い木製ルーレットはガタガタと大ゴマの様に回転する。


 指をちょいちょいと曲げてノーディアが側に呼ぶので、されるがままにアツシが顔を近づければ眉を寄せて肩に腕を回される。


「あれ、ファシャバに来る時にいた傭兵だろ。それも始終感じの悪かった奴。オトが公守についてる傭兵には気をつけろっつってたじゃん」


「そうだっけ?」


 ケオンもアツシを睨む。


「危ない奴は回避。この旅の間でどれだけヤバイ目にあってきたことか。アツシとノアはもう少し慎重になるべきだ。だいたいマワラから出て旅に出る自体がなんかもう」


 2人が賭けた数字からはずれて盛大にコインをスッた。「俺も頼むからこっちの危機にも慎重になろうよ」そんなアツシの呟きなどノーディアの反論でかぶせられた。


「ああ?ケオンだって何度もやらかしてんじゃん!旅に関しては絶対お前だって皆に同じ風に言われてるかんな!!」


「俺は夜中コソコソと旅に出ようとするお前らを引き止めようとして巻き込まれただけだろ!一体いつ帰んだよ!?もう3年だぞ。予想外の事態だったし、急だったから誰にも何も言わず出てきちまったし」


「そんなの俺だって一緒だし」


 ディーラーがコインを卓上から掃除しきって「次のベットをお決めください」と言うと2人はまたコインをごっそり賭ける。何故大量賭けをする。素人は素人らしく1枚賭けでディーラーに嫌な顔をされていればいいものを。


 ルーレットの造りは今まで見たどのカジノと比べても上等で芸術的に仕上がっている。良い物がそろいやすく、腕の良い職人も多いファシャバのカジノだからこそだろう。店も職人も見る物は多そうだ。


 アツシは2人の肩を割って入り、コインを3枚ずついただく。


「分かったよ。ファシャバを回り終わったら次はマワラに帰ろう」


「「え?」」


 身を起こすアツシを2人は唖然として見上げた。笑顔を残してコインを手にアツシはカードのテーブルを目指す。もちろん、あの傭兵とは別のテーブルに向かって。


 マワラを出て3年経った。


 旅に出よう、そう思い準備が整った夜にアツシが家を出た時には確かに1人だった。マワラ族は旅をしない。長い歴史の中では集落の位置を変えるために遊牧する事もあったが、それでもユクレイユ地帯から出た事は少なくとも無かった。


 たまたま旅に巻き込んでしまった仲間は思ったよりも旅に順応して、場合によっては全力で楽しんですら見せたりした。だが、やはりノーディアとケオンの帰りたいという様子は日増しに増えていて、そろそろ限界だな、とアツシはボンヤリ考えていた。仲間と引き離される生活はなんといってもマワラ族が最も忌避するものだ。健気に付き従ってくれている状態に甘んじ続けてしまっていたのは、1人で旅をする覚悟が揺らいでいたのかもしれない。


 ニコニコして肘をつきながら3枚のコインをディーラーに渡せば、ディーラーは片眉を上げてアツシの姿を品定めしながらカードを配った。カードを広げて2枚捨てる。


 集落の前に辿り着く頃合いは真夜中を狙う。それならば、姿を消して仕切り直しやすい。


「勝ったみたいだ」


 カードを見せればディーラーが目を見開いてアツシに勝ち分のコインを渡す。増えたコインをそのまま賭けの場に出して、唇を舌で軽く舐めてカードを受け取った。


 計算を巡らせる。あの2人が金を全てスるまでいくら稼げるものか。




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