ライフオーバー 8
目を覚ますと艶かしい女がアツシの腰に跨っていた。部屋全体でアルコールの匂いが充満している。ゆっくり瞬きをして黙って見つめあう。視界の端でケオンが眠ている。指の腹でアツシの首筋から胸まで撫で下ろす楽しそうな顔を亜麻色の髪が縁取って揺らした。
残った手がアツシの頬に当てられ、ゆっくりと唇を舐めて身を乗り出す姿に息を呑む。
「ノーディア!!」
硬直しきる前にアツシはお互いの体の間に手をねじ込んで相手の胸を支える。
「寝起き一番にその遊びはどうかと思う。心臓探るの止めて」
髪が顔に当たる程の近さで彼は薄っすら口角を上げた。
「凄い心臓ドキドキいってる」
「ノリが、おかしい、です」
「完徹した」
アツシの胸に両手を添えて身をそらしたノーディアが伸び上がる。集落にある物より小さな簡易織り機の横に糸巻きが使い切られて投げ出されていた。誰もいないベッドには執念の布地がバッサリ詰まれている。さっき叫んだ声にも起きないケオンに目を向けると、ノーディアがアツシの手で遊びながら「さっきまで飲んでたから当分ケオンは起きないぜ」と言う。
カチューシャをつけていない長い前髪は邪魔で、かきあげるアツシの肘に酒瓶が当たる。そこで昨日を思い返した。
生地を仕上げたら集落に向けて出発すると聞いたノーディアが『機織りに集中したい』と言うので、食事を部屋でとることになった。ならばと酒瓶をケオンが大量に持ち込んだものだから流れで宴会となって、機織りをしながらノーディアはチビチビ舐める風だったがアツシはいくつか杯をあけたのだ。ケオンのベッドの上を見ると、この男はアツシの最後の記憶から更に杯をあけたらしい。
アカリの生活には学校という時間の縛りがあるためアツシは規則正しく途中で眠りについたのだが、ケオンは神経質で機織りの雑音が側にあっては眠れない。酒で麻痺するまで徹夜仕事のノーディア相手に飲み明かし、そしてやっと意識が落ちた、と。
幸せそうに酒瓶を抱いて寝ているケオンに溜息をついてアツシは起き上がった。
異常にハイテンションなノーディアが大声でアツシを呼ぶ。
「見て見てコレ、俺可愛くない!?」
スカートをひるがえして一回転したノーディアが頭元に髪飾りを当ててポーズを決めた。露店商は愛想良く頷いて「ここで買ってやるのが男の見せ所ってやつだよ、お兄ちゃん」と口添えをする。納品する馬車が襲われて仕入れも困難な状態でも商売の町ファシャバは逞しい。
「花細工のカンザシかあ。華やかだねえ。うん、イレリアにピッタリだ」
「姉貴かよ」
ノーディアは手にした商品を露天に戻して別の品を物色する。女装解除もせずに買い物をする姿は彼の年の近い姉イレリアにそっくりだ。髪を長くして背を縮めれば、双子でも通るかもしれない。
「そういえば、ケオンが姉貴は旅に出た事を怒ってるって言ってたな。俺じゃなくてケオンでもないんだと。とすると残るはアツシだろ。出てくる前に姉貴となんか約束でもしてたのか?」
「俺?」
香るはずのない作り物の花を手にとって匂いを嗅いでみながら、アツシは苦笑いで首を振る。
「あまりにも俺が不精者だからか、よく気にかけてくれてはいたけどね。ああ、でも可愛い弟をユクレイユ地帯の外に連れ出したからって事なら」
血の気が引く。
「ふーん。違うと思うけど」
ノーディアが置いたカンザシをアツシが横に取り分け、次に花冠細工を空にかざす。
「これはユユかな」
続いて持ち上げた物に傷が無いか選別しながら。
「カムイには星を散らした髪クリップを」
新しい物を見つけて手元に置き、丁寧に縁を指でなぞる。
「エメリアには鳥のバレッタ」
ノーディアが手を止めてアツシに目をやる。
「まさか全部どれが誰のか決めて買うつもりか?色んなの買って好きなの選ばせればいいじゃん」
マワラは狩猟でとった獲物を集落で切り分けて同胞へ配る。解体が始まれば集まって話し合い、切り分けたそばから選んで持っていく。確かに、その方法が各々の好みに合った物を渡せる合理的な方法かもしれない。だがアツシは首を振った。
「これが楽しいんじゃないか。自分好みの可愛い物を似合うと思った子が貰ってくれる。その人だけを考えて選ぶんだ。特別な贈り物って感じがするだろ?」
そう言って、大きな鳥の絵をあしらったヴェールを大事にキープする。
「誰が貰ってもいいよってするより、個人的に贈りたいんだ。不自由な方が付加価値がつくっていうか、俺がそういう方が嬉しかったりするからさ」
「そりゃあ、兄ちゃんなかなかのタラシだね」
露店商の男が肘をつきながら水を差した。「あー」と指を回しながら言葉を探して「買ってくれるのは嬉しいんだが」と不安げに声を落とした。
「金額聞かずに決めていってる上に随分な量を買っていくみたいだ。女心を掴むためには必要かもしれんが、値段がそこそこいってるぜ?数が必要なら困るだろう」
「心配しないで。金銭感覚についてなら常識程度は心得てるよ。買った後に食うに困って返品に来たりしないから」
先程布地を売って荒稼ぎしてきたところだ。どんなに金を積んでも簡単に手に入らないマワラ生地の売値なら、露店商から全ての品を買い占めたって問題は無い。
「そりゃ失礼。文化の違いで客とまで喧嘩、なーんてことにゃなりたくないもんでな」
「おじさんは優しいねぇ。それにしても客と、まで?」
「怖ぁ〜い役人もどきの傭兵がうろついてんだろ?稼ぎを見られると商売代を取りやがる」
注意深く辺りを見回す男は顔を器用に顔半分だけしかめた。
「ありゃ賊以外の何者でもねえよ。キメラに商品横取りされ、客足は下降気味、せっかく稼いだ金は役人気取りに掠め取られる。商売あがったりったあ、このことだ」
「それはまた・・・商人も楽じゃないね」
彼はニヤリと笑った。
「役人みたいにゃな」
買い物が済んでから宿へ変える道すがら周囲を注意深く見渡せば、露店商の言った通り商店の規模に比べて客足は確かに少なかった。天下の流通処と呼ぶにはあまりにも寂しい光景で、普段のファシャバならば比較にならない程に人で賑わっているのだろう。
こんな有事だ。町の大半を占めるのは町の住人か、もしくは生活がかかった商人か職人、そして公守に雇われた傭兵になるのも当然の流れである。
考えを巡らせていると手を取られた。
「何処に行くんだよ」
振り返るとノーディアが頬を膨らませている。
「アツシは本当すぐ意識飛ばすよな。集落にいた頃には全然方向音痴なんて話聞いたこと無かったのに」
「え?ああ、うん」
徹夜のノーディアに言われて苦笑する。
ユクレイユ地帯の草原では数十km先とて見通せるのだ。少し小高い山がある程度で障害物もそうは無い地平線。実のところ進んできた方角と太陽の位置を読みさえすれば、大きくズレた方向を目指していても遠くに人工物を確認して軌道は修正できてしまう。
「あっちの世界ではあんまりやらかさないんだけどなあ。とはいえ、授業中やバイトで意識なんて飛ばしてたら生活がままならないからだろうけどね。バイクなんて事故って死んじゃうし、歩きでも車が危ないもんなあ。夜の歓楽街なんて割と治安が悪いから痴漢さんが怖いし」
ノーディアが手を強く握って、そのまま引っ張って歩き出す。
「男が痴漢されるかよ」
「ふふふ、向こうの世界では冴えない黒髪眼鏡とはいえ曲がりなりにも女の子なので事件に巻き込まれる事も無きにしも在らずで」
ふと、服屋の前で表に飾られているディスプレイに目が止まり手を伸ばす。「こんな可愛い服だって着ちゃったりね」だなんてワンピースの裾をつまむ。
「アカリの方はこっちに比べて小さくて、華奢で、非力で、いっそ性別が逆だったなら・・・」
そう、アツシと比べてアカリはあまりにも脆弱だ。年を重ねるごとに違いは顕著になっていく。2つの世界、2つの体、真逆の性別。そして、そう、性別が逆だったなら、あるいは?
アツシは手を広げた。
「あっちで男だったら!そうだなあ、大型バイクに手出しちゃったりできるよね。なんせ非力な女の身だと車体の重さに負けちゃって中型で限界なんだぁ。自分が乗れないからってイトコの兄さんに大型勧めてみるんだけど、ハルちゃんったら原チャリでいいんだって。カッコいいから絶対似合うのになあ。買うなら整備とか私がチョクチョクやりに行くのにな。今度親戚が集まるのは正月か。パンフレットで誘惑でもしてみよっかなあ」
ノーディアは立ち止まって黙ったままアツシを見つめていた。穴を開けるようにジィッと観察するモードだったかと思えば、不意に横からアツシが摘んでいた服を奪い取った。それに何事か問うより早くノーディアは服を店に持って入って店員へ突き出した。
「これ頂戴」
不機嫌な態度に驚いた店員がノーディアを見上げて、おずおずと商品を押し返す。
「これはちょっと、お客様のサイズではないようですが」
「いいんだよ!」
更に押し返すノーディアにアツシが追いつく。
「どうしたの、ノアちゃん。買ってどうすんの」
ノーディアもあまり筋肉質とは言い難いとはいえ男が着られるはずがないのだが、即決で買い取ってしまうとアツシの手を取ってノーディアは店を引っ張り出てしまう。店から距離を置いてノーディアが険しい顔でアツシを振り返ると、大口を開けて何か言いかけたまま声に出さず固まってしまった。
「ノアちゃん?」
そのままノーディアは口を閉じて、口を尖らせる。
「俺がサイズ直して着るからいーの」
目をそらしてボソボソと答えた。「えー、あー、そう」とアツシは深く問うのを止める。アツシにはコマキという友人もいる。あまり女装に反対する気持ちはない。
ノーディアは溜息をつき、アツシの腕に両手を回して肩に頭を乗せる。
「もういい」
何か諦めたらしい。
「うーん、ああ」
友人の不可解な怒りの理由に思い当たり、アツシは人差し指でノーディアの鼻の先を押さえる。
「ノアちゃんならきっとこの服も似合うよ」
満面の笑顔で褒めるアツシに、目を丸くしてノーディアが目だけでアツシを見上げた。ニコニコとして、ノーディアからも笑顔が返ってくると信じてやまないらしき様子で、ノーディアは軽く引きつった笑いを返した。
コマキが髪型を変え「どう?」と聞いた時に「何が?」と答えて怒られる経験が無駄に生きた。
ノーディアは自分の服装を見下ろして真顔で何か黙り込んだので、アツシは再び「あれ、違う?」と首を傾げた。そこでハイテンションだった彼が徹夜なのを思い出した。眠気でぐずっている可能性を思い浮かべる。2日酔いで目覚めるであろうケオンの事も考え何か食料を買って帰るかと視線を巡らせた。
そこで不意に見覚えのある白装束に気づいた。そして相対しているのは、こちらも見覚えのある傭兵だ。先日にも同じ光景を目撃した気がする。どうやら絡まれてるらしく何か迫られて突き飛ばされていた。
「よく絡まれる王子様だなぁ」
ノーディアも億劫だという風に頭を上げて「うげぇ」と声を出す。アツシとノーディアは顔を見合わせ、アツシがオト達の方へ歩みを進める。アツシの腕に絡まりながらノーディアも素直に付いて行く。
近づいてきたマワラ族に気づいた2人が同時に顔を向け、傭兵はビクリと体を揺らす。カジノでは思い出せなかった名を今思い出す。オトも「あ」と声を漏らした。
「久しぶり、オト、チャンドラ。こんな所で奇遇だねー。何してるの?」
「それはこっちの台詞だろう!?」
チャンドラが女装したノーディアを指差すので、ムッとしたノーディアがその指を捕まえて捻る。
「あいだだだだ!?やめい!!」
手を振り払ってチャンドラが後ろに跳び下がる。そしてオトを含めてアツシ達をも睨みつけると、片眉を上げて皮肉げに顔を歪める。
「おい、逆らったらどうなるか分かってんだろうな」
白いフードで顔を隠されたオトは沈黙のまま。代わりにノーディアが彼の前へ進み出た。今度はチャンドラも後退せず牙を剥いた。
目が据わったノーディアはおもむろに脅しかけた。
「どっかいけ。さもないとチューするぞ」
「は!?」
チャンドラは意味を図りかねて動揺を見せた。アツシにも目をやるが、キョトンとしてるだけなので役にたたない。
チャンドラとノーディアの距離が1歩つまる。
「なん」
更に1歩。
「ちっ」
地鳴りでもしそうな歩みで距離を縮めてくるノーディアに根負けしたチャンドラは、背を向けて逃げ出した。
「これだから土着民は!」
「いいいいいいいっだ」
追い払った敵の後姿にふんぞり返って鼻を鳴らすノーディア。その後ろでアツシはオトに目をやった。
「もう町にいないものだと思ってたのに」
元々見えない顔を更に隠すように、オトはフードを指で下に引く。
「依頼を受けたんだ・・・戻ってきたくなかったんだけどね」
チャンドラの去って行った方角を見て、オトは苦しそうに声を洩らす。
「こんな怖い町」
オトは首を振って気持ちを切り替えたのか、穏やかな声でアツシに視線を向ける。
「ありがとう、また助けられたね」
「オトがいるから昼飯に誘おうと思っただけだよ」
アツシがオトの手を取った。逆の手をガッチリとノーディアが拘束した。
そうして昼食にと値段も見ずに食料を買い漁るマワラ族。それにドン引きしながらオトは荷物を持たされアツシ達の宿屋まで連行された。だが辿り着いた宿屋の前では異変があったらしく、何か注目を浴びている塊がいた。ズボンしかはいていない半裸に裸足の男が膝を抱えてうずくまっていれば目立ちもするだろう。弓を扱う者らしく背から腕にかける筋肉はとても凛々しく頼もしい。ただし、すすり泣いていなければ。
「何だろう?」
オトの呟く横でアツシは肩を跳ねさせて駆け寄っていき、それにノーディアが続く。
「うわー、もう起きちゃったの?予想外に浅かったね。って、足切ってるよ!?」
「泣くなよ、ケオン。ただいまー」
ジト目で顔をわずかに上げたケオンが、横から覗き込んでくるアツシとノーディアを認めて憮然と口を開いた。
「・・・留守番させられそうになったら一番騒ぐノアには言われたくねえよ。よくも置いて行ったな。お前だって寝てる間に先に食堂行ってただけで半べそかいて階段から転げ落ちてきたくせに」
「2年も前の事を持ち出すなー!」
少し離れた場所で立ち止まったオトから「えーっと、ど、どうしたの?」と遠慮がちに問いかけられて、アツシが後頭部を掻きながら困った顔になる。
「寝てる間に置き去りにしたのがバレちゃったみたい」
ヨシヨシとノーディアがケオンの頭を撫でるのを、どうしていいか分からない複雑な顔でオトが眺める。
「どうしようかな。そうだ、ねえ、ケオン」
アツシは袋から一升瓶を取り出した。
「これはね、ファシャバでしか出回っていない『太陽』っていう一発昇天物のアルコールなんだって。酒のアテにはオトも連れてきてるし、気分直しには迎え酒だよね」
「え!?」
オトが驚きの声を上げる。ニョロリとケオンの手が瓶に伸びた。
足に包帯を巻かれてベッドの上で胡坐をかくケオンは酒瓶を杯に傾けながら、杯を持ったまま口をつけずにいるオトに顎を向ける。
「で、オトはなんの仕事を引き受けてきたんだ?すぐに終わるものなら手伝うぞ?」
窓に腰掛けたアツシは串焼きをくわえながらケオンとオトの会話に耳を傾ける。別のベッドで酒を舐めるノーディアが全身で震え上がった。その激辛でケオンはグイッと喉を鳴らす。
「そんなこと頼めないよ。それより君達まだファシャバにいるつもりなのかい?」
ノーディアがコップをアツシに突き出すので受け取った。代わりに甘い串焼きを手渡してやる。
「まあ一応明日にでもマワラに帰る予定ではいるな」
「およそ3年ぶりなんだぜ!」
明るい声でノーディアが引き継いだ。
「これでノアの癇癪が少しは落ち着くってもんだ」
「外の連中が喧嘩吹っかけてくるのが悪ぃんじゃん!でもまあ価値観と習慣が全然合わねえっていうのは学習した。それに旅で得るもんはいくらかあったし、ケオンだって1回くらいなら外に出るのも悪くなかっただろ」
「それは美味いもんもあったし完全に否定はしねえけど・・・・・・ところでノアはなんで女の格好してるんだ?」
「アツシが可愛いって」
「やめろよ!その答え怖い!!」
ケオンとノーディアのじゃれあいの外で、オトはホッと息をつき表情を緩め「そっか」と静かに呟く。アツシは手に残った串で味噌コンニャクを刺しオトの口元に差し出した。モグモグと口を動かしながら。
オトは困惑するがアツシも引かない。躊躇しながらオトはソッと口で受けた。
口の中身を飲み下してから、アツシは呟く様に話した。
「ああやっていつもジャレ合ってるんだ。マワラの集落じゃ皆あんな感じ。同胞を愛し過ぎて集落からも出たがらない。狂った部族だろ?」
2人のやりとりをオトは横目に見てからアツシに目を戻す。アツシは小さな声で「俺はいつまでたっても慣れない」と笑う。首を傾けてオトも困った様に小さく笑みを返して問う。
「君もマワラ族でしょ?」
「うん」
アツシは仲間2人に目を戻して声なき声で呟いた。唇だけが動いたのをオトだけが見ただろう。不可思議な『多分ね』という動きを。
少し考えてオトが軽く身を乗り出した瞬間、でかい体がアツシに飛びついて互いにのけぞる。外に開け放たれた窓枠に座っていたアツシに、危険を顧みないノーディアが首を振って頬を膨らませる。
「アツシ!ケオンが俺の事を気持ち悪いとか言うんだ!これは暴言だ!!」
「えー?」
ケオンも1つ向こうのベッドから距離を縮めて指を突きつけてくる。
「ノアは男だろ!そんなので集落に戻ったら、ただでさえ待ってる女の一人もいねえのに嫁のきてもなくなるだろうが!?」
「はあ?俺はケオンみたいに乳がでかけりゃ誰でもいいわけじゃねえんだよ。選ぶのは俺。そんでもって、俺が選ぶ奴はそんな細かいこった気にしねぇんだよ。なあ、アツシ」
「止めて!アツシに聞くの止めて!イレリアとノアの泥沼展開とか俺耐えられない!!」
「なんで姉貴が出てくるんだってばー」
白熱してきた言い合いに、アツシは他人事にしているオトへ話を振った。
「あー、オトは案外女を泣かせたりしてると思うなー!歌謡いって色んな町に彼女作るって聞いたことあったよね」
「おおー」
期待の眼差しが集中した。からかいに動じることなく、オトは「俺?」と自分を指差して一笑にふす。
「そんな情熱的に見える?そんな甲斐性があったら寂しく一人旅なんてしてないよ」
ケオンがオトのベッドまで移動してきて顔を覗きこむ。目を丸くして微笑みながらオトはのけぞる。だが、ケオンはそのまま目を見つめて顔を寄せてくる。オトは見つめ合いに負けて視線をはずした。
指を鳴らしてケオンが姿勢を戻す。
「オトは嘘をついている!まだ酒が足りてない証拠だ!酒瓶何処行った!?」
「はいはい、美味しいね」
アツシは自分のコップに酒をついでケオンの手に握らせて口をつけさせると、ケオンは素直に喉を鳴らして流し込んだ。そしてケオンの興味がアツシに移る。
「なんだよ、アツシも飲んでなくねえかあ?」
「皆で飲むためにノアちゃんも飲めるお酒用意しなくちゃ」
「あー、そっかー」
既に立派な酔っ払いになりつつあるケオンへのアツシの扱いは慣れたものだ。アツシが立ち上がって財布をつかんだ。
「いつもみたいなのでいいよね、ノアちゃん。何か好きなジュースで混ぜる?」
「お任せ」
アツシはオトの手を引いて立ち上がらせた。
「君の好みは分からないから一緒に来てもらうよ」
「あ、いや、俺はそろそろ」
部屋を付いて出ながら、オトは身を引こうとした。だがアツシは手を引いて階下の食堂へ誘導して行く。
「ベッドを全部くっつければ皆で雑魚寝出来るよ。酔っ払ってそのまま泊まってくの。そしたらさ」
階段を一歩おりたところでアツシは振り返った。
「怖くも寂しくもないさ」
言葉につまり、オトは再び手を引かれて行かれた。黙ったオトにアツシは何気なく口にした。
「一度マワラの集落に帰ったら、俺も一人旅に出るつもりなんだ」
悪戯に笑うアツシは「2人には内緒ね」と付け加える。
「方向音痴なんだよね、俺。お金稼ぐのも今までノアちゃん頼りだったし苦労するんだろうなあ。オトは凄いよ」
「・・・凄くなんてないさ。仲間を作れないだけだからね」
「じゃあさ」
アツシは変わらぬ調子で続ける。
「俺と旅する?」
しばらく間があった。
オトは深く息をついて胸を押さえ、ゆっくりと呟いた。
「それは、魅力的な誘いだね」
はっきりとした返事は返らなかった。
前へ 目次 続きへ